2007年出版の「トンデモ日本史の真相」の文庫版(分冊)です。
倭の五王で気になった点を少し。
倭の五王は、畿内にいたというのは、納得できますが、記紀と名前が一致しない点を、記紀の成立年代が遅いことから記紀の間違いとしている点です。
素人としては、次のように思えるのですが・・・・
天孫降臨は高天原で、そこから畿内に出征したとなっているし、畿内に収まるまでだいぶかかったとしているのですから、素直に、畿内を征服して成立したと読めばいいんではないでしょうか。
で、倭の五王は、征服された側の王であったと。で、書き物なんかは、なかったろうから、征服した側の事情しか残らなかったということでしょう。
ついでに:九州には本家があったわけですから、自分らが王となるには邪魔なので、後に本家を徹底的に滅ぼしたけど、それまでの知識・伝説・口伝は、そのまま残すしかなかったと。分家からの来客だから、すごく歓迎されたはずで、まさか、暗殺に来たとは誰も思わなかったでしょうね。
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