牛山隆信氏が主宰されている「秘境駅ランキング」の200位以内に、愛媛県から唯一ランクインしているのが、串(くし)駅です。この日は、その秘境駅、串駅を訪ねることにしていました。春の暖かい日差しがそそぐJR松山駅に向かいました。
JR松山駅に着きました。予讃線の伊予大洲駅行き列車が出発する、3番ホームに向かいました。予讃線は、昭和20(1945)年に、香川県高松駅と愛媛県宇和島駅間全線が開通しました。
やがて、松山駅で折り返して、伊予大洲駅に向かうキハ546号車が入ってきました。JR予讃線の宇和島方面に行く優等列車は、昭和61(1986)年から、途中の向井原(むかいばら)駅から内子(うちこ)駅を通る内子線を経由して、JR伊予大洲駅に向かうようになりました。串駅に向かう列車は、かつてメインルートだった海に近い路線を進む予讃線を走っています。
3番ホームにあった”伊予灘ものがたり”のポスターです。内子線が開業してから、予讃線のメインルートの地位を追われた海線は、今では「愛ある伊予灘線」という名前をもっています。”伊予灘ものがたり”は、海回りの予讃線、”愛ある伊予灘線”を走る観光列車です。
”伊予灘ものがたり”は、平成26(2014)年7月26日から運行が始まりました。土曜、日曜、祝日に、松山駅・伊予大洲駅間と松山駅・八幡浜駅間を1往復ずつ運行しています。これは、松山駅の3番ホームに掲示してあった「座席番号案内」です。ゆったりとした車内で食事も取ることができます。
串駅に向かう列車、ワンマン列車のキハ546号車が出発しました。そして、右側に”坊ちゃんスタジアム”が見えるようになると、最初の停車駅、市坪(いちつぼ)駅です。そこで、ポスターにあった”伊予灘ものがたり”と行き違いをしました。これは紅い塗装の1号車、”茜の章”のキロ471402号車。松山方面の先頭車両2号車は金色の”黄金の章”で、キロ471401号車です。車内は、ちょうど食事の時間、満員の乗客はランチの真っ最中でした。
向井原駅で内子駅経由の線路と別れて右側の”愛ある伊予灘線”に入ります。青春18きっぷのポスターの駅で知られる下灘駅(しもなだ駅、2014年8月12日の日記参照)を過ぎると、次が、愛媛県そしてJR予讃線唯一の秘境駅、串駅です。松山駅から30.6km、50分ぐらいで到着しました。それにしても、瀬戸内海沿岸の都市をつなぐJR予讃線に秘境駅があるとは・・・。とても信じられませんでした。
串駅のホームです。串駅が開業したのは昭和39(1964)年、鉄道の黄金時代のことでした。下車したのは私と高齢の女性の二人だけ、列車はすぐに出発していきました。進行方向右側に、1面1線のホーム。無人駅で駅舎もありません。
線路の左に白く見えているのは、キロポスト。「225」と書かれています。予讃線の起点である高松駅から225kmの距離にあることがわかります。その先で鉄橋を渡るようです。
ガードロープで仕切られたホームに石段がありました。ホームからの出口だと思って登って行きました。
石段の先にあったのは、なんとお墓でした。石段はお墓の参道だったのです。串駅が開通した昭和39年以前から、墓は参道とともにあったのでしょう。ホームを通ってお墓まいりというのはめずらしいでしょう?
ホームにあった駅標です。下灘駅から2.6km、次は3.2km先の喜多灘駅です。「灘」のついた駅名から、海岸線に沿って線路が続いていることがわかります。国道378号線が建設される以前、下灘駅では、乗客がホームで釣りをしていたといわれているように、海のすぐ近くを列車は走っていました。しかし、それも、”愛ある伊予灘線”がメインルートの地位を追われた原因でした。海のそばの路線であったため、台風襲来に伴う風水害によって列車が運休することが多かったからでした。
ホームにあった唯一の建物である待合室です。しかし、切符の自動販売機はありません。
待合室の内部に掲示されていた運賃表と時刻表です。1日11往復。日中は2時間に1本ぐらいの運行です。ローカル線のダイヤといっていいでしょう。ちなみに、串駅は秘境駅ランキングの149位。牛山氏は17ポイント(P)を与えています。雰囲気6P、列車到達難易度5Pで、他の秘境度、外部到達難易度、鉄道遺産指数は各2Pとなっています。秘境駅らしい雰囲気と列車の便がよくないことが、149位にランクされた大きな要因のようです。
待合室の中にあったポスターです。高知県窪川駅と愛媛県北宇和島駅を結ぶJR予土線のホビートレインのPRのポスターでした。トロッコ列車や0系新幹線の鉄道のホビートレインなどの人気列車の案内でした。
ホームから見た山側の光景です。海に向かって張り出した、山の斜面に張り付くように民家が建っています。ホームの端の踏切を渡って家に帰っていかれるようでした。駅周辺には、ここ以外に集落はありませんでした。
菜の花を見ながら、ホームから斜面を降りて、線路に並行して走る道路に降ります。線路の先にあった橋梁を見に行くことにしました。
駅の下にあった自転車置き場です。1台の自転車が置かれていました。
緩やかに下っていく道を振り返って撮影しました。カーブミラーのあるところにガードロープがありました。ホームがあったところです。
