2022年5月22日 2刷です。
ツッコミどころが多いので、2回に分けます。
100円販売も続いているし、他の方の批評も参考に少し直すことにしました。
改+2・1
P10、P144:青丹よし 寧楽の都の咲く花の
この歌を二度も記載し、P10では花が何であるかは文化の問題を考えなければならない
と書きながら花が何かは論じないままで終わっています。
~万葉集に出てくる植物の名前を集計した中尾佐助という方が居ます。
彼の集計によれば1位ハギ138回、2位ウメ118回、サクラは8位42回です。
サクラの上にタチバナ、スゲ、ススキが出てきますから、サクラは、この時代はまだ
まだ新参者だったようです。香り・薫からするとウメかタチバナが正解でしょう。
~サクラは全て山桜(=花より先に葉が出る)しか見つかっていないだろう時代です。
改+2・2
この本の売り文句に、「日本の巨大古墳が突然消えたワケ」という奇怪なコピーがあります。
「巨大古墳を造るのを止めたワケ」なら正しいかもです。
「ワケ」も、この本には書いていません。
環境は書いてあるから読者が勝手に判断してねというのが正しいところでしょう。
最近の天皇の陵は巨大とは言えないにしても立派な円墳です。
大きな陵は造り続けているのです。
P5:ユダヤ人埴輪
ユダヤが北のイスラエルと南のユダ王国に分かれたのがソロモン王(~紀元前930年?)
の子の時代ですから紀元前920年頃の事です。イスラエルが滅んで失われた十支族
となるのは、紀元前772年の話です。当時のユダヤ教は統一された宗教では無く
多神教までも含んでいたとされていますし、祭祀も支族ごとに違っていたようです。
南の2支族がバビロン捕囚に遭うのは紀元前586年。でユダヤ教が形を成すのは
バビロン捕囚の間とされます。バビロン捕囚からの開放では十支族の一つが手助けした
ようですが、宗教の違いが大きく後にユダヤ教から破門したようです。
さて十支族の一つとされる弓月氏が日本に渡るのは応神天皇の時代で長浜浩明氏の研究
によれば、西暦390~410の応神天皇14年の出来事です。
弓月氏は日本に渡って秦氏になったとあります。この時代、朝廷は奈良にあります。
ユダヤ人埴輪が奈良の古墳で見つかるなら妥当ですが、関東でのみ見つかる理由が説明不能
なのです。思いつくのはユダヤ同祖論を提唱した集団が神社に仕込んだ事実です。
これを、奈良の古墳では発掘されていない古墳はほとんどないからと、未発掘の古墳だらけの
関東の古墳に仕込んだというのが正解でしょう。
そもそも、1100年ほど全く交際の無かった民族が、別民族のさらに1600年ほどの未来の
習俗を正確に土偶に表現できたというのは荒唐無稽です。さらに言うなら、西暦400年の自分
たちの今の姿(日本人とほぼ同じ衣服に少しユダヤ?っぽい顔と姿)を一つも再現していないという
事実もあります。
P5:
当時、人口の1/9を占めた彼らの子孫達が:
この数字どこから出てきたんでしょうか。
弓月氏は、120県の民を率いて居住したとはあります。職業は養蚕と織絹だったよう
ですし、ユダヤ人とは限らなかったようです。
P8、P48:
土偶については、「土偶を読む」竹倉史人著 晶文社 を読んで欲しかった。
同じような土偶の存在から縄文時代人全員が共通の家族認識があったとするのは
荒唐無稽です。共通の宗教観があったと考える方が自然です。
P8:
イザナギ、イザナミは神話の登場者です。そもそも神話の登場者はほとんどの場合、
一族で始まります。ギリシャ、インドのように神々が揃った状態から始まるのも
あります。この場合人間も既存なのが普通のようです。
キリスト教の人間は、男一人から始まります。でアダムとイブには息子しかいないのに
人間が増えるという無茶を放置しているように結構いい加減なのも多いです。
