局の道楽日記

食道楽、着道楽、読書道楽  etc
生活色々を楽しんで暮らしている日々の記録です

ビッチ

2012-04-30 22:12:54 | 家族あれこれ(犬も含めて)
我が家の愛犬 MダックスのGちゃんは1歳4か月を迎えた。
人間だったら年の頃22~3歳だろうか? 少女から娘盛りを迎えるまぶしい季節である。

Gちゃんもその通り。
母犬は黒のスムースコート 父犬は茶のロングコートである。どちらの毛並が遺伝しているか、幼い頃はよくわからなかったのだが、ロングであった。この冬、大分毛は長くなり、シャンプーのたびにナノイードライヤーで乾かしているせいか漆黒の毛の艶は増し触ると上等の絹糸のようである。

そしてまたこの子の特徴は、一度目の生理が来る前に避妊手術をしてしまったせいか、いつまでも幼体~子供っぽさが残っていることである。
先住犬のPちゃんに比べて口吻は短く華奢な体つきは年をとっても少女のような不思議な魅力をたたえている。
そしてPちゃんに比べて非常に身が軽く、短足のダックスのくせに一息で椅子に飛び乗り軽々と飛び降りる。

最初は先住犬の権利と年上の貫録とプライドを持ってリーダーとしてふるまっていたPちゃんだが、Gちゃんの運動神経に押されてリーダーを譲り渡した感がある。



寝る時だっていつもPちゃんの上で寝ていて、Pちゃんはそれを嫌がりもせず受け入れるようになってしまった。

それだけならまだいいが、14歳になった(人間なら80歳すぎ)ジジイPちゃんを挑発するのである。
わざとしっぽを上にあげてPちゃんの顔の前に突出す。ジジイとはいえ一応♂の本能はあるらしいPちゃん、挑発を受けてのしかかろうとするとGちゃんは逃げる。そしてまた近づき今度はPちゃんの口を舐めて前足で抱きつき またPちゃんがその気になると今度はPちゃんが乗れない出窓にひらりと飛び乗り、下でせつなげになくPちゃんを上から目線で見下ろす。

我が家のリヴィングではハンバートとロリータ、痴人の愛における河合譲治とナオミの世界が繰り広げられているのである。(あやすぃ~な~)

そしてGちゃんのターゲットはPちゃんにだけではない。
何やっても叱られないと思っている美少女の傲慢さを発揮するGちゃん。
放っておくと寝ているオットも







譲治状態になっている。

どかせよ~








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G.Wの友

2012-04-29 21:26:11 | 日々の生活
いつもより忙しいらしい、昨日から泊まり仕事で帰ってくるのはお昼頃とオットより連絡あり。

ムスコは昨日から家に泊まって家の車でスポーツの大会。ムスメはバイトでムスコと一緒に早朝出勤。

ここのところ忙しすぎたのでこのGWでゆっくりできる時は思い切りゆっくりすることにした。

パジャマだってギリギリまで着替えるものか・・・
ダラダラしてやる・・・

ソファーに寝っころがって人目を気にせず過ごす自分の時間。



猫村さんを一気読みと



TSUTAYAで借りてきたデス妻のDVDが今日の友。


やがてオットが帰ってきた。モンペのモンペにさんざん悩まされたとご立腹の様子である。

話を聞きつつ、お土産の神田・達磨のバリつき鯛焼きとカリント饅頭を食べながら 天皇賞を眺めて、まさかのオルフェーブル敗退に損した人に軽く同情する。



高速道のバス事故のニュース、観光地の混雑をTVで見るにつけ、ますます大型連休は遠出したくないな~と思いつつ日が暮れた。

後半は音楽会、飲み会がボチボチ入っていて、バアサンのお見舞いに一緒に行くよというムスコ夫婦と実家に行く予定。

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最近読んだ本

2012-04-25 21:45:54 | 読む
病院というのはとても待ち時間が長いもので・・・ まして付添として行くと、自分が見てもらうわけじゃないので移動の他は殆ど何もすることのない時間である。携帯もつかえないし。

で、母の付添中に読んだ本で印象に残ったものを記しておこう。(画像はアマゾンから借りました)

