トシの旅

小さな旅で学んだことや感じたことを、
まとめるつもりで綴っています。

JR芸備線の”秘境駅” 道後山駅

2016年08月27日 | 日記

岡山県西北部にあるJR新見駅です。この駅から、広島県北東部の備後落合駅に向かう超過疎路線があります。JR芸備線です。正式には、JR伯備線の備中神代(びっちゅうこうじろ)駅から備後落合駅を経て、JR広島駅までの159.1kmの路線です。この日は、芸備線にある「秘境駅」、道後山駅を訪ねるため、岡山駅からここまでやって来ました。

新見駅の1番ホームです。道後山駅は、牛山隆信氏が主宰する「秘境駅ランキング」の43位にランクインしています。JR芸備線からは、道後山駅を含めて4つの駅がランクインしています。道後山駅のほかには、28位の内名駅(「1日3往復の秘境駅JR芸備線内名駅」2014年7月7日の日記)、36位の布原駅(「伯備線にあって伯備線の駅でない秘境駅JR布原駅」2014年3月31日の日記)、138位の備後落合駅の3駅です。このうち、布原駅は正確にはJR伯備線の駅ですが、伯備線の列車は運転停止以外ではまったく停車しない、芸備線に入る列車しか停車しない駅であるため、便宜上芸備線の駅としました。

JR芸備線のホームにあった時刻表です。平成17(2005)年から、新見駅発の芸備線の列車は1日6本、そのうち、3本は広島県に入った最初の駅、東城駅行きの列車でした。東城駅から先へ行く列車は1日3本しかありません。5時18分発の「快速」と18時24分発とこの列車でした。最初に、「超過疎路線」と書いたのはそのためです。ちなみに、JR芸備線の1日の平均通過人員は、備中神代駅から東城駅までは1日平均84人、東城駅から備後落合駅間は1日平均8名とのこと。東城駅から先が1日3本というのも、やむを得ないことなのかもしれません。

やがて、JR西日本岡山支社に所属するキハ120339号車が入線していました。13時01分に新見駅を出発し、備後落合駅までの51.1kmを、1時間24分で走り抜ける列車です。ワンマン運転の単行列車でした。ちなみに、芸備線でワンマン運転が始まったのは、平成3(1991)年だそうです。

芸備線の列車に乗ってびっくりしました。平素は空席が目立つ車内ですが、この日は満員で立客も出ています。乗車していた方の大部分は、青春18きっぷで鉄道の旅をされている「乗り鉄」の方だったのではないでしょうか。途中駅で下車される方はほとんどおられませんでした。

新見駅から数えて11番目の駅、道後山駅に14時11分に着きました。新見駅から44.2kmのところにありました。写真は、車内にあった運賃表です。新見駅からここまで840円でした。広島県に入ってすぐの駅、東城駅は標高312m。そこから、備後八幡(びんごやわた)駅、内名(うちな)駅、小奴可(おぬか)駅(標高546.99mにあり、JR西日本で5番目に高い駅になっています)と、山地を少しずつ登って来ました。道後山駅の標高は624m。芸備線の駅の中で最も高いところにある駅です。東城駅からの19kmで312m(東城駅の標高と同じ高さ)を登って来たことになります。かなりの急勾配でした。

道後山駅で下車したのは、私と地元の方らしい女性との二人だけでした。「秘境駅」を訪ねて、地元の方が下車されたのは、この道後山駅が初めてでした。もちろん乗車する人はいませんでした。

列車は、終点の備後落合駅に向かって、すぐに出発していきました。列車を見送って駅舎を見ると、この女性の姿はもう見えなくなっていました。1日3往復しかありませんので、備後落合駅から折り返してくる14時52分までが滞在時間になります。乗り遅れると20時27分まで列車はありません。絶対に乗り遅れる訳にはいきません。

列車を見送ってから駅舎に向かいます。駅舎の手前の建物はトイレでした。ホームとの間にある植木は、手入れが行き届き、ホームにもごみ一つありません。清潔感あふれる駅でした。

ホームの新見駅方面から見た道後山駅舎です。ガラスのないところは物置になっているようです。

駅舎の中にあった消防車。駅舎の元の事務所部分は、今では消防機庫になっています。そのため、消防団員の方の集会所のようにも使われているようです。駅舎の美化にも消防団員の方々の助力があったのではないでしょうか。

