トシの旅

小さな旅で学んだことや感じたことを、
まとめるつもりで綴っています。

播州にある備前、JR赤穂線・備前福河駅

2011年02月27日 | 日記
3月1日から青春18きっぷが使えるようになります。
先日、時刻表をぼんやり眺めていたとき、
奇妙なことに気がつきました。    
    
岡山県の東岡山駅と兵庫県の播州赤穂駅とを結ぶ、
JR赤穂線の備前福河駅。
「備前」がついているので、岡山県内だと思い込んでいましたが、
この駅は、県境を越えた兵庫県側、播磨(播州)の国にあったのです。
驚きました!

さっそく行って来ました!
備前福河駅の一つ前の寒河(そうご)駅を出てから、
トンネルに入ります。
赤穂線では一番長いトンネルだったので、
たぶんここが県境だと思いました。
   
どうして、こんなことになったのでしょうか。
昭和30(1955)年3月1日、赤穂線が開業したとき、
この駅は、岡山県和気郡福浦村にありました。
それが、3月31日には備前市日生町に入り、
さらに、昭和38(1963)年9月1日、兵庫県に編入されました。
地元からの強い要望に応えた措置だったといわれています。
現在は赤穂市福浦という地名になっています。

ちなみに、備前福河駅は、
「福浦」と「寒河」から名づけられたようです。

行ってみると、地元の人々が赤穂市への編入を希望した理由が、
よくわかります。
岡山県側の寒河駅の方面だけでなく、周囲は山に囲まれています。
当時、備前市との交流は、長いトンネルに見られるように、
なかなか難しいことだったのでしょう。

唯一開けた南側は、山の中腹にある法光寺から見ると、
山の間に海がきらきら輝いていました。
  
駅の近くの道標には、この海に向かう道は、
「旧街道」と書かれていました。

この日、電車から降りたのは私1人、
ここから乗った人は2人でした。
典型的な無人駅でした。
しかし、開業したのが比較的最近のためか、
駅舎はかなりしっかりした建物でした。
   
駅の隣は福浦簡易郵便局、そして、「理容なかもと」。
田園地帯が広がるこの地域では、この駅付近は、
商業の中心地だったのでしょう。

今は、備前時代のなごりを見つけるのは困難です。
わずかに、駅の近くの物置の建物にあった、
「東備タクシー」の錆びついた看板だけが、
当時の雰囲気を今に伝えています。





地下街に春が・・・・

2011年02月20日 | 日記
1月、我が家の庭に、蝋梅の花が咲いているのを見つけたとき、
これから、梅が咲き、桃が咲き、桜が咲いて・・・・と、
春の訪れが近いと感じたものでした。

昨日、JR岡山駅の地下改札口を出たら、
目の前に、チューリップが咲いていて、びっくりしました。

花の名前をほとんど知らない私でも、春の花といえば出てくる、
チューリップ。
ここは一挙に4月になっていました。

土曜日の朝8時過ぎの地下街は、ほとんど人通りがなく、
床を磨いている方も、ゆったりと作業しておられました。

振り返ると、
女子児童らしい子が、カメラを向けていました。
こんな写真が撮れていたのではないでしょうか。


春と聞くと元気が出てきます。
この年になっても、春を予感すると、
少し心が躍ります。

春は、「青春18きっぷ」の季節、
そして、センバツ高校野球大会に、プロ野球のオープン戦。
入学式に、入社式。

ここには、
つぼみのチューリップも、たくさん飾ってありました。
当分、楽しめそうですね。

一足早い、春を感じた朝でした。


温泉とめのうの里、玉造温泉

2011年02月16日 | 日記
以前利用した旅行代理店から
「かにざんまい 一泊8,800円」という割引券が届きました。
いい機会だったので、家人といっしょに温泉旅行に行きました。
行き先は、山陰の玉造温泉。