神話をそもそもマジメに取るのが間違いです。ところで、近親相姦による異形を
イザナギ、イザナミが証明しているとするのは間違いです。女から誘ったからで、
男から誘うのが正しい結果を得るというのが本質です。
P9:
大仙古墳と呼ぶべきではなく仁徳天皇陵と呼ぶべきだと述べています。
仁徳天皇は8世紀頃に諡されたものとされています。
諱(いみな〈本名〉)は大雀・大鷦鷯(おおさざき)です。
その陵が建立当初は、仁徳天皇陵という名称で無かったことだけは確実です。
~おまけ:聖徳太子も諡の一種のようです。
P20~
形がほぼ永遠に残るものでないと遺跡とはなりえません。
ここがまず大事です。
簡単な遺跡は、洞窟です。一度立ち寄っただけでも痕跡は残り続けるために
遺跡として残ります。多人数が住むには向いていないため、長期間の住居には
なりませんが、非難や移動中の住居として何度も使われることが多いです。
長期間の遺跡になるためには、定住することが必須です。日本は木造が主体
ですから、地下部分の痕跡がメインになります。
住居以外に残るのはお墓です。大石を置いたものとか、塚や古墳の築いたもの
が残り、誰かが気付くわけです。
~ピラミッドであって欲しいな~と自然の山をピラミッドに見立てたアホ話も
ありました。
同じ場所に住み続けられると、住居跡遺跡は多分に消滅します。幸いなことに、
古代の燃料は樹木が主体ですから、近在の樹木が無くなったら、移動するしか
なくなります。で、地下の痕跡やゴミ捨て場や墓の痕跡が残るわけです。
~近所に豊富な山林があると移動しないままになります。栃木県日光市足尾町に
住んでいた知人の家の一帯は庭を掘ると石器や土器が出てくるそうです。
これを報告してしまうと家の改築、修理や庭いじりも畑作もできなく
なるからと、近所の誰もが役所には内緒にしていたそうです。
さて、関東以北は、縄文期終わり近くの寒冷化により、サトイモの越年が不可能
になり遮光器土偶が作られなくなったことがわかっています。
多くの住民が移住したと推定できます。後の住居は森林に飲み込まれて遺跡
として見つけられるのを待っているわけですから数は多いのです。
日本の南の地方は暖かい分、木材消費は減るし木の成長も早いのでより長く
住み続けられますから、住居跡が遺跡として残ることは少なくなります。
つまりは、遺跡の数で当時の住民数を推定するのは無理があります。
P25:
現在のアフリカの人口をみた場合、世界の人口にはるかに及びません。
生活も基本は野生動物の狩猟と自生する植物の採集です。しかも獲物は移動しますから、
獲物を追いかけると隣の集団とハチ合わせしての戦いもしょっちゅうです。
獲物の数とか集団間の生存戦争を自然調整した結果が今も続く集落の人口なのでしょう。
1人でも増えたら、食料が不足します。かと言って人を減らしすぎると戦いに負けて
さらに減るのは必須だし、逃げる獲物を捕まえるにも苦労し部族はさらに衰退します。
こんな地域で人口少なめで生きていけるというのは単なる幻想です。
基本的に常に多めの人数がいて、食えないからと追い出すのが常態なのです。
朝鮮に旧石器時代の遺跡が少ないのは、朝鮮は長く無人の土地であり、縄文人が、
鉄鉱石を求めて朝鮮に渡って住み始めたので歴史が浅い。また、朝鮮に南下した民族は、
狩猟民で移動がほとんどですから、住居跡遺跡は無理というもの。
P23~25:ゴブスタンの岩絵
P23では、マストが10数本もあって10数人の漕ぎ手がいるような大きな船と
言いながら、P25では小船として大船の存在を否定しています。
P26:
日本をその地域の言語で訳したからというだけのはずです。
明らかに東に向かって移動してきたのは一部のユダヤ人の弓月氏でしょう。