長い歴史を感じさせる改札口から駅舎に入ります。さて、JR芸備線は、昭和5(1930)年2月に、国有鉄道三神線として、備中神代駅と矢神駅間が開業したことに始まります。工事は順調に進み、その年の11月には広島県側の東城駅まで開業しました。備後落合駅まで開業したのは、昭和11(1936)年のことでした。道後山駅は、備後落合駅までの開業から1か月遅れて、11月21日に開業したそうです。

駅舎内部です。駅事務所があったところは閉鎖され、境の壁には掲示板が設置されています。その向こう側が消防機庫になっているところです。ベンチの隣のカウンターには、「秘境駅」ではおなじみの「駅ノート」が置かれ、国鉄時代の駅標が立てかけられていました。

駅舎の反対側の窓の上には、絵が展示してありました。地元の人が描かれたものではないでしょうか?

絵の下には、懐かしい小さなベンチ。窓からはトイレが見えます。

トイレの内部です。秘境駅には思えない、すごいトイレでした。消防団の方々が使用されることもあるのでしょうね。

外に出て駅舎を撮影しました。駅舎入口です。入口の左側のシャッターには「庄原市消防団西城方面隊」「高尾班格納庫」と書かれていました。滞在時間は余すところ30分程度。乗って来た列車が戻ってくるまで、急いで駅の周辺を歩くことにしました。

駅の向かいにあったお宅です。ドアの上に「国鉄旅行連絡所」のプレートが残っていました。国鉄の民営化から、すでに30年近くが経過しているので、懐かしさ満点でした。国鉄の委託を受けて仕事をしておられたのでしょう。道後山駅は、かつて道後山スキー場と駅のホームの向かいにあった高尾原スキー場の最寄駅でした。スキーシーズンにはさぞかしお忙しかったことでしょう。

駅への取り付け道路です。正面右側のお宅には、誰も住んでいらっしゃらないようでした。

取り付け道路の突き当りにあった建物です。「学校法人 順正学園 道後山セミナ―ハウス」という看板が建っていました。
高原での活動は研究や教育の効果を上げることでしょう。

セミナ―ハウスの看板のそばにあった「記念碑」です。そこには、国有鉄道三神線の道後山駅開業に貢献された人々を顕彰する内容が刻まれていました。

これは、駅の向かいの山裾に広がる集落です。この地に生きる人たちの姿にふれたいと思いました。

順正学園のセミナーハウスから山裾の道に出ました。道標には「東城」「西城」「道後山」と書かれていました。「道後山の山裾から小奴可、内名、備後八幡に向かう道は、江戸時代に石見銀山から産出された銀を運んだ道だった」そうです。いかにも昔からあった雰囲気で道路幅も昔の通り、私には、この道が「銀の道」だったように思えました。まったく未確認で、根拠はありませんが・・。

集落の中を歩きます。この地に生きる人々の生活がありました。駅にあった絵と同じタッチで描かれた絵を飾っておられるお宅もありました。 さて、道後山駅は秘境駅ランキングの43位。牛山氏の評価では、秘境度6ポイント(P)、雰囲気7P、列車到達難易度17P、外部到達難易度5P、鉄道遺産指数8Pの合計43Pとしておられます。 やはり、「列車では到達するのが難しい」ことから「秘境駅」になった、そんな駅でした。でも、空き家になっているお宅もありましたが、今、この地で生きている人々の姿にふれることができました。

駅に戻ってきました。駅のホームの前にあった、高尾原スキー場のゲレンデの跡です。平成23(2011)年に閉鎖されたそうです。 今は、その跡地に道路を建設するための工事が進行中でトラックが行き交っています。線路と並行した新しい道路ができる日もそう遠いことではないでしょう。

そのとき、道後山駅はどうなるのでしょう? そして、1日3往復になって久しいJR芸備線の行く末は・・・。 
「秘境駅」道後山駅の行く末を考えた旅でした。


JR四国、もう一つの臨時駅、田井ノ浜駅

2016年08月13日 | 日記
先日、JR予讃線の「津島ノ宮駅」を訪ねてきました。8月4日、5日に行われる津嶋神社の夏季大祭の日にだけ営業する駅でした。めずらしい臨時駅ですが、JR四国には、もう一つ「臨時駅」があります。JR津島ノ宮駅を訪ねた日(「1年に2日間だけ営業するJR津島ノ宮駅」2016年8月6日の日記)、この「もう一つの臨時駅」を訪ねようと決めました。

