トシの旅

小さな旅で学んだことや感じたことを、
まとめるつもりで綴っています。

工業地帯を支える水島臨海鉄道

2015年10月27日 | 日記
白壁の商家の家並みで全国に知られる倉敷美観地区。その玄関口、倉敷駅南口です。駅舎は、商業施設や宿泊施設が撤退し一回り小さくなりました。JR山陽本線で来られた観光客は、ここから駅前の通りをまっすぐ美観地区に向かって歩いて行かれます。

また、JR倉敷駅は、陰陽連絡鉄道としての機能をもつJR伯備線の起点でもあります。実際の運用はJR岡山駅が起点になっていますが・・。

JR倉敷駅に隣接してもう一つ鉄道駅舎があります。水島臨海鉄道倉敷市駅です。水島臨海工業地帯で生産された工業製品や部品などの貨物輸送、工場で働く従業員の旅客輸送のため、JR倉敷駅と工業地帯のある水島地区とを結んでいます。倉敷市は瀬戸内地方有数の工業生産高を誇る工業都市としての顔も持っているのです。

この日は、水島臨海鉄道に乗車することにしていました。倉敷駅南口を出て左に向かって歩きます。自転車駐輪場になっているビルの1階に、倉敷市駅はありました。写真は水島臨海鉄道の主力であるMRT300形車両。MRT301号車からMRT306号車までの6両を保有しています。MRT300形は、水島臨海鉄道のオリジナル車両です。

駅舎の中です。左側に待合いのスペースとトイレ。

右側に駅事務所があります。

旅客列車の終点、三菱自工前駅まで行く列車(赤色の枠がついた列車)は通勤時間帯を中心に運行されています。次の列車は、その一つ手前の水島駅行きです。

乗車券は自動販売機で購入します。運賃は水島駅まで320円です。ちなみに、初乗り運賃は180円になっていました。

改札が始まりました。駅のスタッフにスタンプを押していただいてからホームに入りました。目の前にJR山陽本線とその向こうにある伯備線の線路が見えました。水島臨海鉄道は、倉敷市駅から水島駅を通って倉敷貨物ターミナル駅に向かう11.2kmの水島本線と、水島駅で水島本線から分かれて、貨物駅である東水島駅に向かう港東線(3.6km)があります。軌間は、JRと同じ1067ミリ。単線で、非電化区間になっています。

折り返し水島行きになる列車が入ってきました。ワンマン運転の単行気動車であるMRT306号車。お聞きすると、土曜日・日曜日・祭日と日中はワンマンの単行列車ですが、平日の通勤時間帯には2両編成で運行し、車掌も乗務されているそうです。

通称「ひまわり列車」。車両全体にひまわりの絵が描かれています。公募によって決まったそうです。

列車内です。座席はクロスシートで端が横シートになっています。水島臨海鉄道は、太平洋戦争中の昭和18(1943)年、倉敷駅と岡山工場駅(現在の「水島駅」)間に開業した三菱重工業水島航空機製作所専用鉄道に始まります。当時は、山陽本線の蒸気機関車が客車と貨車を牽引して乗り入れていたそうです。その後、水島工業都市開発(1948年から)、倉敷市交通局(1952年から)の経営を経て、昭和45(1970)年から水島臨海鉄道株式会社が運営を担っています。JR西日本や倉敷市(市長が社長をつとめておられます)、岡山県などが出資する第三セクターの鉄道になっています。

定刻に発車しました。しばらくは、伯備線・山陽本線と平行して進みましたが、伯備線が右折した後、山陽本線も右折して離れていきました。

正面に緑の木々と夜間照明灯の電柱が見えて来ました。

倉敷市駅から4分ぐらいで、緑に覆われた球場前駅に着きました。1面1線の棒状の駅です。昭和24(1949)年、水島工業都市開発の時代に開業しました。倉敷市駅から2kmのところに設置されています。

