江戸時代以前につくられ、
現在も往事の姿で保存されている天守閣が
全国に12城あります
その中には、4つの国宝の城も含まれています
小さい頃から城や街道が好きで
ときどき訪ねていますが、
城に行くときは、なぜか雨に降られます
画面が白く光っている写真が多いのは
レンズに雨粒がついていたからだと思います
まず、世界遺産に登録されている国宝姫路城です
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1c/31/377d8ae864f7649b2c7d7f339f7caa14.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/78/70/af338b7c1ff3d8c3c96fe9a545d4516f.jpg)
天正8(1580)年、羽柴秀吉が完成させた城を
慶長5(1600)年に、池田輝政が大改修し
現在の姿ができあがったといわれています
白鷺城といわれる美しい白亜の姿は
圧倒的なスケールと存在感で、迫力十分です
この秋からは、平成の大改修が始まります
国宝彦根城
慶長5(1600)年、関ヶ原の戦いで勝った徳川家康から
佐和山城を与えられた井伊直政
その子の、井伊直継が、
慶長8(1603)年から20年をかけて、
彦根城を完成させました
天守閣は大津城から、櫓は長浜城から
移築されたといわれています
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/25/cb/1de6751c98dcc107dec56d6719c9ce97.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/37/ef/bdd37a1a6ec744934c76861b332d254a.jpg)
城は、平成8年の大改修で、さらに美しく
生まれ変わりました
三重の天守閣としては史上最多の破風の数、もちろん装飾用です
花頭窓の数ももっとも多く、
金の金具で飾っており、豪華な印象が強まっています
彦根市は、町づくりに力をいれており
城に近い紺屋町には、黒塀の商家風の建物が整備されています
琵琶湖のほとりの、小高い山の上に、優雅に建つ姿は
近江八景の一つにも選ばれています
国宝犬山城
天文6(1537)年、織田信康(信長の叔父)が築きました
その城が、慶長5(1600)年、関ヶ原の戦いの後城主になった
小笠原吉継によって改修されました
そして、尾張徳川家の筆頭家老だった成瀬家が
江戸時代を通じて9代にわたって、城主となっていました
慶応4(1868)年にやっと犬山藩となりましたが、
すぐ明治維新になってしまいました
眺望の美しさから、白帝城と呼ばれました
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/48/40/13b70e317690bb644b28fdfdb0ba7386.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/18/b0/d5f4c87fe4e5a921b032031c7af6a5bf.jpg)
この城は、平成16年まで成瀬家が所有していました
木曽川の対岸から仰ぎ見る天守閣が、もっとも美しいと思います
国宝松本城
天正18(1590)年に、入城した
石川数正・康長の時代に、天守閣が完成しました
慶長18(1613)年に城主となった
小笠原秀政によって、深志城から松本城に改名されました
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/67/12/4ecdbca613e1eae0510a56c33a239f96.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6e/0a/3f851f2caf8dbd695bf01266a3784e33.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/15/56/bf2babb20615389433ea083e8d7b7168.jpg)
アルプスの山々に囲まれて、水をたたえた堀に浮かんだ城は
信州の城らしい雰囲気を漂わせています
いずれも、当然のことながら、天守閣は木造で床も木で張られています
階段は急傾斜で、足を踏みはずしそうです
でも、いつもたくさんの観光客が訪れています
現存する12の天守閣のうち、国宝の4つ以外は、
国の重要文化財に指定されています
岡山県高梁市の備中松山城
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6a/86/f0be5d89009a894e484d1bf240e6db8b.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/26/c6/c934f0618d211b54fb8ada4cf831a958.jpg)
慶長5(1600)年、関ヶ原の戦いの後、天領となり
小堀正次、政一(遠州)親子が代官として入城しました
慶長11(1611)年、改修工事を始め、
元和元(1681)年、水谷(みずのや)氏の大々的な改修により
今日の姿が完成したといわれています
高梁市の市街地にある
標高480メートルの臥牛山の山頂に築かれた天守閣は
日本でもっとも高いところにあります
また、12の現存天守閣の中でもっとも小さいものです
この城は、「忠臣蔵」で知られる大石内蔵助が
在番したことでも知られています
小堀氏のあと、大名領として、池田氏、水谷氏、
安藤氏、石川氏と続き、
延享元(1744)年に板倉勝澄が入城してから
明治維新まで板倉氏が君臨しました
特に幕末に老中として日本の政治を動かした板倉勝浄は
よく知られています
高梁市は情緒あふれる町です
石火矢町には、武家屋敷が残っています
右の写真の武家屋敷の先のこんもりとした山が
備中松山城のある臥牛山です
丸亀城
香川県の中西部、丸亀市の亀山(66メートル)に
築かれています
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/61/b5/12f47fab9c73be106c17898cced14fdf.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/77/7c/cce8f1216869a9df5e18c816a0dff9ab.jpg)
慶長2(1597)年、高松城主生駒親正が隠居して築城を開始しました
寛永18(1641)年、替わって五万石で入城した
山崎家治が丸亀城の再建にかかりましたが、
3代治頼のときに断絶してしまいました
そして、万治元(1658)年、京極高和が入城し
万治3(1660)年、天守閣が完成しました
京極氏は、この後、明治まで城主でした
丸亀城がある亀山は、標高66メートルといわれていますが、
丸亀駅からみるとかなりの高さだと感じます
大手一の門の立派さに比べ、天守閣がやや軽く感じてしまいます
場内を歩いているとき目に入ってくる石垣の見事さには、驚ろかされます
