トシの旅

小さな旅で学んだことや感じたことを、
まとめるつもりで綴っています。

JR姫新線林野駅を訪ねる

2020年12月26日 | 日記
JR姫新線は、姫路駅(兵庫県姫路市)から津山駅(岡山県津山市)を経由して新見駅(岡山県新見市)に到る全長158.1kmの地方交通線です。実際の運用は、姫路駅~佐用(さよ)駅・上月(こうづき)駅間、佐用駅~津山駅間、津山駅~新見駅間での区間運転を行っています。この日は、岡山県北東部の美作市にあるJR林野駅を訪ねるため、JR津山駅に向かいました。
津山駅の2番ホームには、JR佐用駅行きのワンマン運転の単行気動車、キハ120ー328号車が出発を待っていました。岡山気動車区には、キハ120系気動車が15両在籍しており、津山線、因美線、姫新線、、伯備線、芸備線などで運用されています。328号車は、新潟鐵工所で1995年6月に製造されました。 全長16.3mのコンパクトな車両です。
津山駅から25分ぐらいで、林野駅に到着しました。1面1線のホームのすぐ近くに集合住宅が建っていました。私を含めて2人が下車すると、列車は次の猶原(ならはら)駅に向かって出発して行きました。林野駅で乗車される人は、2018年には、1日平均116人おられたそうです。

下車したのは上屋の脇でした。上屋は、駅名標と、ベンチが2ヶ所設置されているだけのシンプルなつくりでした。

上屋の柱に、「建物資産標」がありました。「鉄停 駅 旅客上家 2号 昭和30年3月」と書かれています。昭和30(1955)年の設置であれば、今年で66年目ということになります。
上屋にあった吊り下げ型の駅名標です。林野駅は、一つ前の勝間田駅から3.9km、次の猶原駅まで4.0kmのところ、美作市栄町にあります。
林野駅は、昭和9(1934)年11月28日に姫津西線として東津山駅~美作江見駅間が開業したときに開業しました。その当時、この地は英田郡林野町三海田(みかいた)でした。
ホームを佐用駅方面に向かって歩きます。長いホームは左にカーブしており、ホームの上には電柱が建っています。  姫津西線は、その後、昭和11(1936)年10月、姫路駅~東津山駅間が開業し姫新線となりました。また、林野町は、昭和28(1953)年、町村合併により美作町栄町となり、平成17(2005)年、美作市の成立に伴い、現在の美作市栄町となりました。
ホームに設置されている電柱の脇に、もう一つ、据え付け型の駅名標が設置されていました。この駅名標を見る人は余り多くはないだろうと思ってしまいま
した。
佐用駅方面の端から引き返します。長いホームの先に上屋、その先に、白い美作警察署の庁舎が見えました。上屋だけでなく、ホームもシンプルなつくりになっていました。

ホームの津山駅側の端までやって来ました。美作警察署の庁舎の脇にある明見踏切が見えます。背後に見える山は、三星山(みつぼしやま・標高233.4m)で山の峰が3つに分かれていることから名づけられたといわれています。この山頂には、南北朝時代から戦国時代にかけて三星城がありました。

三星山の山頂付近に「美」の大文字が見えました。地元の方のお話では、「毎晩点灯されているよ。以前は「千」の字だった」とのことでした。

ホームの橋から駅舎へ向かうことにしました。
左に見えるのが林野駅舎です。駅舎は、ホームから少し離れたところに設置されています。斜面を下り、左折して進みます。

林野駅は、現在は1面1線のホームになっていますが、元は1面2線の島式ホームだったそうです。地元の人のお話によれば、「あのマンションは、今はなくなっている元の線路と日本通運の倉庫があったところに建っている。また、駅舎寄りのところに側線があった」とのこと。写真の手前側にかつて線路があったようです。

この写真は、駅舎の裏を津山駅寄りに向かって進んだあたりから佐用駅方面を撮影しました。集合住宅の手前、右側に駅舎が見えます。
写真の手前の右側は1段高くなっていますが、地元の方は「昔は、林野駅周辺地域がまつたけの産地で、貨物側線で貨車に積み込まれていた」とおっしゃっていました。このあたりが、かつての側線と貨物ホームがあったところのようです。