やがて、国道378号線の向こうに海が見えました。伊予灘です。
国道の橋梁の橋脚まで海が入り込んでいます。道はここで左に曲がります。道なりに進み、対岸に向かいます。
対岸から見た”愛ある伊予灘線”の橋梁です。橋梁上を走る電車を撮影するため、引き返し山を登っていきます。その先には何軒かの民家がありました。
右の道を歩いて上ります。めざしていたのは、海を背景に走る”愛ある伊予灘線"を走る気動車の姿が撮影できる場所です。倉庫の裏側で、撮影に来られていた4人の高齢者のグループにお会いしました。お話しをお聞きすると「特別の列車がもうすぐ来る」とのこと。持ってきた時刻表ではこの時間に通過する列車がなく、列車がやってくる1時間後まで、待つつもりでしたが、高齢者のグループの皆様のお話にあった「特別の列車」を撮影することにしました。高齢者グループの後ろで、やってくる列車を待ちます。
列車が鉄橋にゆっくりと入ってきました。鮮やかな紅と金色の車両! 市坪駅ですれ違った”伊予灘ものがたり”号ではありませんか! お話しをお聞きしていてよかった! ほんとにラッキーでした。この列車が撮影できるなんて・・・。時刻表には載っていませんでしたが、13時28分に松山駅を出発し、15時50分に八幡浜駅に到着する観光列車でした。列車の乗客もこの鉄橋からの眺望を楽しんでおられるのでしょう。
やって来た”伊予灘ものがたり”号は、鮮やかな赤と金色の車両が海と空の青色に映える美しい観光列車。衰退した予讃線の海線を再生させる使命を持った列車にふさわしい。廃車になっていた、かつてのキハ47の501号車と1501号車を再生させて走らせている列車です。土曜、日曜、祝日だけの運行ですが、満員の乗客で賑わっていました。誇らしい姿です。
”伊予灘ものがたり”は秘境駅、串駅を走っています。列車は1日11往復。秘境駅の雰囲気と列車の便利がよくないということで、149位にランクインしている駅です。どちらかというと地味な秘境駅、そこを花形の観光列車が走るため、秘境駅の雰囲気をさらに強めているのかもしれません。ホームを通ってお墓参りをされる方もおられるユニークな秘境駅でした。
JR松山駅に着きました。予讃線の伊予大洲駅行き列車が出発する、3番ホームに向かいました。予讃線は、昭和20(1945)年に、香川県高松駅と愛媛県宇和島駅間全線が開通しました。
やがて、松山駅で折り返して、伊予大洲駅に向かうキハ546号車が入ってきました。JR予讃線の宇和島方面に行く優等列車は、昭和61(1986)年から、途中の向井原(むかいばら)駅から内子(うちこ)駅を通る内子線を経由して、JR伊予大洲駅に向かうようになりました。串駅に向かう列車は、かつてメインルートだった海に近い路線を進む予讃線を走っています。
3番ホームにあった”伊予灘ものがたり”のポスターです。内子線が開業してから、予讃線のメインルートの地位を追われた海線は、今では「愛ある伊予灘線」という名前をもっています。”伊予灘ものがたり”は、海回りの予讃線、”愛ある伊予灘線”を走る観光列車です。
”伊予灘ものがたり”は、平成26(2014)年7月26日から運行が始まりました。土曜、日曜、祝日に、松山駅・伊予大洲駅間と松山駅・八幡浜駅間を1往復ずつ運行しています。これは、松山駅の3番ホームに掲示してあった「座席番号案内」です。ゆったりとした車内で食事も取ることができます。
串駅に向かう列車、ワンマン列車のキハ546号車が出発しました。そして、右側に”坊ちゃんスタジアム”が見えるようになると、最初の停車駅、市坪(いちつぼ)駅です。そこで、ポスターにあった”伊予灘ものがたり”と行き違いをしました。これは紅い塗装の1号車、”茜の章”のキロ471402号車。松山方面の先頭車両2号車は金色の”黄金の章”で、キロ471401号車です。車内は、ちょうど食事の時間、満員の乗客はランチの真っ最中でした。
向井原駅で内子駅経由の線路と別れて右側の”愛ある伊予灘線”に入ります。青春18きっぷのポスターの駅で知られる下灘駅(しもなだ駅、2014年8月12日の日記参照)を過ぎると、次が、愛媛県そしてJR予讃線唯一の秘境駅、串駅です。松山駅から30.6km、50分ぐらいで到着しました。それにしても、瀬戸内海沿岸の都市をつなぐJR予讃線に秘境駅があるとは・・・。とても信じられませんでした。
串駅のホームです。串駅が開業したのは昭和39(1964)年、鉄道の黄金時代のことでした。下車したのは私と高齢の女性の二人だけ、列車はすぐに出発していきました。進行方向右側に、1面1線のホーム。無人駅で駅舎もありません。
線路の左に白く見えているのは、キロポスト。「225」と書かれています。予讃線の起点である高松駅から225kmの距離にあることがわかります。その先で鉄橋を渡るようです。
ガードロープで仕切られたホームに石段がありました。ホームからの出口だと思って登って行きました。
石段の先にあったのは、なんとお墓でした。石段はお墓の参道だったのです。串駅が開通した昭和39年以前から、墓は参道とともにあったのでしょう。ホームを通ってお墓まいりというのはめずらしいでしょう?
