局の道楽日記

食道楽、着道楽、読書道楽  etc
生活色々を楽しんで暮らしている日々の記録です

オットの誕生日に

2024-07-02 22:17:41 | 家族あれこれ(犬も含めて)
いつのまにか2024年も半分が過ぎてしまいましたね。
我が家にとって前半はホントに大変だったが後半には良い事があるように希望をつなぎましょう。

話は後先になったけど6月後半にオットの誕生日があった。
ウイークデイだったのでオットの仕事の関係で予定がたたずに何も用意していなかったが、仕事が早く片付いたらしく
「どうせならお誕生ディナーしよう」と本人からの要請があった。

中央線某駅前の鉄板焼きの店


大人の隠れ家風




お客は最初私たちだけ



最初に肩ロースのバルサミコ和え
マスターズドリームの生で乾杯




サラダと焼き野菜はシャブリレクロと



A5の塊来ました


ミディアムレアに焼いてもらって赤はシャトー・ド・ティルガンと合わせる


マスターはヨーロッパに何年もいた人(最後はロンドンのホテルに15年?居たそうだ)
その頃に日本人のビジネスマンと全英オープンの行われるゴルフ場で回った話などしてくれて


ちょうどその時常連らしいもう1組のご夫婦(ワタシ達と同年代の)が入ってきた。昼間は二人でラウンドしていたらしい。
ご夫婦がプレイしたゴルフ場は私も行ったことのある所だったのでそんな話で盛り上がった。


肉入りのガーリックライス 目の前で作ってくれるのを見るのはこういうお店の醍醐味ですね。


ガーリックライスは別腹


クレームブリュレとマンゴー
デザートも別腹


チョコレートとコーヒーの後に

サプライズでマスターがお誕生日プレートを描いて載せてくれたケーキも出て来た。



お支払いはワタシでしたよ(そりゃそうだ)

この一年でオットは母を失くし ワタシは両親を失くした。
大変だったけどどうにか二人で助け合って乗り切りましたなあ
それがなかったらとうてい物理的にも精神的にも無理だったような気がする。

普段の生活で色々言いたいこともあるが(向こうもあるだろうが)これからも適当に仲良くしつつ年を重ねましょうと思ったのであった。








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父も逝く

2024-06-24 21:55:14 | 家族あれこれ(犬も含めて)
母を送った日は満月だったが父の時は半月のおぼろ月

9日の日曜日にオットと顔を見に行って、その週末の金曜日にムスメと土曜日にムスコとお見舞いに行くつもりが間に合わなかった。
13日の木曜日の0時頃に呼吸状態が急変したと病院から連絡があったと弟から電話があり
急いで行く準備をしていたら
「今病院についたけどもう息してないや」という電話があった。
んっもう~~~ 急性期は過ぎたので次は療養病院か施設に戻るかなんて話もしていたのに・・・ せめて弟が来るア間の20分待てなかったの?
せっかちだった父らしい・・・



母の時は家族葬だったけど「オヤジの葬儀はそうもいかねえんだよな」 by弟 らしく 地元紙と全国紙などの地方版に訃報を載せたら供花が会場をぐるりと取り囲むように届いた。
コロナ禍前後でだいぶ変わったらしいが、参列の方も結構いらしたと思う。

それはともかくお寺との折衝や棺や会場の設えやら香典返しの選定やら 葬儀社の担当者も同じで、なんともサクサク物事が進んだのは良いのか悪いのか?

供花や参列者は弟の仕事関連からも多かったけど、父の生前 なんちゃらクラブだのなんちゃら会議所だのなんちゃら会の会長やらや学校の理事職やってた関係もあったと思う。
仲間も多くて活動的で世話焼きで人に好かれる人だったが、結構毒舌で一言多いんだわよ と母をハラハラさせていたところもあったと思う。


父の遺影は金婚式の時に母と並んで撮影した時のもの

告別式の時には母の遺影も置いたら、母の死も知らなかった参列の方たちに驚かれた。
あれからまだ5か月たってなかったんだよ。
やっぱりセッカチすぎるでしょ、父よ



苦しまずに逝ってくれたようで綺麗なおじいさんになっていた父。
母から受け継いだ しゃべるぬいぐるみのコウタ君は今度は一緒に母の元へ旅立った。


焼骨後 その残った骨の量に葬儀場の人が驚いていた。
「このお年でこんなに残っているなんてねえ・・・ 鍛錬されてたんですねええ」そういえば80代くらいに骨量は同年代の140%あると診断されていたっけ。母は粗鬆症気味でお骨拾いも細い細い骨だったけどワタシはどっちに似てるんだろう?

この地方の主産業だった製糸 撚糸 織物の工場もやってた糸繭商の3代め 時代の趨勢で元々の商売は畳んだがその後転じて70代半ばまで働いていた。
仕事の事は殆ど家で話さなかったのでどんな具合かは知らなかったが ワタシにはあまり制限もなくやりたかったことは自由にやらせてくれたし、何か大切な節目にはさらっとお金を出してくれた。
オットとの結婚が決まった時には オットに
「ここ(実家)に施設建ててやるからここで開業すりゃいいがな」と言ったそうだ(ワタシには言わなかったが・・・)
ワタシと近くに居たかったのかなあ と今となっては思う。

供花がたくさん届き、その場所の選定をする弟と弟の仕事関係の人。
〇〇銀行のホニャララが先か 議員のホニャララ先生が先か ✖✖クラブの会長が先か 〇〇会ではどちらがエライか年齢はどちらか上か・・・
花屋さんが立て札を持ってあちこち動き回るのを尻目に一人しらけるワタクシ。

こういうのを忖度する狭い田舎の序列社会が嫌だったんだよなあ・・・
だからそこから飛び出て東京に出てきちゃったんだよなあ・・・

とはいえ
父の大きな庇護の下で 母の細やかな愛情の下で 成長させてもらい、何かと助けてもらいながらもワタシは勝手なムスメでした。
だから、ワタシも子供たちや孫たちにも人に迷惑さえかけなきゃ自分のことは自分で決めて好きなようにやってちょうだいなと思うことができるのかもしれない。

去年の今頃は 姑と両親が生きてて、三人合わせると270歳? とか言ってたんですけどね。
いっぺんに孤児(孤婆)になってしまった。

寂しいが、今頃母とまた会えただろうし、彼方には兄たちや友達、愛犬たちと再会してにぎやかにやってるだろうと思う。

ほぼ2週間 gooブログサイトを開くことや 父の死を文章に綴る事、こちらでのお友達の記事も読みに行く気力もなくて ご無沙汰してしまいました。

あれ以来 夜眠れないのと、ムスコとムスメの一家に葬儀その他でスケジュール的にも無理させちゃったので、そのしわ寄せで忙しい彼らのために、孫たちのフォローでヘロヘロになってしまい、この半月で5歳くらい年とった気もするが 徐々に回復を計ろうと思っております。