現在も往事の姿で保存されている天守閣が
全国に12城あります
その中には、4つの国宝の城も含まれています
小さい頃から城や街道が好きで
ときどき訪ねていますが、
城に行くときは、なぜか雨に降られます
画面が白く光っている写真が多いのは
レンズに雨粒がついていたからだと思います
まず、世界遺産に登録されている国宝姫路城です
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1c/31/377d8ae864f7649b2c7d7f339f7caa14.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/78/70/af338b7c1ff3d8c3c96fe9a545d4516f.jpg)
天正8(1580)年、羽柴秀吉が完成させた城を
慶長5(1600)年に、池田輝政が大改修し
現在の姿ができあがったといわれています
白鷺城といわれる美しい白亜の姿は
圧倒的なスケールと存在感で、迫力十分です
この秋からは、平成の大改修が始まります
国宝彦根城
慶長5(1600)年、関ヶ原の戦いで勝った徳川家康から
佐和山城を与えられた井伊直政
その子の、井伊直継が、
慶長8(1603)年から20年をかけて、
彦根城を完成させました
天守閣は大津城から、櫓は長浜城から
移築されたといわれています
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/25/cb/1de6751c98dcc107dec56d6719c9ce97.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/37/ef/bdd37a1a6ec744934c76861b332d254a.jpg)
城は、平成8年の大改修で、さらに美しく
生まれ変わりました
三重の天守閣としては史上最多の破風の数、もちろん装飾用です
花頭窓の数ももっとも多く、
金の金具で飾っており、豪華な印象が強まっています
彦根市は、町づくりに力をいれており
城に近い紺屋町には、黒塀の商家風の建物が整備されています
琵琶湖のほとりの、小高い山の上に、優雅に建つ姿は
近江八景の一つにも選ばれています
国宝犬山城
天文6(1537)年、織田信康(信長の叔父)が築きました
その城が、慶長5(1600)年、関ヶ原の戦いの後城主になった
小笠原吉継によって改修されました
そして、尾張徳川家の筆頭家老だった成瀬家が
江戸時代を通じて9代にわたって、城主となっていました
慶応4(1868)年にやっと犬山藩となりましたが、
すぐ明治維新になってしまいました
眺望の美しさから、白帝城と呼ばれました
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/48/40/13b70e317690bb644b28fdfdb0ba7386.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/18/b0/d5f4c87fe4e5a921b032031c7af6a5bf.jpg)
この城は、平成16年まで成瀬家が所有していました
木曽川の対岸から仰ぎ見る天守閣が、もっとも美しいと思います
国宝松本城
天正18(1590)年に、入城した
石川数正・康長の時代に、天守閣が完成しました
慶長18(1613)年に城主となった
小笠原秀政によって、深志城から松本城に改名されました
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/67/12/4ecdbca613e1eae0510a56c33a239f96.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6e/0a/3f851f2caf8dbd695bf01266a3784e33.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/15/56/bf2babb20615389433ea083e8d7b7168.jpg)
アルプスの山々に囲まれて、水をたたえた堀に浮かんだ城は
信州の城らしい雰囲気を漂わせています
いずれも、当然のことながら、天守閣は木造で床も木で張られています
階段は急傾斜で、足を踏みはずしそうです
でも、いつもたくさんの観光客が訪れています
現存する12の天守閣のうち、国宝の4つ以外は、
国の重要文化財に指定されています
岡山県高梁市の備中松山城
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6a/86/f0be5d89009a894e484d1bf240e6db8b.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/26/c6/c934f0618d211b54fb8ada4cf831a958.jpg)
慶長5(1600)年、関ヶ原の戦いの後、天領となり
小堀正次、政一(遠州)親子が代官として入城しました
慶長11(1611)年、改修工事を始め、
元和元(1681)年、水谷(みずのや)氏の大々的な改修により
今日の姿が完成したといわれています
高梁市の市街地にある
標高480メートルの臥牛山の山頂に築かれた天守閣は
日本でもっとも高いところにあります
また、12の現存天守閣の中でもっとも小さいものです
この城は、「忠臣蔵」で知られる大石内蔵助が
在番したことでも知られています
小堀氏のあと、大名領として、池田氏、水谷氏、
安藤氏、石川氏と続き、
延享元(1744)年に板倉勝澄が入城してから
明治維新まで板倉氏が君臨しました
特に幕末に老中として日本の政治を動かした板倉勝浄は
よく知られています
高梁市は情緒あふれる町です
石火矢町には、武家屋敷が残っています
右の写真の武家屋敷の先のこんもりとした山が
備中松山城のある臥牛山です
丸亀城
香川県の中西部、丸亀市の亀山(66メートル)に
築かれています
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/61/b5/12f47fab9c73be106c17898cced14fdf.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/77/7c/cce8f1216869a9df5e18c816a0dff9ab.jpg)
慶長2(1597)年、高松城主生駒親正が隠居して築城を開始しました
寛永18(1641)年、替わって五万石で入城した
山崎家治が丸亀城の再建にかかりましたが、
3代治頼のときに断絶してしまいました
そして、万治元(1658)年、京極高和が入城し
万治3(1660)年、天守閣が完成しました
京極氏は、この後、明治まで城主でした
丸亀城がある亀山は、標高66メートルといわれていますが、
丸亀駅からみるとかなりの高さだと感じます
大手一の門の立派さに比べ、天守閣がやや軽く感じてしまいます
場内を歩いているとき目に入ってくる石垣の見事さには、驚ろかされます