トシの旅

小さな旅で学んだことや感じたことを、
まとめるつもりで綴っています。

日本一短い県道とJR安登駅

2020年08月27日 | 日記
JR呉線の安登(あと)駅の駅前に設置されている「日本一短い県道」についての説明板です。「総延長10.5m」の広島県道204号、安登停車場線の説明が書かれています。
この日は、「日本一短い県道」のあるJR安登駅を訪ねるため、JR山陽本線の三原駅に向かいました。三原駅の1番ホームで出発を待っていたのは、227系3両編成の広駅行きの電車でした。227系の電車は、2015年3月のダイヤ改正により、広島地区の在来線で運行を始めたJR広島支社の誇る最新車両です。
三原駅から1時間20分ぐらいで、相対式2面2線の長いホームをもつ安登駅に着きました。電車の前方に、反対側のホームにある白い駅舎が見えました。この駅は、行き違い設備を備えており、広・呉駅方面行きの電車は、駅舎の反対側のホームに停車しています。ホームの番号標は見つかりませんでした。

広駅行きの電車が出発して行きました。ホームの広駅方面に上屋が見えました。 JR呉線は、明治36(1903)年12月27日、海田市駅・呉駅間が開業したことに始まります。三原駅側からの呉線は、昭和5(1930)年3月19日、三原駅・須波駅間が三呉線として開業してから、西に向かって延伸を続けていきました。 安登駅が開業したのは、昭和10(1935)年11月24日。 安浦駅(当時は三津内海駅=みつうちのうみえき)・広駅間が延伸開業したときでした。

安登駅は、三原駅側の安浦駅から4.5Km、次の安芸川尻駅まで4.1kmのところ、呉市安浦町安登西五丁目にあります。 同じ呉市安浦町にある安浦駅まで海岸線に沿って走って来た呉線の電車は、安浦駅からは、少し内陸部を走るようになりました。安登駅は、周囲を山に囲まれた緑濃い地域に設置されていました。

ホームのようすを確認することにしました。
ホームの上屋の内部です。3脚のイスが設置されているだけのシンプルな待合いスペースになっています。 この駅の1日平均乗車人員は、平成30(2018)年には338人だったそうですが、この日、乗車して来た電車から下車したのは、私一人でした。
 
待合スペースの向かい側、三原駅行きの電車が停車するホームに接して、駅舎がありました。

ホームの広駅側の端からは、跡条(あとじょう)第一踏切が見えました。

三原駅側に向かって、ホームを引き返します。駅舎側のホームへは、屋根のない跨線橋を渡っていくことになります。手前にある掲示には、安登駅の西にある瀬戸内海国立公園の野呂山(標高840m)の案内が書かれていました。野呂山は瀬戸内海の展望地、ハイキングコースとして知られています。ちなみに、瀬戸内海国立公園は、昭和9(1934)年3月16日、雲仙、霧島とともに、当時の内務省によって第1号として指定されたそうです。

跨線橋を過ぎてさらに歩きます。三原駅側の光景です。長い長いホームですが、ここまで、人の姿はまったく見えません。

ところで、「安登」という珍しい地名は、どのようにして名づけられたのでしょうか? 踏切に「跡条第一」と名付けられているように、「跡」が語源だそうです。「平家の落人伝説が多く残る地で、その『跡』に由来する地名」(「難読・誤読の駅名の事典」浅井建爾著)だといわれています。

明治22(1889)年に町村制が施行されたとき、この地は「賀茂郡内海跡村」でした。その後、昭和4(1929)年に、村名を「内海跡村」から「安登村」に変更して、現在の駅名になったようです。
写真は、跨線橋の裏側からの駅舎側の光景です。駅名標がぽつんと立っています。

