トシの旅

小さな旅で学んだことや感じたことを、
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登録有形文化財の駅、JR西岩国駅

2018年02月24日 | 日記

JR岩徳線の西岩国駅の駅舎です。JR山陽本線の岩国駅から1駅、岩国トンネルを抜けて、5分ほどで着きます。大正末期から昭和初期にかけて流行したモダンな洋風建築の洋式を伝える名駅舎で、平成18(2006)年に、国の登録有形文化財に登録されています。

駅舎の入口に掲げられていた「登録有形文化財」の登録証です。JR西岩国駅は、昭和4(1929)年、岩徳線の岩国駅として、麻里布(まりふ)駅(現在の岩国駅)・岩国駅(現在の西岩国)間が開業した時に開業しました。その時の駅舎が、90年近くを経た今も現役駅舎として使用されています。なお、現在の岩国駅から柳井駅を経由して徳山駅に向かう山陽本線の海側の路線は、明治30(1897)年に、柳井線として開業しています。

西岩国駅舎は、木造平屋建て、寄棟造、桟瓦葺きで、玄関の上部に左右対称の切妻壁を飾っていいます。外壁はモルタル塗り、半円アーチの上下窓を設けています。特に、玄関ポーチにある、錦帯橋をモチーフにしたデザインの3連アーチに特色があります。3連アーチ部分の白い色は、白ヘビを表現しているそうです。

これは、駅舎前の記念植樹の脇にあった石碑です。「西岩国駅五十周年記念 駅舎永久保存記念植樹 昭和五十四年四月五日 寄贈 岩国ライオンズクラブ」と刻まれています。駅舎は、昭和54(1979)年に永久保存されることが決定され、木製改札口と駅舎の照明の復元工事も行われました。

駅舎は、平成12(2000)年にJR西日本から岩国市に譲渡され、「ふれあい交流会館 西岩国」としても使われています。「NPO法人の西岩国・駅と広域まちづくりの会」が駅舎の管理を行っています。

駅舎への入口から駅舎内に入ると、正面に木製の改札口がありました。永久保存が決まった昭和54(1979)年、開業当時の姿に復元されたものです。

待合室の天井のシャンデリア。これも、開業当時の姿に復元されたものです。

待合室にあった頑丈そうな木製のベンチです。背もたれに架かっていた「説明」には、平成13(2001)年に行われた「平成の架け替え」のときに解体された錦帯橋の木材を使用してつくられたものと書かれていました。錦帯橋は、昭和25(1950)年に、岩国市を襲ったキジア台風によって、濁流で流出しました。その後の3年間にわたる再建工事を行ったときに使用された木材でした。ちなみに、錦帯橋では、このとき初めて、木材に防腐剤が使用されたといわれています。

駅舎内にあった自動券売機。西岩国駅は、平成16(2004)年にふれあい交流館になったとき、窓口業務だけを委託する簡易委託駅になっています。

入口から左側のスペースは駅の事務室になっていたところです。現在は、ふれあい交流館の展示室と「西岩国・駅と広域まちづくりの会」の事務局になっています。この日も、スタッフの方が事務所に詰めておられました。

駅舎の入口付近のようすです。錦帯橋の木材でつくられたベンチの向こうに、半円アーチの上下窓が見えます。外からの光が跳び込んで来ており、木製の窓枠も鮮やかです。

改札口からホームに出ます。改札口の上にあった列車の案内板です。西岩国駅はJR岩徳線の駅ですが、岩徳線以外に第3セクター鉄道の錦川鉄道錦川清流線の列車も停車します。いずれも、JR岩国駅からの運用になっています。どちらの列車も、岩国行きが手前のホーム、岩徳線の徳山方面行きと錦川清流線の錦町(にしきちょう)方面行きの列車は右に進み跨線橋を渡り、向かいのホームから出発することになっています。