山陰本線玉造温泉駅で送迎のマイクロバスに乗り込みました。
玉湯川沿いに約10分、
勾玉のついた橋が見えました。
まさに「玉造り」です。
そして、その先には、伝統ある木造の温泉旅館の建物も。
ここがめざす温泉旅館で、泊ったのは新館でした。
なぜか印象に残ったのは、玄関前に並べられていた傘でした。

ここは、他の温泉旅館の湯に入れるとのこと、
少し歩いたらいける旅館のお湯に入りました。
時間が早かったので、お湯は私の貸し切り状況でした。
暖まりましたよ!
アルカリ性単純泉で、
リュウマチ、胃腸病、婦人病、皮膚病に効くそうです。
「肌がすべすべする」と家人が言っておりました。
「奈良時代の開湯で、少彦名命(大国主命と国造りをした)の、
発見だと伝えられる」と
「出雲国風土記」に書かれているそうです。
由緒ある温泉地でした。

落ち着いた雰囲気の温泉場です。
温泉街につきものの歓楽街はまったくありません。
中心を流れる玉湯川沿いにある足湯、
「湯閼の井戸(ゆあかのいど)」、朱い欄干の宮橋。
いずれも、歴史ある温泉地にふさわしい品格を感じました。
宮橋を渡ると、正面に玉作湯神社の鳥居が見えます。

この玉造の地は、良質のめのうが採掘され、
玉造りをなりわいとする集団が、古代から住んでいました。

玉作湯神社は、櫛明玉命(くしあかるたまのみこと)を祀っています。
天皇家の象徴である三種の神器の一つ、
八坂瓊勾玉(やさかにのまがたま)を作った方です。
この収蔵庫には、社宝の勾玉や管玉が保管されているそうです。
そして、今もめのうを売っているお店が、
足湯の近くにありました。

夜の唯一の娯楽が、「どじょうすくいショー」。
午後8時半に「玉造温泉ゆーゆ」に見に行きました。
30分程度でしたが、講習もあって、
結構楽しめました。

もちろん、夕食は「かにづくし」でしたよ!

水木しげるロードを歩く

2011年02月13日 | 日記
日本海の豊かな海の幸の水揚げ港として、
そして、隠岐の島へ向かうフェリーの港として知られる、
鳥取県境港市を訪ねました。
境港市といえば、「水木しげるロード」、
寒い冬の日に、妖怪のオブジェを見ながら歩きました。

JR米子駅から列車で行くことにしました。
この駅の0番ホームには、独特の雰囲気があります。

階段にも、ホームにも、そして停車している列車にも、
水木しげるの世界がありました。
このときは、4代目となる鬼太郎列車がホームに停車していました。

次の写真は、境港駅で撮影した目玉おやじ列車です。
ほかに、ねずみ男列車、猫むすめ列車もあるそうです。


米子駅は「ねずみ男駅」、境港駅は「鬼太郎駅」、
途中にある14の駅にも、妖怪の名前がついています。

JR境港駅。港の灯台をモチーフにしているのでしょう。
駅前には、水木先生の仕事場がありました。
机に座っている失礼な妖怪もいました。
オブジェをたどって歩く通りが「水木しげるロード」です。


ここ、境港市は、2008(平成20)年には、350万人の観光客を集め、
鳥取砂丘や大山、県内の各地に点在する温泉群を抜いて、
鳥取県1の観光地になりました。

1989年(平成元年)から始まった、
水木しげるの、「ゲゲゲの鬼太郎」、「悪魔くん」や「河童の三平」に
登場する妖怪たちをテーマにした町づくりの活動の成果です。
スタートした年、ブロンズ製のオブジェは23体だったといわれます。
それが、今では139体のオブジェが、途切れることのない観光客を迎えています。

妖怪は、いずれも小さいものです。
腰をかがめ覗き込むようにして、像と名前を確認しながら
800mの「水木しげるロード」を歩きました。

「目玉おやじ」に、豊作をもたらす「田の神」、好物がすいかという「死神」

そろばんをはじくような音をたてて驚かせる「算盤小僧」、
みんな知っている「鬼太郎」、
夜中に飛来し顔面を覆って息の根を止める「一反木綿」

鬼太郎の恋人といわれる「ねこ娘」、
暗い道で後ろからついてくる「べとべとさん」、
急に現れて行く先が壁になる「ぬりかべ」、

歌いながら小豆を研ぐような音をさせる「小豆洗い」、
爺なのに赤ちゃんの泣き声を出す「こなき爺」、
チャンスを逃すばかり、人間の哀しさがただよう「サラリーマン山田」、

