ファンタジーなど

基本的に、いろいろなことの変なとこに突っ込みます。

地震に思うこと

2024-01-19 20:44:01 | 日記・エッセイ・コラム
大きな最初の地震は、秋田県に住んでいた時の1965年に遭遇した地震でした。
釣り師三平のマンガで有名になった地震でしたが、被害は比較的に少なく、
大地震の範疇からは、はずれ、地震記録からも消えました。
最初の揺れの後、グラウンドに逃れたのですが、グラウンドが波打って見えました。
国保で完成した4階建て中学校校舎も、本体の外に飛び出す形のトイレの3本全部が
校舎から分離し、上から地面が丸見え、そして水を流すだけでトイレ掃除完了という
手抜きも終わったのでありました。
 ~鳥海山2合目だっけ?籠立て場の数十メートル以上の粘土だけに見える直立壁が
  崩壊しないのが不思議でした。

2回目の大きい?のは新宿野村ビルでの50階+で経験しました。
目の前でセンタービルの揺れが見えていて、相互の揺れ幅がすごい。
自分が立っていられるのも凄いんですけど、どっちもブロック作りなのに、どこも壊れないのに
ビックリでした。

3回目は、同じ新宿の古いビル。震度4そこそこで、30Fそこそこなのに、
立っていられないのでありました。
技術の進歩に感心したのでありました。

4回目は、日光市に里帰り=移住してからでした。
東日本大震災です。日本では3.11で表わすことも多いですが、これも世界の大震災の記録には
入らなかったようです。
この時期、FF-XIのオンラインゲームにはまったままでして、グループリーダーは、
話の節々で、宮城県に縁のある人とは判明していました。
震災後数ヶ月、一向に入ってこないのでありました。
メンバーの誰も言いませんでしたが、これ巻き込まれたかもの感想でした。
スクエニも当時はグループ維持の課金を休止してくれていましたが、メンバーの誰もリーダーの
参入を感知できず、これは最早と、別グループを立ち上げたのでありました・・・

今回のは、少し感知した程度です。
思えば、大卒で就職した先が、石川県の今の「かほく市宇ノ気町」です。
会社は、PFUの前身で最初の名前は、「宇野気電子工業株式会社」でありました。
入って直ぐにUSAC(ユーザックと発音。宇野気スタンダード・オートメーション・カンパニだっけ?)
の名前に変わりました。
パチンコ店舗のパチンコ管理マシーンも製造していて、それが面白いと入社したのが理由でした。
~入社後、ソフトウェアに興味が移り、パチンコは、リアルの暇つぶしになったのでした。
横道が激しくぶれました。USACの同期入社には石川県から広く入社していました。
新入社員教育後の選択でソフトウェアを選び、ハードウェアは昔ながら=秋田県中学生時代からの趣味に
収めることに決定したのでした。オーディオも、機器を作ることに趣味が有ったので当然かも?

で、ソフトウェアを選んだら、東京銀座が勤務先でした。
東京には石川県出身女性は居ませんでした。
東京勤務で、石川県出身女性と付き合う道もほぼ消えたのです。
今思えばラッキーだったんでしょうね。夫婦一緒の里帰りイベントが成立できなかったのですから。


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