野球場、陸上競技場、武道館など倉敷市営の運動施設が集まっているところです。写真は施設の入口です。

球場駅を出ると、列車は大きく左にカーブしながら、高架上を走ります。ほぼ、90度カーブして次の西富井駅に入りました。2面2線の行き違いができる駅でした。西富井駅は、球場前駅から1.6km。この駅も、昭和24(1949)年に開業しました。

列車の後部から、倉敷市駅の方向を撮影しました。倉敷市駅に向かって線路が合流する付近に、そのまま右に向かって降りていく砂利道が見えます。これは、日本専売公社(現日本たばこ産業・JT)の工場に向かう専用線の引き込み線が通っていたところです。レールは撤去されていましたが、砂利はそのまま残されていました。右側はゴルフ練習場の防球ネットの支柱です。下に見える高架下の道を引き返し、引き込み線の先を確かめることにしました。

倉敷市の放置自転車置き場になっている高架下のスペースを見ながら歩きます。

左側の道路との境界には、枕木が使われています。

さらに歩きます。白い建物の前で終わっていました。距離は西富井駅のホームから500mぐらいでしょうか。そのまま残っていたことに少し感動しました。

再び、西富井駅に戻りました。西富井駅を出るとすぐ橋梁を渡ります。下は国道2号線、橋は跨線橋でした。

西富井駅の右側には、岡山県立倉敷中央高校、左側には、ゴルフ練習場と倉敷市立南中学校の防球ネットが見えました。通学に水島臨海鉄道を使っている生徒もおられることでしょう。写真は、県立倉敷中央高校の正門付近です。

高架を下りきると、福井駅です。西富井駅から0.8km。平成元(1989)年に開業した、比較的新しい駅です。

福井駅の先の道路との境界です。写真はレールを立てて穴を開け、針金を通して境界として使用しています。他に枕木を使用しているところもありました。

県道の高架下をくぐり抜けると、浦田(うらだ)駅に着きます。1面1線の駅です。福井駅から1.1kmのところにありました。昭和63(1988)年に開業した新しい駅です。

浦田駅を出てからは、高架上を走るようになります。この高架工事は平成3(1992)年に行われました。旅客扱いの終点である三菱自工前駅の手前まで続いています。2.0kmほどで弥生(やよい)駅に着きました。水島臨海鉄道には、駅の手前でレールが分岐してからホームまでの距離がずいぶん長い駅があります。貨物列車も走っているからだと思います。弥生駅は昭和18(1943)年に「福田駅」として開業しました。戦前の三菱重工水島航空機製作所専用鉄道が開業したときからあった駅です。戦後の昭和24(1948)年に、「弥生駅」と改称しました。

高架上を走ります。栄(さかえ)駅です。弥生駅から0.7km。昭和61(1986)年に開業した比較的新しい駅です。栄駅の先に常盤駅も見えています。常盤駅との間は、わずかに0.4km。400mしかありません。

栄駅前の光景です。水島地区の中心市街地が広がっています。

栄駅の手前、進行方向の右側に水島臨海鉄道の本社ビルがありました。

栄駅からわずか400mで、次の常盤(ときわ)駅に着きました。浦田駅・三菱自工前駅間の高架化が完成した平成3(1992)年に開業しました。水島臨海鉄道で最も新しい駅です。

水島駅です。やはり高架上の駅です。常盤駅から0.6kmあります。 浦田駅からは高架上の駅が続き、路面電車のようにこまめに停車してきました。水島地区とJR倉敷駅を結ぶ鉄道という、水島臨海鉄道の性格をよく表している駅の配置です。水島駅は1面3線。ホームに面した2線は旅客用で上りと下りの旅客列車が着きます。一番右の線路は貨物列車が使っているようです。

水島臨港鉄道は水島駅の先で2線に分かれます。右に行くと水島本線で三菱自工前駅から倉敷貨物ターミナルに向かいます。左は水島臨海鉄道港東線で、貨物駅の東水島駅に向かいます。港東線は、昭和37(1962)年、倉敷市交通局が経営していた時代に、水島駅と日鉱前駅(現・東水島駅)間、3.6kmが開業しました。