その駅は、JR田井ノ浜駅。JR徳島駅から南に向かうJR牟岐(むぎ)線にある駅で、徳島県海部郡美波町田井にありました。牛山隆信氏が主宰されている「秘境駅ランキング」の122位(2016年度)にランクインしている「秘境駅」でもあります。

JR牟岐線の普通列車はJR徳島駅の3番ホームから出発します。ホームの案内には「田井ノ浜停車」と書かれていました。

10時前に2両編成のディーゼルカー(DC)が、3番ホームに到着しました。JR阿南駅からやってきた徳島駅行きの列車のようでした。ここで1両が切り離され、ワンマン運転の単行列車として、牟岐駅に向かうようです。1500形の1569号車。1500形DCは、排ガス中のチッ素化合物の割合を従来より60%削減した、JR四国が誇る「エコ車両」として知られています。平成18(2006)年から徳島県のJR(高徳線、徳島線、牟岐線)の路線で運用されています。

10時09分、立客が出るほどの乗客を乗せて出発しました。その後、降車される方もおられましたが、乗車される方も多く、多くの乗客を乗せて、田井ノ浜駅の一つ前の由岐(ゆき)駅に着きました。ここまで来ましたが、まだ立客もおられるような状況でした。以前「牟岐線の秘境駅 辺川(へがわ)駅」を訪ねた(「バリアフリーの秘境駅、JR牟岐線の辺川駅」2015年9月21日の日記)時と比べたら、尋常でないほどの人が乗っておられました。ちなみに、辺川駅は秘境駅ランキングの183位(2016年度)にランクインしています。

由岐駅のすぐ先にあったトンネルを抜けると、左(南)側に海水浴場が見えてきました。この辺りでは、JR牟岐線は東から西に向かって走っています。徳島駅から1時間07分ぐらい、JR田井ノ浜駅に着きました。たくさんの乗客のほとんどが、ここで降車されました。徳島市や沿線の小松島市、阿南市などから田井ノ浜海水浴場に来るために、JR牟岐線を利用される方がたくさんおられることに驚きました。

降車された乗客は次々にホームから海水浴場に降りて行かれました。やがて、DCの1569号車は、次の木岐(きき)駅に向かって出発していきました。さて、田井ノ浜駅は、昭和39(1964)年の7月11日、臨時駅として開業しました。開業当初から海水浴客の乗降のためだけに開設された駅だったようです。

1569号車が出発し、降車された方が海水浴場に降りて行かれた後のホームです。1面1線のホームには、屋根だけの待合スペースがあるだけです。田井ノ浜駅は海水浴場の開かれている期間だけ営業している臨時駅です。それでも、1年に2日だけ営業する津島ノ宮駅よりは営業日数ははるかに長く、「田井ノ浜海水浴場」と書かれた布製の幕が、とても誇らしげでした。

こちらは、木岐駅方面(西)側の海岸のようすです。海水浴場には、ホームから直接降りて行くことができるので、ホームも海水浴場の一部と言っていいのかも知れません。

こちらは、由岐駅方面(東)側の海岸です。空と海の青が目に染み込むような美しい海水浴場でした。でも、海水浴客は海水浴場の広さの割には、多くはなく、のんびり水遊びが楽しめるような、そんな雰囲気を醸し出していました。

ホームから見た牟岐駅(東)側方面です。正面の山にくぐって来たトンネルがあります。そして、駅の山(北)側には道路が見えました。徳島県道25号日和佐・小野線だそうです。

ホームから海水浴場へ降りることにしました。ホームに隣接している2階建ての建物は海水浴場の監視台になっています。1階部分に掲示物がありました。

これは、海水浴場の側から見た監視台です。この日は「台風5号の影響で波が高いので、注意して行動するように」という放送がなされていました。こちら側には「JR田井ノ浜臨時駅」と布製の幕には書かれていました。