まずはご夫妻の作品





先日クマ牧場で檻を抜け出したひぐまがパートの女性二人を殺害した事件があった。
 こちら ☆で書いたがこの本が現実になってしまったようで気の毒な事件であった。
その関連で読んだのが吉村氏のドキュメンタリーである。熊牧場やファントムピークスじゃなくてほんまもんの野生のヒグマが人を襲った話である。
大正時代の話だが、入植して厳しい北海道の自然と戦いながら生活を育んできた村に巨大なひぐまが襲う話。息を詰めて読んでしまうような迫力があった。

吉村氏の緻密な筆致。もっと他の著書も読んでみたいと思いながらも書く世界があまり私の興味の範疇外なので今まで敬して遠ざかってたけど力のある作家さんの作品てのは興味外の対象を書いてもひきつけられるものと改めて感じさせられた。チャレンジしようっと。

奥様の津村節子さん この方は着物の会の先生も講義の中で著書を紹介してくださる。絹織物、染め織り、伝統工芸など着物周りの世界を記した著書が多いので読んでいたが、こちらはご主人の舌癌から始まる闘病と死に至るまでの私小説である。
身内に癌患者がいるタイミングで読むのもなあとも思ったが勢いで図書館で借りてしまった。
作家としての活動をしながら、気難しそうな夫を支えた数年間の記録。戦って戦って最後は自分で点滴を抜いて死に至った吉村氏の最後の描写、その時に叫んだ筆者の言葉には泣けた。



450ページという長編 単行本だから重いので持ち運んで読めなかったこともあるが、読み進むのがつらかった本。
これはかなり強烈な母親との葛藤を記した半自伝的私小説である。
幼い頃から母親から期待されていた反面、押さえつけられ、それを陰で裏切るかのように女子高時代の同性愛、男遊び、結婚と離婚と再婚。
その母親は現在認知症でわけがわからなくなっているようで、だからこれを書けたのだろうけど・・・
ムスメもいる我が身としてともすれば母親というのはここまで我が子を呪縛してしまうものなんだろうか? この母娘が特殊と信じたいと思ってしまった。
途中何度も読むのをやめようと思いながら彼女の語りの展開や文章の巧みさにひきつけられて最後まで読んでしまったが読後はすっきりしなかった本である。






これは違う意味で読み進むのを躊躇した本。 なぜって?・・・・

読み終わるのが惜しかったからである。いいわ~ 有川さん! はまった。

簡単に言ってしまうと東京の小劇団の財形再建の話である。

シアター

小劇団「シアターフラッグ」―ファンも多いが、解散の危機が迫っていた…そう、お金がないのだ!!その負債額なんと300万円!悩んだ主宰の春川巧は兄の司に泣きつく。司は巧にお金を貸す代わりに「2年間で劇団の収益からこの300万を返せ。できない場合は劇団を潰せ」と厳しい条件を出した。新星プロ声優・羽田千歳が加わり一癖も二癖もある劇団員は十名に。そして鉄血宰相・春川司も迎え入れ、新たな「シアターフラッグ」は旗揚げされるのだが…。
←サイトより


シアター2
 「2年間で、劇団の収益から300万を返せ。できない場合は劇団を潰せ」―鉄血宰相・春川司が出した厳しい条件に向け、新メンバーで走り出した『シアターフラッグ』。社会的には駄目な人間の集まりだが、協力することで辛うじて乗り切る日々が続いていた。しかし、借金返済のため団結しかけていたメンバーにまさかの亀裂が!それぞれの悩みを発端として数々の問題が勃発。旧メンバーとの確執も加わり、新たな危機に直面する。そんな中、主宰・春川巧にも問題が…。どうなる『シアターフラッグ』!?書き下ろし。

しっかりもののサラリーマンの兄・司と幼い頃大層ないじめられっこだった巧。巧は売れない役者で貧乏をこじらせて死んだ父から演ずるということを教えられた。シアターでは司の鉄血宰相ぶりに惚れたワタシだが、2ではそれぞれのメンバーの恋愛模様も織り交ぜてあり、へ~ここがこうくっつくんだと意外だけど納得するキャラ構成にこれまたひきつけられる。

