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武市半平太、坂本龍馬、中岡慎太郎の幕末の群像が建つ高知駅前です。
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JR高知駅は2階のホームに列車が着きます。1階に降りた南側の駅正面に、もう一つの電車乗り場がありました。四国で最初に開業した土佐電鉄の路面電車乗り場です。開業は、明治37(1904)年。以来、110年に渡って走り続けています。
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路面電車乗り場には、①のりばと②のりばの2つの乗り場があります。
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この日、高知駅から路面電車乗り場に着いたとき、2両の電車が入線していました。南側から駅に向かって撮影した電車です。これは、クリーム色と緑色のツートンカラーの電車。②のりばにいた320号車です。正面から左右に斜めに切れ込んだフロントデザイン。
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車体にはドイツ語が書かれています。
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車体の上には「オーストリア グラーツ市電」と書かれています。平成2(1990)年、開業85周年の記念にスタートした、世界の電車を高知で運行するという事業である「世界の電車」計画によって、オーストリアのグラーツ市からやってきた電車です。ちなみに、第1号はドイツシュツットガルトからやってきました。現在は、ポルトガル(リスボン市)、ノルウェー(オスロ市)からやってきた路面電車とこのグラーツ市からの電車が、土曜日、日曜日、祝日に、交代で高知駅前と枡形(ますがた・伊野線沿線)間を運行しています。
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①のりばにいた電車です。アンパンマンの顔が全面に描かれています。高知県香美郡在所村はやなせたかしさんの父親の出身地です。土佐電鉄の後免線の終点は香美郡後免町。そのためでしょうか、JR四国も、特急列車にアンパンマン列車を運行しています。
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この電車は616号車。600形車両です。
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電車の中に「私の履歴書」が掲示されていました。車両の紹介をしています。600形車両は土佐電鉄の車両の中で最も多い、30両が在籍しています。昭和28(1953)年から昭和53(1978)年まで東京都電として活躍していた7000形をモデルにして、昭和35(1960)年に土佐電鉄で生まれた車両だそうです。全長は13.2mあり、定員は67名になっています。なお、土佐電鉄の軌間は1,067ミリです。
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どちらの電車も、”はりまや橋”までは、高知駅から南に延びる”はりまや通り”を走ります。アンパンマン電車の616号車は”はりまや橋”からさらに南に進み、桟橋通五丁目電停に向かう桟橋線を走ります。桟橋線の運賃は200円の均一料金です。
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電車内で、1日切符を買いました。土佐電鉄の全線1日乗り放題で、1,000円でした。年月日をコインで擦ると赤地で当日の日付が出てきました。下車するとき、それを、運転士の方に示すといいようです。
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高知市で最も知られている”はりまや橋”です。ここまで約0.8kmありました。土佐電鉄の路面電車は、はりまや橋から四方面に延びています。北はJR高知駅に向かう駅前線、南は桟橋五丁目に向かう桟橋線、東は後免町(ごめんまち)に向かう後免線、そして、西に延びて伊野に向かう伊野線です。4路線合わせて、25.3km。路線の長さでは、広島電鉄に次いで、全国で2番目の規模を誇る路面電車です。
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”はりまや橋”から”はりまや通り”をはさんだ東側にある”はりまや橋商店街”です。
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私が乗車したアンパンマンの616号車は、この先で鏡川を渡って桟橋通り五丁目に向かいます。はりまや橋の「のりば④」で下車しました。ここから高知県吾川(あがわ)郡いの町に向かう、土佐電鉄伊野線に乗ることにしていました。
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伊野線の電車の乗り場ははりまや橋の「のりば②」です。ここから、終点の伊野電停まで11.2km。起点と終点を含めた34駅を40分余りで結んでいます。
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着きました。伊野線の終点、伊野電停の駅舎です。到着したとき、駅舎内で電車の到着を待っていた5,6人の方が出てこられました。
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乗車してきた212号車。伊野線の電車は、赤地に白で「いの」と書かれた方向板をつけています。伊野駅に着いたとき、運転士さんは乗客が降りた後、赤い方向板をはずして車内に取り込みました。乗車してきた電車は、やがて「文殊通」行きの電車となって出発していきました。「文殊通電停」ははりまや橋から後免町にいたる「後免線」の沿線にある電停です。
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駅舎内に入りました。木の香りがしました。チリ一つ落ちていない清潔な待合室でした。トイレをお借りしてから外へ出ました。
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線路の終点です。文具店の前に車止めがありました。伊野線の端までやってきましたので、ここから、”はりまや橋”に向かって引き返すことにしました。
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徒歩で、一つ先にある、伊野駅前電停に着きました。電停名の「伊野駅」とは、土佐電鉄の「伊野駅」ではなくJR伊野駅のことでした。ここからJR伊野駅に向かいます。50mぐらい南にありました。
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JR伊野駅です。土佐電鉄と同じ平屋の駅舎です。
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中にあった時刻表です。土佐電鉄の伊野駅発の電車は20分ごとに出発していますが、JR伊野駅発の高知行きの普通列車はほぼ1時間に1本程度の運行になっていました。
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土佐電鉄とJR土讃線とは、ほぼ平行して走っています。土佐電鉄の路面電車は、はりまや橋電停までに、伊野駅前電停の先は、枝川電停でJR枝川駅と、朝倉駅前電停でJR朝倉駅と、鏡川橋電停でJR高知商業高校前駅と、旭駅前通電停でJR旭駅と接続しています。
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JR伊野駅から土佐電鉄の鳴谷電停に戻りました。そしてやってきた電車に乗って4分、中山電停で下車しました。中山電停は伊野電停から2.3kmのところにあります。ここで下車したのは、次の「矢代通電停」で見たいものがあったからです。