掲示物を見てびっくりしました。すべての普通列車が停車するものと思い込んでいて、最近の時刻表でチェックしていなかったからです。次に田井ノ浜駅を出発する普通列車は、14時32分までありません。暑い砂浜で3時間も待つことは不可能です。掲示によると、田井ノ浜駅は、7月16日から8月7日までの23日間営業するようなっていました。

残念ながら、帰りに乗車しようと思っていた12時18分初の列車は通過列車になっていました。

とりあえず、海水浴場から駅周辺を歩いてみようと思いました。多くの乗客が入っていかれた「海の家」です。涼しげでした。

カラフルなテントが点在しています。こちらも景色に彩りを添えています。昼食をとっている家族連れもおられました。

靴が埋もれるような砂浜を歩いて、東側の田井川までやってきました。海への出口です。素晴らしい景色です。絵になりますね。

こちらは、上流側です。右側にある白い建物は民宿。正面のグレーの構造物は田井川水門です。

田井川を渡って駐車場を抜けて、東側の道路に出ました。駅の裏(北)側をめざして歩きます。カラフルな民宿「明山荘」の前を通って牟岐線の線路に向かいます。

これが、牟岐線の線路です。線路の左がJR田井ノ浜駅方面。正面が先ほど、田井川河口から見えた白い色の民宿です。

田井ノ浜第一踏切です。「45k519m」と書かれています。徳島駅からの距離を表しています。踏切から見た由岐駅方面です。カーブの先にトンネルがあるはずです。

こちらが踏切から見えた南(田井ノ浜駅)側。手前の田井川に架かる鉄橋の先に、かすかに田井ノ浜駅のホームが見えます。

踏切から民宿の裏に向かいます。田井川河口から見えた田井川水門。昭和57年5月、「紀伊水道高潮対策」としてつくられたものだそうです。右側に道標が見えました。

この道は四国八十八か所を巡る「遍路道」になっているようです。道標には「二二番 平等寺 三九.八km 二三番薬王寺 一五.三km」と書かれていました。

ホームの北側の道路から見た、田井ノ浜海水浴場。砂浜の先に紀伊水道の広々とした海が見えました。

田井ノ浜駅の西側から見たホームです。田井ノ浜海水浴場の手作りの案内標です。

道路を引き返して、先ほど通った民宿「明山荘」まで帰って来ました。カラフルな民宿です。自動販売機で飲物の補充をしていると、民宿の方が出て来られましたので、由岐駅への道を教えていただきました。

「民宿から、この先を左に向かい大きな峠を一つ越えて下ったら右へ行きなさい」とお聞きしたとおり、15分ぐらい歩いて、由岐駅に着きました。13時14分発の特急むろと4号で、阿南駅に向かうことにしました。

JR牟岐線の臨時駅、田井ノ浜駅に行ってきました。これまで何回か通過はしていたのですが、下車するのは初めてでした。空の青と海の青が美しい素晴らしい海水浴場でした。田井ノ浜駅は海水浴場の一部を構成している生まれついての臨時駅でした。

また、田井ノ浜駅は「秘境駅」でもありました。牛山氏の評価では、秘境度1ポイント(以下「P」で表示)、雰囲気2P、列車到達難易度(15P)、外部到達難易度1P、鉄道遺産指数1Pでトータル20Pで125位になっています。臨時駅ですから秘境駅に認定されるのは当然かも知れません。確かに、海水浴場が開かれていない時期は秘境駅の雰囲気を強く感じましたが、この日は、とても秘境駅とは思えませんでした。たくさんの海水浴客が訪れて海と戯れている明るい駅だったからです。こういう二つの面があることも含めて、JR田井ノ浜駅は、とても魅力的な美しい駅でした。



1年に2日間だけ営業するJR津島ノ宮駅

2016年08月06日 | 日記

香川県の西部に位置する三豊(みとよ)市の海岸から、沖合にある津島に鎮座する津嶋神社に向かって延びる橋が見えます。この橋は、1年に2日しか使われない橋なのです。「子供の神様」として、多くの人々の崇敬を受ける津嶋(つしま)神社の参道になっています。