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今度は父が・・・

2024-04-29 21:56:24 | 家族あれこれ(犬も含めて)
GWが始まったよ~~んという日 4月29日の朝の事

一昨年庭の植え込みに投入したエニシダがたくさん花をつけた。
エニシダって「赤毛のアン」のお話の中に度々登場してどんな花なのか興味深かったのだが

こんな感じの低木 綺麗な黄色の小花を付ける


咲き始めたジャスミンと一緒に「ぶっ刺し流」アレンジで部屋に活けて楽しんでいた昨日の朝
母を送った後の四月の誕生月は(もう局を誘っても大丈夫かも)と思われていたらしくいつもの友人に加えてお久しぶりの友たちと旧交を温めた(ブログに全部書くと呆れられそうだったので端折った)あとは子供と孫ともたくさん過ごした。
GWはちょっと身体を休めようと 前半は東京で過ごし、後半1泊くらいで実家に行って父の顔を見てこようと思っていたくらいののんびりの予定であった。

で、エニシダを活け朝食を作り オットが起きて来たので一緒に朝食を食べて気づいたらスマホに着信が何回もあった。
弟からであった。
確か彼は次の日まで沖縄に旅行しているはず どうしたんだろう?と思ったら

「爺さん(父)が施設から救急搬送されたらしい。熱が39℃ お腹痛がってて胆嚢炎の疑い オレは予定を切り上げて戻るわ 飛行機とれた」
とのこと
父は90台半ば、最近まで元気でいてくれたが 何かあればまたすぐオオゴトになるお年頃である

(ひえ~~~ 昨年10月に義母 1月に母を送り 今度は父か・・・)

オットにかくかくしかじかと・・・
「胆嚢炎で40℃? 消化器の専門医がいない? それじゃ行くしかないじゃないか」

30分で1,2泊分の衣料品と冷蔵庫の中の食料品と犬を乗せて車で実家にgo

「会うまでわかんないけど 一応喪服も持ってけよ」とオット
ああ またこのパターンか・・・・ 嫌な既視感・・・

家を出たのが10時頃 連休の渋滞にはひっかからず高速は順調だった。


ふるさとの山がせまる。春霞 温かさを通り越して暑さを感じる気候であった。
のどかな気分で向かいたかったよ~~

1月に母を看取った病院、看取った病棟である。
やだ~💦 この既視感・・・・

父の入院した部屋に行ったら


静かに寝ていて酸素飽和度(搬送時は80パーセント台だったらしい)も100%近いし色々安定 熱も37℃ちょっとと下がっていた。
そして母の救急搬送時と違い肌艶もよい。
オットが色々見てみて
「こりゃ~ 大丈夫だよ 回復するよ」
ワタシもその時点で(こりゃ~まだ喪服の出番じゃないな) と確信した。

この病院の面会時間は1回10分である。3人部屋だったしこれ以上病室には居られないし、この日担当医が当直の予定で、夕方には来院されるというので、その時に弟を伴い三人で話を聞く予定を入れた。
そして入院手続きの書類などももらってきた。

さて、じゃ、その時間まで何して過ごそうか・・・


こちらの市民の憩いの公園を散歩することにした。
松林も良いが こちらの薔薇園が有名なんですよ


パノラマで撮ってみた



あいにく薔薇の開花にはちょっと早く四季咲きの薔薇の一部しか花は見られなかったが



つるポンポンドパリ

リージャン・ロード・クライマー

クロアール・ドゥ・ディジョン



希望

ツル ピース

マリア・カラス

何種類かの薔薇は見ることができた。



この丘が全部花に覆われたらどんなに美しく芳香が漂うことか・・・

盛りだくさんに咲いている時はさすがにもっと人は多いだろうが、地方都市のいいところ、東京の人をかき分けて進むような混雑にはならないであろう


公園の片隅にはこちらの地方の主要産業だった繭と生糸関係の記念館があり









この地方にたくさんあった同業の会社の商標の中に曾祖父のモノを見つけてオットに知らせる
なぜかオットの方が興奮していた。


2種類あった 社名の一部が変わっていたので変えたのだろうか?



一部消去

これカッコいいわ~ エルメスみたい〜w



これはこれで可愛い ポップな色使い






またこの公園には来てみたい


約束の時間になったので弟を駅に迎えに行って、また一緒に病院に戻り、主治医と面談。
入院先は母と同じ科だったが母の主治医だったDrは「お勉強は出来ただろうがコミュ障気味のとっつぁん坊や」でまたその人だったら嫌だな~と思っていたが、今度は違うDrで、若かったけど母の主治医よりはちゃんと話が通じそうで信頼おけそうな人だったので安心した。
画像を見ながらの説明とオットの指摘もきちんと謙虚すぎる感じで受け止めてもらった。
父を見に行ったら呼吸も安定して熱も平熱に戻り、まだ入院して半日ちょっとだが、確実に快復に向かっているらしいのでほっとした。

オットが明日仕事もあるので渋滞を避けて早めに東京に戻ったが、弟の話では今日は意識もはっきりして言葉も話してVサインしてごらんと言ったら




こんな感じに応えたと

思ったより回復早そう
嚥下を忘れないうちに施設に帰れそうな気配。

GW中にもう一度父を見に行くつもりである。

それにしても義母 母を送り 孫行事に付き合い 次は父の急変。
我ながらのんびり過ごせる日がないなぁ そういう星の下生まれなんですかね?
母には、「ちょっと迎えに来るのは早いよ。ワタシにもうしばらくの間「娘」でいさせてちょうだいな」 と訴えたい。


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母を送って一週間

2024-02-02 17:10:41 | 家族あれこれ(犬も含めて)
その連絡は25日の早朝4時ちょっと前だった。
弟から母の容態が悪化した。血圧が低下していて危ない状態、俺は今から病院に行く・・・と
覚悟はしていたが そうか・・・ ついに来たか・・・
オットは職場近くに泊まりで一人だったので、実家に行って何日か泊まれる支度と少し迷いながらも喪服1セットもトランクに入れた。犬の食事やシート類やリードも入れてぐっすり寝ている犬を助手席に載せて実家へと急いだ。
今思うと、ちょうど私のコロナ罹患と隔離されるべき期間開けまで待っててくれたんだな~



冬の朝の夜明けは遅い。
西北に向かう前方にはまだ中空に満月に近い月があった。



その時間の都内は空いていて、高速もしばらくすると車は商業の大型のトラックばかりで、その中を追い越し車線で130kmくらいでぶっ飛ばした。
「間に合いたい」との一心だった。



高速を降りることには前方に地平に沈みゆく月が見えて、バックミラーには桜色にうっすらと染まる明けて行く空があった。

後でムスメが言ってたのだけど、ちょうどその夜孫④の授乳に起きた時に空が明るいのに驚いて月が煌々と照っているのを見て、なぜかバーバを思い出したんだよ と・・・
母娘孫娘 女三代。 母の逝く日の月に思いを馳せたのはやはり血脈のなせることだったのかと思った。

高速から降りて弟に電話したら、まだ息はあるというのでちょっとほっとして、コンビニで犬のために水と紙容器を買った。
結局その日は半日以上助手席に居続けた愛犬。冬の暖かい日だったので車に乗せておいて安全でちょうど良い温度だった。
途中駐車場を一回りの散歩を何度かしたけどその時に排泄を済ませて後は吠えもしないで寝ていてくれた空気を読む良い子だった。