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徒歩で6分。「矢代通電停」に着きました。矢代通電停から少し先に向かいます。
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ホームがないのに、行き違いができるようになっていました。上りと下りの路面電車が行き違いをするためにつくられたところです。
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線路の中央に「通標確認」「通標授受確認」と書かれたポストが立っています。文殊通電停行きの614号車(赤い塗装)と伊野電停行きの624号車がやってきました。
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「通標確認」の位置で、双方の電車が通標(タブレット)交換を行いました。懐かしい光景です。国鉄時代に単線区間で行っていたのを思い出します。土佐電鉄のいの線は鏡川橋電停から伊野電停までが単線になっており、正面衝突を避けるために行われています。実は、土佐電鉄では昭和54(1979)年にこの先の咥内(こうない)電停と宇治団地前電停の間で600形電車同士の正面衝突事故が発生しました。その事故を教訓に、今もこうしてタブレットの交換が行われているのです。私が見たかったのはこのタブレット交換でした。
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受け取ったタブレットは運転席の右側におさめられて、電車とともに走っていきます。
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矢代信号所(交換所)の次は、白い集合住宅が電停前にある宇治団地前電停です。ここから次の咥内電停までは893mあり、土佐電鉄の駅間の最長区間になっています。写真は咥内電停です。歩いて15分ぐらいで着きました。
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単線の専用軌道はさらに続きます。朝倉神社前電停です。途中で宮の奥電停を経由して徒歩で15分かかりました。その先で、緩やかな右カーブが始まります。
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道路が二つに分岐します。土佐電鉄の路面電車はさらに右カーブして高知大学の前の通りを進んで行きます。写真の左側にあったのがJR朝倉駅でした。
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木の香りがするようなログハウスの駅、JR朝倉駅です。駅の正面にあったプレートには「旧国鉄初のログハウスの駅」と書かれていました。
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JR朝倉駅から道路を横断して進むと、土佐電鉄の朝倉電停に着きました。安全地帯がありません。道路上のグリーンで囲まれたスペースで乗降します。道路の大部分を土佐電鉄が占めています。ここからは、電車の本数が増え、ほぼ15分に1本ぐらいで発車していきます。
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右側一帯は高知大学。写真は正門付近を撮したものです。
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大学の前ですから電車の利用者も多いのでしょう。道路の脇に待合室がありました。
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その先が再び電車の交換場所。ここでも通標(タブレット)交換が行われましたが、写真が間に合いませんでした。残念。 写真は、交換の直前、右側の電車の運転士さんが待ちかまえているところです。
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300m歩いた曙町電停です。道路幅が狭いため駅標は電柱に巻き付けてありました。風雨のせいか「曙」の部分ははがれ落ちていました。
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その先は、市場前信号所。またしても交換場所です。
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こちらも電柱を活用して、「乗降はできない」ことを伝えています。
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その先で、道路部分が最も狭くなっているエリアに入ります。鴨部電停です。乗降客も運転手さんも慣れているのでしょうが、思わずはっとする場面も。電車から降りたところ、その前を、軽乗用車がスピードを落とさず通過していきました。
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電車は大きく左カーブをしながら横断陸橋の下をくぐっていきます。そして、鏡川にかかる鉄橋を渡ります。両側を橋で囲まれて窮屈そうに渡っている路面電車が見えます。
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鏡川橋を渡ると右カーブ、その先が鏡川橋電停です。ここからは、複線区間になります。そのため、電車の運行本数もさらに増え、ほぼ4分に1本ぐらいの運行になります。
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道路脇にあった待合室。ここに運転手さんの休憩所もつくられています。ここから道路の中央を走ります。ほぼ4分に1本の運行ですので多くの電車が見えるようになりました。
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外国電車の終点である枡形電停を過ぎて、次のグランド通電停に着きました。伊野線は、明治37(1904)年、堀詰・乗出間が本町線として単線で開業したことに始まります。そして2年後の明治39(1906)年に、鏡川橋電停まで延長しました。開業したときの「乗出」電停は、ここ「グランド通電停」にありました。また、堀詰電停は「はりまや橋電停」の一つ手前に現在もあります。グランド通電停で、110年前に土佐電鉄が生まれた頃に思いをはせる人もいることでしょう。
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上町一丁目電停です。この写真は、伊野方面に向かっていたときに撮影したものです。写真の601号車は土佐電鉄の伝統ある塗装を守っています。最近は路面電車の全面広告はめずらしくありませんが、土佐電鉄は昭和44(1969)年から、長崎電気軌道に次いで全国で2番目に全面広告を始めました。手前の「はりまや橋」方面に向かって走っています。
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はりまや橋電停に近づいてきました。軌道には芝生が植えられています。舗装道路の中の鮮やかな緑に、ほっとします。 はりまや橋は目の前です。
土佐電鉄は全国で2番目に全面広告を始めました。また、路線の長さも広島電鉄に次いで全国第2位です。広島電鉄の路線の長さは35.1kmですが、鉄道線とされている宮島線を除くと19.0kmで、土佐電鉄の方が上回っています。しかし、路面電車だけの運賃収入では土佐電鉄の9億5700万円に対して、広島電鉄は39億9300万円と大きく差をつけられています(データは2011年度です)。 路線キロでは上回っても収入では広島電鉄の4分の1程度にしかなりません。やはり、日本一の路面電車は広島電鉄なのでしょうね。「全国第2位」に縁のある土佐電鉄ですが、私は矢代通電停付近でのタブレット交換の様子を見せていただけるだけでも、すばらしい路面電車だと思います。 楽しい旅でした。