あとね、登場人物たちの会話の巧みさ。
それぞれキャラ立ちしている人物たちだが、会話もそのキャラならこうしゃべるだろとそのまま違和感がない。
またもしつこく書いてしまうが 某渡辺○一の作中の会話のあり得ないひどさ。この人物設定でこんな言葉使いするわけねえだろといつも突っ込んでしまうが、そういったことはこの作品では皆無である。作者に年代が似ている人物だけでなく、司の上司のアラフィフの部長や客の上品奥様も納得する言葉づかいとしゃべりである。こういうのってとても読んでいて安心なのだ。人間観察が鋭い証拠だね。

それにね、さっき紹介した津村氏の本と違った意味で泣けるの。シアターフラッグのメンバーの演劇にかける情熱、最初もうけもでない劇団として苦々しくみていた司が、巧の作品の中の自分の投影に気付くところなんて・・・ ホントじんわり来る。お涙ちょうだいじゃないところでずきゅんと心に沁みるってワタシ好みだわ~

東京ってところは案外身近に役者さんって人種がいるところで、ジムに行けば往年の☆沢映画にも出ていた俳優さんが自転車漕いで汗を流していたり、子供の学校関係の父兄にも今現在TVや舞台で活躍している人もいる。
そういうメジャーな人とからむのもミーハー心が刺激されて楽しいが、もっと身近なところに もうちょっとでメジャーになるかな?というまさしく中堅どころの劇団の俳優さんの妻がいるのである。
彼の作品や客演する舞台はなるべく見に行っているが、コンスタントに仕事があって家族を支えていけるようになるまでは大変だったらしい。
妻にこの作品の話をしたら
「すっごい身につまされますよ~ 絶対読んでみます。ダンナにも読ませます!」と言っていた。彼女とダンナの感想を聞くのも楽しみである。

さっき読み終わるのが惜しかったと書いたが、このシリーズはまだ完結でなく3まで出る予定らしい。
早く読みたいな、シアター3!








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最近のアンチエイジング ワタシなり

2012-04-22 22:58:30 | 日々の生活
さて、今年の誕生日プレゼントにドラ夫婦からもらったこの器械


パナソニックのナノイースチーマー

使って1週間。

これがまあ奥様、大変重宝ざますのよ。

色々種類はあるらしいが、家のはタンクに水を入れて温かいスチームを噴出させて顔に当てるタイプ。あとはドライタイプで夜寝る時に使える切り替えもついている。

今年になってこのナノイーシリーズのドライヤーも買ったが

ここ ★ この時も効果を実感した。

ナノイー=コレイー (バカバカしくてすまん)

私は就寝前に化粧を落としたあとに使っている。どのタイミングで使うのが一番効果的か(洗顔後すぐに美容液、その後 化粧水、クリームって順序の基礎化粧品のラインナップなので)は試し中だが、次の朝の皮膚のモチモチ感が明らかに違う。

それ以上の効果として、まあ顔ってのはそれなりに今までも手入れをしてたけど、おざなりだったデコルテとか首とかは格段に違う。んま~ ツルツルしっとり感が出る。
おまけに手の甲などに当てると短時間でも格段にカサカサ感が軽減するからびっくりである。

手っていうのも案外年が出るところだね。私はゴム手袋が嫌いで洗い物なんか素手でやるので冬から春にかけて油断すると手に一番年が出る。シミはまだないからいいもののチリメンっぽい皺が表面に出るのは嫌なもんだ。

それがね、ピンっとなるのピンっと。(別に私はパナ★ニックの回しもんじゃありませんよ、良いものは良いのだ)

も一つおまけに髪にも良い。先日ジムにシャンプーを持っていくのを忘れて備え付けの粗悪シャンプー&リンスを使い、しかも古色蒼然たるなんでもないドライヤーを使って髪がぱさぱさしていた後にこれを使ったら髪まで格段にしなやかになった。ビックリ。

ホント コレイー(しつこい)

そして実践的効果はともかく極細かいスチームに顔に当ててほわ~っとする時間というのは思いのほか癒される。その間本も読めるしTVも見られるってのもなかなかよろしい。

この手のホームエステの器械も進化しているのですね~ 玄人さんのエステに行くのもそれはそれで気分がいいが、それよりも、また高いクリーム買うよりこっちの方が効果はありそうな気がする。


