トシの旅

小さな旅で学んだことや感じたことを、
まとめるつもりで綴っています。

尼崎港線の跡地をたどる

2016年02月28日 | 日記
旧国鉄福知山線の支線として、現在のJR福知山線塚口駅から南に下り尼崎港駅を結んでいた、4.6kmの路線がありました。昭和59(1984)年に廃線となったいわゆる「尼崎港線」です。前回、阪神電鉄大物(だいもつ)駅を訪ねたとき、現在も残る「唯一の線路跡」を見て来ました。

これが、尼崎港線の線路跡です。阪神電鉄の高架の南にある尼崎車庫を過ぎたあたりに残っていました。尼崎港線に関する情報は、たまたま国道2号線の兵庫三菱自動車尼崎支店の向かいの道で出会った高齢の男性からいただきました。

国道2号線の南側から見た兵庫三菱自動車販売尼崎営業所の建物です。この右側にある関西保育福祉専門学校の建物との間を尼崎港線が走っていたそうです。ここから南に歩いて、「唯一の線路跡」をめざしたのです。

線路跡の空き地にあった「大物くずれ」の碑です。ここまで歩いてきた時、突然道路から自動車のクラクションの音が聞こえました。見ると、先程線路跡を教えてくださった男性でした。運転席から「大丈夫か? この道を進んで国道43号の下の日本通運の事務所が尼崎港駅の事務所や!」と声がかかりました。ありがたいことでした。嬉しくなって、次回は、尼崎港線の全線を歩いてみようと思ったのでした。

そして、今回は、尼崎港線の全線をたどるため、JR福知山線の塚口駅(尼崎市塚口東町)に向かいました。旧国鉄尼崎港線は、明治24(1891)年川辺馬車鉄道が塚口駅と尼崎港駅間で開業させました。しかし、7年後の明治31(1898)年、阪鶴鉄道(川辺馬車鉄道から運用を引き継いだ)が塚口駅から尼崎駅(当時は東海道線神崎駅)へ乗り入れを開始したため、尼崎港線は支線のような存在になりました。そして、明治40(1907)年には阪鶴鉄道が国有化されて、国鉄の路線になりました。途中駅には「尼崎駅」と「金楽寺駅」がありました。

今回は、塚口駅東口からスタートしました。線路跡を歩くといっても、手がかりがありません。ネットにあった多くの方の報告をもとに、手がかりを捜して歩くことにして、とりあえずは、線路に沿って南に向かうことにしました。しかし、すぐに住宅等で、線路に沿って歩くことができなくなり、尼崎東警察署上坂部交番の脇を右折して南に向かいました。

すぐ、道路の左側に、道標を見つけました。二つの道の案内が並んで彫り込んであり、右側に「すぐ あまか崎」と書かれています。古くからある街道のようです。これなら、まっすぐ進むと尼崎港駅に行けるはずだと思いました。

やがて、前方に国道338号(山幹通り)の福知山線の跨線橋が見えました。右折して跨線橋に上がりました。

跨線橋から見たJR塚口駅方面です。この一番右の線路がかつての尼崎港線の跡のようです。

跨線橋の下にあった車止めです。ここで線路跡は途切れていました。

その先の光景です。尼崎港線の線路は砂利に覆われています。JR福知山線はこの先で右カーブをしてJR尼崎駅に向かって行きます。右カーブで、思わず思い出したのが、あのJR福知山線の事故のことでした。

街道に戻って、右側の神崎変電所に沿って進みます。次のブロックで右に折れて、福知山線の踏切に向かって進みます。

踏切の手前にあったマンションです。福知山線で電車がぶつかったマンション。今は無人になっていました。

マンションの向かいにあった日本スピンドル工業です。マンションの手前に事故の犠牲者への献花台につながる通路があります。このあたりが、尼崎港線の線路の延長線上にあたります。写真の左側から右側の日本スピンドル工業の社屋に向かって走っていたようです。

街道に戻って進みます。道路がかなり広くなりました。交差点の先にファミリーマート(右)と関西国際大学(左)が見えました。この交差点を右に曲がって進みます。

右折して進むと前方の右側に見えてきた白い建物。このあたりを右側から左側に向かって、尼崎港線は走っていたようです。白い建物には「大阪鉛錫精錬所」と書かれていました。精錬工場でした。