そしてもう意識が戻らない母の枕元のモニターの血圧と呼吸と心電図を見続ける時間が過ぎた。
途中でオットが駆けつけてくれて、半日後に三人で母を見送ることが出来た。親の死に目に会えたって事はありがたいことだなあと今も思う。悔やむ材料を一つ軽減してくれるから・・・
心臓マッサージもカウンターショックも辞退していたので、静かで穏やかな最期だった。



その日の夕刻の満月・・・
母は明るい人だったが「太陽」じゃなかった。人前に出て目立とうというタイプではなくて、古き昭和の専業主婦でオットを支える立場を貫いていた。
しかしどこに居てもそれなりに目立って華やかだった様は夜空に輝く月タイプではなかったか・・・




小学校の授業参観の時に周りの友達から「綺麗なお母さん」と言われるのが子供心に嬉しかった。
この頃は今思えば口やかましい明治生まれの祖父母も同居していて 彼らにしっかり仕えて自由な時間もなかったはずなのに、家事は完璧、いまだに母の味が再現できた時は成功したなと感じるほどの料理上手。ワタシと弟への教育環境にも気を配ってくれたのは感謝しかない。

義両親の介護をして見送った後は、海外や国内旅行や趣味の時間も増えて





茶道や仕舞を楽しんでいた。仕舞は「職分」という資格まで取っていた。
東京の能楽堂でも舞ったはずなのに私には知らせず、ついぞ母の舞を見たことがないのがワタシの後悔の一つではある。




おしゃれだった母と買い物にはよく行った。Ashidaのスーツなどがよく似合った。




金婚式の記念写真。後期高齢者のわりに元気で凛としていた。この下の写真を遺影に選んだ。

この後認知症になった父と自分も肝臓がんになって健康不安から夫婦で介護施設に入居した。癌はその頃の先端医療の重粒子治療で克服できた。
この施設は建築士Nちゃんのお母さんも(その後お父さんも)入居しており、はからずも施設内で家族くるみの交流ができた。
Nちゃんのお母さんは脳梗塞後の後遺症で片麻痺があって車いすで言葉も不自由だったが、母はよく彼女の車いすを押したり、なんとなくの話し相手になったりでNちゃんに感謝されていた。



認知症の父の我儘に嫌気がさした時は部屋の外の窓辺でよく本を読んでたらしい。
これはNちゃんが「局ちゃんママの読書姿があまりにも絵になってたからさ~」といって送ってきてくれた写真。
母がここで読書していると夫婦部屋の階でそこにいた爺さんたちがわらわらと寄ってきて本が読めないのよとよく「モテ自慢」をしていた。
コロナ前まではそんなこんなで結構施設生活も楽しんでいたんだけどね。
このブログでも何度か書いたけど、コロナ禍での施設内行事はすべて中止で一時は部屋からも出られず、面会不能 初期の頃にクラスターとコロナ死が出てしまったゆえの神経質すぎる施設の対応で母が変わってしまったのは痛恨である。

葬儀は30日だった。
母を安置してあった葬儀会社の施設に私も泊まっていたが、その間に親友AとAの弟(ワタシの弟と同窓生)とNちゃんも駆けつけてきた。二人とも家族ぐるみの付き合い。特にAのお母さんと2母娘で旅行や観劇にもちょくちょく行っていたので、A母の落ち込みも大変だったそうだ。



納棺後に安置した所に父も施設の職員に連れられてお別れに来た。
母の死をわかっているのかいないのか分からないが 「何で死んだの」と三回くらい聞いた。



地方新聞に訃報も載せず、親戚にも殆ど知らせずにホントに内内だけで送った葬儀。



義母の葬儀(まだ三か月前ですよ!)を参考にして、とにかく祭壇は花いっぱいに、花も仏っぽくない華やかなものでと



顔周りを胡蝶蘭とカトレアで飾り、母の好きだった食べ物は?と葬儀屋さんに聞かれたので「お寿司かなあ コロナ後はとにかく生ものが施設で差し入れさえできなかったのが残念でした」と告げたら、お棺に握りずしも入れてくれた。

お骨を拾う時に、孫①がなぜか私の前に立って、私がぎゅっと抱きしめるのをそのまま受け入れて、彼も後ろ手をワタシに回して寄り添ってくれた。

まだ施設の部屋などの後始末は多々あるが、一旦東京に戻った。
なんだかとっても疲れているのだけど、疲れと悲しみと虚しさって感情は似ていて、自分の心がどこにあるのか自分でもわからない状態です。


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年明けバタバタ 母入院

2024-01-05 16:20:00 | 家族あれこれ(犬も含めて)
辰年が明けたとたんに世の中が騒然としてしまっているが、私の周りもバタバタですよ。

3日は年末年始をお嫁ちゃんの実家で過ごしてきたムスコが単身で帰京

お歳暮ほA5放出 とっておきの佐賀の銘酒光栄菊の月光(無濾過生原酒)も放出

「新政に似てるなー 酸味がうめー」と母と同じ感想にほくそ笑む



次の日一泊して行ったムスコを送り出し、ムスメ宅へ
ムスメ宅は座れる電車一本で行けるのは楽なのだが時間はそこそこかかる。1時間ほど。


孫③がこのイベントに行くため孫④のお預かりでした。イベント自体は30分ほどらしいが、事前に整理券を入手するとかで乳児連れは無理らしく、下の子のお守りはばーちゃんの役目だ。

ところがそのお守りしている間に実家地方の弟から電話。
実家の母が調子を崩して救急搬送という。熱が38℃台、意識もなくなっているという。
先月会った時もまたずいぶん痩せたので心配はしていて、この週末には様子見に行こうかと思っていたところだった。

そりゃ大変、とりあえず行かないとと家族LINEにそれを告げると、ムスメは大急ぎで帰ってきて、さっき別れたばかりのムスコは「じゃ、俺も一緒に行くよ 途中で拾って」と言う。

ムスメの家から引き返し、20分で実家に何泊か泊まる用意をして、犬も連れて実家を出る。年末年始で溜まっていたゴミを集めて、お隣の奥様へしかるべき日にちについでに出してくださいと頼むのも忘れなかった。


ムスコを道端で拾い高速1時間乗って母の入院先へ


かなりの頻脈で酸素も吸入中
呼びかけても答えず

これは今日明日かもしれないと思いながら暗澹として実家に帰宅

この日は食料まで持ち出す時間はなかったので、弟の住む実家の冷蔵庫には何もなく(正月だと言うのに)、弟も母の入院に付き添った後は仕事でお年始回りがあるので帰りは遅いと言う。
仕方ないのでムスコと年始なのに寂し過ぎる地方都市のシャッター通りを彷徨う。
「すげーなぁ このさびれかた」
確かに‥
ワタシの知る限りでちょっと美味しいお店もまだ正月休みでオープンしてなく、空いていた沖縄料理の店はドアを開けたとたんにかびくさすぎてそのまま逃げ出し、やむなくこれならまぁマシかな くらいのカウンター居酒屋へ

うむむむむ
久々に外れた、が
2日連続でムスコと食べて飲んで、色んな話が出来たのはよかったな。
主に海外相手の仕事なので、日本で正月休みをとっても昼夜なくメールが来たりオンラインで話したり
「あいつら空気読まないからなー」と言いつつも、仕事中の片鱗を見せるムスコは頼もしかった。局家、オットは職人気質だがムスコはビジネス気質である。ちなみにムスメはゲージュツ気質 色んなDNAが入り混じって体現化ってもんですね。

