トシの旅

小さな旅で学んだことや感じたことを、
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JR可部線、廃線からの復活一週間前

2017年03月03日 | 日記

JR可部駅です。現在は、JR可部線の終点の駅になっています。可部線は、明治44(1911)年、広島軌道株式会社によって横川駅から可部駅間が開業しました。その当時は、軌間762ミリの軽便鉄道で蒸気機関車(SL)が運行されていたそうです。その後、昭和5(1930)年には軌間1067ミリへの改軌と電化が完了、昭和11(1936)年には国有化され、昭和44(1969)年には三段峡駅まで延伸しました。

平成15(2003)年12月、非電化区間の可部駅から三段峡駅間が廃線となり、可部駅は再び可部線の終着駅になりました。駅名表示にも、写真のように可部駅の次の駅は書かれていません。

駅構内にあった「電化延伸開業まで、あと 6日」のカウントダウンの表示です。平成29(2017)年3月4日(土)に、地元の熱心な要望がかなって、可部駅から1.6km延伸し電化されて開業することになっています。一度、廃線になった区間が復活するのは、初めてのことだと思います。

可部駅の2番ホームに到着したJR広島駅からの電車です。前方に、駅の東西をつなぐ跨線橋が見えました。下車した乗客はホームの先を下り西出口の改札口へ向かっています。可部線の延伸開業が近いせいか、列車の写真を撮影している人の姿が目につきました。

西出口です。下車した乗客は改札口から出て行きました。駅舎のある東口に向かう人たちは、正面の階段から跨線橋を渡るようになっています。

この写真は、平成25(2013)年に可部の町を歩いたとき(「廃線になった鉄道を復活させた町、可部の町並みを歩く」2013年9月13日の日記)に撮影したものです。廃線部分に向かって撮影したものです。これを見ると、当時は跨線橋はなく構内踏切で駅舎(東口)に向かっていたようです。可部駅から先のホームは、そのまま敷設されていた時と同じ状態で残されていました。

ホームのようすを撮影しました。手前が2番ホームで、乗車してきた列車が停車しています。左側が1番ホームで、黄色塗装の広島行きの列車が停車しています。以前は、左側のホームの左側(当時の2番ホーム)と右側(当時の3番ホーム)に停車していましたが、現在は左側(当時の2番ホーム)は使用されていませんでした。すべての列車が、2つのホームの間(現在の1番ホームと2番ホーム)に停車しています。延伸区間の開業を控えて、現在は広島方面から可部駅に着いたすべての列車が、新しく終点となる「あき亀山駅」まで行く「試運転」が行われています。

この写真も、以前訪れた時に撮影したものですが、終点の可部駅に到着した列車は当時の2番ホームに停車しています。

この写真も、以前訪れた時に撮影したものですが、その当時は線路とその先にあるバスセンターの間にホームは設置されていませんでした。今回の延伸に伴い設置されたもののようです。

跨線橋を通って東口に出ました。改札口と駅事務所です。可部駅は直営駅ですので、職員も勤務に就いておられました。

券売機の上に掲示されていた運賃表です。一番上に書かれた可部線のところに、新駅の「河戸帆待川駅」と「あき亀山駅」の運賃も書き加えられていました。可部駅から「あき亀山駅」までは、140円(1.6km)に設定されています。

以前訪れたときに撮影した、かつての1番ホーム(右側)と2番ホーム(左側)です。頭端式ホームの2番ホームには、車止めとして、オンレール走行型の緩衝装置が設置されていましたが・・・。

1番ホームの車止めはそのまま残っていましたが、2番ホームのオンレール走行型緩衝装置はすでに撤去されていました。

これは、かつての1番・2番ホームの広島方面寄りの部分です。東中野第2踏切のところで進入できないように仕切りがつくられていました。もう、こちらのホームは使用することがないのでしょうね。こうして、従来2面3線だったホームは、相対式2面2線のホームに変わっていました。

これは、現在の1番ホームから「あき亀山駅」方面を撮影したものです。この日は、この後、延伸された線路に沿って歩くことにしていました。

可部駅西口から歩いて5分ぐらいで踏み切りを渡ります。西中野踏切です。「14k144M」と書かれています。距離から考えると、広島からの距離のようです。この踏切は可部線の延伸によって設置されたものではなく、従来から設置されていたものでした。

西中野踏切から見た「あき亀山駅」方面です。国道54号の高架橋の手前に青い塗装の横断陸橋が見えました。

これは、延伸工事が始まる前の線路跡です。このように、線路は途切れていました。

横断陸橋の手前には、かつて、レールの上に踏切がつくられていました。歩行者と自転車専用の踏切で「自転車は降りて押して通行してください」「この踏切は、可部駅~河戸(こうど)駅間の電化延伸時には撤去します」と、掲示板には書かれていました。

現在の踏切跡です。掲示されていたように、踏切は撤去されています。ここから、国道54号の高架橋に沿って進みます、広島信用金庫の先で左折した後は、広島県道267号(宇津・可部線)を線路に沿って歩いていきます。

延伸・電化開業した可部線には、3ヶ所の踏切が、新たに設置されています。国土交通省は、踏切道改良促進法に基づいて「鉄道の新線建設にあたっては原則として道路の立体交差化を進める」という方針をもっており、JR西日本も「踏切を全廃する」と説明しましたが、住民の方々は「生活道路が遮断され不便になる」と反対し、事業主体の中心にいた広島市も「立体交差化は経費面からも困難」ということで、結局踏切が設置されるようになったそうです。目の前にある「デイサービスセンター菜の花」の先を左折します。

