トシの旅

小さな旅で学んだことや感じたことを、
まとめるつもりで綴っています。

香川県最南端の駅JR讃岐財田駅

2020年04月02日 | 日記
香川県から県境の讃岐山脈を抜けて徳島県に向かう鉄道には、JR高徳線とJR土讃線があります。 JR高徳線の讃岐相生駅とJR土讃線の讃岐財田(さぬきさいだ)駅が、それぞれ香川県側の県境の駅になっています。
讃岐相生駅は北緯34度12分43秒、讃岐財田駅は北緯34度7分3秒に位置しています。 ”香川県最南端の駅”は、JR土讃線の讃岐財田駅ということになります。 
その讃岐財田駅です。駅舎の入口に増設されたゲートが印象的です。
讃岐財田駅前に聳えるタブノキの大木です。 樹齢700年とも800年とも伝えられ、「香川県保存木」に指定されています。 イヌグスとも呼ばれるクスノキ科の高木で、樹高20メートルにも達するそうです。 
JR土讃線は、香川県多度津駅と高知県の窪川駅を結ぶ鉄道です。 明治22(1889)年、讃岐鉄道によって、丸亀駅・多度津駅・琴平駅間が開業したことに始まります。 その後、山陽鉄道に買収され、明治39(1906)年に国有化されました。

この日は、土讃線の列車で、”香川県最南端の駅”、讃岐財田駅を訪ねることにしました。 その前に寄るところがあり、土讃線の善通寺駅からスタートしました。 土讃線の起点であるJR多度津駅始発の阿波池田駅行きの普通列車がやって来ました。 土讃線の多度津駅と琴平駅間は電化区間になっていますが、 この列車は、琴平駅から非電化区間に入るため、ワンマン運転のデーゼルカーによる運用になっています。

讃岐財田駅が開業したのは、大正12(1923)年5月21日。 琴平駅・讃岐財田駅間が讃予線として開業したときでした。 そして、昭和4(1929)年、徳島県の阿波池田駅まで延伸しました。 讃岐財田駅は、多度津駅寄りの一つ手前のJR黒川駅から2.3km、次の徳島県のJR坪尻駅まで8.2kmのところ、香川県三豊市財田(さいた)町財田上にあります。 「さいた」の地名は「狭井田」(さいた)が語源で「地下水が湧き出して、田畑が潤される土地に由来している」そうです(「難読・誤読駅名の事典」浅井建爾著)。 地名は「さいた」ですが、駅名は「さいだ」だそうです。 

JR善通寺駅で、普通列車に乗車してから、約20分ぐらいで、2面3線の讃岐財田駅の2番ホームに着きました。 停車している2番線は下り列車の副本線として使用されており、行き違いや特急列車の追い抜きの時に使用されています。 下車したのは、私のほかには高校生風の人が一人だけでした。 この駅の一日平均乗車人員は2014年には30人おられたそうです、 「山間にある無人駅」の雰囲気を感じました。

2番ホームの徳島県寄りに、駅舎に向かうときに利用する構内踏切があります。
やがて、駅舎側の1番線を、高知駅行きの南風7号(”アンパンマン列車”)が追い抜き、その先で大きく左にカーブしながら進んで行きました。 このあたりは、半径604mの急カーブ、3.3パーミルの急勾配になっているそうです。 このように、1番線は、上下線の本線になっており、いわゆる”一線スルー”になっています。  特急”南風”は、岡山駅から瀬戸大橋を渡り、JR宇多津駅から予讃線に入り、多度津駅からは土讃線を走る列車です。 阿波池田駅方面への制限速度は、時速85kmだそうです。 

その後、乗車してきた阿波池田行きの普通列車が出発していきました。 この先、猪ノ鼻トンネルなどで讃岐山脈を越え、スイッチバックで、”秘境駅”として人気の高い坪尻(つぼじり)駅に向かって進んで行くことになります。 ホームを、乗車して来た琴平駅側に向かって歩きます。

ホームの端から見た黒川駅方面です。 讃岐財田駅は2面3線のホームになっています。 駅の入り口にある黒部踏切とそれぞれのホームに向かう3本の線路、線路の左側に側線が見えます。

ホームを坪尻駅方面に向かって歩きます。島式ホームの中央に待合いのスペースがあります。右側に、駅舎とそれを覆うように聳えるタブノキが見えました。

ホームにあった待合いのスペースです。広々とした内部に長いベンチが2脚設置されています。 掲示物の上にあった「建物財産標」には、「国鉄 建物財産標 鉄 B停 旅客上屋1号 S29年12月」と書かれていました。 昭和29(1954)年に設置されたもののようです。

ホームから見た駅舎です。駅舎の右側の部分は駅の事務所になっていたところです。 今はドアが閉められ、カーテンで内部が見えない状態になっています。切妻屋根のホーム側にあったトイレも使用停止になっています。
阿波池田駅行きの列車が停車していたあたりまで戻ってきました。 もう一つ小さな上屋がありました。 この建物財産標には、「国鉄 建物財産標 鉄 B停 諸舎1号 S60年12月19日」と書かれていました。 構内踏切で駅舎に向かいます。