この日から週末までオットは職場をはなれられない状況で、ムスコが間髪を入れずに
「オレも行くよ 運転もするし」と言ってくれ、お嫁ちゃんも
「行ってきてーいつ帰ってきてもいいよ」とすぐに電話かけてきたそうだ。
その点は気が揉めながらも嬉しかった。


そして今日は



酸素も外れ頻脈も少し改良し熱も下がっていた。昨日より熱も下がって呼吸も落ち着いていた。
この分だとまた回復するかもしれない。
去年も冬に調子を崩してもうダメかと思ったのですが、今度も◯◯女の根性で回復して欲しいものである。

この病院の面会は家族2人のみ 10分だけ制限。
これでも緩和されたらしいけどコロナ?インフル対策?
6人部屋で向かいのベッドのお婆さんが手を拘束されててひっきりなしに「はずしてー」と大声を出している。
看護師さんが「外すと危ないのよー、◯◯さん点滴抜いちゃうからねー」となだめていた。

まあ仕方ないんだろうが、毎日ムスコの顔が見られて快適な個室で下をも置かれずに最期を迎えられた義母とつい比較してしまう。
意識がないからまだいいもののかわいそうな母‥

そしてムスコ
さっきは頼もしいと言ったけどさ

高速1時間➕一般道30分かかる所から
自転車で帰ったんですよ!


「正月でカラダなまったからさー」河川敷のサイクリングロードを通ると遠回りになるから130kmの行程らしい。
実は昨日彼を拾った時に自転車を積んだのでヤバいと思ったのですけどね。


こうやって無謀なところは中高時代から変わってないのねー

さっきLINEしたら東京にはたどり着いてるらしいけど。




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運動会とDNA

2023-10-10 20:47:35 | 家族あれこれ(犬も含めて)
忙しかった

運動会シーズンであった。

孫①②③ それぞれ違う所 ①は小学校 ②③はそれぞれ違う幼稚園
やっぱり運動会となるとわが子(孫)の徒競走の観戦は燃えるじゃありませんか。
特筆(自慢だよ~)は孫②(年中)であった。



スタート直後からロケットのように飛び出し



コーナーで他をぶっちぎり



ゴール付近でも独走



テープを過ぎても勢いは止まらず 1位の旗まで全力疾走
父兄席では
「あの子速い~」のどよめきが起こった。

小学校の孫1は、引っ越し前の小学校では春に運動会をすませ、転校先の小学校では秋に開催だったので、一年に二度も運動会に参加することになって喜んでいたという。





運動会が楽しいのなら早くも学校になじんだのであろうとバーバは安心した。
こちらは背が高いので発育の良い女の子と一緒のかけっこで2位というまずまずの結果

そしてまた特筆すべきは 孫③であった。



こっちは独走態勢で「ビリ」だよ「ビリ」
途中「がんばって~~!」と応援する ムスメ夫婦とワタシを見て ニコニコお手振りだよ!w
この子は入場退場もなぜか色んな人にお手振りしながらで 「皇室かよ!」というムスメの一言に家族一同苦笑であった。

しかしこの子は結果にめげず、みんなにもらえる金メダルを胸に大満足なのは良いのか悪いのか?

バーバにしてみれば 何やっても可愛いから別にビリでもいいや なんだけど、ムスメ夫婦(特にムコは運動神経抜群の人)にしてみれば(まさかうちの子がぶっちぎりのビリ)はトホホだったらしく
「来年は少しは走る練習させないと」「Dubaiの幼稚園は運動させなかったからな~」などと反省会をしていた。

ワタシとしたらバラエティーに富んでいる孫たちが面白くて可愛くて、まあ元気で健康に過ごしてくれればそれでいいなと思いつつ、どの子の特性はどこから来たのか?と ワタシ達夫婦、ムコ殿とお嫁ちゃんのご両親などを頭に浮かべて遺伝の不思議を考えてしまう。

連休最終日、オットが「会っておいてくれないか?」とムスコとムスメを姑の病室へ招いた。
ちょっと容体は安定した姑だが、日一日と衰えていっているのは否めない。
オットが、姑が今までいた介護付きの高齢者住宅を10月で解約したのはもう戻れないという判断なんだと思う。

そこで今のうちに孫たちに会わせたい。あとまだ見たことのない孫④にも会わせたい・・・



ホントは小さい子は病室に入っちゃいけないのだが、病院側の好意でちょっとだけ会わせてもらえた。
寝ていた姑はちょうど目を開けて自分の孫たちとひ孫を認めてにっこりしたようだった。
赤ちゃんってのはエネルギーを放出していますからね。これで何日か生き延びると思うな。



そして 姑とムスコ、ムスメ、孫④の手。
姑の大きな、そして指の長い手はムスコに遺伝して、孫④もそんな手になりそうな気がする。

あなたの遺伝子は受け継がれてますよ、お義母さん。
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誕生日会とその後の義母

2023-10-04 14:21:11 | 家族あれこれ(犬も含めて)
もう2週間たってしまったが、孫①9歳と孫④の4歳の誕生日をムスメの新居で行った。
この時はまだムコさんのお母さんも出産後のお手伝いに来てくれていたのでムスメ夫婦とムコ母 ムスコ夫婦 ワタシと大人6人(オットは出張仕事)と孫①~④の子供4人が狭いマンションに集合



ヘリウムガスで浮かぶ風船が欲しかったという孫③のたっての願いがかなえられ



孫①のネームプレートも飾られたオーダーしてあったアイスケーキ



子供向のささやかなパーティーランチ



両バーバズ



まだまだ暑かったこの日
引っ越しだの出産だの転職だのなかなか大変だった季節をみんな元気で乗り越えて誕生日を迎えられてよかったね



ムコさんとお母さん



結局ムコさんのお母さんは1か月くらい居てムスメ一家のヘルプをしてくださった。
ワタシは自宅でムスメと新生児の世話係、ムコ母さんはムスメの留守宅でムコさんと孫③のお世話をしてもらう。 孫③に幼稚園を休ませたくないというムスメ夫婦の意向でこういうことになった。

「こんなに一人で家を空けたのは初めてなんですよ」というムコ母さん。
現在ムコ父さんのお母さん(足腰達者な認知症)と同居中で「The長男のヨメ」を長年やっていらっしゃる方。
九州の南の方って東京に比べて多少の男尊女卑傾向が残ってるし、あの年代はまだ前世代の価値観も持ち合わせていますよねね。
ムコ父さんが仕事で家を空けている間も自分の姑さんをデイケアに預ける以外はほぼワンオペでメンドウを見ているらしい。

それをムコとムスメが たまにはばあちゃんをショートステイに入ってもらってこっちをヘルプして欲しい と頼み込んだわけですね。
ムコは 大学進学で東京に出てきているからそれ以来両親とは一緒に生活していないわけで
「俺と一緒に生活するってもうこの先なかなかできないよね~」
「ばあちゃんをたまには施設に預けてみることもこの先考えると必要だよ」などと説得したらしいです。

うまいこと言うねw

そしてムコ母さんは色々ムコ父さんやムコ父妹さんやらと協議したりショートステイも手配したりで上京。慣れない東京で孫③の幼稚園の送り迎えや生活の世話などやってくださったわけです。
週末は東京近辺にいる自分の友達と会ったりもしてそれなりに楽しんで過ごしていてくれたらしい。

