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JR牟岐(むぎ)線の中田(ちゅうでん)駅です。徳島県小松島(こまつしま)市にあり、かつて、この駅と小松島駅を結ぶ鉄道がありました。全長1.9km。国鉄の最短路線として知られていた小松島線でした。しかし、国鉄の分割民営化を前に「第一次特定地方交通線」に指定され、昭和60(1985)年に廃止されてしまいました。この日は、その小松島線の線路跡を終点の小松島駅跡に向かって歩きました。
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徳島駅から、JR阿南駅行きの牟岐線の普通列車(単行気動車の1007号車)に乗車して中田駅をめざしました。牟岐線は徳島駅から南下して、高知県境に近い海部(かいふ)駅とを結ぶ全長79.3kmの路線です。
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徳島駅から20分ぐらい(徳島駅から9.2km)で中田駅の1番ホームに着きました。地蔵橋駅から3.2km、次の南小松島駅まで1.7kmのところにありました。中田駅も小松島市内にありますが、南小松島駅周辺が小松島市の行政や経済の中心地になっています。
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中田駅は、島式、1面2線のホームになっていますが、昭和60(1985)年の小松島線の廃止までは、駅舎寄りにもう一つホームがあり2面3線のホームになっていました。JR四国には、いわゆる「1線スルー」になっている駅が多いのですが、この駅は1番ホームには阿南・海部駅方面の列車が発着し、2番ホームには徳島方面行きの列車が発着しています。写真はホームから見た徳島駅方面です。右側に側線が設けられていました。
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ホームから駅舎に向かいます、遮断機のついた構内踏切の先に駅舎がありました。小松島線は、小松島港と徳島市を結ぶために、阿波国共同汽船(あわのくにきょうどうきせん)によって、大正2(1913)年に敷設されました。開業時から国鉄が借り上げ、小松島軽便線として営業していましたが、大正6(1917)年に国有化されました。そして、大正11(1922)年の軽便鉄道法の廃止を機に、徳島駅・小松島駅間が小松島線となりました。
一方、牟岐線は、阿南鉄道によって、大正5(1916)年、この中田駅を起点にして開業されました。そして、昭和11(1936)年、阿南鉄道が国有化され牟岐線となり、昭和36(1961)年の小松島線と牟岐線の起点変更によって、中田駅が小松島線の起点となりました。こうして、小松島線は小松島駅までの1.9kmの最短路線となりました。
もとは徳島駅・小松島駅間11.1kmだった路線は、起点を変更されたことによって、路線の大部分を牟岐線にとられて最短路線になったわけで、小松島線の地元の人々からからみると、「最短路線にさせられた小松島線」ということになるのでしょうね。
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駅舎の左側にあった手作りの駅名標です。なぜか「みなみこまつしま」だけが二重に書かれています。中田駅は、大正5(1916)年、阿南鉄道(後の牟岐線)との接続駅として、阿波国共同汽船軽便線の地蔵橋駅・小松島駅間に開業しました。その後、昭和36(1961)年の起点変更により、国鉄小松島線の起点駅になったのです。
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構内踏切から見た阿南駅方面です。正面の線路が牟岐線の列車が到着した1番ホームです。最初に見た側線が左側から合流しています。これを見て、左から来た側線がかつての小松島線の線路だったと思ったのですが、駅舎内外の点検作業をされていたJR関係者の方にお聞きしたら、「小松島線は、今の1番ホームから出発していたよ」とのことでした。ちなみに、この方は「若い頃に6年間ほど小松島線の運転士をしていた」そうです。「この先に踏切が見えますよね。あの近くで牟岐線と分岐していました。」ともおっしゃっていました。この写真では見えにくいのですが、線路が合流した先に踏切が見えました。
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駅舎を出ました。目の前にあったのが、高層の集合住宅です。静かな住宅地といった雰囲気を感じました。駅舎の前を右折して牟岐線の線路に沿って歩きます。
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この駅からJRを利用しておられる方が置いている自転車の間を通って進みます。中田駅の1日平均乗車人員は466人(2014年)だそうです。利用者の多くが通学の高校生のようです。
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自転車の間を過ぎると、歩行者・自転車専用道路になっています。歩行者専用道路(左側)と自転車専用道路(右側)が、その間にある緑地帯で分離されていて安全に通行できる配慮がなされていました。
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歩行者・自転車専用道路には、清水が流れるせせらぎも整備されていました。途中にあった石碑には「中田駅新港線街路事業 竣工 平成6年」と刻まれていました。進行方向の右側には牟岐線の線路が見えます。
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小松島線と牟岐線の分岐点がこの付近にあったといわれた長手(ながて)踏切です。「9K398M」とありました。駅から約200mぐらい歩いたことになります。
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長手踏切から先は小松島線の線路跡を進むことになります。右側に整備されていた休憩のスペースです。東屋風の屋根の下に石のベンチが並んでます。
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休憩スペースから30mぐらい進んだ右側に、牟岐線の踏切がありました。中央の白い建物の手前です。「県前(あがたまえ)踏切 9K556M」。この間にあるお宅の人は、列車が通過する音を両側から聞いていたのでしょうね。
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その先にあった距離標です。「中田駅より400M」 「日峰通りより1000M」です。 昼過ぎの時間でしたが、買い物帰りの女性の方など行き交う人も結構おられました。目の前を歩いておられるのはウオーキングをされていた高齢者の方でした。
