伊賀市の上野城を訪ねた日は暑さの厳しい日でした
上野城を見学した後、私は、次のターゲット、伊賀流忍者屋敷や伊賀流忍者博物館など
伊賀流忍者に会いに行きました
一緒に行った家人は、同じ伊賀流でも、伊賀流うどん・そば店に入っていきました
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5f/b7/dbbeee19fd40790a89819405c2bb5aa2.jpg)
家人は、平素、チャリンコ便で働いており、元気いっぱいなのですが、
歩くのはにがてで、早々にクーラーの効いたところに避難したのでしょう![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/hiyo_do.gif)
おかげで、私は自由の身、ゆっくり忍者について学ぶことにしました
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/66/49/ebcf2bb5c282e96f337165a365be4af5.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/65/3e/d00ce30fe321f57213a4ada12d8fb0a9.jpg)
忍者屋敷は、平屋づくりの外観に、内部は三階建て、抜け穴、落とし穴はもちろん
武者隠しやどんでん返し、仕掛け戸や隠れ梯子など、様々な仕掛けがしてありました
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/56/3e/62cf0310717464cf90d5a247c1f84714.jpg)
右の写真は刀隠し、てこの原理をつかって、素早く刀を取り出すことができました
また、部屋の明るさの違いを利用した隠し部屋など、
なるほどと思うことがたくさんありました
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/23/a1/7251bd1becb48030da22ab94c5181843.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1e/cf/fc8955e35586586ab748b13debca4be4.jpg)
忍者の衣装は、黒色ではありません!
夜、活動するとき、黒色では輪郭が浮き出てしまうらしく、この地域の農民の着る
「クレ染め」といわれる濃紺色の野良着をきていたのだそうです
農民の服装なので怪しまれず、毒蛇や虫除けにもなり、
水をこして飲むにも都合がよかったようです
屋敷の地下の展示場を抜けると、その先に、伊賀流忍者博物館がありました
ここは、忍者の生活とその修行の様子を丁寧に説明してくれていて、
楽しく学ぶことができました
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5b/d9/7f2c28000b8e87ee617001a5db68bb79.jpg)
忍者は、平素は農業に従事し、薬草から薬をつくっていました
大切なしごととして火薬の製造がありました
忍者屋敷は、様々なからくりを施してありましたが、
これは火薬の製造法を盗まれないための工夫だったのです
もちろん、修行の毎日でもありました
かれらは、修行をとおして特殊な技能を身につけていました
忍者は、情報を文字に残すことはできませんでしたので、
数字などは人の体や食べ物に置き換えて覚え、連想法で記憶していました。
もっとも重要なことは、「不忘の術」(それを思い浮かべながら、
自分の体に傷をつけて記憶した)を使ったといわれます
眠りについて研究を進め、猫から時間を推定することもできました
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/10/7e/35cc6437a1d57173f3c829ead065e870.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5a/e1/33a72859bad69022ae6f3b191a1a192a.jpg)
月明かりのない日や、人の眠りが深い日を選んでしのぶと発見されにくく有利です
敵の眠りは「聞き筒」で寝息を聞いたようです
また、猫の瞳は暗いところでは大きく開いて丸くなり、明るいところでは細くなります
猫の瞳の大きさから、時間を知っていたようです
天気の予知についての知識や技術を持っていました
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/43/eb/9561bb45121b6fbe046b0cdb4a930371.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/16/09/5e1b607c162ac5e5c578b93de22b43ac.jpg)
星がちかちかしていると雨になる、山が近くに見えると雨、日がさ、月かさは雨
なのだそうです
知らない土地で、密かに水のありかを知るには・・・・