ムスメも甘え上手だしムコ母さんも色んな意味でめんどくさくなく賢い人なんだと思うな~。
ワタシはとてもじゃないけど姑に色々頼めなかったもので。
言っちゃ悪いが信頼できなかったからなんですけどね。例えば子供を置いていかなきゃならない小学校の説明会があるから何時までに来てくださいって頼んでも時間を守るってことができないヒトだったから一度で懲りて以来頼まなかった。
そんなこんなで姑から何かやってもらったって記憶はほぼ無いけどこちらはずいぶんやってあげたと思う。
これ、私の性格が悪くて言ってるわけじゃなくてw客観的なことです。も~うもう思い出したらきりがないから普段記憶を封印してるけど思い返すと(がんばったよな、あたし でも甘え下手の長女体質って損だな)って思う。
姑に関しては 嫌いとか気が合わないという意識は持たずに 異次元の人だけどオットにとっては大事な人ということだけで感情は入れずに色々なことをしてきたってスタンスでした。
冷たいのか? ワタシ? 

で、姑。

今の所、蘇って低空飛行ながら落ち着いているらしい。

昨日はねぼけていたのか?
急に目覚めて

まつりよ~~って叫んだらしいです。

ワロタ・・・
何の祭りなんだかね?
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孫~ずの波状攻撃

2023-09-16 21:39:00 | 家族あれこれ(犬も含めて)
朝、お嫁ちゃんより
「今日は夕方二人ともお稽古があるのですが、その前に赤ちゃんが見たいと言っているので遊びにいってもいいですか?」
ハイハイもちろんですよ。
ってことで最寄りの地下鉄駅まで迎えに行く





寝ている孫④を覗き込んだあとには「あっこれ家にあったおもちゃだ~」などと。
孫①に聞いてみたら孫②が産まれた時のことはほとんど覚えてないそうだ。

一方孫③は、オットがピックアップして夕方家に連れて来た。ムコさんは仕事。



沐浴お手伝い



授乳お手伝い 
おっぱいも出るのだが、粉ミルクにも慣れてもらいたいと今のところ混合にしている。
どっちもよく飲む孫④

最近の孫③語録

「今日はパパとお昼はモスガーバーに行ったの」

「一人でジャジャマ着られるよ」

このくらいならわかるけど
ムスメと首をひねったのは

「幼稚園でニクニックしたの」

???

なんでしょう?
「だから~ 先生のピアノに合わせて歩いたり走ったりするの~~!」と通じないのが歯がゆそう。

ムスメとの協議の末
「リトミック」と判明。

一日に四人出入りすると面白いけどなかなか疲れます。
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4人目は女の子

2023-09-02 19:50:00 | 家族あれこれ(犬も含めて)

すべて予定通り

昨日入院
今日無痛出産で出てきました





3270g 50.5cm

私の4人の孫の中で一番デカい女の子
なんか悠々としてる感があるんです




安産だったのでムスメも元気

ムコも立ち会いで出産できました





まあよかったよかったと安堵のバーバ

色々と感謝しつつもこれから大変です




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孫三昧はいいけど疲れる

2023-08-08 23:12:50 | 家族あれこれ(犬も含めて)
前々記事の続きを書きたいのにまた脱線。
夏休みってのは親も大変、それに付随してばーちゃん(ワタクシね)まで大変なのね~
ムスメとお嫁ちゃんからの応援要請で、先週末から昨日まで孫三昧(預かったりどこか連れてったりと)

昨日はお嫁ちゃんより会議があるので孫②を預かってくださいとの要請あり、そしてこちらに連れてってもらえますか?とのことで

新宿西口のデパートの催し場へ





懐かしや しまじろ~ 家の子たちも幼稚園の時にここの通信教育を2年間くらいずつやってたな。その後その関係で個人情報漏洩があったので後味は悪いんですが、まあ親子二代でかかわったわけだ。息の長いキャラ。

鏡の部屋や



お絵描きや



お買い物ごっこやら



一番孫②が喜んだのはこのボールプールだったが 長い列に並んだ末に3分で入れ替え。






孫②は案外楽しそうだったからいいけど、全体的にはショボい催しであった。

比べるのもナンだけど、この日孫たちを連れて行ったワタシの実家地方のこのイベントの方が何十倍もよくできてたと思うな、客観視して・・・ もっと宣伝しなさいよ、もったいないな。

酷暑の中 三家族で両親に会いに行く - 局の道楽日記

三連休、今度は秋田で水害も発生、どうしてこんなにも災害が多い国になってしまったんだろう?被害にあわれた方をお見舞いしつつですが、オットは途中から「やめとけばいい...

goo blog

 




ここで気づいたのは、孫②の生真面目さ。
この催しも一つ一つきっちりこなしてお買い物ブースでは買った品物を返すのも一つ残らず元の場所へしっかり返却。
しまじろーとのお遊戯?もお姉さんの言うことを聞いて真面目に取り組もうとする。

電車に乗っても「外見ていい?」と言うから靴を脱がして窓の方へ向けた時に「お隣の方にぶつからないようにね」と一言注意したら向きをかえる時も慎重、そして騒がしくしない。

普段お兄ちゃんと喧嘩したりお母さんに甘えたところを見ているので、ワタシと二人で外に出た時の外面というのを見てびっくりしてしまった。
普段幼稚園で「とても真面目」「お兄ちゃんと全然違う性質」と言われてるのを垣間見て、オットに
「なんか真面目できちんとしすぎてて心配」と言ったら「そりゃ~お前、俺と〇〇(ムスコ)と✖✖(孫①)が標準だと思ってればな~ 心配にもなるだろうなあ」と言われてしまった。孫②は完全にお嫁ちゃんの性質を受け継いだ感がありますな・・・

夏期講習が終わった孫①と落ちあって 四人でピザを食べる。
男の子二人が、もう大人顔負けに食べることにびっくり。



忙しそうなわりにはいつもへらへら、楽しそうな孫①
この日は久能山と日光東照宮の関係を教わった(歴史好きみたいだ)



孫①が選んだワタシへのお土産。バーバは酒のつまみとグミが好きなのを知っている。



この日帰ってからは、孫③の時に使って家に置いてあった新生児用の衣類を週末に引っ張り出して洗濯してあったのにアイロンをかける。
ムスメは次も女の子とわかったとたんに何も新しいものを用意する気がないらしいのでせめてちゃんとアイロンでもかけてあげて、ドレスの一つくらいは買っておこうとも思う。



夕飯あとに「あちい あぢい」と言いながらアイロンをかけてたら、オットに
「お前もやってやりすぎだよ~ あいつらお前が疲れないと思ってるだろ もっと疲れたふりをしろ!」と言われた。
まあ確かにヘロヘロだ。

孫③は幼稚園のプール&体操教室の甲斐あって、三点倒立ができるようになったそうな・・・(いるのか?この能力?)