でもこれ紀元前772年あたりの移動開始ですから新しすぎます。
東へというのは旧約聖書を尊ぶ民族だけでしょうが、近代のクリスチャンの誰も
その意識では来ていないはずです。
なお、さらに東へのどん詰まりはアメリカ大陸です。
東への意識は、全ての民族が持っていたみたいな普遍化は、しない方が良いです。
モンゴリアン系は東へ向かう信仰を持っていたと見てもいいかも。
P32ーP33:
太陽が高く昇ることを求めるなら南に行くことです。日本ならまずは鹿児島そして
沖縄です。
東北、関東は、太陽の登ってくる方向の東に少しでも近づけた地域というところ
でしょう。~時差の意識はなかったかもです。
日高見国の高見は、高見の見物の高見なんでしょう。
P51:
別記事に出雲国譲り神話の時期を掲載しました。
なので、出雲国譲りよりかなり後に出来るはずの諏訪神社を祭る集団が降臨に加われる
道理などハナからありません。
諏訪神社が出来る理由は、数世紀後の、九州討伐、隼人討伐、熊襲討伐に諏訪の集団が
加わって討伐後、諏訪勢がそれらの土地を貰って住み着いたからとなります。
なお、神武天皇が残した次男の継承した土地の民および関連する集団は天孫降臨伝承を
記憶していたはずだから、殲滅したはずです。
もちろん鹿島・香取系の神社など残すはずもありません。
P52:
海外からの移民、帰化人は、DNAや言葉に影響する程にはいなかったようです。
弥生人流入説に影響されているようです。
~ひらがな、カタカナにヘブライ文字と読みが流用されているようですから、
文字作成にユダヤ人が関わっているとして良いでしょうが、これは、ずっと後の時代です。
P54:
出雲荒神谷遺跡で多数の銅剣が発掘されています。銅剣にはXのマークが刻まれて
います。しかし、このXを現代の「使えない」・「使用禁止」などの意味にとって
良いのかは疑問です。Xをその意味に使い出した歴史は新しいようです。
~Xが肯定の意味になる国もあるようです。
迂闊にXマークを動作で作ったら凄くヤバイ状態に陥る国もあるってことです。
~うなずくと否定の意味になる国もあります。
~おいでおいでの動作も、手のひらが下なので理解不能でかろうじて済んでいます。
手のひらが上だと、掛かってこいになる国が多いです。
~Yes、Noを常にはい、いいえの意味で使っちゃダメよというのは最初に習います。
第三章以降(P62~)は別に。
ツッコミどころが多いので、2回に分けます。
100円販売も続いているし、他の方の批評も参考に少し直すことにしました。
改+2・1
P10、P144:青丹よし 寧楽の都の咲く花の
この歌を二度も記載し、P10では花が何であるかは文化の問題を考えなければならない
と書きながら花が何かは論じないままで終わっています。
~万葉集に出てくる植物の名前を集計した中尾佐助という方が居ます。
彼の集計によれば1位ハギ138回、2位ウメ118回、サクラは8位42回です。
サクラの上にタチバナ、スゲ、ススキが出てきますから、サクラは、この時代はまだ
まだ新参者だったようです。香り・薫からするとウメかタチバナが正解でしょう。
~サクラは全て山桜(=花より先に葉が出る)しか見つかっていないだろう時代です。
改+2・2
この本の売り文句に、「日本の巨大古墳が突然消えたワケ」という奇怪なコピーがあります。
「巨大古墳を造るのを止めたワケ」なら正しいかもです。
「ワケ」も、この本には書いていません。
環境は書いてあるから読者が勝手に判断してねというのが正しいところでしょう。
最近の天皇の陵は巨大とは言えないにしても立派な円墳です。
大きな陵は造り続けているのです。
P5:ユダヤ人埴輪
ユダヤが北のイスラエルと南のユダ王国に分かれたのがソロモン王(~紀元前930年?)
