トシの旅

小さな旅で学んだことや感じたことを、
まとめるつもりで綴っています。

岡山駅の隠れた見どころ

2013年07月02日 | 日記

中四国の結節点としての機能をもつ岡山県。その大きな機能を担っているJR岡山駅(以下、「岡山駅」と書きます)。 最近はやや議論が低調ですが、道州制が論議されるときには、必ず岡山県の存在がクローズアップされていました。 私にとってのJR岡山駅は、いつも通勤時に通過している最も身近な、相棒のような存在です。

先日、朝日新聞社が刊行している「JR全駅・全車両基地地 岡山駅」をめくっていたら、まったく知らなかった岡山駅の姿が描かれているのに気がつきました。そこに描かれていた、岡山駅の隠れた見どころを実際に見てみることにしました。

市街地の中心部につながる東口から、東西連絡通路にエスカレーターで上がります。

通勤ラッシュの時間が終わった東西連絡通路です。東西連絡通路は、幅10m、全長120mで、壁面上部のハイサイドライト(壁面上部にある窓ガラス)からの自然光を取り入れていて明るく広々とした空間になっています。現在の岡山駅は、平成18(2006)年に開業された橋上駅舎です。岡山駅の東西を結んで橋上につくられた東西連絡通路から、改札口に入るような構造になっていました。

東口からのエスカレーターを上がると、すぐ右側に新幹線の改札口があります。改札口は4レーンだけです。岡山駅には、”のぞみ”も”ひかり””こだま”も、九州新幹線の全列車も停車するのに、4レーンだけと少しさみしい感じもしました。

しかし、岡山駅は、かつて新幹線のターミナル駅だった栄光の歴史を持っています。昭和47(1972)年、山陽新幹線が岡山駅まで開通したときです。新大阪始発だった九州に向かう特急・急行が岡山始発になりました。それも、わずか3年間。昭和50(1975)年、山陽新幹線が博多まで延伸されてからは、単なる通過駅になってしまいました。

こちらは、新幹線から在来線への乗り継ぎ(もちろん、その反対もありますが)の改札口です。改札口は8レーンあります。下車する乗客が使用する改札口の2倍設けられています。岡山駅で下車する乗客より、在来線へ乗り継ぐ乗客の方が多い、岡山駅の性格をよく表しています。

岡山駅の1日の平均乗車人員は、59,232人(2011年度)ですが、乗り継ぎを含めた延べ利用者は、その2.5倍になるといわれています。東京駅からは約3時間半、新大阪駅からは約50分で、また、広島県の県庁所在地、広島市とは40分で(山口県の県庁所在地である山口市とは、新山口駅を経由して)つながっています。

東西連絡通路に戻って進みます。東西のほぼ中央あたりに在来線の改札口があります。改札口の上部の全面に、列車の発車時刻が掲示されています。岡山駅開業時から走る山陽本線、山陰連絡の伯備線、兵庫県西南部とを結ぶ赤穂線、岡山県北部の中心都市津山に向かう津山線、中西部の中心にある総社市を結ぶ吉備線、四国連絡の本四備讃線(以下、「瀬戸大橋線」と書きます。)とかつての四国への玄関口宇野に向かう宇野線が、岡山駅から放射線状に延びています。岡山駅で乗り継ぐ乗客が多いのも理解できるような気がします。

これは、改札口の正面にある在来線の出発時刻です。様々な行き先に向けて出発していきます。岡山駅の隣駅は7駅あります。埼玉県の大宮駅に次いで、日本で2番目に多いのだそうです。ちなみに7駅とは、山陽新幹線の新倉敷駅と相生駅、在来線は山陽本線の北長瀬駅と西川原就実駅、瀬戸大橋線の大元駅、津山線の法界院駅、そして吉備線の備前三門駅です。

岡山駅は、明治24(1891)年、山陽鉄道(明治39=1906年の鉄道国有化以後は、山陽本線)の岡山駅として開業しました。神戸から西に延伸してきた山陽鉄道は、この年岡山まで延びてきました。

1番ホームです。在来線の一番東側にあります。1・2番ホームは山陽本線を西に向かう列車が発着します。
1番ホームの線路付近には、神戸からの距離143.4kmを示すキロポストが立っています。倉敷駅から鳥取県の米子市、島根県の松江市や出雲市駅に向かう“特急やくも”など伯備線(昭和3=1928年開業)の列車も、ここから出発していきます。

2番線のホームです。隣に伯備線の”特急やくも”が停車しています。このホームの東にはレールでできた柱が立っており、現在も上屋根を支えています。

この柱には“BARROW STEEL”と刻印されており、1889(明治22)年の刻印もありました。

こちらは、“CAMMEL SHEFFILD 1887”という英字の刻印が見えます。「週間JR全駅、全車両基地 岡山駅」によれば、イギリスのカムメル社製なのだそうです。1880年代にイギリスで製造されたレールが、本来の役割を終えた後も、ホームの上屋を支えているのです。製造されてから100年をはるかに超えた今も・・・。初代の岡山駅の時代の名残を今に伝えています。
3番ホームに、山陽本線の上り姫路行きの列車が停車していました。東岡山駅から分かれて播州赤穂に向かう赤穂線(昭和37=1962年開業)も、このホームから出発していきます。また、かつての津山線・因美線経由に代わり、山陽本線・智頭急行を経由して因美線に入り鳥取市に向かう”特急”スーパーいなば”も、このホームから出発しています。なお、このホームでは、列車の入線の告知に「いい日旅立ち」、「汽車」と「線路は続くよ、どこまでも」が使われています。

