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追悼、小沢みのるくん

2009-05-29 | 日記・エッセイ・コラム

 最近、インターネットの無料通話Skypeをつかって、帯広に帰った東川佳人くんと話をする。小沢みのるくんが亡くなった、と、昨夜、聞いた。亡くなったのは、2月16日だという。

 

 1974年(昭和49年)、帯広の西2条7丁目のベル帯広店2Fで、アマチュア・バンドのライブをやっていたことは、以前に書いた。デビュー直前の中島みゆきさんがそこで歌っていた、と。1981年にキャデラックスリムとして、フォーライフ・レコードからメジャーデビューしたバンド、ペニーレーンも出演していた。そして、小沢みのるくんのバンドもでていた。なぜか、メンバーは全員、ゴム長靴をはいていた。みんな、高校生のバンドだ。

 

  (松山千春さんも、アマチュアのときは、ニッカボッカに地下足袋の、鳶のにいさんのスタイルでステージにでていた。このころ、十勝のアマチュア・ミュージシャンのなかでは、労働スタイルが流行りだったのだろうか?)

 

 小沢みのるくんのバンドは、まさにパンク・バンドだった。まだイギリスのセックスピストルズはデビューしてないから、先駆的なバンドだ。ちゃんと楽器を弾けるのは、ギターだけだった。(このギタリストが、藤野敦志くんだ。このあとペニーレーンに参加して、キャデラックスリムでは、テツヤくんとふたり、素敵なツイン・リード・ギターを弾いた)。

 

 楽器は満足に弾けないが、ロックをやりたい、という熱い心がある。楽器を練習する努力は嫌だ、だが、人の前でロックを演奏したい! その熱い思いだけで、楽器をかき鳴らし、叫び、歌う。その下手さかげんは、強烈にクレージーだったが、嫌いじゃない。わたしの心を震わせた。

 

 その凶暴なほど下手くそなパンク・バンドのベースで、ボーカルでリーダーが、小沢みのるくんだった。ギターの敦志くんがペニーレーンに参加したあと、小沢みのるくんは楽器を置き、ボランティアの、ペニーレーンのロード・マネージャーで、ドライバーで、電気のメカで、用心棒だった。

 

 キャデラックスリムとしてデビューするまで、帯広の地元で手助けしてくれた、たくさんの人たちがいる。小沢みのるくん、小松くん、湯原くんたちは、メンバーの高校生のときからの仲間たちだ。かれらは、じぶんたちの夢を託すように、バンドのために力をかしてくれた。

 

 ペニーレーンが、札幌の大通り公園でのイベントに呼ばれたり、釧路の大学の学園祭に出演したときも、小沢みのるくんや小松くんは、自分の仕事を休んで、自分の車をだして楽器を運んでくれたりした。北海道のはなしだから、車で走る距離は、片道200キロとか、300キロになる。


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