「山高帽の水木先生」、かっこいいですね。
きっと、先生は「山田」が大好きなのだと思います。
そして、豆腐を乗せた盆を持つ子供の妖怪「豆腐小僧」。
ロード上の石畳に描かれた「ねずみ男」も、
「よく来たな」と歓迎してくれています。

オブジェだけではありません。
並ぶお店も、自動販売機も、すべて鬼太郎や妖怪一色です。

妖怪があまりにも多いので、ちんぷんかんぷん。
たまらず、折り返し地点の「水木しげる記念館」の向かいのお店で、
「妖怪ガイドブック」(100円)を買うはめに。
それを見て勉強することにしました。
解説はていねいで、効能や出身地まで書かれていました。
今も、妖怪の名前をガイドブックで確認しながら、
これを書いております。
 
左は、水木しげる記念館。
先生の人生と業績が、よくわかります。
海産物を素材にした料理店が多かったです。
このお店のものではありませんが、右は、その日の私の昼食です。
どうですか、これ。1800円の「海鮮丼」でした。
ご飯が多くなかったので、全部食べられました。

ガイドブックには、スタンプを押す欄があり、
帰りは、スタンプ集めに必死でした。
なぜか、急に集めなければならない気分になりました。
一緒に行った家人はあきれておりましたが、
これも妖怪のなせる技だったのでしょう。

奇怪な一日でした。



両国が揺れている!!

2011年02月05日 | 日記
総武線で隅田川を越えると両国に着きます。
明暦の大火の犠牲者を供養した回向院(左)や、
赤穂浪士が討ち入った吉良邸、
隅田川の干満を利用した安田庭園(右)などで広く知られています。


しかし、なんと言っても両国といえば大相撲です。

「櫓太鼓が隅田の川に・・・」と、村田英雄も歌った、
相撲の街、両国には、
八百長問題で、いま、激震が起きています。

両国の駅で降りるとすぐ高い櫓が目立つ国技館、
ここが震源です。
そして河川敷がきれいに整備された隅田川もすぐそばを流れています。
ここは大波が立っているのでしょうか。

国技館のお膝元だけに、両国には、
たくさんの相撲部屋があります。

陸奥部屋、八角部屋に、二所の関部屋、

大島部屋、春日野部屋、出羽の海部屋、

時津風部屋、九重部屋、錦戸部屋、

間垣部屋と井筒部屋もあります。
昔の面影は、わずかに部屋の名を書いた看板に残っているだけと感じる、
今は、いずれも、鉄筋コンクリートづくりの立派なビルになっています。

にもかかわらず、相撲部屋は大揺れです。
倒壊寸前かもしれません。

これまで、何回かあった改革の機会に、
きちんと向き合うことなく、
いつも、問題を先送りにしてきた報いだと言われても
仕方がないのではないでしょうか。

揺れはそこだけでなく、両国にたくさんあるちゃんこ料理のお店も
ゆれていることでしょう。

相撲ゆかりの力塚(右)はどうでしょう!?。

みんな、みんな、国技のこれからを憂いて、大きく揺れています。

しかし、両国は相撲だけでなく、
最初にあげた、回向院や安田庭園以外にも、

義賊の鼠小僧次郎吉の墓(左)や、運河に浮かぶ屋形船(右)、
江戸東京博物館など、
旅人を魅了する素敵な風景が広がっています。

両国をいつまでも魅力ある街にとどめておきたいものです。
そのためにも、相撲界が、
ちゃんとうみを出し切って、国技と呼ぶにふさわしい、
真剣勝負を見せてほしい。

両国にはやっぱり相撲が欠かせないものだから・・・。