JR予讃線の多度津駅に掲示されていた津嶋神社の夏季大祭のポスターです。毎年、8月4日・5日に開催される夏季大祭の2日間で10万人の参拝者があるといわれる神社です。津嶋神社の祭神は素戔嗚命(すさのうのみこと)。「牛馬の神」「子供の神」として信仰を集めてきましたが、大正時代の後期から、「子供の守り神」として親しまれています。昭和27(1952)年、それまでの「津島神社」から「津嶋神社」と改称されたそうです。

この写真は、最寄駅のJR予讃線の津島ノ宮駅の構内です。津嶋神社の夏季大祭の行われる2日間だけ営業する臨時駅です。予讃線の列車も、この2日間以外は停車しないで通過していきます。右側のツートンカラーの平屋建ての駅舎まで、年間で2日しか営業しない駅には場違いのような、広いスペースが確保されています。

営業されていない日のようすを見ようと、夏季大祭の1週間ほど前にJR津島ノ宮駅を訪ねました。このときは、JR土讃線との分岐駅である多度津駅から観音寺行きの電車に乗り継ぎました。津島ノ宮駅は、多度津駅の次の海岸寺駅と、その次の詫間駅との間にありました。海岸寺駅からは3.3km進んだところ、詫間駅からは2.2km引き返したところだそうです。そのため、詫間駅まで行って引き返しました。津島ノ宮駅は1面1線のホームをもち、ホームは大きくカーブしてつくられていました。

多度津駅側からの津島ノ宮駅への入口にあった大見踏切です。高松駅から39.8kmの地点、踏切名のとおり、津島ノ宮駅は三豊市三野町大見にあります。大正4(1915)年5月7日に、仮乗降場として開業しました。その後、昭和44(1987)年10月1日に臨時駅になったそうです。今年の営業は、8月4日は9時から22時まで、5日は9時から13時まで、この間、4日には上下42本、5日には上下10本の列車が停車することになっています。たくさんの人が乗降しているようですが、2日間で乗車した人の数は1日あたりにならすと、2014年では5名にしかならなかったようです。臨時駅でも仕方がないのかもしれませんね。

津島ノ宮駅から歩いて5分ぐらいで、津嶋神社の遥拝殿に着きました。平素はここにお詣りするのでしょう。

その遥拝殿の脇にあった本殿への参道、津島橋の入口です。昭和8(1933)年に、地元の大見村長だった倉田弥次郎氏が発起人となって、架橋したといわれています。平素は通行禁止で、橋の入口は封鎖され、橋桁に敷き詰められている木製の板も撤去されているそうです。大祭の1週間前には、橋桁の上の板はすでに敷かれていました。大祭の準備が、順調に進んでいると感じました。

まっすぐに延びる250mの津島橋の向こうに、津嶋神社の本殿と鳥居が見えました。本殿は、江戸時代中期の宝永3(1706)年に、当時鼠(ねずみ)島とも呼ばれた津島に、富山安兵衛によって造営されました。現在は、銅板葺きの立派な建物になっています。

8月5日の大祭の日。たくさんの子供連れが待つJR多度津駅ホームに、観音寺行きの普通列車が入ってきました。その人たちと一緒に、津島ノ宮駅に向かいました。

乗車して5,6分で、津島ノ宮駅に着きました。ほとんどの乗客が下車しました。子どもの姿が目立ちます。ホームに待ちかまえていた駅スタッフが忙しく動き始めました。

駅スタッフは、子どもたちが電車から降りるときの介助にあたっているのです。停車した電車は、カーブの内側(ホームの反対側)に向かって、かなり傾斜しています。ホームとの間には、高さも幅もかなりの段差ができています。怖くて降りられない子どもたちを抱え上げてホームに降ろしているのです。

広い構内を埋め尽くす人たちです。下車した人は、駅舎の左側に開設されている改札口に向かって進んでいきます。

これは、1週間前の駅舎のようすです。入口には、鍵もかかっていました。

大祭の日の駅舎のようすです。駅スタッフの詰所と精算所、出札口が設けられていました。

屋根の下の壁面には「つしまのみやえきちゃん」の顔が描かれ、その下には、長い歴史を感じさせる「津島ノ宮駅」の駅標も掲示されています。駅舎と線路の間には、乗客の案内や介助にあたる駅スタッフの詰所がつくられていました。葦簀(よしず)や簾(すだれ)をかけて暑さ対策もなされていました。

