トシの旅

小さな旅で学んだことや感じたことを、
まとめるつもりで綴っています。

「日本一危険なホームは、今」阪神電鉄春日野道駅

2016年03月26日 | 日記
「あの駅のホームは、『日本一危険なホーム』だとテレビでも放送されたんですよ!」。「今もそのホームが残っていますよ!」と、知り合いから聞いて、訪ねてみることにしました。その駅の名前は阪神電鉄本線の春日野道駅(以下「阪神春日野道駅」と書きます)です。

これは、阪神春日野道駅にあった駅周辺の地図ですが、阪神春日野道駅は国道2号の地下にある駅のようでした。阪神春日野道駅から、阪神電鉄本線は国道2号を離れ、その一つ北側を走る旧西国街道の地下に向かって進んで行きます。

JR三ノ宮駅に着きました。そこから、国道2号を東に向かって歩きます。

JR三ノ宮駅の向かいにあるデパート「そごう」の地下に、阪神電鉄神戸三宮駅があります。

梅田駅方面に向かって、阪神春日野道駅は神戸三宮駅の次の駅です。長い距離ではないので、国道2号を阪神春日野道駅まで歩いて行くことにしました。りそな銀行、阿波銀行、日新信用金庫など金融機関が並ぶ道を東に向かって歩きます。

国道2号の右側に「くら寿司」の看板が見えます。そのあたりに阪神春日野道駅があるはずです。国道2号の右側の道に移り、さらに東に向かいます。

やがて、歩道の端に「阪神電車春日野道駅」と書かれた、駅への入口が見えて来ました。

階段を下りました。下りきるとすぐ目の前に改札口がありました。人の姿は見えませんでした。春日野道駅の西側の改札です。さらに進んで東側の入口から駅に入ることにしました。

再度、国道2号の歩道に戻って歩きます。くら寿司の看板の先に、もう一つ阪神春日野道駅への入口がありました。「阪神電車春日野道駅」と「春日野道地下道」と書かれています。ここから下っていきます。

階段を下ると、「春日野地下道」といわれるにふさわしい広々とした空間が広がっています。左側が阪神春日道駅になっています。掲示されていた運賃表を見ると、春日野道駅から神戸三宮駅までは140円でした。ここまで140円分を歩いて来たことになります。通路の右側を、こちらに向かって歩いている人がおられますが、その手前の壁面に懐かしい写真が貼ってありました。

これは、「昭和20年代後半の国道2号」のタイトルがついています。説明には「左手の建物は市電の車庫。その右側には阪神春日野道駅の旧改札所。これらの建物は、国道2号の拡幅工事で姿を消した」と書かれていました。さて、阪神春日野道駅は、明治38(1905)年、阪神本線の開業とともに開業しました。昭和8(1933)年に地下線になったときに一時廃止されましたが、翌年の昭和9(1934)年、地下鉄駅として新規開業しました。

これは、かつての阪神春日野道駅のホームです。島式の1面2線のホーム。ホームの幅は、電車幅(2.8m)よりも狭い2.6mしかありませんでした。おまけに、ホームの中央にはコンクリートの柱も立っています。まさに「日本一危険なホーム」でした。なお、柱の中央には「線路内転落など危険発生のときは、下の押しボタンを押してください」と書かれています。

駅員さんが見守る改札口を通ってホームに出ました。阪神春日野道駅の1日平均乗降人員は12,432人(2011年)で年々増加しているようです。

現在は2面2線のホームです。こちらは、神戸三宮駅方面行きのホームです。ベンチも設置されています。

照明で明るいところは、対面する梅田方面行きの電車のホームです。その手前がかつての幅2.6mホームです。阪神春日野道駅は、阪神本線が地下化された翌年の昭和9(1934)年に、地下駅として開業しました。その時はホームの幅は3mありました。その後、電車の幅が広がったため、3mのホームの両側を20cmずつ削って、電車が通れるように改良しました。こうしてホームの幅が2.6mになりました。

かつてのホームです。もともと3mあったホームは40cm削られて狭くなり、幅2.6mの狭いホームになってしまいました。加えて、地下鉄特有の強い列車風のため、「日本一危険なホーム」と呼ばれるようになりました。