・鳥の羽を地面に突き刺し、数時間後、羽に水滴があれば
・ケラやアリの穴があれば
・山肌を1メートル掘り下げ、大地に耳をあて鼓動を感じると
・山中の洞窟の地面に手ぬぐいなどをおき、翌日それが重くなっていたら
・谷合いでオロガモ、カキツバタがたくさん生えていれば
近くに水があるのだそうです
忍者同士の連絡に使った文字があったそうです
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7a/15/8bac67e9bf218d9998c9578c802c0a3d.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1d/09/4f1cfb44e80074c9e7d0687213b9f92a.jpg)
縄を結んで作り出した「結縄」から生まれた神代文字、
この文字を仲間同士の連絡に使ったといわれています
「忍びイロハ」といわれる、暗号文字もあったようです
「忍者のイロハ48文字」です
「木」「火」「土」「金」「水」「人」「身」を「へん」に
そして、「色」「青」「黄」「赤」「白」「黒」「紫」を「つくり」にして
つくったものです
右の写真の左上から、イ ロ ハ となります
これも仲間同士の連絡に使われたようです
伊賀流の忍者は、隣の甲賀流と並んで、その技量は、群を抜いて優れていました
このあたりが盆地で、古代から亡命者が多かったからです
大和朝廷の中枢で権勢を誇っていた物部氏(呪術が得意だった)や
服部氏(奇術や軽業が得意だった)たちがもっていた技術が
伝わっていたのでしょう
忍者は、乱世に生きたため武術や謀略に長けていましたが、
薬学、医学、天文学、占星術などにも通じていたのです
そういえば、この地出身のあの人も隠密だったと言われています
松尾芭蕉です
写真は、彼の旅姿をイメージしてつくられた、俳聖殿です
伊賀流忍者博物館の説明板には、今は消滅してしまっていますが、
北は「加賀」(石川県)から南は「雑賀」(和歌山県)にいたる
「賀」の道があったと書かれています
山の尾根伝いに伸びる秘密の道で、情報や鉄砲、火薬などが運ばれたということです
松尾芭蕉が、伊賀流の忍者の修行を積んで
多くの知識や技術を身につけて
「賀」の道などを通って、密かに情報を集めていた思うと
楽しいことです 歴史のロマンを感じます
しかし、それにしても忍者の生活は過酷です
忍者が身につけた数々の技能は、生きぬくためにどうしても必要なものばかりでした
忍者の家に生まれた宿命を受け止めながら、彼らは毎日修行に励んでいたのでしょう
上野城を見学した後、私は、次のターゲット、伊賀流忍者屋敷や伊賀流忍者博物館など
伊賀流忍者に会いに行きました
一緒に行った家人は、同じ伊賀流でも、伊賀流うどん・そば店に入っていきました
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5f/b7/dbbeee19fd40790a89819405c2bb5aa2.jpg)
家人は、平素、チャリンコ便で働いており、元気いっぱいなのですが、
歩くのはにがてで、早々にクーラーの効いたところに避難したのでしょう
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/hiyo_do.gif)
おかげで、私は自由の身、ゆっくり忍者について学ぶことにしました
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/66/49/ebcf2bb5c282e96f337165a365be4af5.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/65/3e/d00ce30fe321f57213a4ada12d8fb0a9.jpg)
忍者屋敷は、平屋づくりの外観に、内部は三階建て、抜け穴、落とし穴はもちろん
武者隠しやどんでん返し、仕掛け戸や隠れ梯子など、様々な仕掛けがしてありました
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/56/3e/62cf0310717464cf90d5a247c1f84714.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/61/8f/0fdfffb0711287d108159d6259731eef.jpg)
右の写真は刀隠し、てこの原理をつかって、素早く刀を取り出すことができました
また、部屋の明るさの違いを利用した隠し部屋など、
なるほどと思うことがたくさんありました
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/23/a1/7251bd1becb48030da22ab94c5181843.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1e/cf/fc8955e35586586ab748b13debca4be4.jpg)
忍者の衣装は、黒色ではありません!