高架上の駅から降りる階段の近くに、タブレットが置いてありました。駅の付近を散策して戻ってくると、駅員の方が、タブレットを手にして立っておられました。「これは、ひょっとすると見られるかも・・」と期待が高まります。

やってきました! DE101614号機に牽引された貨物列車のご到着です。”JRF”と機関車に書かれているとおり、JR山陽本線から入ってきた貨物列車です。タブレットを持った駅員さんが運転席に乗車されると、すぐに貨物列車は出発して行きました。 

まっすぐ進み、この先で左の線路に入って高架を走って行きます。港東線の東水島駅に向かいます。

三菱自工前駅に向かう水島本線の気動車は左の線路からこのまま右の線路に入りその先で高架を下っていきます。

これは、水島本線と港東線の分岐点を水島駅に向かって撮影したものです。右が港東線で、手前が東水島駅方面です。左が水島本線で左に進むと水島自工前駅に向かいます。

途中の公園から見た水島本線の高架橋です。

高架を下りきると水島本線の旅客列車の終点、三菱自工前駅です。後ろは三菱自動車工業の水島製作所の工場です。かつて、三菱重工業水島航空機製作所の広大な工場があったところです。

この先も、さらに線路は続いています。線路の終点を求めて歩きます。「倉敷貨物ターミナル」と書かれた操車場が見えました。水島臨海鉄道の車両が休んでいました。MRT301、旧国鉄色のキハ37101とキハ37102、キハ30100とキハ38104などの姿が見えました。この日は土曜日でしたので、終日MRTによる運行でした。平日の通勤時間帯に運転される2両編成の車両は、この日は一日休憩だったようです。

さらに歩きます。広がっていた多くの線路が1本に合流していきます。

倉敷貨物ターミナルの建物が終わったところにある板敷踏切の先の線路の上に柵が作られています。行き止まりです。

柵の中をのぞいてみます。柵の10メートルぐらい先で線路は途切れます。水島本線はここで終わっていました。

再度水島駅まで引き返します。この後、貨物専用線である港東線の終点、東水島駅までたどることにしました。昭和37(1962)年に、東水島駅まで開業しました。写真は、水島本線と分岐した後の港東線の高架です。高架に沿って歩きます。

中国電力の水島発電所の前の港東線の線路です。ここから左にカーブしてさらに進みます。

歩き出してから50分。終点の東水島駅(貨物駅)の入口までやってきました。コンテナの貨物列車が見えました。

コンテナがたくさん並んでいます。貨物駅の東水島駅に着きました。港東線が開業した時、東水島駅は「日鉱前」の駅名でした。10年後の昭和47(1972)年に現在の東水島駅と改称されました。広い構内にたくさんのコンテナが並ぶ、壮大な駅でした。

水島臨海鉄道をたどる旅が終わりました。さほど知られていない鉄道ですが、水島工業地帯の貨物輸送を支え、水島地区に住む人たちの足として頑張っていました。


所有車両は2両だけ、阿佐海岸鉄道に乗る

2015年10月12日 | 日記
和歌山県を走る紀州鉄道と並んで保有車両が2両という鉄道会社が、JR牟岐線の先にあります。徳島県、高知県と沿線の徳島県海陽町、高知県東洋町が出資する第三セクターの阿佐海岸鉄道阿佐東線(以下「阿佐東線」と書きます)です。JR牟岐線の終点、徳島県海陽町の海部(かいふ)駅と高知県安芸郡東洋町にある甲浦(かんのうら)駅間を結んでいます。

阿佐海岸鉄道が保有している2両のディーゼルカー(DC)のうちの1両、ASA101号車、”しおかぜ”です。この鉄道は、阿佐東線という線名からもわかるように、甲浦駅からさらに室戸市を経て、安芸市を結ぶ鉄道をめざしていました。しかし、1980年の国鉄の経営再建を促進する法律の施行により、建設工事が中断されました。しかし、すでにほぼ完成していた甲浦駅までを運営するためにつくられたのが阿佐海岸鉄道でした。