そして 先日購入したのがこれ



今更私が言う必要もないかもしれないが、樫木さんのDVD付きの本 (アマゾンより画像借りました)

以前も こちらを持っていた

 

ので二冊目

これも真面目にやれば絶対に腹は引っ込むと思う。
(私は忙しくてジムに行けなかった週と食べ過ぎ飲みすぎが続いてそろそろヤバイという時に実行)

この本の良い点は

1)楽チン 思えばビリーズ・ほにゃらら・キャンプも購入したワタシw あんなに軍隊みたいに血相変えてやらなくても大丈夫、しかし真面目にやると次の日脇あたりに筋肉痛がくるからちゃんと効いてると思う。

2)安い 40分ほどのDVDがついてて1000円って嬉しい値段設定じゃないだろうか? これが2000円 3000円だとここまでベストセラーにならなかったであろう。こういったダイエット本ってのは言っちゃなんだが 眉唾で騙されても仕方ないくらいの覚悟で買うんだから。1000円ならまあ惜しくはない。しかしこれは1000円以上の価値はあると思う。

3)楽しい これはトレーナーの樫木氏のキャラクターによるものであろう。徹底した自己肯定(要するに自分好き)。慣れないころはあのタメ口と「老若男女 天使の羽がついてるんだよ~ 天使の羽 はいっ みんなで言ってみて~」の独特トークに照れるが・・・ 

4)美しい アラフィフであのスタイルと親しみやすい美貌は見ていて気持ちが良い。他に話題になったこの手のDVDも持っているが、確かにウエスト周りの肉はないけどあばら骨がキングコブラみたいで怖いと思った同年代のトレーナーのものはやる気にならない。


ってなことで、夕飯後、後片付けして ブログ書いたり本を読んだりお風呂に入ったりに+して、ナノイーかけたりカーヴィーしたり・・・ 年取ればとるほど夜は忙しいのである。




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先端医療

2012-04-20 13:56:07 | 日々の生活
母の話である。

肝臓の深いところにできた癌がみつかったのはおととしの年末。
原発巣だったしまだ小さいものだったし、年齢も考えて外科的治療は避けて カテーテル治療を選択した。
足のつけねの静脈からカテーテルを入れて癌細胞のところに到達させ、そこに抗がん剤とリピオドールという油のようなものを入れて癌細胞に栄養を運ぶ血管をふさいでしまうという方法であった。塞栓術と呼ばれているらしい。

その治療はうまくいって一年間は無事に過ごしたが、やっぱり癌というのはしつこく、去年の暮れにまた再発がみつかった。原発巣にくっついてひょうたん島のようにできている。

それも今年になってから同じような方法を試したけれど、今度は去年ほどうまくはいかなかったらしい。
また再発したらもぐらたたきのように何度もやるという手もあるらしいが、母も高齢で血管もある程度硬化しているし、なかなか手技的にも難しいらしい。

また手術しないでもっと効果のあがる方法としてラジオ波というのがあるそうだが、母の場合は大きさと部位が問題らしい。ギリギリ効果が望める2cmをちょっと超えていることと肺が近いと冷やされてしまってラジオ波で焼き切るのが難しくなるとのこと。

ただ、近くに大きな静脈が通っているため肺に転移する危険が大きいと・・・

困ったね~、手術するしかないのかね?などと思っていたが、色々な筋からもう一つ方法があるとのことで、最先端の医療を受けることになったのである。


放射線の仲間だけど(素人ですので正確じゃないかもしれないけどさ)もっと効果があって副反応が弱い治療なんだそうだ。

なんでも癌細胞のDNAをぶった切る力が強く、しかもその照射は癌細胞のところで停まるのでそれより先の臓器に影響がないとか・・・?

