トシの旅

小さな旅で学んだことや感じたことを、
まとめるつもりで綴っています。

丹波篠山春紀行

2010年04月29日 | 日記
生まれて初めて、青春18切符を使って旅をしました。

その最後の5回目に、丹波篠山を訪ねました。桜の花が美しい4月4日でした。
  
谷川駅での福知山線車両

加古川線で谷川駅へ向かい、福知山線を乗り継いで篠山口駅に着いたとき、家を出てから5時間20分が経っていました。

バスに乗り換えて篠山へ。二階町で降りました。春爛漫の日曜日、観光客で、通りはいっぱいでした すぐに、食事に向かいました。



篠山は、ボタン鍋の街、このビルはイノシシの胴体部分にありました。食事に行っても、やはり、いのししが迎えてくれました

観光案内所で借りたレンタサイクルで篠山城へ

大正期の洋風建築、「大正ロマン館」も観光案内所

青い空と白亜の市庁舎を背景に満開の桜が・・・・。

ここ篠山城は、慶長14(1609)年、徳川家康が築城しました。姫路城主池田輝正を築城の奉行とする天下普請で、縄張りには、築城の名手といわれた藤堂高虎があたりました。

あまりに堅固なため天守閣の建設が許されなかった篠山城、豪壮な大書院が復元されています。

多くの市民が桜の下でくつろいでいます。城跡は市民の憩いの場です。

お城の西側はお徒士町の武家屋敷通り、茅葺き、土塀の屋敷が、江戸末期の雰囲気を伝えています。

武家屋敷を歩いているとき、部活動から帰る中学生の一団と出会いました。中の一人が「じゃあ」と言って、武家屋敷の中に入って行きました。ここは、観光資源ではあっても、まぎれもなく現在も生活の場なのです。中学生は、周囲の武家屋敷にとけ込んでいました。

西の外堀の近くにも、茅葺き、からすおどしの屋根と長屋門がついた武家屋敷が残っています。壕の方向から見た姿は、どっしりとして大変すばらしいものです。


篠山城下町は、武家地だけでなく、商人町も往事の姿を残しています。うなぎの寝床のような妻入り家屋で、虫籠窓に千本格子、うだつのついた商家群が残っています。文化庁から「重要伝統的建造物群保存地区」の指定を受け町並みの保存に努めています。


丹波杜氏のふるさととしても知られる篠山は、その歴史と文化を守り育てていこうとする、志の高い人々が住む街でした。


吉備高原の展望台

2010年04月29日 | 日記
「次の日曜日、田中美術館へ行こう!」

2月のある日曜日、家人との約束を果たすべく、
井原市に向かいました。
私のめあては、子どもの像。
平櫛田中氏のお子様がモデルと言われています。

井原市の美術館に着いて、がっかり・・・。
施設の更新のための長期休業中でした。

我が家は、こういうことがよくあります。
詰めが甘いのです。
ネットでチェックするわずかな時間を惜しんだために・・。

ならばと、313号線を北に向かいました。
あの山をめざして・・・・。



私は、この山を見るたびに笑ってしまいます。
吉備高原のなだらかな山なみのなかに、
ぽこっと頭をもたげています。
少年時代、身近にたくさんいた
「いがぐり頭」を思い出します。

しかし、頂上からの眺望は一級品です
ほんとうにすばらしい。
広島県との県境に近い、西部の内陸地帯にあるのに、
瀬戸内海や瀬戸大橋までが見渡せるのです。
まさに、「吉備高原の展望台」 
標高562メートルの弥高山です。

登山道も整備されており
頂上には芝が敷きつめられています。

登山道もツツジの林になっており
文化・文政期に刻まれたものや
地元の人が寄進したと思われるものなど
たくさんの石仏が並んでいます。






私は、就職してしばらくの間、
弥高山に近いところで生活していました。
当時は、キャンプ場としては知られていましたが
多くの人を迎える施設はなかったように思います。
山麓に、ロッジやコテッジが整備され、
売店には、地元の産品が並んでいます。

ちょうどシーズンオフで、
レストランは日曜祭日だけの営業でしたが、
家族連れの車によく出会いました。
私は鮮やかな色合いが好きなので
遊園地の遊具のデザインが気に入りました。







弥高山へ向かう坂の入り口に並ぶように、
高山(こうやま)小学校があります。
ここもデザイン性豊かな立派な校舎です。
ただ、現在「休校中」とのこと、
児童数の減少が激しいのでしょう。
地元の人には、さみしいことだと思います




地理の時間に「準平原」だと教えられた吉備高原、
人々の生活の舞台は、頂上部にあります。
その1つ、高山市(こうやまいち)、
弥高山の西にあります。

ユーモラスな弥高山の姿は、
この集落から見るのが一番です。



高山市は、その名のとおり、
吉備高原の商業の中心地として
知られていました。
今も、旧街道沿いには、
オレンジ色の釉薬瓦で葺いた
立派な民家が並んでいます。

よくみると、どの家も屋号が玄関先に
表示されています。





人通りはほとんど無く、住民の姿も見えません。
寒い時期でしたので、
家の中に閉じこもっておられたのでしょうか。
小学校が休校するような過疎化・高齢化の進展の状況を
感じざるをえませんでした。



高山市から坂を下っているとき、
二宮金次郎先生のお姿を見つけました。
休止している高齢者向けの
グループホームの庭に立っておられました。
早春の明るい日差しの中、
少年時代と同じように、
薪を背負い本を読んでおられました。