夜、活動するとき、黒色では輪郭が浮き出てしまうらしく、この地域の農民の着る
「クレ染め」といわれる濃紺色の野良着をきていたのだそうです
農民の服装なので怪しまれず、毒蛇や虫除けにもなり、
水をこして飲むにも都合がよかったようです
屋敷の地下の展示場を抜けると、その先に、伊賀流忍者博物館がありました
ここは、忍者の生活とその修行の様子を丁寧に説明してくれていて、
楽しく学ぶことができました
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5b/d9/7f2c28000b8e87ee617001a5db68bb79.jpg)
忍者は、平素は農業に従事し、薬草から薬をつくっていました
大切なしごととして火薬の製造がありました
忍者屋敷は、様々なからくりを施してありましたが、
これは火薬の製造法を盗まれないための工夫だったのです
もちろん、修行の毎日でもありました
かれらは、修行をとおして特殊な技能を身につけていました
忍者は、情報を文字に残すことはできませんでしたので、
数字などは人の体や食べ物に置き換えて覚え、連想法で記憶していました。
もっとも重要なことは、「不忘の術」(それを思い浮かべながら、
自分の体に傷をつけて記憶した)を使ったといわれます
眠りについて研究を進め、猫から時間を推定することもできました
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/10/7e/35cc6437a1d57173f3c829ead065e870.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5a/e1/33a72859bad69022ae6f3b191a1a192a.jpg)
月明かりのない日や、人の眠りが深い日を選んでしのぶと発見されにくく有利です
敵の眠りは「聞き筒」で寝息を聞いたようです
また、猫の瞳は暗いところでは大きく開いて丸くなり、明るいところでは細くなります
猫の瞳の大きさから、時間を知っていたようです
天気の予知についての知識や技術を持っていました
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/43/eb/9561bb45121b6fbe046b0cdb4a930371.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/16/09/5e1b607c162ac5e5c578b93de22b43ac.jpg)
星がちかちかしていると雨になる、山が近くに見えると雨、日がさ、月かさは雨
なのだそうです
知らない土地で、密かに水のありかを知るには・・・・
・鳥の羽を地面に突き刺し、数時間後、羽に水滴があれば
・ケラやアリの穴があれば
・山肌を1メートル掘り下げ、大地に耳をあて鼓動を感じると
・山中の洞窟の地面に手ぬぐいなどをおき、翌日それが重くなっていたら
・谷合いでオロガモ、カキツバタがたくさん生えていれば
近くに水があるのだそうです
忍者同士の連絡に使った文字があったそうです
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7a/15/8bac67e9bf218d9998c9578c802c0a3d.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1d/09/4f1cfb44e80074c9e7d0687213b9f92a.jpg)
縄を結んで作り出した「結縄」から生まれた神代文字、
この文字を仲間同士の連絡に使ったといわれています
「忍びイロハ」といわれる、暗号文字もあったようです
「忍者のイロハ48文字」です
「木」「火」「土」「金」「水」「人」「身」を「へん」に
そして、「色」「青」「黄」「赤」「白」「黒」「紫」を「つくり」にして
つくったものです
右の写真の左上から、イ ロ ハ となります
これも仲間同士の連絡に使われたようです
伊賀流の忍者は、隣の甲賀流と並んで、その技量は、群を抜いて優れていました
このあたりが盆地で、古代から亡命者が多かったからです
大和朝廷の中枢で権勢を誇っていた物部氏(呪術が得意だった)や
服部氏(奇術や軽業が得意だった)たちがもっていた技術が
伝わっていたのでしょう
忍者は、乱世に生きたため武術や謀略に長けていましたが、
薬学、医学、天文学、占星術などにも通じていたのです
そういえば、この地出身のあの人も隠密だったと言われています
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/51/52/0bfb7700aec2c9a50c446e860fd8fab5.jpg)
松尾芭蕉です
写真は、彼の旅姿をイメージしてつくられた、俳聖殿です
伊賀流忍者博物館の説明板には、今は消滅してしまっていますが、
北は「加賀」(石川県)から南は「雑賀」(和歌山県)にいたる
「賀」の道があったと書かれています
山の尾根伝いに伸びる秘密の道で、情報や鉄砲、火薬などが運ばれたということです
松尾芭蕉が、伊賀流の忍者の修行を積んで
多くの知識や技術を身につけて
「賀」の道などを通って、密かに情報を集めていた思うと
楽しいことです 歴史のロマンを感じます
しかし、それにしても忍者の生活は過酷です
忍者が身につけた数々の技能は、生きぬくためにどうしても必要なものばかりでした
忍者の家に生まれた宿命を受け止めながら、彼らは毎日修行に励んでいたのでしょう