駅舎の線路側から見た津山方面の側線跡の光景です。側線跡とその左側にホームの跡が見えます。
1面1線のホームから駅舎に向かう通路まで戻ってきました。線路側を撮影しました。線路と隔てる柵の向こう側にある白いポールには「停車場中心」と書かれています。かつての林野駅の広さをしのぶことができます。なお、線路から向こう側は、山裾まで田んぼが広がっていたところだったそうです。
駅舎への入口に改札口がありました。右側部分は駅事務所になっています。
事務所側のようすです。林野駅は、切符の販売のみを委託する簡易委託駅になっています。ごみ一つおちていない、掃除が行き届いている気持ちのいい駅でした。
線路側の壁面にあった、湯郷温泉の旅館の案内板です。湯郷温泉は、林野の町から吉野川沿いに 1kmぐらい下ったところにあります。昔、村はずれの森からシラサギが飛んで来ては田んぼに降りて行くのを見て、村人が不思議に思って行ってみると、傷ついたサギが田んぼから湧き出る温泉で傷を癒やしたそうです。貞観2(860)年に、天台宗の円仁法師が、そんな言い伝えから「鷺の湯」と名づけ浴場をつくったのが始まりといわれています。

改札口から駅舎内に入ります。「当駅は委託社員により改札を行っています。ご協力をお願いします」という案内が改札口に書かれていました。
駅舎の左側には、飲物の自動販売機が3台とベンチが設置され、待合いのスペースになっています。

改札口の脇にあった時刻表です。津山駅行きと佐用駅行きとも、1日11往復が運転されています。日中は4往復が運行されていますが、運行間隔が長くなっています。
改札の右側には窓口がありました。駅事務所は旅行業者の事務所が入居しているため、事務室の前には、旅行関係のパンフレットが並んでいます。

改札口側には、天井まで湯郷温泉など観光ポスターが掲示されています。華やかな雰囲気が漂う駅になっています。

駅舎から駅前に出ました。昭和10(1935)年6月に建設された木造駅舎ですが、「外装はモルタル塗り塗装仕上げで改装され、出入り口にある鉄骨の庇も後に取り付けられたもの」(河原馨著「岡山の駅舎」)だそうです。また、駅舎は道路面より階段分だけ嵩上げされています。これは、「昭和38(1963)年だったか、駅舎から300mぐらい前を流れる梶並川が氾らんして駅舎が水浸しになったので」と地元の方がおっしゃっていました。
林野駅の駅名標の下の出入口には、駅事務所に入居されている「光トラベルセンター」の名前も書かれていました。

駅舎の並びにあった駐輪場です。広々とした駐輪場で、整然と自転車が並んでいます。 駐輪場の向こう側にホームの上屋が見えます。

駐輪場から道路を挟んで向かい側にあった映画館跡の建物。営業していた頃は向こう側を流れる梶並川側から入れるようになっていたそうです。
駅前のようすです。地元の人によれば、湯郷温泉は、京阪神の人々から「雄琴温泉か湯郷温泉か」といわれ、中国勝山駅(湯原温泉の最寄り駅)までの急行「やまのゆ号」が走っていたそうです。そのほか、大阪からの急行が3本、土日曜日には京都からも急行が運行され、多くの観光客がやって来ていたようです。駅前通りには飲食店が軒を連ねており、多くの観光客で賑わっていたそうです。

林野の町は、この先の吉野川沿いに開けた作東地区第一の商都です。鉄道が開通するまでは、吉野川から本流の吉井川を通って県南の和気や西大寺に向かう高瀬舟の発着点として、”山間の問屋町”として栄えたところです。

JR姫新線の林野駅を訪ねて来ました。
駅舎で出会った地元の人のお話をお聞きしながら、駅舎周辺を回ってきました。 湯郷温泉を訪ねる多くの人々が行き来していた、華やかな時代をしのぶ旅になりました。