緑濃き山あいにあるJR辺川(へがわ)駅です。JR徳島駅から徳島県の海岸沿いを南に向かうJR牟岐線の沿線にあります。辺川駅は、牟岐線の沿線では、牛山隆信氏が主宰されている「秘境駅ランキング」に、海水浴場が開かれている期間だけ停車する臨時駅の由比ヶ浜駅(ランキング125位)とともにランクインしており、183位に位置づけられています。1日分残っていた”青春18きっぷ”を使うためもあって、使用期限の最終日の9月10日、辺川駅をめざして岡山県のJR児島駅を出発しました。
南国ムード漂うJR徳島駅です。JR高松駅から、牟岐線の始発駅である徳島駅まで行くJR高徳線の普通列車は、早朝の6時38分発の次は10時02分発までありません。「時間を有効に使えたらなあ、辺川駅での滞在時間が短くなるなあ」と思いつつ、9時09分にJR児島駅を出発した瀬戸大橋線の”マリンライナー”で高松駅に向かいました。そして、10時02分発の徳島行きの普通列車に乗り継いでまず、徳島駅をめざしました。
徳島駅前通りです。明るい日差しが降り注ぐまさに南国の街です。徳島駅には11時55分に着きました。次の辺川駅に行く牟岐線の列車は12時43分発です。
いいお天気だったので、駅前をぶらついて、人形が迎えてくれた、駅前の商店街の食堂で徳島ラーメンを食べました。出発準備完了です。
徳島駅ホームに入線していた牟岐行きの列車です。JR四国の1563号車(1500形)です。ワンマン運転のディーゼルカー(DC)です。
車体の側面に描かれていた「エコトレイン」のマークです。JR四国の1500形車両は、排ガス中のチッ素化合物を従来より60%程度削減したエコ車両として知られています。平成18(2006)年からJRの高徳線、徳島線、牟岐線で運用されています。
14時34分、JR辺川駅に着きました。途中の日和佐駅と阿南駅での8分程度の停車もあって、徳島駅から2時間弱かかりました。辺川駅はこの列車の終点の一つ手前にある駅です。下車したのは、もちろん私一人でした。
下車してすぐ降り口のある前方から写真を撮影していたら、すぐに列車は終点めざして出発して行きました。辺川駅での滞在時間はちょうど30分。帰宅時間を考えると、乗車してきた1563号車が折り返して帰ってくる15時04分までの時間しかありませんでした。
ホームから徳島駅方面を撮影しました。ホームにあった待合室と周囲に点在する民家と稲穂の実った田んぼが見えます。
「秘境駅ランキング」では、「秘境度1ポイント(P)、雰囲気2P、列車到達難易度4P、外部到達難易度2P、鉄道遺産指数1P」の10Pと牛山氏は評価されています。JR土讃線の秘境駅だったランキング156位のJR阿波大宮駅(2014年8月27日の日記)と似た雰囲気を感じる駅でした。待合室にあった時刻表を見ると、下りの牟岐駅行きは1日12本、上り徳島駅行きの列車は1日13本あります。4Pと他の項目に比べ高く評価された「列車到達難易度」には、少し違和感がありました。
駅のホームです。待合室と駅標です。JR牟岐線は大正2(1913)年徳島・小松島間が開通しました。牟岐駅まで延伸したのは、昭和17(1942)年のことでした。ちなみに、牟岐駅の南の海部駅まで延伸したのは、昭和48(1973)年。さらに、平成4(1992)年には阿佐海岸鉄道阿佐東線(海部駅・甲浦駅間)への直通運転も始まりました。
辺川駅は、徳島県海部郡牟岐町橘にあります。JR四国は駅の所在地が駅標に書かれているので、地理がよくわかります。さて、JR辺川駅は、地元の橘地区の人々の強い要望によって、昭和17(1942)年、牟岐線が牟岐駅まで延長したときに開業しました。しかし、すでに「阿波橘」が沿線に設置されていて、「橘」の字を使うことができませんでした。そのため、隣の集落である「辺川」をとって名づけられたということです。