構内踏切は、20メートルぐらい坪尻駅側に移設されたそうです。 線路に降りる階段もその時廃止されたそうです。 20メートル移設ということですので、昭和60年設置の上屋があるあたりに、構内踏切があったようですね。

構内踏切からの駅舎側ホームです。 正面の線路は、上下線の本線で1線スルーになっており、行き違いや追い抜きがないときには、すべての列車がこの線を通過して行きます。 ちなみに2番線は下りの副本線で、下り列車が行き違いなどで停止する際に使用し、島式ホームの反対側の3番線は、上下副本線で上り列車でも下り列車でも、通過する列車を待避するときに使用されるそうです。
駅舎側のホームに上っていきます。

駅舎前の1番ホームです。
かつて改札口になっていたあたりから、駅舎内に入ります。 讃岐財田駅は、昭和60年(1985)年から無人駅になっています。 もともと、財田町の中心は瀬戸内海の海岸線を通る予讃線沿線の高瀬駅周辺でした。 中心地から遠く離れた南の端に設けられた駅であり、利用される方もさほど多くはなかったのではないでしょうか。
駅舎の中は右側に駅事務所があったところ、左側が待合室になっています。第一印象は、ずばり、「きれいな駅」。 文字通りちり一つない、もっといえば磨き込まれた雰囲気を感じる待合室でした。 駅舎からの出口の外側に「建物財産標」がありました。 「建物財産標 鉄 C停 本屋1号 T12年3月」と書かれていました。 大正12(1923)年は、讃岐財田駅の開業の年です。 開業当初からの駅舎のようです。

長いベンチの後ろの出窓には、花が飾ってありました。 地元の方のご尽力の賜物です。 気持ちよく過ごさせていただきました。 
 
ホーム側の壁面に合った時刻表です。 この駅に停車する列車は1日7往復ありますが、日中の運行は2往復半になっています。 私は12時18分着の列車で来ましたが、その前の列車は7時24分着。その次は14時41分着の列車までありません。 14時14分発の列車で琴平方面に帰るつもりでしたが、その前の列車は8時42分発の列車でした。その次の列車は17時17分になります。 訪ねて来るのも、この地に滞在するのも難しい状況になっています。

こちらは、ホームから見て右側の光景です。 窓口のカウンターとその先の掃除用具入れ、そして、平成24(2012)年の国土交通大臣からの表彰状が見えます。地元の「タブの木会」の皆様が駅の施設等の環境美化に努められたことに対する表彰状でした。  

駅舎の出入り口のドアから駅舎の外へ出ました。駅舎の前にゲートがつくられています。
駅前広場から見える駅舎です。 駅舎前にある大きなタブノキが、多い被さるように生えています。 タブノキの脇には小さな公園が整備されており、地元の和光中学校の「まちづくり推進隊」の方々がつくられた説明板がありました。

「駅舎建設にあたり、このタブノキは切り倒されることになった。 当時ここに祠があり、地元では『タブノキはご神木で霊が宿っており、タブノキを切るとたたりが起こる』と信じられていた。 鉄道建設のため、成り行きを見守っていた工事関係者に不慮の事故による負傷者が相次いだため、ご神木のタブノキは手をつけずに残されることになった」と、説明板には書かれていました。

タブノキの向かい側、駅舎に向かって左側に、黒部踏切の近くで本線から分離した側線の車止めがありました。 かつては、このあたりは貨物ホームだったのでしょうか。 左側には広い空き地があります。
駅前広場の右側にあった四国のみちの案内です。 讃岐財田駅は、讃岐山脈北麓の丘陵上にありますが、讃岐山脈を越えた徳島県側にある箸蔵寺(はしくらじ)へ向かう信仰の道、箸蔵道が描かれています。箸蔵寺は、金刀比羅宮の奥の院で、江戸時代から、金刀比羅宮に参拝した人たちは、その後、箸蔵寺へも足を延ばしたといわれています。 
 
案内板の近くにあった「四国のみち」の石碑です。 ここから讃岐財田駅への入口にある黒部踏切まで行ってみることにしました。

右側に讃岐財田駅の線路を見ながら10分ぐらいで、黒部踏切に着きました。 「黒部踏切 23K593M」と書かれています。土讃線の起点、多度津駅からの距離のようです。 その時、南風9号が通過して行きました。

黒部踏切から見た讃岐財田駅方面です。 1番線がまっすぐ駅舎前に向かっています。すぐ先で分岐した2番線は、その先の島式ホームの手前で3番線と分岐しています。

踏切の脇に立つ道標です。 土讃線の線路を黒部踏切で渡って進んで行く道が箸蔵道です。
信仰の道であった箸蔵道は、行程約11km。 道の途中には里程を示す道標が立ち、平成8年に改築された二軒茶屋などもあります。 信仰の道としてだけでなく、阿波と讃岐の交易の道としても重要な役割を果たしてきました。

土讃線の県境の駅であり、香川県最南端の駅である讃岐財田駅を訪ねてきました。
静かな山間の無人駅ですが、地元の人たちのお力で美しく保たれている、居心地のいい駅でした。