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新堀川にかかる瓠橋(ひさごばし)に来ました。瓠橋はかつては鉄橋があったところのようですが、完全に改造がなされていて、かつての面影はまったく残っていませんでした。鉄道跡地を訪ねるというよりは、ウオーキングをしているような気分になってきました。
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瓠橋から200mぐらいで県道120号徳島小松島線を渡ります。
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県道を渡ると歩行者・自転車専用道路が鮮やかになりました。左の赤い部分が歩行者専用道路、右側の緑の部分が自転車専用道路です。ここまで、塗装がかなり剥げていたのですが・・。 右前に、スーパーの「KyOEI(キョーエー)」が見えました。
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右前方に、徳島赤十字病院が見え始めました。左側にある千歳産業の白い工場と並んで歩くようになったところに、水飲場と休憩所、トイレが並んで設けられていました。
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千歳産業の並びにあった「徳島ロイヤル病院 ケアハウス ロイヤル ローズ ガーデン」の建物です。その前に残っていたのが中継信号機でした。小松島線で唯一現在まで残ってきた鉄道時代の遺産です。うっかり見過ごして通り過ぎてしまうような、周囲の風景に溶け込んでいる中継信号機でした。
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白色灯が水平に点灯していれば「停止」、斜めの点灯なら「注意」、垂直に点灯していたら「進行」を示す「白色3位式の信号機」でした。もちろん、使用されているわけではありませんが、きれいに塗装されていて、現役の信号機といってもいいぐらいでした。徳島赤十字病院の建物が少しずつ近づいてきました。
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県道33号小松島佐那河内線の交差点に着きました。交差点の手前に「中田駅より1200M」の標識が見えました。交差点の左方向には徳島ロイヤル病院、右側には徳島赤十字病院がありました。交差点の向かいには徳島赤十字病院の駐車場になっている広い敷地がありました。この右方向には「SL記念広場」と「たぬき広場」、そして国の合同庁舎(「小松島みなと合同庁舎」)の建物が並んでいました。この広い敷地が、小松島線の小松島駅があったところです。かつては、小松島客貨車区や徳島気動車区小松島支所などの国鉄の施設も置かれていました。現在、駅跡は小松島市が整備した「小松島ステーションパーク」になっています。駐車場の入口に機関車を模したオブジェがありました。中田駅で出会ったJRの関係者の方は、このオブジェの向こうに転車台があったといわれていました。
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こちらのオブジェは、この先にある「小松島みなと合同庁舎」の脇に置かれていたものですが、「SL記念広場」や「たぬき広場」を含む「小松島ステーションパーク」の説明板になっていました。駐車場前のオブジェは破損していましたが、もとはこのようなものだったのではないでしょうか。
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県道33号を渡ったところから振り返って撮影しました。歩いて来た小松島線の線路跡です。ここからは小松島駅跡を歩きます。
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徳島赤十字病院の駐車場を過ぎると、車輪の形をした車止めがありました。「SL記念広場」に入ります。このあたりは、小松島線の操車場があったところだったそうです。
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広場に静態保存されていたC12形蒸気機関車(SL)と50系客車です。ホームに横づけした形で展示されています。ただ、かつてのホームはこの向きではなく、これと直行する向きになっていたようです。C12形SLは、C11形SLを小型化したSLで、昭和7(1932)年から昭和22(1947)年までに製造された、洗練されたデザインで知られていたSLでした。「説明」によれば、このC12280号機は昭和11(1936)年に製造され、徳島駅から牟岐線を走っていたSLで、昭和48(1973)年に国鉄から譲り受けたといわれています。
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これは、50系客車、オハフ50272です。50系客車は、昭和53(1978)年のダイヤ改正でデビューした当時新形式のローカル列車用客車。乗降口が自動化したり、車両のデッキから入る引き戸を大型化したり、通勤・通学客の輸送の改善に対応した客車でした。小松島線で使われていた頃は赤い塗装になっていたそうです。
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SL記念広場の全景です。当時は操車場になっていたところだそうです。
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たぬき広場です。赤い提灯をもった世界最大のたぬきがつくられています。このたぬきはジブリアニメの「平成狸合戦ぽんぽん」のモデルになった金長たぬきです。たぬきのうしろに見えるのは、たぬき広場に隣接している小松島みなと合同庁舎の建物です。
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小松島みなと合同庁舎です。海上保安部、検疫所、入国管理局、税関など小松島港にかかわる政府機関が入居しています。かつての小松島駅の駅舎やホームは、この合同庁舎の建っている付近にあったといわれています。
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合同庁舎の先、道路を隔てた向かい側にあったミリカホール(小松島市保健センター)付近からその先の港側を撮影しました。この先、駅舎から行き止まりの線路が港に向かって延びていたそうです。
国鉄の最短路線として知られていた小松島線を、JR中田駅から小松島駅まで歩きました。
きれいに整備された線路跡は、市民の生活道やウオーキングロードとして今も使用されていましたが、かつての小松島線を思い出させるものは中継信号だけだったのが、少し残念でした。
次回は、小松島駅から分岐して小松島港に設置されていた小松島港仮乗降場を訪ねることにしています。