ホームにあった駅標です。下灘駅から2.6km、次は3.2km先の喜多灘駅です。「灘」のついた駅名から、海岸線に沿って線路が続いていることがわかります。国道378号線が建設される以前、下灘駅では、乗客がホームで釣りをしていたといわれているように、海のすぐ近くを列車は走っていました。しかし、それも、”愛ある伊予灘線”がメインルートの地位を追われた原因でした。海のそばの路線であったため、台風襲来に伴う風水害によって列車が運休することが多かったからでした。
ホームにあった唯一の建物である待合室です。しかし、切符の自動販売機はありません。
待合室の内部に掲示されていた運賃表と時刻表です。1日11往復。日中は2時間に1本ぐらいの運行です。ローカル線のダイヤといっていいでしょう。ちなみに、串駅は秘境駅ランキングの149位。牛山氏は17ポイント(P)を与えています。雰囲気6P、列車到達難易度5Pで、他の秘境度、外部到達難易度、鉄道遺産指数は各2Pとなっています。秘境駅らしい雰囲気と列車の便がよくないことが、149位にランクされた大きな要因のようです。
待合室の中にあったポスターです。高知県窪川駅と愛媛県北宇和島駅を結ぶJR予土線のホビートレインのPRのポスターでした。トロッコ列車や0系新幹線の鉄道のホビートレインなどの人気列車の案内でした。
ホームから見た山側の光景です。海に向かって張り出した、山の斜面に張り付くように民家が建っています。ホームの端の踏切を渡って家に帰っていかれるようでした。駅周辺には、ここ以外に集落はありませんでした。
菜の花を見ながら、ホームから斜面を降りて、線路に並行して走る道路に降ります。線路の先にあった橋梁を見に行くことにしました。
駅の下にあった自転車置き場です。1台の自転車が置かれていました。
緩やかに下っていく道を振り返って撮影しました。カーブミラーのあるところにガードロープがありました。ホームがあったところです。
やがて、国道378号線の向こうに海が見えました。伊予灘です。
国道の橋梁の橋脚まで海が入り込んでいます。道はここで左に曲がります。道なりに進み、対岸に向かいます。
対岸から見た”愛ある伊予灘線”の橋梁です。橋梁上を走る電車を撮影するため、引き返し山を登っていきます。その先には何軒かの民家がありました。
右の道を歩いて上ります。めざしていたのは、海を背景に走る”愛ある伊予灘線"を走る気動車の姿が撮影できる場所です。倉庫の裏側で、撮影に来られていた4人の高齢者のグループにお会いしました。お話しをお聞きすると「特別の列車がもうすぐ来る」とのこと。持ってきた時刻表ではこの時間に通過する列車がなく、列車がやってくる1時間後まで、待つつもりでしたが、高齢者のグループの皆様のお話にあった「特別の列車」を撮影することにしました。高齢者グループの後ろで、やってくる列車を待ちます。
列車が鉄橋にゆっくりと入ってきました。鮮やかな紅と金色の車両! 市坪駅ですれ違った”伊予灘ものがたり”号ではありませんか! お話しをお聞きしていてよかった! ほんとにラッキーでした。この列車が撮影できるなんて・・・。時刻表には載っていませんでしたが、13時28分に松山駅を出発し、15時50分に八幡浜駅に到着する観光列車でした。列車の乗客もこの鉄橋からの眺望を楽しんでおられるのでしょう。
やって来た”伊予灘ものがたり”号は、鮮やかな赤と金色の車両が海と空の青色に映える美しい観光列車。衰退した予讃線の海線を再生させる使命を持った列車にふさわしい。廃車になっていた、かつてのキハ47の501号車と1501号車を再生させて走らせている列車です。土曜、日曜、祝日だけの運行ですが、満員の乗客で賑わっていました。誇らしい姿です。
”伊予灘ものがたり”は秘境駅、串駅を走っています。列車は1日11往復。秘境駅の雰囲気と列車の便利がよくないということで、149位にランクインしている駅です。どちらかというと地味な秘境駅、そこを花形の観光列車が走るため、秘境駅の雰囲気をさらに強めているのかもしれません。ホームを通ってお墓参りをされる方もおられるユニークな秘境駅でした。