ホームから降ります。降り口は二つありました。一つは写真の左側にある手すりのついた階段。そして、もう一つはその右側にあったバリアフリーの通路です。びっくりしました! ”秘境駅”というと「忘れ去られた駅」みたいな印象を受けてしまいますが、ここは決して「忘れ去られている駅」ではありませんでした。秘境駅とバリアフリーの組み合わせが実に新鮮でした。思わず、秘境駅ランキングの200位のJR武田尾駅(2014年4月30日の日記)を思い出しました。バリアフリーの通路があったかなあ? すぐには思い出せませんでした。「バリアフリーの秘境駅」というコピーが浮かんで来ました。
高齢者らしく、バリアフリー通路から降りることにしました。高齢者にはありがたい設備です。
駅前広場です。意外に広いなと感じました。駅前にあった自動販売機です。
駅前広場から見たホームです。待合室の壁に駅標。その手前に電話ボックス。左にトイレが設置されていました。辺川駅の始発列車は下りが7時45分、上りが5時58分。1日の最後の列車は、下りが23時13分、上りは20時55分です。早朝から深夜まで運行されています。
自転車置き場も設置されていました。牟岐中学校のシールが貼ってある新しい自転車が1台置いてありました。
駅広場の左側にあった工場跡。牛山氏のレポートには「コンクリート建材工場」と書かれていましたが、廃業されたのでしょう。
駅前広場から右方向へ向かって、牟岐駅に向かう線路に沿って歩きます。線路を跨ぐ町道が見えました。人の姿はまったく見えません。静まりかえっているという感じでした。
町道に上りました。辺川駅方面を撮影しました。辺川駅が大きくカーブして設置されている駅だということがよくわかります。
町道を歩きます。行き交う車はほとんどありません。初めて出会った軽四が急停車しました。振り向くと、後ろから来たワンボックスカーが並んで若いお母さん風の女性がおしゃべりを始めました。でも、車の通行の支障になっているわけでもない、ほんとにのどかな風景です。前方に民家が見えました。
町道から見えた辺川駅の全景です。山並みを背景にして、緑一色の中にある白い待合室が輝いて見えました。
町道の前方の民家に入る分かれ道にあった祠です。人々の生活が確かに存在しているという証です。回りは草がきれいに刈られていました。
早稲の刈り取りが終わった後でしょうか?畦の草を刈っておられる人の姿が見えました。あっという間に、駅に戻らなければならない時間になりました。30分の滞在時間は、ほんとに短いですね。駅に引き返します。
駅前の広場の一角にあった石製のテーブルと椅子。工場の従業員の方々が憩う場だったのでしょうか? 辺川駅に帰ってきました。
急いでホームに上がりました。ホームに書かれたワンマン運転の列車の乗り口で待ちます。この日は、岡山県児島駅を9時09分に出発しました。そして、辺川駅に到着したのが14時34分。待ち時間も含めて片道で約5時間半かけて、ここまでやってきました。
牟岐駅方面です。やがて、徳島駅行きの列車がやってくるはずです。15時04分に出発するこの列車に乗って、徳島駅には17時01分着。次の高松駅方面行きは18時35分発の引田(ひけた)行きで、引田駅着が19時27分。引田駅で5分後に出る高松駅行きの列車に乗り継いで、高松駅着20時57分。そして岡山駅行きのマリンライナーで児島駅に着くのは21時42分ということになります。
お帰りなさい! 乗車してきた1563号車が帰って来ました。途中の乗り継ぎ時間を含めて6時間40分弱の長い鉄道の旅が、また始まります。
JR辺川駅は、秘境駅ランキングの183位にランクインしている秘境駅です。バリアフリーの通路が整備されていたり、早朝から深夜までかなりの本数の列車が運行されていたり、JR四国の手厚い配慮を感じる駅でもありました。周囲を山に囲まれ緑の田園が広がる辺川駅周辺は、やはり秘境駅らしい雰囲気があります。滞在していた30分間で見かけた人は、草を刈っておられた方と、車を止めて町道で話しをしておられた若いお母さん風のお二人、町道ですれ違った軽四トラックを運転されていた方の4人だけでした。牛山氏が「秘境度1P、雰囲気2P」と評価されたのも納得できました。それ以上に、農村で育った私には、ふるさとを思い出させてくれる懐かしさあふれる駅でした。