局の道楽日記

食道楽、着道楽、読書道楽  etc
生活色々を楽しんで暮らしている日々の記録です

朝の怒り

2013-02-03 22:39:56 | 読む
日経朝刊の最終面に 私の履歴書という記事がある。

色んな分野の方が一か月にわたって自分の半生を記し、大半は興味深いコーナーでもあるのだが・・・

一月担当は あのジジであった(またこのジジの悪口かよ、と思われる方はこのブログを長く読んでいる方である) ☆ ここらへん 

作家 渡辺○一

こんなに私の神経を逆なでする作家はいない。嫌なら読むなよだけど嫌だ嫌だと思って読んで誰かとその感想を共有したくもある。

一月も終盤、なぜか彼の履歴書はまだ昭和40年代であった。
今までの内容はを箇条書きいたしますと(ああ、ワタシもヒマね)

☆ ざっと祖父母や両親のこと 小学校時代からお勉強ができて作文や短歌の才能があった自慢

☆ それから高校になっての自死した天才画家とのかかわり(これは小説にもなってるしさんざんどこかで同じようなネタは読んだ)そんな重要な出来事であり大切な出会いと別れのはずなのに、画家の名前を間違ってましたという訂正が次の日に記載されていて失笑

☆ 京大の哲学科に行きたかったけど、母に説得されて医学部に行く

☆ 解剖の授業で人間が一皮むけばみな同じ(乱暴なまとめかただがだいたいそんなもん)これも良く新潮のエッセイのネタにされてる繰り返し

☆ 医者になって整形外科教室へ

☆ そこで可愛くて仕事もできたらしい看護婦とデキちゃう。

☆ 妊娠もさせちゃう(いくら整形の医者でも国試で産婦人科の勉強くらいやったろうに)

☆ しかしまだ大学院生だし、ここで子供ができたら 母もびっくりするだろうと堕胎させる

☆ 看護婦さん多少狂乱(無理もない)

☆ それがうざくなって遠ざかる

☆ 母にすすめられたお見合いで医者の娘と結婚

☆ 結婚式で中絶させた看護婦さんが乗り込んでこないかとおびえる

☆ 和田教授による日本初の心臓移植手術が行われる

☆ 地方の病院でこの快挙!と有頂天で新聞にも投書

☆ レシピエント死亡と移植手術の問題性があらわになってきて焦る

☆ 医局をやめる 小説も書いていて何度か賞の候補にもなっていたのでそれで生きて行こうと思う

☆ 単身で上京 バイトで医者も続ける

☆ そこでまた彼女を作る

☆ 彼女浮気する 部屋にオトコが居るのを見つけて糸鋸でドアチェーンを切断を試みるも警察に通報されて逮捕されそうになる(自分は結婚しているくせに)

☆ 直木賞受賞 一番喜ばせたかったのは母(糸鋸事件の時の警察官にもあの時のオレがこうして直木賞を取ったんだぞと言いたかったんだと、これもホントにバカかと思った)

記事を引っ張り出して確認する手間を惜しんでいるので不正確な部分があったらお許しを

まあこの流れから、人間正直だから良いってもんじゃないなあとつくづく思うのである。

まあこのジジももう70代も後半? 人生今更怖いものもないのかもしれないが、そういう恥も外聞も捨てての開き直りの境地ではなく自分のしたことが「恥」と認識していないのではないかと感じられてしまうのである。
元々そういう感性なのか加齢によるある種のボケ症状なのかは定かでないが・・・

この中絶させられた看護婦さん、上京後の浮気相手、これを読んだらどう思うだろうか?
そして余計なお世話であるが、このジジの奥さんや子供(直木賞がとりたくて直子と名付けたお嬢さんがいるらしいw)ってイヤじゃないんだろうか? 

ざっと一連の流れもさることながら、細かい所でホントむかつくのw

中絶看護婦さんと仕事をしていた時も 朝の入院患者の見回りの時に
「いくぞっ」と声をかけると 彼女が
「はいっ」と答えて包交車かなんか引っ張ってついてきてくれたんですと。 いくぞっ ハイっ だってよ。気持ちわりい。

何でむかつくって言うとさ、この人の小説ってこの頃の医局感っていうか医療現場感をそのまま引きずって現在のこととして書いてるってこと。
今時こんなに都合の良い看護師さんなんていないっつうの。まともな医療現場はもっとお互いを尊重してるっつの。

これはこのジジの他の女性観も同じ。妙にしおらしく男をたてる都合の良い女がいつも主人公。そのくせ尻軽ってのが共通項。
オトコにはもてるかもしれないが一緒に働く女からはうざがられるタイプね、妙に粘着質で。