ASA101号車の甲浦駅側のヘッドマークです。「てっちゃん」と書かれています。阿佐東線は、平成4(1992)年に開業しました。海部駅・宍喰(ししくい)駅・甲浦駅間8.5kmの鉄道(ちなみに、紀州鉄道は全長2.7km)です。開業したときは、同じ仕様のASA201号車(愛称”あさしお”)がもう一両ありましたが、平成20(2008)年、回送中に宍喰(ししくい)駅の壁面に衝突し脱線、廃車になってしまいました。その後継のためにやってきたのが、ASA301号車(愛称”たかちほ”)。愛称からもわかるように、宮崎県の高千穂鉄道から無償譲渡されて、平成21(2009)年にやってきました。平成22(2010)年からは、徳島名産のキャラクター”すだちくん”と高知県東洋町のキャラクター”ぽんかんくん”をあしらったラッピング車両になっています。

これは、反対の後ろ側のヘッドマークです。「あさちゃん」と書かれています。この日は、阿佐東線に乗ってみようと、JR海部駅をめざしました。以前、JR牟岐線にある秘境駅、辺川(へがわ)駅を訪ねたとき(2015年9月21日の日記)とは異なり、JR牟岐駅までは特急”むろと1号”でやってきました。牟岐駅でJR海部行きの列車に乗り継ぎます。

列車の一番後ろから撮りました。「えっ、これは何だ!」と驚いた、海部駅の直前にあったトンネルです。山の中につくられていたトンネルが開発で削り取られて、構造体だけが残っているという感じです。トンネルがないと列車の運行に差し障りがあるというわけではなさそうです。上に木が生えているのが、ご愛嬌です。抜けると目の前にJR海部駅がありました。高架上の駅でした。

ホームから見えた海部駅付近の集落です。残念ながら、海は見えませんでした。また、駅員さんの姿も見えませんでした。

11時19分、海部駅に着きました。ホームにあったJRの駅標です。隣駅のところに書かれている「ししくい」は、阿佐東線の駅です。「どうして、JRが阿佐東線の駅名を書くの?」と思いましたが・・。時刻表でを見ると、6時15分と7時03分に、JR牟岐駅を南に向かって出発する2本の列車は、甲浦駅まで乗り入れています。阿佐東線との相互乗り入れで、そのうちの1本はJRの車両を使っているのではないでしょうか?

急いで階段を下ります。「阿佐海岸鉄道開通記念之碑」の写真を撮りたかったからです。高架下の観光案内所はシャッターが閉まっていました。駅前にも人はどなたもおられませんでした。

阿佐東線の宍喰駅方面です。高架の先はトンネルのようでした。見えにくいのですが、道路の上の高架の壁に「海部駅」と書かれていました。

今度は、急いで階段を上ります。高架の上にある踏切から見た海部駅です。左側が乗車してきたJRのキハ1250号車。この後、牟岐駅に向かって折り返します。右側が阿佐東線のASAー101号車(しおかぜ)とホームです。単行のワンマン列車でした。

阿佐東線の待合室です。前方にはトンネルの入口が見えます。待合室にあった時刻表では、甲浦駅行きは14本ありました。確認できなかったのですが、乗車券の販売はどうしているのでしょうか?下車するときに見ていると、私を含めて現金で支払う人が多かったようでした。

阿佐東線の駅標です。ポップ体の踊るような字体が楽しいです。阿佐東線の駅標にも「JR阿波海南駅」の名が書かれていました。

乗車されている人はざっと20人ぐらいおられました。”特急むろと”から乗り継いだ乗客はほぼ全員が阿佐東線に乗っておられました。この写真は、甲浦駅で撮影しましたが、転換式のクロスシートの車内です。

車内では子どもギャラりーが開催されています。子どもたちの絵が展示されていました。11時26分に出発。すぐ、前に見えていた奥浦トンネルに入ります。その後、第1那江トンネルから第10那江トンネルまで、11個のトンネルを抜けました。