改札口付近につくられた精算所です。簾と扇風機で暑さをしのぎながら、仕事に精を出す駅スタッフの姿が見えました。

鉄道グッズの販売店も店開きしていました。駅名のキーホルダーは、税込み500円。JR予土線にある「半家(はげ)駅」のキーホルダーが「一番売れているよ」とのことでした。半家駅は、かつて、名前に惹かれて訪ねた駅(「海洋堂ホビートレインに乗って「はげ」駅へ行きました」2014年7月25日の日記)でした。

改札口の外にあった出札口です。線路側と同じように「つしまのみやえきちゃん」が描かれています。「きっぷうりば」の看板や運賃表が掲示され、改札口らしく改装されています。

改札口を出て左に向かう参道には、屋台が並んでいます。祭礼にはつきものですが、1週間前には想像もできなかった華やかさです。

警備詰所を右折すると津島橋に続く通りに出ました。手洗所と狛犬、鳥居が並んでいる先に、津島橋が見えてきました。

1週間前の鳥居の前のようすです。ずいぶん雰囲気が違います。

参詣を終えて、アイスクリームを食べながら歩く人の姿をたくさん見かけました。どこで買ったのだろうかと思って歩いていたのですが、このお店のアイスクリームだったようです。

「しあわせ橋切符売場」。津島橋を渡って本殿にお詣りする人は、ここで、300円(子どもは150円)の切符を買ってから渡ることになります。

子ども連れの人が多いので、ゆっくりと歩いて行きます。大変な暑さでしたが、海の上は心地よい風が吹いていて快適でした。江戸時代には、このあたりは潮干狩りができる遠浅の海が広がっていたそうです。また、本殿の裏は瀬戸内海の美しい島々が連なっていたところだったようです。

250mの橋だそうですが、ゆったりと歩いているせいか、ずいぶん時間がかかりました。

やっと、対岸に着きました。階段を上れば本殿です。

本殿から見た津島橋と遥拝殿方面です。遥かに、三豊市三野町大見の町が広がっています。本殿を離れていく、たくさんの参拝者の姿も見えました。

戻ってきました。遥拝殿の前です。屋台が並んでいるすぐ裏でしたが、大変静かでした。

屋台の間を通って津島ノ宮駅の東の入口にある大見踏切まで帰ってきました。踏切には2人の駅スタッフがおられ、列車が通過するたびにロープを張って遮断機の代わりにして、安全に努めておられました。

畑の中の道を通って改札口から構内へ入ります。昼前になり日差しがかなり激しくなっていました。

ホームにある駅標の裏には「日本一営業日が短い駅」と書かれたイラストが書かれていました。これをバックに集合写真を撮る家族がたくさんおられました。現在、日本で一番営業日が少ない駅は、JR東日本磐越西線の猪苗代湖畔駅で、年間営業日は”0”だそうです。しかし、平成19(2007)年から営業停止扱いになっているそうで、実質的に「日本一営業日が短い駅」はここ津島ノ宮駅になります。現状では、この駅はこの先も営業停止扱いには決してならないでしょう。これだけの人が参拝に訪れる駅ですから・・。状況が激変しない限り、「日本一」の座を他に譲ることはないのではないでしょうか。

「お願いします」という声が聞こえたので、振り返ってみると、駅スタッフに撮影を依頼する女性の姿が・・。電車の到着時間を気にされながら、乗客の要請に応じる駅スタッフの姿が見えました。誤解がないように付け加えますが、こうして乗客の支援をされていても、まったく、本来の業務に支障はありませんでしたよ! 酷暑の中、参拝される人と、参拝される人のために働く人、どちらも本当にお疲れ様でした。

テントとパイプ椅子の待合室です。日差しだけは遮ることができそうです。参拝される人に対する配慮がしっかりとなされていて、見ていて気持ちのいい駅になっていました。

JR四国には、もう一つ臨時駅があります。JR牟岐線の田井ノ浜駅(「JR四国、もう一つの臨時駅」2016年8月6日の日記)。こちらは、海水浴場が開かれている期間だけ営業する臨時駅です。次は、田井ノ浜駅を訪ねようと思いつつ、津島ノ宮駅を後にしました。