「さるすれび!」と喜んでいる。ほんのちょっと変換される孫③語が可愛い。こういのは今のうちだな。

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酷暑の中 三家族で両親に会いに行く

2023-07-18 19:01:04 | 家族あれこれ(犬も含めて)
三連休、今度は秋田で水害も発生、どうしてこんなにも災害が多い国になってしまったんだろう?被害にあわれた方をお見舞いしつつですが、オットは途中から「やめとけばいいのに~」と周囲に(主にワタシ)にとめられつつ東北方面に頼まれ仕事に行った。
関東も嫌になるくらいの猛暑でしたね。

日、月の連休で、ムスコ&ムスメ一家と私の実家に集合。両親に会おうという企画。

弟のところに大型荷物を運ぶという事情があったので車三台の移動。途中で高速は渋滞。遠くの空に夏雲がもくもくしているが、上空は嫌になるほどの太陽光が照り付ける。



いや~~ 暑かったです。特にワタシの車、エアコンの効きがイマイチで。運転手側はまだいいが、助手席側からは温風しか出ない。お嫁ちゃんと孫②は汗だく。
車載の温度計で外気温が40℃!



最初に向かったのが、今日のランチを取る予定だった簗です。

この炭火で焼く鮎が最高なのです。



川を望む景色はいいが、クーラーはない。あぢいよ~~



移動の疲れも見せず、孫たちは元気だ。



大 中 小 孫③は従兄弟のニーニたちが大好き 鮎は局家の夏場のソウルフードだが、ムコさんはここに来たのは初めてだった。



大 中 小 秋になったらこれに極小が加わるのか~



おいしい枝豆と、鮎とキュウリの酢の物のあとは 塩焼き



田楽



フライ



〆に鮎の炊き込み飯とあゆの入ったお味噌汁。



鮎コースを堪能すると、なぜか身体が内側から熱くなってくる。それを冷やすためと、氷家さんに寄る。
ここは私が高校の時夏は毎日友達と寄り道した氷家さん。まだ昭和で時が止まっている。

孫②はレモン



孫③はイチゴ



孫①はミルクだってさ



子供たち二家族はビジホにそれぞれ部屋をとったので、夕ご飯は名物鳥飯と私が大量にゆでて持ってきた枝豆やらサラダやら持ち込んで部屋で宴会。



ムスメがスーパーで買ってきた 「ねるねるねるね」作成や、お嫁ちゃんが持ってきたカードゲームをして、みんなで熱く盛り上がったりしつつ、運転手だったワタシとムスコはやっと心置きなくビールを飲めた。



次の日は両親の施設へ



またコロナ患者が多くなってきたのと、インフルだの色んな風邪だのが流行って来たからと面会はガラス越しになっていた。

いつまでたったら普通に一緒に過ごせるんでしょうねえ? 
子供の変な病気の流行り方も、今までの極端なコロナ禍生活も一因だと思うけどね。
こうやって家族と隔てられて施設で長生きしたって高齢者もうれしくはないと思うけどね・・・

父はほとんど寝てたけど、母は元気で孫たちと話していた。孫③が一番話すのでびっくりした。



この後、孫たちを連れて行って遊べるところを色々考えてあったが、とにかく暑くて暑くて外での活動は無理な状況・・・
ムスメが検索した室内イベント。

映像と日本の伝統文化をコラボして楽しめるという某商業施設の地下にあるイベントスペースに・・・



子供は小学生まで入場無料なので嬉しかったが、付き添いの大人は一人1800円とな!
「もったいないから」とお嫁ちゃんと私だけ入場して、後の大人はその辺で買い物しているということになった。

私も(仕方ないな~ お守するか・・・) くらいの意識だったが、この施設、意外にもよくできていて面白かったのよね~

入るとすぐに盆踊りの映像。
これは一人一人撮影スペースで自分をスキャンしてもらうと、それが踊りの中のヒトとなって参加できるんですよ



手前に 孫③と孫①が踊っている。




飛び跳ねると花火がはじける所



孫たちが一番喜んだのはこのボールで鬼をやっつけるゲームだった。
延々やり続ける三人



孫③がニーニたちに負けずアグレッシブなのを確認。



こちらはお面の塗り絵コーナー 入口で一人一枚もらったお面の絵に好きな色で塗り絵して



スキャンすると大きな画面に自分の画いたお面が映って色んな表情を作り



その後は映像でお面売り場に飾られる。よくできてますな~



その後 白衣を着て、舞台に立つと色んな柄の着物になったりを楽しめるスペースとかも堪能
何より良かったのは、「空いてた」んですよね。酷暑で外遊びは無理だから、こういう所に人が集まるんじゃないかと覚悟していたがほぼ貸し切りみたいなスペースもあった。ありがたいが、もう少し宣伝努力しないと元が取れないだろうと他人事ながら心配になってしまう。
地元の方々、行ってみてください。子連れはもちろんデートコースにも楽しいと思うよ



一番喜んだのは孫③だっただろうか?



妖怪の仲間みたいな背格好だからね~



なかなか楽しんだが帰りの高速は事故もあって大渋滞。家に帰るのにいつもの倍の時間がかかってしまった。
そしてあの酷暑の中エアコンの効きの悪いのは生命の危機ですがね。
帰りはエアコンの関係で一人ドライブ(オットは仕事)だったが、ちょうどFM NHKで昭和の歌謡曲特集をしてたので渋滞の中、ヤケになって一緒に歌って帰る。高橋真梨子の 「for you」 沢田研二の 「時の過ぎゆくままに」は傑作ですな~ 

動物病院に預けていた犬をピックアップして帰宅。こんなにエアコンがダメだったならホントにペット同伴じゃなくてよかったと思った。
どんなにがんばらせても冷えないエアコンのせいか?燃費もすご~く悪かったので、さっきガソリンの補充のついでにガソリンスタンドで見てもらったらガスが少なくなっているという。更にガスの補充だけだとなんちゃらでそれが無駄になるかもしれないだってのでなんちゃらもしてもらってほぼ2万円。(高いな~) と思ったがディーラーに持ってくとこんなもんじゃすまないだろうし、これ以上がまんができないのでやってもらった。

やっと冷風が出て来るようになって一安心した所です。



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誕生日の朝から夜まで

2023-06-28 21:39:56 | 家族あれこれ(犬も含めて)
オット誕生日の朝は彼の職場からの電話で起こされた。
何でも、急性でヤバい状態で来たオバサン(50代半ば)が、何日かして具合がよくなったのは良いが、同室に入ってきた人がコロナワクチンを一度も接種してないことがわかってパニックになったとか・・・

スマホがスピーカーになっていたのでよく聞こえてしまったのである。

「もう、居られないから自宅に帰るっていってます! どうしますか?」という、聞くからにめんどくさそうな案件、伝える女性スタッフも相当うんざり感がただよっておった。
「あ~ 〇〇さんね。あの人何かあるとパニックになっちゃうんだよ。ま、それだけ元気なら返していいや」
「もう ここには二度と来ない!って言ってますよ。」
「ふ~ん あの人さんざん色んな所回ってやっとウチに来て落ち着いたのになあ。ま、また辛くなったら来てくださいね、って言っといて」
「ふぁ=い」 と女性スタッフはなんとなく釈然としなそうな感じ、朝っぱらからさんざん文句の矢面にたったのであろう。