の子の時代ですから紀元前920年頃の事です。イスラエルが滅んで失われた十支族
となるのは、紀元前772年の話です。当時のユダヤ教は統一された宗教では無く
多神教までも含んでいたとされていますし、祭祀も支族ごとに違っていたようです。
南の2支族がバビロン捕囚に遭うのは紀元前586年。でユダヤ教が形を成すのは
バビロン捕囚の間とされます。バビロン捕囚からの開放では十支族の一つが手助けした
ようですが、宗教の違いが大きく後にユダヤ教から破門したようです。
さて十支族の一つとされる弓月氏が日本に渡るのは応神天皇の時代で長浜浩明氏の研究
によれば、西暦390~410の応神天皇14年の出来事です。
弓月氏は日本に渡って秦氏になったとあります。この時代、朝廷は奈良にあります。
ユダヤ人埴輪が奈良の古墳で見つかるなら妥当ですが、関東でのみ見つかる理由が説明不能
なのです。思いつくのはユダヤ同祖論を提唱した集団が神社に仕込んだ事実です。
これを、奈良の古墳では発掘されていない古墳はほとんどないからと、未発掘の古墳だらけの
関東の古墳に仕込んだというのが正解でしょう。
そもそも、1100年ほど全く交際の無かった民族が、別民族のさらに1600年ほどの未来の
習俗を正確に土偶に表現できたというのは荒唐無稽です。さらに言うなら、西暦400年の自分
たちの今の姿(日本人とほぼ同じ衣服に少しユダヤ?っぽい顔と姿)を一つも再現していないという
事実もあります。
P5:
当時、人口の1/9を占めた彼らの子孫達が:
この数字どこから出てきたんでしょうか。
弓月氏は、120県の民を率いて居住したとはあります。職業は養蚕と織絹だったよう
ですし、ユダヤ人とは限らなかったようです。
P8、P48:
土偶については、「土偶を読む」竹倉史人著 晶文社 を読んで欲しかった。
同じような土偶の存在から縄文時代人全員が共通の家族認識があったとするのは
荒唐無稽です。共通の宗教観があったと考える方が自然です。
P8:
イザナギ、イザナミは神話の登場者です。そもそも神話の登場者はほとんどの場合、
一族で始まります。ギリシャ、インドのように神々が揃った状態から始まるのも
あります。この場合人間も既存なのが普通のようです。
キリスト教の人間は、男一人から始まります。でアダムとイブには息子しかいないのに
人間が増えるという無茶を放置しているように結構いい加減なのも多いです。
神話をそもそもマジメに取るのが間違いです。ところで、近親相姦による異形を
イザナギ、イザナミが証明しているとするのは間違いです。女から誘ったからで、
男から誘うのが正しい結果を得るというのが本質です。
P9:
大仙古墳と呼ぶべきではなく仁徳天皇陵と呼ぶべきだと述べています。
仁徳天皇は8世紀頃に諡されたものとされています。
諱(いみな〈本名〉)は大雀・大鷦鷯(おおさざき)です。
その陵が建立当初は、仁徳天皇陵という名称で無かったことだけは確実です。
~おまけ:聖徳太子も諡の一種のようです。
P20~
形がほぼ永遠に残るものでないと遺跡とはなりえません。
ここがまず大事です。
簡単な遺跡は、洞窟です。一度立ち寄っただけでも痕跡は残り続けるために
遺跡として残ります。多人数が住むには向いていないため、長期間の住居には
なりませんが、非難や移動中の住居として何度も使われることが多いです。
長期間の遺跡になるためには、定住することが必須です。日本は木造が主体
ですから、地下部分の痕跡がメインになります。
住居以外に残るのはお墓です。大石を置いたものとか、塚や古墳の築いたもの
が残り、誰かが気付くわけです。
~ピラミッドであって欲しいな~と自然の山をピラミッドに見立てたアホ話も
ありました。
同じ場所に住み続けられると、住居跡遺跡は多分に消滅します。幸いなことに、
古代の燃料は樹木が主体ですから、近在の樹木が無くなったら、移動するしか
なくなります。で、地下の痕跡やゴミ捨て場や墓の痕跡が残るわけです。
~近所に豊富な山林があると移動しないままになります。栃木県日光市足尾町に
住んでいた知人の家の一帯は庭を掘ると石器や土器が出てくるそうです。
これを報告してしまうと家の改築、修理や庭いじりも畑作もできなく
なるからと、近所の誰もが役所には内緒にしていたそうです。