その先で見えた緑の光景です。ほっとしました。湾が入り込んでいるような地形のところを走ります。その後、第1久保トンネル、第2久保トンネル、第1宍喰トンネルから第3宍喰トンネルまで5つのトンネルを抜けました。海部駅から次の宍喰駅まで大小16個のトンネルを通過したことになります。次の宍喰駅までは6.1km。そのほとんどはトンネルだったような気がしました。海部駅から7分ぐらいかかりました。

そして、二つ目の駅、宍喰駅に到着しました。やはり、高架上の駅でした。左側にホームと待合室がありました。「徳島県最南端の駅」とあります。「えっ!まだ、終点の甲浦駅があるのに」と思いましたが・・。甲浦駅は高知県に属する駅でした。確かに、徳島県の最南端ですね。

ホームから見えた高架下の風景です。この日は土曜日でしたが、高架下に見える小学校では広い敷地の中央部を使っての運動会の真っ最中でした。

すぐに、宍喰駅を出発しました。列車の最後部からみていると、留置線だと思った線路はつながっていませんでした。宍喰駅は一面一線の駅でした。

すぐに、進行方向の右側に阿佐海岸鉄道の車庫がみえました。その向こうに、第4宍喰トンネルがありました。

列車の後ろから撮影しました。日本の線路とシャッターの閉まった車庫が見えましたが、仕事をしておられる方の姿は見えませんでした。そして、2両ある車両のもう一両、廃車になったASA201号車の後継車両で高千穂鉄道から来たASA301号車の姿もまったく見えませんでした。車庫内で休んでいるのでしょうか。

長いトンネルを抜けると、終点の甲浦(かんのうら)駅です。宍喰駅から2.4km、4分ぐらいで着きました。駅標には「高知県最東端の駅」と書かれていました。高知県の鉄道は土讃線、予土線ととさでん交通(土佐電鉄と高知県交通の合併後の社名)だけではありません。「ここにも高知県の鉄道あり!」ですね。  ここで下車した乗客は、足早に階段を下りて行かれました。

ホームから見た前方です。線路は砂利に覆われて消えていました。その先がいつでも建設が再開できるように見えます。阿佐東線では行き違いが一度もなく、高架上を甲浦駅まで走ってきました。1両の車両が海部駅と甲浦駅の間を往復しています。現状では、検査の時や故障等の時のために、もう一両、予備の車両が必要という状況のようです。

終点ですが、通過駅と同じ1面1線の駅。駅員の方もホームにはおられません。列車はこのままここで待機し、出発時間が来ると出発していきます。また、最終の列車もここで滞泊せず、宍喰駅に近い車庫に移動してから夜を過ごします。

前方のホームから続く階段を下ります。右下に、駅舎の屋根が見えました。手前には自転車置き場。

高架下から見えたASA101号車です。今日は一日フル稼働のようです。足早に阿佐東線から降りた方々はここでバスを待っておられました。多くが室戸岬に向かう人たちです。

やってきました。安芸に向かう高知東部交通のバスです。お聞きすると、ここから約1時間ぐらいで安芸に着くそうです。

駅舎内です。売店兼観光案内所兼切符売り場です。委託を受けた甲浦婦人会のお二人の方がお世話をされていました。レンタサイクルもありました。せっかくなので、乗車券を購入することにしました。

婦人会の方が日付印を押した後、渡してくださった乗車券です。終点の海部駅まで270円です。

阿佐東線が運行されている駅で、目にした関係者は運転士さんただ一人でした。合理化、省力化は尽くしておられるようです。それでも、開業以来、黒字になったことは一度もない、全国で赤字ナンバーワンの鉄道会社だそうです。やはり、距離が短い路線というのは経営にとって大きなハードルになるのでしょう。

折り返しのASA101号車です。甲浦駅から海部駅に戻る列車は、12時19分発です。車内で待機しておられた運転士さんは、定時に列車をスタートさせました。ここから、11分かけて海部駅まで帰ります。

全長8.5km、阿佐東線の単行気動車は、今日も海部駅と甲浦駅間を走っています。全国でも最小規模の鉄道会社。開業以来、一度も黒字になったことがない厳しい経営環境。廃線にだけにはならないで、なんとか運行し続けてほしいと願わずにはおられませんでした。