細い路地の先に「国安踏切」がありました。計画には「歩行者専用」踏切になっていたようです。「14K544M」書かれています。西中野踏切から400mぐらいのところにあるようです。

「あき亀山駅」方面です。国道54号のバイパスの高架橋が見えました。

県道に引き返して歩きます。広島市安佐北区役所の看板を見ながら進み、「国安踏切」から見えた国道バイパスの高架をくぐり、「安佐北警察署」の案内看板を過ぎると、右側にホームセンター”DAIKI”の広い駐車場が見えてきます。

DAIKIの向かい、県道の左側にあった駐車場から、「河戸帆待川(こうどほまちがわ)駅」のホームが見えました。「あき亀山駅」に向かって右側にホームがある1面1線の駅です。可部駅から0.8kmのところにあります。無人駅でホームの長さ85m。4両編成の列車に対応しています。

その先にあった「河戸帆待川駅」の駅舎です。「開業まであと6日」の日でしたが、駅前広場には、多くのレンガが積み上げられており、作業も進行中でした。駅舎内には自動改札機らしい物が見えました。公的機関の案内看板が続いてきた県道を、さらに進みます。「広島北税務署南」の信号を左に入ると、「高宮踏切」がありました。

「高宮踏切」から見えた「可部駅」方面の光景です。線路の左に「河戸帆待川駅」の1面1線のホームが見えました。

こちらは、「高宮踏切」からの「あき亀山駅」方面のようすです。どっしりとした横断陸橋が見えました。「高宮踏切」には「14K912M」と書かれています。「国安踏切」から400mぐらいのところにあたります。

県道に戻ります。前方の左側にあった「可部四日市郵便局」の手前を左に入ります。

「高宮踏切」から見えた可部線の線路を渡る跨線橋です。写真からは見えにくいのですが、跨線橋の両側にはエレベーターが設置されていました。バリア・フリーになっており高齢者にも車椅子を利用される人にもやさしい道になっていました。

延伸した可部線には3ヶ所の踏切が設置されました。ここまで、「国安踏切」と「高宮踏切」を見てきました。残る一つは、「四日市踏切」です。県道267号の右側に「誓立寺」の広い駐車場が見えました。「誓立寺」の前を左に進むと「四日市踏切」に出ます。

「四日市踏切」です。「15K301M あき亀山駅構内 亀山二丁目30・31の間」と記されていました。「高宮踏切」から400mぐらいのところにありました。このあたりはもう「あき亀山駅」の構内になっているようです。

「四日市踏切」に着いたとき、「あき亀山駅」に停車していた列車が、「可部駅」に向かってやってきました。

列車が通過した跡の「あき亀山駅」のようすです。終着駅は目の前です。

県道に戻って進むと、大毛寺川にかかる20mぐらいの橋梁がありました。名前は分かりませんが、可部線の延伸区間で唯一の橋梁でした。

大毛寺川を越えると、すぐ左側に白い格納庫のような建物がありました。その先が工事中でした。「駐車場をつくっています」と書かれた看板がありました。「あき亀山駅」の駐車場の整備工事のようです。「河戸帆待川駅」と同じように最後の追い込みに入っているようでした。

工事現場の反対の右側にあったカウントダウンの掲示です。「あと6日」、開業を待ちかねている地元の人たちの気持ちが表れています。

その先の交差点を左折して突きあたりまで歩くと、「あき亀山駅」の駅前広場に着きます。路面には、駅舎前から大きく右カーブしながら出て行くルートが書かれていました。「あき亀山駅」は安佐北区亀山南二丁目にあります。「可部駅」から、1.6km、「河戸帆待川駅」から、0.8kmのところに設置されているそうです。

「あき亀山駅」の駅舎の正面です。自動券売機と自動改札機が設置されているのが見えます。駅舎の右にある建物はトイレです。「あき亀山駅」のあるところには、かつて荒下県営住宅がありました。県営住宅の跡地には、広島市立市民病院も移転してくることになっていました。しかし、移転に反対する人たちとの調整のため、駅の設置の方が先になってしまったようです。現在の計画では、平成34(2022)年度に開院する予定だそうです。

「あき亀山駅」と駅舎の入口に表示されています。「安芸」の表示でなく「あき」とひらがな表示にしたのはなぜか、 実は、廃線となった可部線(可部駅~三段峡駅間)に「安芸亀山駅」という駅がありました。その駅は、ここから西に3.4kmほど離れたところにあったそうです。その駅と区別するために「あき」とひらがな表記にしたのだそうです。

「あき亀山駅」のホームです。1面2線のホームになっています。手前側の2線は列車の待機線のようです。4両編成に対応した駅の長さになっています。この日は、開業前のため、駅の内部には入ることができませんでした。

こちらは、「あき亀山駅」の「可部駅」寄りの写真です。広々とした印象です。

こちらは、駅舎の裏側から見たのホームのようすです。写真では見えませんが、実際には金網で仕切られていますので、こちらからは入ることはできません。写真の向こう側から駅舎の壁にそって歩き、ホームに入るようになっています。駅舎の前には車止めがつくられていて頭端式のホームになっています。

車止めの延長線上の写真です。駅舎前にむかう道路のガードレールの向こうに廃線になった可部線の築堤跡が続いています。

可部駅から1.6kmの延伸電化を成し遂げたJR可部線。廃線になった路線が復活するのは、初めてのことだと思います。平成15(2003)年に廃止されてから、延伸電化の要望活動を繰り返してきた地元の方々の長年の努力の賜物だと思います。このブログを書き終える頃には、定期運行が行われているはずです。歴史的な日に少しだけかかわることができたことをうれしく思っています。


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