ファンタジーなど

基本的に、いろいろなことの変なとこに突っ込みます。

邪馬台国物語 ~邪馬台国論争は完全に決着する~ 山下善文著

2022-12-23 12:52:59 | 本と雑誌
産経新聞の一面広告が載りました。
一般財団邪馬台国学会の発行でこれまで通り市販はしないようです。

まさに物語に仕上げているようです。

残念ながら、魏志倭人伝を含めて大した検証もせずに書いた物語のようです。
最近の事柄もろくに反映せずに書き直したようです。
長浜浩明氏の日本の誕生だけは読んでおくべきでした。
読んだら自分のこれまでがすべて否定されてしまうことがわかるのですけど。

新聞広告で少しおもしろい所を書いてみます。

その1:日本の石器時代どころか縄文時代の考察が一切無いというか無視している。
    日本が大陸と陸続きだった時代があることもスッポリ抜けている。
    最初に日本に渡ったのが海洋民族としている他に、朝鮮、中国から移民
    してきたと旧来の通説通りの考えを変えていないようです。
    移民してきてすぐに弥生時代をはじめたかのような物語にもなっています。
    ただし、物語途中、北九州への日本人最初の移民は紀元前600~700年
    とも書いているようで、これは旧来の皇紀紀元を当てただけのようです。
    邪馬台国の物語だから石器時代も縄文時代も弥生時代さへお呼びじゃない
    のはわかるんだが。

その2:日本語が、どこの国とも違う言語であることを無視している。
    このような孤立言語で方言はあるものの日本全土で共通な言語というのはすごい
    ことなのです。書き言葉を記述できる文字と文字教育が手助けしたとも言えます。
    (アイヌは侵略者なので別言語だったが、隣り合った村でも話が通じな
     かったようで、明治以後の教育では日本語を強制するしかなかったようです。
     これは、台湾も同じです。昔の中国も数千年に通じて同じだったようで、共通語を
     無理矢理作ったものの話し言葉と文字の乖離がすごくて書くことができなし話言葉が
     結構あるようです。)

その3:日本人のY染色体のDNAが近隣諸国と遙かに隔たっていることも無視している。
    アイヌとの共通性も無いようです。沖縄県民も本土と同じDNAです。

その4:魏志倭人伝すら信じていない。
    女王卑弥呼は邪馬台国で死に後に台与が継いだことが記述されているが、
    女王は東征して西暦248年宇佐神宮境内で死亡したことにしている。
    なお、247年3月24日夕、248年9月5日朝の日食で卑弥呼(比売大神)は
    天照大御神になったともしている。
    宇佐美神宮に邪馬台国や卑弥呼に触れた文書・伝説は無いはず。
    ~物語だから証拠を示すはずも無いか。
    なお卑弥呼が東征したとし、卑弥呼の兄弟を初代として5代の子(150年経過)を
    神武天皇とするから、大和朝廷開始も398年(248+150)のことになり、
    歴代天皇の何人かの存在を無視することにもなり、丁度神功皇后あたりの
    歴史とぶつかることになり矛盾だらけになります。
    ついでに信じている皇紀を説明できないことも忘れているかも。
    日本の誕生にあるように大阪平野の発達史から、日本書紀の大阪湾侵入時期は
    BC1050~BC50のどこかということがわかっています。

    邪馬台国の中心を福岡県の嘉穂郡穂波・飯塚市筑穂・桂川の接点の
    真護山としている。これ魏志倭人伝の記述にも合わないようで、
    この土地を推す人は他にいないようです。
    長浜浩明氏はじめ多くの方は福岡県の旧山門郡瀬高町、現みやま市
    瀬高町女山(旧名女王山)の西の高台、女山神護石周辺としています。
    山門郡や女王山などの名称が、ここを推す理由になりそうです。

その5:奴国が漢から金印を貰ったことを、「属国として認証されたと考える方が
    正しいと思います」と、属国になりたいと言っているような文章も。

その6:記紀を恣意的に流用している。
    卑弥呼の両親、兄弟に記紀の神話に登場する人物に当てはめている。
    さらに、本人を天照大神にするから、破綻している。

その7:最後に、平和論的なことが書いてあります。
    物語には余分かも。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 福寿草の七福神について 追加2 | トップ | 筆まめVer.32がヤバイ »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

本と雑誌」カテゴリの最新記事