そして二言目には「母が」「母が」
人生の方向性を決めてくれたのも母 一番喜ばせたいのも母。

そりゃー親を大事にする人間の方が ないがしろにする人間よりはましなのは確かである。

しかしこのエッセイに現れる母への依存性はこのジジの精神構築に深くかかわってるのではないかと推察される。

直木賞とってを一番知らせたかったのは母 なんていうダンナだったら怒るよ 私が妻なら。

気を取り直して続けると

☆ 直木賞後に書いた小説は、「花埋み」「無影燈」「阿寒に果つ」「冬の花火」「遠き落日」
この頃の作品群は私も先入観ない感想を述べると面白かった。この辺の一連の作品が面白かったから私はこのジジを認識したんだもの。
その後ベストセラーになったエロ路線よりよっぽどマシだと思う。

☆ そして、東京に家族を呼び寄せたジジは作家として一本立ちして今まで通りに新宿で飲んでたら同年代のオトコに絡まれたんだって。直木賞とったくせにこんなところで飲むなって。
そうだ新宿っていうのは作家やディレクターになりたいけど志を遂げられない輩の集まるところ、こんな所で直木賞とったオレ様はいちゃあいけないと銀座で飲むことにする。
この上から目線 新宿で飲む自由業の皆様、怒りましょう。

☆ で、遊び場を銀座に移す。銀座では作家の御大たちが美しいホステスをはべらせ楽しそうに飲んでいる。そうだこれからは銀座だ! あの大作家たちのように銀座の女性と親しくなり、堂々と愛を語り合いたい。(愛を語るってホステスさんを口説くっていうのと同意語なんですかね?このジジの作家としての日本語使いはかなりの違和感が・・・)
しかし銀座は高い!お金を得なきゃ!ベストセラーを書かなきゃ!

☆ それが文学のためとか、よりよき小説のため、などというもったいぶった理由なぞいらない。それより、いい小説を書いて、銀座のいい女をゲットしたい。そんな俗な理由が、まずわたしをふるい立たせ、わたしの能力をかきたてた。(これは原文まま)
ってことはジジの本を買うってことはジジの銀座遊び代に貢献するということなんですね。ぜってー買いたくない。

☆ わたしは今、自分が常識人でなく、作家になっていることを自ら実感し、納得してもいた。(これも原文まま)

確かに芸術家とか文学者ってものは世間一般の常識で計れないものだと思う。しかしそれって人を感動させる作品を作り出すこと前提で、しかも他人が評価するもんじゃないだろうか?「あああの人は芸術家だから仕方ないね」といった具合に、尊敬と畏敬とともに・・・。

自分の非常識を勝手に納得して開き直る口実にしていただきたくないものである。

☆ そして連載最終日、結局直木賞をとったその後のことは書いていない。作品を読んでもらえばわかるんだそうだ。「その意味では、わたしは私小説作家であるのかもしれない。」そうで失楽園だの愛の流刑地などの大作も、それなりにモデルがあり、その主人公と同じ思いに深くとらわれたことは、まぎれもない事実である。
自分の作品を大作呼ばわりするのもかなりの違和感があるが、その後の「 ただ一点、「失楽園」の主人公は最後に毒薬を服(の)んで心中し、「愛の流刑地」の主人公は恋人を殺して刑務所に入るが、わたしがそのとおりの人生を歩んでいないことはたしかである。 しかし、小説を書いているときは、まったく、主人公と同じ思いであり、ともに死にたいと思い、さらに愛する女性を殺したい、と思ったことも事実である。これらはまさに身に沁(し)みた実感である。」にさらに違和感が・・・

結局このジジって愛だ恋だ不倫だって言いながら、家庭と作家としての地位は保全して何一つ失ってないんだもの。これは賢いというよりズルいと映る。
同じ不倫の恋でも 身一つで故郷に夫を捨てて出てきた宇野千代さんその他の女流作家たち、色々なものを捨ててその辛さや喪失感、多少の後悔などを作品に昇華させていった人たちのように人の心を打つものは書いてないんじゃないの?

結局このジジが愛したのはご自分と御母堂なんだなと連載終わって思っただけ。

なんだかんだ言って毎朝必ず読んでしまったワタシもバカね。

しかしこうやって日経も連載し、週刊新潮も毎週こっつまらないエッセイを長々連載、こうやってみると日本ってまだまだ世の中全体が古臭いオヤジ脳なんだなとちょっと失望を感じてしまう。








コメント (4)
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