聞こえちゃったので聞いてたワタシもなんだかムカつくじゃないか・・・

「コロナワクチン打ってないだけで、コロナ発症した人と一緒ってわけじゃないよね! そんなことで文句言うの??」
「まあ、こういう人もいるよ」
「嫌なら個室に行きゃ~いいじゃん」
「そりゃそうだけどさ」
「あなた優しすぎるわよ。」
「もう来ない! って捨て台詞吐いてまた来る人なんていっぱいいるよ」
「はあ~ ふざけんなだよ!」
「お前、このくらいで怒ってたら俺の仕事なんてできねえよ。一度一緒に来て一日見ててみな」

といった具合で なかなか最悪な誕生日の朝を迎えたわけだ。

例によって前置きは長いが、この日は、ムスコ一家とムスメ一家と 「オットの誕生日 & ムコちゃん帰国 おめでとう」記念でみんなで食事することになっていた。



場所は銀座



ウェイティングルームでちょいと待ってから 鉄板焼きのお部屋に



みんなで鉄板を囲んで魚と肉のコースを食べた。
飲める大人は シャンパーニュ→ブルゴーニュ白→トスカーナ赤でペアリング











スープとサラダの後のサーモンのバターソースはとても美味しくて 孫1は私の分のソースまでパンにつけて食べた











温野菜とサーロイン





〆はガーリックライス











美味しいものを食べて、孫たちも集まれて、みんなが笑顔になった。

その後、動物写真家のギャラリーやら、山手線展など 無料で入れる所にみんなで散策(ご飯で散財しちゃったので倹約)









孫3は孫1が大好き。孫1の言う事ならちゃんと聞く。









ポルシェも冷やかして「次の車はこれかな?」などと口だけかましたりして



ここでも怒らないジージは孫に慕われる。今年の秋は、これにbabyが加わるわけですね。



子供 & 孫たちと別れて、考えてみたら今日のメニューはスイーツがなかったので、家の近くの気に入りのパティスリーで二つだけケーキを買って二人で食べた。



子供たちからのプレゼントの、二つ折り財布を眺めながら(今までのがあまりにボロボロで私が子供たちにリクエストしたのである) 

「あいつら(孫たち)といると、疲れがふっとぶよ。今日は幸せな日だったな~」
だそうです。
朝の事件もふっとんだわけね。

たまにトンチンカンで、たまに空気を読まずにワタシをいらだたせるが、基本優しく威張るオトコでなく、仕事においては信頼に足る職人である、オット。
この先も元気で仕事続けてね~




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家政婦かナニーか

2023-05-21 17:23:04 | 家族あれこれ(犬も含めて)
昨日は婿の帰国予定の日であった。
朝、自宅で、娘からリクエストのあったオーブン料理をした。




このミートローフ
肉料理がイマイチ苦手な孫③がすごくよく食べたので、また作ってくれというんですね。
別に何にも難しくはなくて、あいびきと炒めた玉ねぎ、食パンを砕いたモノと卵を混ぜ合わせて、調味料(塩コショーとナツメグ、ケチャップ、ウスターソースなど)をテキトーに混ぜてよくこねてから焼くだけなんだけどね。
自慢じゃないが、確かにワタシ作は美味しいと思う。お嫁ちゃんもムスメも、どうやってもワタシの味にならないんだそうだ。

これと、ふるさと納税のウナギを使った「鰻飯」をタッパに入れて、ヤングコーンも持って、娘の家の最寄り駅の某商業施設に・・・

この日は、孫③の英会話スクールの体験に行ったらしい。
まだ、ペラペラ喋れるようになるまではいかなかったところで帰国しちゃったのが残念だけど、口から出る英語は綺麗な発音だし、耳は聞き取れてるらしいので、忘れ去らないうちにブラッシュアップと思ったらしいが・・・

孫③は連休明けに幼稚園に入園。他の園児にほぼひと月遅れてで、結構預かり時間も長いその園に急に放り込まれて大丈夫か? と心配したが、今のところ「とっても楽しそう」とムスメ。本人も「〇ちゃん、幼稚園好きだよ」ってなことで、バーバ的には一安心ですかね。
やはり生まれる前からあちこち国をまたいで移動して(された)身、たくましいのだか図々しいのかはわからないが、環境への適応力は強いな~ と思う。
英会話スクールは、ムスメに言わせると「全然ダメ、教材も進め方もつまらなそうだった。だいたい先生(ネイティブ)がマスクしてんだよ!」だったらしく、あとで「火曜までに入会すれば〇〇特典」などの電話にあった勧誘には「ちょっと他も見て見るつもりですので」とやんわりとお断りしつつ
「その手にはのるか!」と電話を切ったあとに切り捨てていた。

10日ほど見ないうちに、またお腹が大きくなって、もう「誰が見ても妊婦」になっていてこれもビックリ。
国をまたぐ引っ越し、あれこれの手続き、電化製品や家具や雑貨の買い出し、幼稚園探し・・・ ムコが居ない日々は大変だったろうな~と思って、ワタシもオットもなるべく支援してきた。
一方ムスメはムスメで「幼稚園初日が雨の日で、〇ちゃんをお迎えバスまで連れて行くだけでも超大変だった。おかんは✖✖(ムスコ)の幼稚園の時にあたしを連れて一人でそれをやってたんだな~、大変だったろうな~ってつくづく思ったよ」と今更言われた。
そういえば母の日は、その感謝の気持ちか「炭八」を段ボールいっぱい送ってきた。「花より実用品」が私たち母娘っぽいな~ と苦笑。

ワタシが来たからと言って、ムスメは食料と雑貨の買い出しに行ったので

二人でお絵描きで遊ぶ。





バーバ指導による紫陽花の絵が完成した。

図書館から借りて来た本も10冊くらい読まされながら、冷蔵庫にあるもの何でも使って良いから何か作っといて~と言われたので

その後は



茄子とアスパラの肉巻き作ったり





枝豆ゆでたり、ヤングコーンを焼いたり、レンコンのアンチョビ炒めを作ったり、寄せ豆腐のトップに乗せる薬味を刻んでおいたり・・・
あっそうそう、茄子の揚げ煮と焼き芋も作ったんだ。

(ワタシは家政婦の志麻さんか)と我ながら思うほど働きましたよ。
まあ、これで、家から持ってきたあれこれも含めればムコさんと三人の週末、ゆっくり過ごせるだろうとの母心ですよ・・・
(ワタシも甘いな~)

そしてついに
「わーい、パパお帰りー!」



一月ぶりの親子対面であった。
成田まで迎えに行ったのはオット(じ~じもこのひと月大活躍であった)

「一緒に食べようよ」と言われたが、私たちはここでさよならした。「親子水入らずがいいよね」と言いながらだが、これ以上居たらまた使われるような気も・・・w

家路の途中のイタリアンに寄って



私だけスパークリングを飲んで。





軽く食べながら

「は~ 疲れたね~」
「これでひとまずオレの役割は終わった」
「まあそうだね、次に大変なのは産前産後だよ」

ムスメが予約した産院は我が家の近くだけど、そうしたら孫③の幼稚園はどうするのか? 孫③の産前産後の疲れ果てた日々を思い出し、またあれから4歳加齢している我が身を省みて、おめでたい事ながら今から想像すると「ひ~~~」と思う。
その頃 ジジババ部隊(姑 両親)が不調に襲われませんようにとそっちもまた心配ですね。