ファミリーマートに戻り、さらに南に向かいます。尼崎港線は、大阪鉛錫精錬所から、このあたりで広い通りに合流していたようです。廃線跡の道路は、関西国際大学の先にある「JR尼崎駅西」の交差点(信号)で行き止まりになりました。現在は工事中で、JR神戸(東海道)線を立体交差で越えるための工事が進んでいました。ここから迂回して、JR尼崎駅に向かい、その後、JR尼崎駅の南側に渡り、交差点の南側に出ることにしました。

JR尼崎駅の南側を駅に沿って歩き、線路の南側の工事現場をめざしました。途中に色彩豊かなお店が並んでいるところがありました。

お店の前に、50円の自動販売機がありました。「テレビでおなじみ おいでや自販機 50円 仰天価格で登場」と書かれていて、猫の写真も貼ってあります。50円で販売しても利益が出るのですね。

「JR尼崎西」交差点の南側付近に来ました。「JR東海道本線 池田街道踏切は立体交差の工事のため閉鎖しています」という案内看板がありました。さて、尼崎港線の「神崎駅」は、東海道線を越えたところにあったといわれていますが、このあたりなのでしょうか? ホームは1面1線。昭和24(1949)年に「尼崎駅」に改称されたそうです。それに伴い、終着駅の尼崎港駅は、当初は「尼崎駅」でしたが、このとき、「尼崎港駅」に改称されたそうです。

線路に沿って、もう少し進みます。マックスバリューのお隣のお宅付近が線路跡だそうです。尼崎港線は、ここから南に進んでいました。

先ほどのお宅の南側の光景です。井伊金属工業の建物がある敷地付近が線路跡のようです。

次のブロックです。道路は行き止まりになり、カギ型に曲がっています。マックスバリューの看板に沿って進みます。

線路跡をもう少し南に進むと、天神橋緑地に入ります。線路跡にあったモニュメントです。「天神橋緑地」の裏側は・・・。

車止めになっていました。線路跡のように、レンガの色を変えてつくられていました。

車止めの南側の光景です。こういうモニュメントがあると、線路跡をたどる意欲が高まります。

天神橋緑地の次のブロックです。このあたりに「金楽寺駅」がありました。1面1線のホームでした。道は住宅で行き止まりになりましたが、この正面のお宅の前に尼崎港線の名残を見つけました。

正面のお宅の前にあった旧国鉄の「境界標」です。おなじみの「エ」のマークがありました。ここより向こう側に線路があったのでしょう。向かいの長洲本通りの向こう側に見えるのは長洲天満宮です。

長洲天満宮の社殿です。

長洲本通りから見た南側の光景です。三角形のお宅の右側に線路は続いていたのでしょう。

この先は線路跡の右側を進む道を歩きました。すぐ右側にあった兵庫県立尼崎高校です。

県立尼崎高校の先にあった空き地です。自転車の置かれた空き地を尼崎港線が走っていました。左の建物は関西保育福祉専門学校です。気がつくともうその先は国道2号線。右の建物は兵庫三菱自動車販売尼崎営業所です。その間が、前回、高齢の男性から教えていただいた線路跡です。