これは、西岩国駅滞在中に到着した錦川清流線の列車です。錦川鉄道NT3003号車、みどりの塗装の”こもれび”です。「2008年トランシス」と車内のプレートには書かれていました。錦川鉄道は、西岩国駅の隣の駅である川西駅と、錦町駅を結んでいた国鉄時代の路線を引き継いだ第3セクターが運行しています。もともとは、現在の岩国駅(山陽本線)から山口線日原(にちはら)駅(島根県)を結ぶ陰陽連絡鉄道の岩日線で、昭和38(1963)年には、岩国駅から錦町駅までの区間が開通していました。しかし、国鉄再建法の施行により、特定地方交通線の「第二次廃止対象線」に指定され、それ以降の建設工事が凍結されてしまいました。すでに完成していた川西駅・錦川間を、第3セクターが引き継ぐ形で、昭和62(1987)年に開業した鉄道です。

”こもれび”が、終点の岩国駅に向けて出発していきました。列車は長く続くホームを抜けて進んで行きます。

改札口からホームに出ました。ホームから見た駅舎内です。目の前に、復元された木製の改札口。その先にある、駅舎出入口の上にある半円アーチの整然とした美しさが印象的です。岩国駅行きの列車は、岩徳線が1日13本、もう一つの錦川清流線が10本運行されています。

ホームから見た岩国駅側のようすです。上屋の木組みの美しさが目を引きます。その先には長いホームが続いています。岩国駅までは3.7kmあります。

徳山駅方面のようすです。この先には、島式ホームに向かう跨線橋があります。

跨線橋の手前に残っていた木製の団体改札口です。もちろん、現在は使用されていません。

これは、西岩国駅の北西の横山にある岩国城です。西岩国駅は、錦川に架かる錦帯橋と岩国城の最寄駅です。この駅から多くの人々が錦帯橋をめざしていたのでしょう。現在の西岩国駅の乗車人員は1日当たり363人になっています。 錦帯橋まで、徒歩で20分ぐらいかかります。

跨線橋を渡ります。さて、昭和4(1929)年に岩国(現在の西岩国)駅まで開業した岩徳線は、昭和9(1934)年、最後まで残っていた岩国(現西岩国)駅・高水駅間が開業し、山陽本線として開業しました。当時は、蒸気機関車(SL)が牽引する列車でしたので、幹線であった山陽本線の複線化にあたって、勾配やカーブ、全長3,149mの欽明路トンネルなどの存在が運行上の問題となりました。

跨線橋を渡った先の島式ホームから見えた岩国駅方面です。西岩国駅は、2面2線のホームになっています。島式ホームの左側の線路は撤去されていました。昭和17(1942)年、麻里布駅が再度岩国駅に改称され、岩国駅であったこの駅は、再度西岩国駅に改称されています。
山陽本線の複線化は、昭和19(1944)年に神戸駅・下関駅間で完成しました。その時、山陽本線に編入されたのは海側の柳井線でした。そして、西岩国駅を通るこの路線は、再度岩徳線と改称されました。

島式ホームから見た西岩国駅舎です。赤色の屋根に突き出した三角形のデザインが美しい建物です。

島式ホームから見た徳山方面のようすです。どっしりとした跨線橋が見えます。次の川西駅まで1.9km。錦川清流線は川西駅の先で、岩徳線から分岐し錦町(にしきちょう)駅に向かいます。現在の岩徳線と錦川清流線は、通常1両か2両での運行になっています。それからすると異常に長いホームになっています。これは、かつて山陽本線の駅であった頃の名残です。

駅舎の外へ出ました。駅舎の左側に自動車が展示されていました。西岩国駅の開業当時の木炭車です。市民の方が、昭和初期に使用されていた木炭ガスの発生装置を再現して岩国市へ寄贈されたものだそうです。

駅舎に隣接した平屋の建物は、地元の野菜などが展示販売されている”旬彩館”になっていました。

開業から90年近くが経過した「登録有形文化財」に登録されている西岩国駅は、開業当時の雰囲気を残しながら、市民の交流の場として、新しい発展を続けています。