ファンタジーなど

基本的に、いろいろなことの変なとこに突っ込みます。

天照大神と卑弥呼は別人

2024-02-21 11:22:25 | 日記・エッセイ・コラム
DIRECT出版は、田中英道氏を講師に迎えている手前か、邪馬台国の扱いがおかしくなっています。

長浜浩明氏の「日本の誕生 皇室と日本人のルーツ」で明らかになっているのは、
初代天皇の即位はBC70年です。

天照大神は、蝦夷の国:高天原に存在していたと、記紀は語ります。
その高天原から神が代わりに息子を派遣したのです。
 ~残った親が新たに男の子を作ると、こちらが正当な後継者です
船で九州高千穂に至り、そこに永く住み着いた後の子孫が、
日向の地より東征に旅立ち、遂に奈良盆地にいたって大王を名乗ったのでした。
 (これを天皇、名を神武としたのは後世の人々で、初代天皇ともしたのです)
 ~日向から出立する際に男の子を残しましたが、奈良で男の子を作ったので奈良の方が
  正統な後継者になります。

さて、邪馬台国の存在は、魏志倭人伝のみに記述されていますが、所在は、北九州。
卑弥呼の帯方郡への使いは西暦247年と解明されています。

大和朝廷が北九州を支配下に置いたのは290~320の頃とされ、卑弥呼の没年もこの辺です。
ただし、記紀の記事を信用するなら、当時、邪馬台国を認識していなかったようです。
後年、魏志倭人伝を入手して、そんな国があったんだという程度の認識だったようです。

天照大神と卑弥呼では時代が違いすぎます。
後世の天皇家が、宇佐八幡宮を重視する理由は別に探すべきです。

 卑弥呼の墓は旧地番:福岡県山門郡瀬高町、現:みやま市瀬高町女山(ゾヤマ:旧名女王山)に
 卑弥呼の宮があったと推定されています。
 そして墓は、高さ5m周囲役140mの円墳の権現塚とされています。塚は未調査のようです。

ついで:神功皇后の没年は389あたりとなっています。この後を息子の応神天皇が継ぎ410年没となります。
 宇佐神宮の建立は、この後のことになるはずです。
 主神の「主売大神」が誰なのか、そして、
 神功皇后と応神天皇を、それぞれの墓=塚とは離れた土地に別に祭った理由が解き明かすべき謎です。

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