安全確保のため、乗客は列車が到着するまでホームの手前で待機していて、電車も時速45kmというゆっくりとしたスピードで通過していたそうです。現在のホームへの改修工事は、平成13(2001)年から始まりました。線路もホームもそのままにして、上下線の線路の外側にある壁を開削して拡幅する工法で、営業を続けながら工事が進められました。そして、平成16(2004)年9月25日から新しいホーム(対面式2面2線)で運転が開始されました。このときから、通過する電車は時速75kmで走るようになりました。現在は、残念ながら、かつての1面2線のホームへは行くことはできません。

地下の通路から、今度は北側の入り口に向かって歩きます。写真は南方面に向かって撮影したものです。

こちらが、国道2号の北側の駅への入口です。

阪神春日野道駅の入口の脇に、春日野道商店街の入り口がありました。ここから、約450mぐらい、商店街が広がっています。土曜日の昼前でしたが、行き交う人もたくさんおられました。

1ブロック過ぎて東西の通りを横断します。横断歩道の近くに「旧西国街道」の碑が建てられていました。江戸時代には京都・大坂から岡山・広島へ、さらに関門海峡を越えて九州に向かう幹線道路でした。

神戸信用金庫の看板が見えるところまで進むと、アーケードの先に、JR神戸(東海道本)線と阪急春日野道駅のある高架が見えました。阪神春日野道駅を見たので、ついでに阪急春日道駅も訪ねてみようと思ったのです。

商店街を抜けました。正面が阪急電鉄の高架です。アーケードを抜けた両側の左右にはコンビニが向かい合っています。町歩きにふさわしい晴れ渡った空の下を歩いていきます。

JR神戸線と阪急春日野道駅がある高架です。

左側の高架下に、阪急春日野道駅がありました。阪神春日野道駅に比べて、少し窮屈な印象の駅でした。阪急春日野道駅は、昭和11(1936)年、阪急が三宮駅まで延伸したときに開業しました。明治38(1905)年の阪神春日野道駅の開業から、約30年後のことでした。

改札口付近の光景です。手前の右が自動券売機。正面が改札口になっています。その先で右に曲がります。

改札口の脇に駅員さんがいらっしゃいました。阪急春日野道駅の1日の乗車人員は6,058人(2010年)。乗車された人が降車もされているとすると、阪神と阪急はほぼ同じぐらいの人が利用しておられるようです。

ホームに上がりました。阪神春日野道駅の狭いホームが頭にあったせいか、阪急春日野道駅のホームも狭く感じられました。昭和61(1986)年に公布された「鉄道事業法」では「ホームの幅は原則3m以上」と書かれているそうです。狭く感じましたが、3mは確実に確保できているとは思いました。1面2線のホームです。

ちょっと左に視線を移します。隣はJRの電車が走っています。

このとき、阪急三宮駅行きの電車が入ってきました。阪急三宮駅まで150円。阪神より10円高かったようです。

「日本一危険な駅」ということばに誘われてやってきた阪神春日野道駅でしたが、もちろん、現在は安全な駅に変わっていました。しかし、「危険な駅」だった時代には、70年にわたって、改札口付近にベンチを設置し待合いスペースとしていたり、ホームにある柱と柱の間に金属製の安全策を設置したり、電車接近時には案内放送やメロディなどで知らせたり、危険回避のために様々な工夫をしていたようです。 初めて訪ねましたが、危険なホームのとき1度は乗車してみたかったと思ってしまう駅でした。

まだありました!阪神電鉄の橋上の駅、大石駅

2016年03月21日 | 日記
このところ、川に架かる鉄橋上に設置された駅を訪ねています。

これまで、JR土讃線土佐北川駅(鉄橋上にある「秘境駅」JR土佐北川駅」2013年12月2日の日記)、JR福知山線の武田尾駅(「トンネルと鉄橋の駅」2014年4月30日の日記)、伊予鉄道の石手川公園駅(「伊予鉄道の鉄橋上の駅石手川公園駅」2015年4月8日の日記)、阪神電鉄の駅では、武庫川駅(鉄橋上の駅、阪神電鉄武庫川駅」2015年12月28日の日記)、石屋川駅(「石屋川の上にある駅」2016年1月30日の日記)、香櫨園駅(「夙川の上にお立ち台がある駅」2016年2月5日の日記)、芦屋駅(「芦屋川の上にある駅」2016年2月19日)を訪ねてきました。