国道2号線を渡ってから振り返って2号線の北側を撮影しました。線路跡の光景です。

これは、2号線北側の線路跡から撮影した南側の光景です。正面の建物(ホルモン焼き鉄板 お好み焼き じゅん)のある敷地付近が線路跡になります。

南に進みます。大物町一丁目。来た道を振り返って撮影しました。中央が線路跡です。

この先に、冒頭に掲げた「大物くずれ」の碑がありました。写真は南側に向かって撮影したものです。阪神電鉄本線の高架です。

さらに進みます。平成28(2016)年1月19日に開所したばかりの真新しい大物交番の脇を抜けて、阪神電鉄本線の高架をくぐります。

高架をくぐった南側です。阪神電鉄尼崎車庫を右手に見ながら進みます。

その先が、尼崎線で「尼崎港線の唯一の線路跡」です。通りの先に、神戸高速3号神戸線、国道43号の高架が見えました。

レール材の杭で線路跡は大事に区切られていました。

阪神高速の高架の手前です。道路の左側の写真です。

道路の右側の写真。尼崎崎市立明城小学校です。江戸時代、この地を治めた尼崎藩の居城、尼崎城の本丸跡につくられています。

高架の下に入りました。尼崎港駅の跡地です。多くの側線があったそうです。高速道路に平行して建っているのが尼崎港駅の事務所跡でした。現在は「日本通運(株)尼崎営業」という看板が架かっていました。尼崎港線が運行されていた頃には、貨物の取扱いが主な仕事であり、専用線で運ぶ貨物や専用線で運ばれてきた貨物の取扱いを行っていたところです。

尼崎港駅の近くに置いてあった枕木です。これも、大切な尼崎港線の名残です。

旧尼崎港駅の南側には、周辺の工場への3つの専用線が走っていたそうです。この先にある旭硝子関西工場と住友金属工業特殊管事業所、日本硝子尼崎工場へ行く専用線でした。

ここからは、その専用線の跡をたどります。阪神高速3号神戸線の高架に沿って西に向かいます。テニスコートになっている所を抜けると庄下川(しょうげがわ)の岸に出ます。

庄下川の対岸です。中央に橋台の跡が残っています。

こちらは手前側です。少し加工されていますが、ここに橋台があったようです。近くに橋がないので、向こう側に行くには迂回するしかありません。

庄下川にかかる金城橋(きんじょうばし)を渡り、次に、江戸時代から架けられていた戎橋(えびすばし)を渡って対岸に向かいました。対岸の橋台の上にあったレールの跡です。これも立派な線路跡の名残です。

対岸のレール跡の先をたどり、旭硝子の関西工場に向かって歩きます。中在家中継ポンプ場の脇を通って進みます。

その先にあった中在家緑地です。住友金属特殊管事業所に向かう専用線はここで分岐して、左に進んで行ったそうです。旭硝子関西工場への専用線はさらにまっすぐ延びていました。

旭硝子関西工場に向かう専用線の線路跡は、現在は、倉庫や駐車場に替わっていました。日本硝子への専用線は旭硝子への専用線から分岐していたといわれていますが、分岐点はどこなのかよくわかりませんでした。土曜日の午後でしたが、お尋ねしようにも、すれ違う人は一人もいらっしゃいませんでした。

旭硝子の工場の敷地に入りました。終点はどこだったのでしょうか? わからないまま、引き返すことにしました。

旧国鉄尼崎港線は、昭和56(1981)年に旅客営業が廃止され、昭和59(1984)年2月1日貨物営業も廃止されました。すでに、1970年代になってからは、貨物列車の運行は1日数往復、旅客列車も1日2往復程度になっていました。廃止もやむを得ない状況で、自然な流れで廃線に舵を切って行ったのでしょう。現在、路線跡はまったく様変わりしてしまっていて、たどるだけでもなかなか大変なことでした。親切な男性と出会うことができた故に始まった廃線跡めぐりでしたが、きちんと廃線跡を歩けたのかどうか、まったく自信がありません。でも、すごく楽しい旅ができました。あのおじさんはどうしているかなあと、丁寧に教えていただいた高齢者の男性とのやりとりを思い出しながら歩いた旅でした。

芦屋川の上にある駅、阪神電鉄芦屋駅

2016年02月19日 | 日記
このところ、阪神電鉄本線の鉄橋上の駅を訪ねています。この日は、芦屋川にかかる鉄橋上の駅、阪神芦屋駅(以下「芦屋駅」)を訪ねました。

芦屋駅は芦屋市公光町(きんみつちょう)にある高架駅です。そこに、相対式2面2線のホームがありました。ホームの長さは130m、広々としたホームです。写真は、神戸三宮方面行きの普通列車の”青胴車”です。梅田方面行きのホームから撮影しました。

芦屋駅は、香櫨園駅から2.4km、神戸三宮行きの普通列車で、打出(うちで)駅を経由して、3分ほどで着きました。

神戸三宮方面へのホームから見た芦屋川です。芦屋市のほぼ中央を南北に流れています。六甲山系のごろごろ岳を源流とする、全長8キロメートルの川、かなりの急流で、大阪湾に注いでいます。芦屋駅の南側の下流部分の光景です。この季節、水はまったくありませんでした。