愛媛県の松山市・宇和島市を結ぶ予讃線の“特急しおかぜ”が停車している8番ホーム。宇野線(瀬戸大橋線)が発着するこのホームには1面のホームに4線(5~8番線)が設けられています。そのうち、6番ホー目と3両編成の普通列車が到着する7番ホームは行き止まりの形になっています。このホームからは、土讃線の”特急南風”で高知市へ、高徳線を通る”特急うずしお“で徳島市へ、本四備讃(瀬戸大橋)線を走る快速”マリンライナー”で香川県高松市へ行くこともできます。

岡山駅は、四国4県の県庁所在地と直接つながっているのです。また、新幹線で広島県の県庁所在地、広島市とつながり、1~4番ホームから発着する特急列車で山陰の県庁所在地、松江市・鳥取市と直接つながっています。 「中四国の結節点」岡山県の地位は、新幹線など、岡山駅を起点とした鉄道網でも支えられています。まさに、中四国の結節点ですね。

かつて、四国連絡の役割を担った宇野線と、現在その役割を担っている瀬戸大橋線の起点は岡山駅です。8番線と隣の9番線の間の線路付近に、黄色いポールがありました。起点を示す0キロポストです。「0k000m」とかかれています。宇野線は、明治43(1910)年の開業です。同じ年に、宇高連絡船も就航しました。このホームでは、列車が入ってくるとき、「瀬戸の花嫁」のメロディが流れてきます。

在来線の特急への乗り継ぎ客の便宜のために、特急券の自動販売機が6・8番ホームに立っています。岡山駅ではこの1カ所だけに設置されています。

このホームの東の屋根は、今も木造の柱が支えています。

そこには、「大正12年12月」という「建物資産標」の表示が残っています。岡山大空襲を耐えて生き残っています。岡山駅舎は大正15(1926)年に2代目駅舎が建てられていますので、これは初代の駅の名残と考えられています。

このホームの東にある5番ホームへの入り口には、木造の上屋の妻壁が残っています。

装飾を考えたのだと思いますが、これも初代の駅舎の名残です。

かすかに塗料がはげて赤く見えている屋根は、新しい東西連絡通路の反対(東)側にある、東陸橋のものです。

東陸橋をホームから撮影したものです。これまで見てきた木製の柱も、木造の上屋の妻壁も、レールでできた柱も、すべてこの東陸橋付近に残っていました。

昭和35(1960)年に建築された東陸橋。そこに、木製の袖壁が残っています。3代目駅舎は、新幹線が岡山まで延伸したとき(昭和47年)に建設されていますので、2代目駅舎時代の名残だと思います。

岡山駅には、ホームをつなぐ通路には、もう一つ地下通路があります。大正11年(1922)年の建造だそうですが、初代駅舎の時代につくられたものです。ホームに上る階段と通路とのコーナー部分(4番ホームを示す掲示が設置された部分)に丸みを帯びたところがあり、当時のモダン建築の雰囲気を伝えています。

宇野線の0キロポストの西側に立つ白いポールが、津山線(9番線)の0キロポストです。

明治31(1898)年、中国鉄道が岡山市・津山間で開業しました。しかし、山陽鉄道との話し合いがつかず、岡山駅に乗り入れたのは、明治37(1904)年のことでした。この年に開業した吉備線と同時に岡山駅に乗り入れることになったそうです。快速”ことぶき”が発車を待っていました。

隣の10番ホームは、吉備線のホームです。吉備線の赤い車両のそばに、吉備線の0キロポストがありました。
開業当時の吉備線は、岡山駅・総社駅(現東総社駅)・湛井(たたい)駅間で運行していました。昭和19(1944)年に、西総社駅(現総社駅)・岡山駅間が国有化され吉備線になり、岡山駅・津山駅間は津山線となりました。なお、9番・10番線は、「桃太郎」が入線告知に使われていました。

東西連絡通路を東口に降りていくと、駅前の噴水の近くに桃太郎像が建っています。犬、さる、雉をお伴に鬼退治にいった桃太郎の若々しい姿です。吉備の温羅(うら)伝説にちなむ「桃太郎」のお話の主人公です。

東口から東西連絡通路に上っていく階段の左側にある「つどいの広場」、そこに飾られている壁画「躍進」。新幹線の岡山開業にあわせて、昭和47(1972)年、地元の民間放送局、山陽放送(RSK)が岡山駅の玄関口を飾る作品を設置しようと企画しました。岡本太郎氏の作品です。


「週刊JR全駅・車両基地シリーズ」で読んだ岡山駅の姿に刺激されて、普段なにげなく通っていた駅の構内を、ゆっくりと歩いてみました。「知る」ことはなかなか楽しいものだと気がつきました。「躍進」の作品のように、中四国の結節点として「躍進する岡山県」であり続けたいものですね。



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2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
見ました (山田の)
2013-07-04 17:15:21
 ユニークな取材でした。結構古い物が残っているのに驚きました。「よく見つけましたね!」と感心して読ませていただきました。
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いいですね (宮脇)
2015-01-06 23:07:54
岡山駅に歴史あり!ですね。岡山駅を見る目が変わりました。岡本太郎のレリーフは、むか~しからありますね。
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