跨線橋から駅舎側のホームに向かいます。跨線橋の上からは、駅舎とその向こうの「安登駅自転車等駐車場」と書かれた建物が見えました。

駅舎付近までやって来ました。駅舎の手前には、トイレが設置されています。
呉線は、平成30年7月5日からの西日本豪雨により甚大な被害を受け、163日間運休しました。安登駅の近くでは、隣駅の安浦駅は冠水し、安登駅と次の安芸川尻駅の間で斜面が崩壊するという被害を受けました。10月28日に安浦駅~安芸川尻駅間が復旧し、12月25日に全線で運転再開となりました。
自動改札機が置かれている駅舎への入口から駅舎に入ります。 安登駅は、昭和45(1970)年から無人駅になっています。

駅舎に入って右側のスペースは待合室になっています。作り付けのベンチと飲み物の自動販売機がありました。正面の壁面の向こう側はトイレになっています。 乗車される人が1日平均338人おられる駅にしては、少し狭い感じでした。

ホームへの出口にある自動改札機のそばに自動券売機が設置されています。

駅前広場への出口に置かれていた時刻表です。

駅前広場から見たJR安登駅です。呉線の電車が到着しています。「日本一短い県道」を確認することにしました。カメラを持った男性の姿が見えました。
駅の出口のすぐそばに作られていた小さな庭園です。

跨線橋から見えた「安登駅自転車等駐車場」の前で、安浦交通のバスが出発を待っていました。駐車場は、現在では、生涯学習施設として使用されているようで、テーブルや卓球台などが置かれていました。

駐車場の先に、「日本一短い県道」の説明板がありました。めざす、県道204号安登停車場線は、すぐ目の前にありました。
掲示板には、 「起点 安登駅前」、「終点 国道185号交点」、
「総延長 10.5m  」、 「幅員  18.7m  」 と書かれています。「日本一短い県道」は、長さが、わずか、10.5mしかない道路でした。
掲示板の前の駅前のようすです。信号機のある左右の通りは、国道185号。右が安浦駅方面、左が安芸川尻駅方面への道路になります。国道の両側には横断歩道が設けられています。国道185号から手前の10.5mまでが「日本一短い県道」になるはずです。

これは、説明版に書かれていた県道204号の概念図です。ピンク色の部分が県道204号にあたるそうです。「現在地」は説明板のある場所を示しています。
県道(ピンク色の部分)の両側に幅員が示されています。
 左側は w:15.8m   右側は w:18.7m と書かれています。 
平成13(2001)年に、県道の拡幅工事が行われ、駅前広場と道路の幅が同じなりました。 従来の幅員が左側で、右側が、平成13(2001)年以降の幅員になります。いずれにしても、長さよりも幅の方が広い道路ということになります。

この資料も説明板に書かれていたものですが、JA芸南安登支所の建物から見た、県道204号にあたる部分(ピンク色の部分)を示しています。

安登駅の周辺のようすを見ることにしました。駅側から国道185号を渡り、その次の通りを、西岡商店のところで右折して上っていきます。

正面に安登小学校と安登保育所の正門と校舎、グランドが見えました。

駅前広場に戻り、国道185号の交差点を安芸川尻駅方面に向かって進みます。右側にある郵便局の先で左折します。
安登駅に到着したとき前方に見えた「跡条第一踏切」がありました。「跡条第一踏切 48K817M」と書かれています。三原駅からの距離のようです。ここで、上下二つの線路を渡るようになっています。

跡条第一踏切から見た、安芸川尻駅方面です。

こちらは、安登駅方面です。長いホームと跨線橋が見えました。

総延長10.5mの「日本一短い県道」を訪ねるために、JR安登駅までやって来ました。「日本一短い県道」は、国道と駅を結ぶ取付道路でしたが、長さよりも道路の幅の方が広いという、道路というより駅前広場の一部のスペースという感覚の道路でした。
ずいぶん前に、「日本一短い国道」を見るために、神戸市にある国道147号(総延長187m)を訪ねたことがありますが、今回の広島県道204号(安登停車場線)も、その時と同じように、興味深い時間を過ごすことができました。