この日は、もう一つ残っている阪神電鉄の川の上にある駅を訪ねることにしていました。阪神電鉄神戸三宮駅から梅田行きの普通列車で10分ぐらいで到着しました。ホームの前方から見えた左側の風景です。六甲の山並みと真下に護岸工事で整備されている川の流れです。

この駅は大石駅。武庫川駅、石屋川駅、香櫨園駅、芦屋駅に次ぐ5つめの川の上の駅になります。大石駅は、明治38(1905)年の阪神電鉄本線の開業と同時に、開業しました。最初の駅は、現在より少し南にあったそうですが、昭和43(1968)年、石屋川駅・西灘駅間が高架化されたときに現在の地に移転してきました。

ホームから神戸三宮駅方面を撮影しました。ホームは2面4線。大石駅を通過する優等列車や、停車する普通列車は、二つのホームの間の2線を使用しています。

ホームからエスカレーターと平行する階段を下ります。日曜日の昼前です。一緒に下車した方はすでに駅から出ておられましたので、一人で下ることになりました。

ゴミ一つ落ちていない、清潔できれいな駅舎を歩き、地上部分にある改札口に向かいます。改札口付近には駅員の方がいらっしゃいました。

大石駅の改札口付近に掲示されていた周辺の地図です。閑静な住宅地が広がっている地域です。

改札口を出るとすぐ目の前が道路、道路の先は自転車の駐輪場がありました。その向こうには、ホームから見た川があるはずです。

道路に沿って、北側に出ました。広い歩道と対抗2車線の道路があります。

振り返ると、大石駅のホームが見えました。橋桁には「都賀川(とががわ)を美しく」と書かれています。歩道部分も河川敷も大変きれいでした。降りる石段がありましたので、河川敷に入りました。

「都賀川公園」という親水公園として整備されているようです。河川敷を散歩されている方や食事をされている女性のグループの姿が見えました。ホームの下を流れる都賀川は澄みきったおだやかな流れでした。

都賀川の流れにいた、一つがいの水鳥です。首を流れに入れて食べ物をさがしていました。のどかな光景です。

河川敷にあった危険を知らせるポスターです。兆候を感じたら上がるようにと丁寧な説明が、インパクトのある色で表現されていました。

これも掲示物です。水量が増えたら100m移動すると地上面に上がって逃れられるようですね。現在のおだやかな流れからは想像できないことですが・・。

駅の南側の河川敷からの風景です。「都賀川を美しく」と書かれている大石駅のホームが見えました。実は、このホームに屋根には秘密がありました。ホームの屋根に太陽電池が設置されているのです。平成26(1014)年に設置され、エレべーターやエスカレーターや照明設備など、大石駅で消費する電力の3割をまかなっているそうです。

河川敷にあったポスターのとおり、上りの石段がありましたので、地上面に出ました。北側の大石駅の下をくぐる対向2車線の道路。その上に座っている人の姿が見えます。道路の上に座っておられるようで、笑ってしまいました。 

都賀川左岸の南方面です。淡路信用金庫の建物の南には西(にし)郷小学校が見えました。

公園から見えた西郷小学校です。校舎の上から「金盃」という看板がのぞいていました。その名のとおり、酒造会社の看板でした。このあたりは灘五郷の一つ、西(にし)郷にあたる地域です。

これは、大石駅にあった掲示板です。多くの酒造会社の資料館が載っています。都賀川の南の阪神高速3号神戸線の南には「沢の鶴資料館」があるようです。

西郷小学校の先にあった金盃酒造株式会社の建物です。

こちらは都賀川の右岸から見た南方面です。阪神高速3号神戸線の高架が遠くに見えます。高架の上から「沢の鶴」の看板がのぞいています。

高架下の自動券売機です。この先に改札口があります。

大石駅は、川の上にある駅として知られているわけではありません。今はホームの屋根に設置された太陽光発電システムで知られています。1枚9.5kgといわれる太陽光パネルを使用しているので、ホームの柱や梁(はり)を改造することなく、設置することができたそうです。

川の上に設置された橋上の駅を訪ねて、阪神電鉄大石駅に行って来ました。阪神電鉄の他の橋上の駅と同じような雰囲気を感じる駅でした。大きさに圧倒された武庫川駅ほどではありませんが、川の上にどっしりと根を張った駅でした。それ以上に、太陽光発電の実験を行っている施設として存在感を高めている駅でした。
ところで、これで、阪神電鉄の橋上の駅はすべて訪ねたことになるのでしょうか?