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JR伯備線の足立(あしだち)駅の白い駅舎です。岡山県新見市油野にあります。かつては、この駅の近くにある石灰石の鉱山から、製鉄用石灰石の輸送のために姫路市の製鉄所に向かう専用列車の起点駅でした。ここから出発した三重連のSLが牽引する石灰専用列車は、伯備線の布原信号場(昭和62年国鉄分割民営化のとき駅に昇格しました)周辺などの撮影ポイントで、多くのSLファンを集めていました。
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この日は、現在のJR足立駅を訪ねるため、新見駅からJR伯備線の米子駅行き普通列車(キハ120系単行気動車)に乗車しました。伯備線は、昭和57(1982)年に倉敷駅・伯耆大山駅間の全線で電化されていますが、新見駅からは、電車とともに気動車の運用も行われています。
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新見駅から15分ぐらいで、1面2線のホームをもつJR足立駅に到着しました。 JR伯備線は、山陽本線の倉敷駅とJR山陰本線の伯耆大山駅を結ぶ、陰陽連絡路線一つで、大正8(1919)年に、伯備北線として、伯耆大山駅・伯耆溝口駅間が開業したことに始まります。山陽側からは大正14(1925)年に、伯備南線として倉敷駅・宍粟駅(現・豪渓駅)までが開通しました。全通したのは、昭和3(1928)年、備中川面駅・足立駅間が開通したときでした。
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1面2線のホームの足立駅の跨線橋の手前に停車していた列車は、次の新郷(にいざと)駅に向かって出発して行きました。足立駅は、大正15(1926)年、伯備北線が上石見駅から足立駅まで延伸したときに開業しています。
石灰石の輸送が始まったのは、太平洋戦争中の昭和17(1942年)。姫路市の日本製鉄広畑製鉄所(当時)で使用する石灰石を供給するため、この地の足立石灰工業株式会社が整備していた専用側線や生産設備、積み込み設備等が完成した時でした。 当時は太平洋戦争中であり、鉄鋼は軍需物資の製造のための必需品でした。
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戦後は、民間の需要の高まりによる鉄鋼の増産のため、足立駅から姫路駅、富士製鉄(日本製鉄から改称)広畑製鉄所の間で、製鉄用の石灰石を輸送する専用列車によるピストン輸送が始まりました。その輸送を担ったのがSLの三重連でした。 写真は足立駅のホームの新見駅側です。足立駅は海抜353m、周囲を山に囲まれた中国山地の真っただ中に設置されています。
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線路と平行して流れる西川です。駅舎のある西川の手前側が新見市油野地区、対岸は新見市足立地区になっているそうです。
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新見駅側のホームから見た駅舎側です。正面に見える跨線橋の手前にある白い建物はホームの待合室。目の前の、ホーム中央部に駅名表があります。足立駅は備中神代(びっちゅうこうじろ)駅から6.2km、次の新郷(にいざと)駅まで5.8kmのところにあります。
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ホームの待合室に来ました。ベンチと時刻表等の掲示物があるだけのシンプルな待合室です。このときは、列車を待っておられる方はいらっしゃいませんでした。
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時刻表です。特急列車の通過駅である足立駅には、下りの米子方面行き、上りの新見・岡山方面行き、それぞれ9本(平日)の普通列車が停車しています。
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跨線橋を越えて、次の新郷駅方面の端に来ました。2本の線路はホームの先で合流し、新郷駅に向かっています。伯備線は、倉敷駅・備中高梁間と井倉駅・石蟹駅間の複線区間を除いて、単線区間になっています。 右側のサイロのような建物は、足立石灰工業株式会社の敷地内に建てられています。
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跨線橋の脇を、出雲市駅に向かう特急”やくも”が通過して行きました。JR岡山駅と、伯備線、山陰本線を経由して、島根県の出雲市駅とを結んでいます。
ホームの新郷駅側から引き返し、跨線橋を渡って駅舎に向かいます。
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跨線橋を駅舎側に向かって進み、階段を下ります。右側にトイレ、その先に駅舎があります。
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階段を下ると、大波スレート葺きの屋根をもつ2坪ほどの広さの駅舎があります。現在の駅舎は、昭和55(1980)年5月に建設されたといわれています。こちらの待合スペースにも、どなたもおられませんでした。ちなみに、足立駅の1日平均乗車人員は8人(2019年)だそうです。壁の掲示には「オートバイ、自転車の乗り入れを禁止する」と書かれています。
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駅舎から出ました。自転車置き場、駅舎、トイレ跨線橋が並んでいます。
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駅舎から、米子方面に向かって歩きます。かつて、足立石灰工業株式会社の鉱山から石灰石が運ばれた引き込み線があった所に行くつもりでした。左側の線路に接した建物には、「鉄詰 通信区 職場1号 昭和45年8月」と書かれた「鉄道資産標」が貼られていました。
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「建物資産標」のあった建物の脇の柱から「立入禁止」を示すようにロープが掛けられていました。残念ながら、専用列車が走っていた引き込み線の跡に行くことはあきらめ、引き返すことにしました。
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駅舎の脇の道を新見方面に向かいます。このとき、岡山駅行きの特急”やくも”が通過していきました。”やくも”の手前に架かっている橋に向かいます。
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西川の対岸の足立地区と足立駅を結ぶ橋を通って、対岸を走る県道8号(主要地方道新見日南線)に入ります。
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橋を渡って左折して、県道8号を西川の上流に向かって進みます。対岸から、白を基調にした足立駅の駅舎が見えました。
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県道8号を進みます。「油野 三室 東城 県道12号」と書かれた道路標識のあるところで左折します。県道12号は、主要地方道足立東城線です。
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西川と油野川との合流点です。正面には伯備線の油野川橋梁が見えます。西川に架かる落合橋を進みます。
足立駅から足立石灰工業株式会社への引き込み線は、油野川橋梁の手前側に架けられていたといわれています。 ここから油野川の上流に向かって9kmぐらいのところにある三室(みむろ)峡は、春(4月下旬から5月上旬)にはシャクナゲの、秋(10月下旬から11月中旬)には紅葉の名所として知られています。
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油野川橋梁の足立石灰工業株式会社側です。かつては、この上に引き込み線の橋梁があり、専用列車が往復していたといわれています。橋台の跡が見えます。
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こちらは、足立駅側の橋梁跡です。SLの3重連も渡っていたそうです。草に覆われていますが、橋台が残っているそうです。
引き返して、県道8号に戻ります。
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県道8号はその先で登り坂になります。道路の両側に、足立石灰工業株式会社の建物が広がっています。
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道路の左側に、サイロのような建物がありました。このあたりに、石灰専用列車に石灰石の積み込みを行うための設備が設置されており、積み込み作業が行われていたそうです。
富士製鉄広畑製鉄所は、昭和45(1970)年に新日本製鐵広畑製鉄所と改称され、昭和61(1986)年には、足立石灰工業株式会社からの石灰石の搬入に使用されていた専用鉄道も廃止されることになりました。 その後、住友金属工業との合併を経て、現在は、日本製鉄瀬戸内製鉄所広畑地区となっています。
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JR足立駅を訪ねて来ました。 引き込み線や側線など、かつての面影を伝えるものはほとんど残っていませんでしたが、SL三重連が走っていた時代を思い出す旅になりました。