ホームから地上面にある出口に向かいます。土曜日の昼下がり、下車した方はほとんどおられませんでした。

階段で地上面に下りました。芦屋駅は、明治38(1905)年4月12日、阪神電鉄本線の開業と同時に開業しました。もうすぐ、111歳になるはずです。

梅田駅方面の改札口から出ました。改札口は2ヶ所設置されています。芦屋駅の1日の平均乗降人員は27,292人(2012年)だそうです。

芦屋駅の駅舎です。芦屋川の左岸にある道路に向かって出口がつくられています。2階はホームになっています。

芦屋川の橋上のホームです。南側に、芦屋川に架かる平田橋がありました。ホームと平行して架けられています。

芦屋川から見た芦屋駅と平田橋。この日は水が見えませんでしたが、芦屋川は、六甲山麓から一気に下る急流のため、清流が流れているそうです。しかし、平成7(1995)年に起きたあの阪神淡路大震災に並ぶ大災害をおこしたことが、かつてあったそうです。昭和13(1938)年7月に六甲山に616ミリの豪雨が降り、芦屋川だけでなく、同じ六甲山を源流とする住吉川、石屋川も氾濫し、阪神地区に大きな災害をもたらしたことがあったそうです。

平田橋から見たホームの基礎部分。近くで見ると、どっしりとした印象を受けます。

駅の南側にあった芦屋市役所。芦屋市精道(せいどう)町にあります。花壇を見下ろす白亜の殿堂。高級住宅地で知られる芦屋にふさわしい雰囲気です。

市役所の南を東西に走る阪神高速神戸線。国道43号と併走しています。

市役所対岸にあった住宅地です。広い敷地の邸宅が並んでいます。芦屋市は”高級住宅地”として知られています。しかし、「その中心は山手側の阪急電鉄芦屋駅周辺であり、阪神芦屋駅付近には下町の風情が漂う」ともいわれていますが、市役所の対岸の住宅地はなかなか素敵な雰囲気でした。

芦屋駅舎の前の道路をくぐって、阪神本線の北側に向かいます。市役所の北側にあった芦屋警察署とその北側のカトリック芦屋教会の建物です。芦屋市の行政の中心地になっています。

芦屋警察署の前からみた芦屋川の光景です。遠くに六甲山系の山々が見えます。わずかに、溜まっていた水はきれいに澄んでいました。

北側から見た芦屋駅のホームです。こうして見ると、駅のホームの中心部分の一部に芦屋川が流れているという印象です。石屋川駅(2016年1月30日の日記)や香櫨園駅(2016年2月5日の日記)と同じような駅でした

阪神電鉄にある鉄橋上の駅を訪ねる旅も、石屋川駅、香櫨園駅に続いて、3回目になりました。阪神電鉄芦屋駅はホームで電車を待っておられた人以外に、出会う人がほとんどおられませんでした。土曜日の昼下がり、訪ねる時間がよくなかったのだと思います。

夙川の上に「お立ち台」がある駅、阪神電鉄香櫨園駅

2016年02月05日 | 日記
このところ、阪神電鉄の鉄橋上にある駅を訪ねています。武庫川の鉄橋上にある武庫川駅(「鉄橋上の駅、阪神電鉄武庫川駅」2015年12月28日の日記)と、石屋川が下に流れる石屋川駅(「石屋川の上にある駅」2016年1月30日の日記)は、すでに訪ねました。

この日は、石屋川駅と同じように、夙川(しゅくがわ)が駅の下を流れる阪神電鉄香櫨園(こうろえん)駅を訪ねました。香櫨園駅は、大阪商人だった香野蔵治氏と櫨山慶次郎氏の二人が、明治40(1907)年に開園させた「香櫨園遊園地」の最寄り駅だったことから名づけられたそうです。また、香櫨園遊園地は二人の名前を1文字ずつ取って名づけられたそうです。