まあ、あれこれ考えてもなるようにしかならないので今のうちに遊べるうちに遊んでおかなくてはならない。
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発表会は5回目になる

2023-05-01 22:17:37 | 家族あれこれ(犬も含めて)
孫①のピアノの発表会だった。

去年も同じ時期にあった発表会。

孫1の発表会 - 局の道楽日記


これは去年の写真だけど


今年は長ズボンになってお兄さんらしく



ちょくちょく見ていると気づかないけど、なんて大きくなったんだろう



曲目はクレメンティのソナチネ



前の日にお嫁ちゃんから
「三日前なのに暗譜が出来てなかったんですよ! 信じられない!」と悲鳴のようなlineが来たが

同じメロディのところで2回つっかえたが、無事弾き終わった。
自宅でピアノを教えているお嫁ちゃんのお母さんも
「今年が一番ドキドキしました。最後までたどりついてよかったわ~」と言っていたので、今年はギリギリで仕上げたのであろう。オットとワタシは呑気に聴いていただけだったけど。



5年連続で出場した表彰の盾も先生からいただけた。



婆馬鹿ですが、この子は顔がちっちゃくて足が長~い。食べても食べても太らないワタシの好みの骨格である。
孫②はもっと筋肉質でマッチョになりそうな雰囲気。兄弟でも違うんですね。



孫3は従兄弟の晴れ姿を楽しみにムスメに連れられて来た。花束を渡す係を終えてご機嫌。
にーにの演奏はもちろん、発表会を見るのは初めてで綺麗な舞台衣装を着たお姉ちゃんたちにも触発されて
「〇~ちゃんもピアノ習いたい!」と言っていた。



発表会が終わった後は、近くの広場で時間をつぶす。



従兄妹仲良しっていいもんですね。
孫③に言わせると、この二人のニーニは〇~ちゃんの宝物 なんだそうだ。どこでそんな表現を覚えたのだろう?



孫トリオ これがカルテットになるみたいな・・・(ひゃ~~~~!)

場所をうつして、早い夕飯にカジュアルイタリアンに行った。
ムスコ一家4人とお嫁ちゃんのお母さん、局夫婦とムスメ母娘。



発表会のうちあげと、ワタシとお嫁ちゃんと孫②の誕生会をかねて乾杯ー!









この店は場所が変わったが、もう30年以上続くお店で、カジュアルだけど何を食べても美味しい。
薄い茄子とルッコラが載ったクアトロスタジオーネはその頃と変わらぬ味だった。
ムスコとムスメが孫たちくらいの年齢の時から通った店で、彼らが二人とも親となって三代で来られたのがなんだかとても感慨深かった日。
色んな事に感謝です。
これからいつも順調な日ばかりじゃないでしょうが、こういった幸せな記憶っていうのは逆境の時がきても何らかの力になると思うのですよね。

自宅に二人で帰るのがめんどくさくなったと、ムスメと孫③は我が家に泊まっていった。
はしゃいで疲れたのか夜7時頃から朝まで延々寝続けた孫③。
もうすぐムコさんも引継ぎが終わって帰任するらしいし、やっぱり気軽に会える所に帰ってきてくれて、家族が集えるのは良かったな~と思った。
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週明けは腰痛が残る

2023-04-24 21:21:25 | 家族あれこれ(犬も含めて)
先週、金曜日のこと・・・
この日は確かにムスメに「予定入れないでおくから、何かあれば手伝うよ」とは言った。
しかし、ムスメが夜、友達と遊びに行くのに孫③を置いて行かれるとは思わなかったです。






日本の電車にも慣れて来た孫③
幼稚園も決まってやれやれ・・・ はいいけど。

その夜
「久しぶりの女子会だ~」 とルンルン♬出かけたムスメに置いて行かれた孫③は、夕飯とお風呂までは上機嫌だったが、8時半頃に一緒にベッドに寝転び、絵本を5冊くらい読んでも一向に寝やしないで二時間ほど・・・
そのうち
「ママがいないと寂しくてねんねできない!」とさめざめと泣きだす。
仕方ないからムスメに電話したら
「ママ! 早く帰ってきて! バアバの手が冷たくて〇~ちゃん寝られないの! ママの温かいおててがいいの!」と切々と訴えるではないですか。(なんか『演技』っぽい要素が入っているような気がする、三歳にして女優)
悪かったね、冷たい手のバアバでさ。これだけメンドウみてやってんのにさ。
と、内心ふてくされるバアバであった。
しかしこの孫③の泣き落としは効果があって、ムスメは慌てて帰って来たのであった。



一方ジイジは先週、ムスメが買ったマットレスをニ〇リに引き取りに行き、結構大きなそれを、一人で車の後部座席に押し込み、ムスメの所に持って行ってやったらしい。

奇跡的に車に入った と 送られてきた図
下ろして運ぶのもエライ大変だった。と



でも、「じいじ、ありがとう」という孫③に言われると腰痛も吹っ飛ぶらしい。
ムコがまだ帰国できないので、慣れないところでのムスメのワンオペを手伝ってあげたいというのもわかるが、まあ優しいことです。
まあ、自分の子育ての時はほとんど家に居なかったからね、人生どこかでつじつまが合うってことですね。

ホント、遠慮のないムスメに、ジジババ使われております。

    ☆ ☆ ☆

一方、ムスコ一家。
先週半ばに、ムスコより動画が送られてきた。







大谷君4号?をナマで見ていたらしい。

「いいよね~ オトコって一旦家を出たら子供の事から完全に自由になれるもんね~」とムスメがうらやましがっていたが、それを見習い、こちらにしょっちゅう預けて遊びに行かれても困る。
ワタシのワンオペ時代よりは、はるかに自由だと思うけどね。

ここの所、ムスコは毎月のように出張で、お嫁ちゃんもその間はヤンチャ坊主二人を一人で見てるので、このところ相当ストレスがたまっているらしい。

ムスメが金曜日一泊して自分の家に帰った後にやっと一息ついた土曜日の午後である。今度はお嫁ちゃんのお出かけをサポートするために、あちらのお母さんが上京、それはありがたいことだけど、孫①の塾の送迎までは無理ということで、そこはワタシがサポートという予定になっていた。

この春から週一回、塾に通い出した孫①
背ばかりひょろっと伸びて、顔は大人っぽいけどまだ精神的には幼くて、ワタシとも手をつなぐし、色々話してくれる子供子供いたところもあるのにねえ。



塾は20数年前、ムスコもお世話になった所だった。
お迎えで集まるお父さんお母さんをすみで眺めつつ昔を思い出していた。
シャネル風ジャケットにブランドバッグを持ったママや、下の子をベビーカーに乗せて公園の帰りみたいなママや、「栄光へのなんちゃら」みたいなこの塾の成功体験の小冊子を待ち時間に熱心に読み込むパパや・・・
みなさん この時代は子供にたくさん夢を見られる頃だよな~ (などと一世代先輩として達観の境地ですね)



孫①をピックアップして家まで送る道すがら、新月と金星の競演が見られた。

と、二週続けて子供家族の用事につきあった熟年夫婦、日曜日は疲れ果てて、マイナポイント申請の手続きを家ですませて、区議選の投票に行った以外はゴロゴロして過ごしたのであった。
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