さて、関東以北は、縄文期終わり近くの寒冷化により、サトイモの越年が不可能
になり遮光器土偶が作られなくなったことがわかっています。
多くの住民が移住したと推定できます。後の住居は森林に飲み込まれて遺跡
として見つけられるのを待っているわけですから数は多いのです。
日本の南の地方は暖かい分、木材消費は減るし木の成長も早いのでより長く
住み続けられますから、住居跡が遺跡として残ることは少なくなります。
つまりは、遺跡の数で当時の住民数を推定するのは無理があります。
P25:
現在のアフリカの人口をみた場合、世界の人口にはるかに及びません。
生活も基本は野生動物の狩猟と自生する植物の採集です。しかも獲物は移動しますから、
獲物を追いかけると隣の集団とハチ合わせしての戦いもしょっちゅうです。
獲物の数とか集団間の生存戦争を自然調整した結果が今も続く集落の人口なのでしょう。
1人でも増えたら、食料が不足します。かと言って人を減らしすぎると戦いに負けて
さらに減るのは必須だし、逃げる獲物を捕まえるにも苦労し部族はさらに衰退します。
こんな地域で人口少なめで生きていけるというのは単なる幻想です。
基本的に常に多めの人数がいて、食えないからと追い出すのが常態なのです。
朝鮮に旧石器時代の遺跡が少ないのは、朝鮮は長く無人の土地であり、縄文人が、
鉄鉱石を求めて朝鮮に渡って住み始めたので歴史が浅い。また、朝鮮に南下した民族は、
狩猟民で移動がほとんどですから、住居跡遺跡は無理というもの。
P23~25:ゴブスタンの岩絵
P23では、マストが10数本もあって10数人の漕ぎ手がいるような大きな船と
言いながら、P25では小船として大船の存在を否定しています。
P26:
日本をその地域の言語で訳したからというだけのはずです。
明らかに東に向かって移動してきたのは一部のユダヤ人の弓月氏でしょう。
でもこれ紀元前772年あたりの移動開始ですから新しすぎます。
東へというのは旧約聖書を尊ぶ民族だけでしょうが、近代のクリスチャンの誰も
その意識では来ていないはずです。
なお、さらに東へのどん詰まりはアメリカ大陸です。
東への意識は、全ての民族が持っていたみたいな普遍化は、しない方が良いです。
モンゴリアン系は東へ向かう信仰を持っていたと見てもいいかも。
P32ーP33:
太陽が高く昇ることを求めるなら南に行くことです。日本ならまずは鹿児島そして
沖縄です。
東北、関東は、太陽の登ってくる方向の東に少しでも近づけた地域というところ
でしょう。~時差の意識はなかったかもです。
日高見国の高見は、高見の見物の高見なんでしょう。
P51:
別記事に出雲国譲り神話の時期を掲載しました。
なので、出雲国譲りよりかなり後に出来るはずの諏訪神社を祭る集団が降臨に加われる
道理などハナからありません。
諏訪神社が出来る理由は、数世紀後の、九州討伐、隼人討伐、熊襲討伐に諏訪の集団が
加わって討伐後、諏訪勢がそれらの土地を貰って住み着いたからとなります。
なお、神武天皇が残した次男の継承した土地の民および関連する集団は天孫降臨伝承を
記憶していたはずだから、殲滅したはずです。
もちろん鹿島・香取系の神社など残すはずもありません。
P52:
海外からの移民、帰化人は、DNAや言葉に影響する程にはいなかったようです。
弥生人流入説に影響されているようです。
~ひらがな、カタカナにヘブライ文字と読みが流用されているようですから、
文字作成にユダヤ人が関わっているとして良いでしょうが、これは、ずっと後の時代です。
P54:
出雲荒神谷遺跡で多数の銅剣が発掘されています。銅剣にはXのマークが刻まれて
います。しかし、このXを現代の「使えない」・「使用禁止」などの意味にとって
良いのかは疑問です。Xをその意味に使い出した歴史は新しいようです。
~Xが肯定の意味になる国もあるようです。
迂闊にXマークを動作で作ったら凄くヤバイ状態に陥る国もあるってことです。
~うなずくと否定の意味になる国もあります。
~おいでおいでの動作も、手のひらが下なので理解不能でかろうじて済んでいます。
手のひらが上だと、掛かってこいになる国が多いです。
~Yes、Noを常にはい、いいえの意味で使っちゃダメよというのは最初に習います。
第三章以降(P62~)は別に。