高架上を走る梅田行きの普通列車で、打出駅から1分ぐらいで到着しました。打出駅から1.2km、西宮市松下町に香櫨園駅はありました。下車するとすぐに電車は、次の西宮駅に向かって出発して行きました。さて、香櫨園駅は、明治40(1907)年に打出駅と西宮駅の間に「香枦園(こうろえん)」として新設され開業しました。打出駅から1.2km、西宮駅から1.1km。二つの駅のほぼ中央部に設置されています。

電車が出発した後の香櫨園駅です。2面2線の相対式ホームがあります。ホームの長さは120mあるそうです。広々とした印象の高架駅でした。

梅田方面行きの電車が出て行ったホームの待合室の手前から出た方がおられました。でも、降り口ではなさそうです。覗いてみることにしました。

有名ブランドを連想させる千鳥格子の床です。ドアから外へ出ました。ベランダになっていました。

ベランダから見た香櫨園駅の北側の風景です。護岸の整備も完了している、夙川の両岸には桜並木が続いています。ベランダから眺めるのにふさわしい美しい景色です。このベランダは、「お立ち台」と呼ばれているようです。

高架から地上面に降りました。振り返って階段とエスカレーターを撮影しました。階段からも広々とした印象を受けます。

土曜日の昼過ぎで乗降客の姿はほとんどありませんでした。改札口の脇の事務室に駅員さんがいらっしゃいました。改札口から出ました。

高架下から南側に出ます。途中の売店から振り返った改札口付近です。

香櫨園駅の南側からの入口です。どっしりとした重厚な感じがします。

南側から見た駅のホームです。こちら側にも「お立ち台」が設置されていました。

夙川の南側の風景です。阪神高速神戸線の高架が見えました。駅付近には静かな住宅地が広がっていますが、1990年以降はマンションが増えていったといわれています。

駅の北側に出るため駅舎に戻りました。今度は駅の北側に向かいます。北出口付近にあった「香櫨園」。地上駅時代の駅舎の駅標だそうです。

駅標の下に掲示されていた写真です。北側から見た地上駅時代の香櫨園(地上駅時代は香枦園)駅の写真です。「お立ち台」が見えています。

これは、北側からみた現在の香櫨園駅の写真です。ベランダ部分が夙川の上に乗っかっているような感じです。現在の高架駅になったのは、平成13(2001)年のことでした。そして、この年、現在の「香櫨園」駅に改称されました。

夙川の両岸は桜並木になっています。夙川オアシスロードといわれています。香櫨園駅から北に向かって歩きます。

夙川オアシスロードにあった道標です。「阪神香櫨園駅 170m」「阪急夙川駅 680m」と書かれていました。その先で国道2号線を渡ることになります。

国道2号線の交差点にあった「夙川公園」の案内です。ここからは「夙川さくら道」に入ります。桜の名所としてよく知られているところです。阪神電鉄香櫨園駅の乗降客は、平成22(2010)年頃から10,000人を割っているそうです。「JRのさくら夙川駅が開業したことによる影響が大きい」とのこと。このまま、北に向かいJRさくら夙川駅まで行ってみることにしました。

すぐ先で右側に下って進むと、JR神戸(東海道)線さくら夙川駅が見えて来ました。平成19(2007)年に、西宮市神楽町に新設開業した新しい駅で、阪神電鉄と同じ高架駅になっています。波打った屋根ををもつ近代的な駅舎です。駅スタッフは全員女性だそうです。

県道28(大沢・西宮)号線を跨いでいます。駅名は桜の名所である夙川にちなむ駅です。西側のJR芦屋駅へ2.3km、東側のJR西宮駅へ1.5kmのところにあります。

JRさくら夙川駅の1日平均の乗車人数は7,783人(2012年)だそうです。阪神電鉄はかなりの影響を受けているようですね。

阪神電鉄で3つめの川の上にある駅、香櫨園駅を訪ねました。土曜日の昼下がりということもあり、乗降される方が多くなかったのが残念でした。兵庫県有数の住宅地に位置し、ホームの設置された「お立ち台」といわれるベランダから夙川の桜が見られる駅でした。川の上に設置された駅という理由で訪ねた駅でしたが、それ以上に、品格を感じる駅でした。