なんだかわからんが スゲーよね、医学の力!って感じである。

前の病院から今度の病院に紹介していただき、話はさくさくと進み、思ったより早くその治療が受けられることに決まったのが2週間前。

まず1週間入院して色々な検査、照射される時に動かないようにするギブスのようなものの型取り、CTを取りながらの呼吸の練習などの期間がある。その後1週間から10日インターバルを置いて照射の計画をたて、今度は本番の入院。
母の場合は4回の照射でかなりの高確率で全治が望めるとのことであった。

ありがたや 医学の力!って感じである。

そして今1度目の入院をしているのだが、この一週間は私は行かないことにした。

ムスコの結婚式の直前二回と直後一回はなんとか行ったが、今回は弟に入退院の付添はまかせて、私は来週の外来と本番入院時の付添をすると役割分担をしたのである。
やはり片道100kmで家族と犬と仕事を放りだして行くのもなかなかキツイわけである。
弟嫁はなぜか一切来ないから弟一人だと大変らしいが、あんた長男なんだし地元なんだからそのくらいやれよと無言のプレッシャーをかけてある。

この間は毎日実家の父に電話して様子を聞いたり、母の病室からは毎日報告の電話はある。

昨日の母からの電話である。

昨日は型を取る日。この治療は誤差何ミリも許さないくらいの精密な位置決めが必要らしい。(だからどんな癌にも適用されるわけじゃなくて消化管とか勝手に動く臓器には向かず、前立腺とか肺とか脳腫瘍とか動かない所に適しているらしい)
その型とり、人によって時間がかかって結構つらいというのを聞いていたので大丈夫かな?と思っていた。

ところが・・・ 電話の向こうはやけに明るかった。

「今日 型をとったのよ」

「そうだよね、大変だったんじゃないの?」

「それがそうでもなかったのよ」

「へ~」

「うつぶせで撮ることになったんだけど シリコンなのかな?なんかフィルムをかぶせられるのね。」

「うん」

「それがちょっと熱めのお風呂くらいの温度でとっても気持ちがいいのよ~」

「へ~」

「それにね そのフィルムをかぶせたあと、二人・・・あの人たちは放射線の技師さんかね? 若い男の子が二人で型がぴったり沿うように上からなぜてくれるのよ。それがまたマッサージみたいで気持ちよくてね」

「笑」

「おまけに二人とも器量が良い子でねえ。それに親切で気を遣ってくれてね~」

「良かったねえ 良い思いができて」

「それにね、そこの施設は別棟なんだけど、わざわざタクシーで送り迎えしてくれるのよ。あたしは気候もいいから歩きたいくらいなんだけどね、それに建物全体が新しくてきれいで、高級ホテル並みなのよ。タクシーから降りるときも手を貸してくれるしね。女王様みたいよ~」

ここまで嬉しげな癌患者も珍しいと思うが・・・

そう言えば 息子の結婚式の日、庭園に出るために階段を下りる母にM子の弟ちゃんが手を貸してくれた。M子家はおじいちゃんおばあちゃんと同居していたのでそういう気配りが自然にできるように育ったのであろう。



この写真の母の満面の笑み。

後で聞いたら
「ホントにM子ちゃんの弟さんも良い子ね~ イケメンだし感じはいいし。あたしはまた良い孫が増えたみたいで嬉しいよ」とはしゃいでいた。

母の闘病にはイケメンが必である。

そして 「前の所も良かったけどね、今度の病院もみんな親切よ。ワタシの年を聞くとみんなびっくりして信じられないって驚くのよ~」と得意そう。確かにムスメの目から見ても10歳は若く見えるがお世辞もあるっつーに。
「看護婦さんから OOさんお化粧品は何を使ってるんですか?って真剣に聞かれちゃった」
何年か前から 「入院した時 すっぴんでも汚いばあさんと思われたくない」との意思表明でシミしわ対策でレーザーをやった甲斐があるってもんである。

ここでも スゲー、医学の力! でもある。

母も無理やり能天気なふりをしている所もあるとは思うが、自分も周りも落ち込まない、心配させないってのは闘病にとって良いことだね。








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覚えておきたい春の一日

2012-04-19 00:01:54 | 日々の生活
地球ゴー☆ャスについて書こうと思ったけどまずこちらを先に。

先日日曜は ワタシとムスメ、M子の合同誕生会だった。みんな牡羊座である。

みんなで集まるのは夜の予定だった。
ワタシとオットは昼間は空いていたが、なぜか早起きしてしまった。

よいお天気。犬でも連れてドライブするかと某公園へ。

この日が最後のソメイヨシノのお花見日和だったかもしれない。



名残の桜を眺めながら花のじゅうたんの上で楽しむ人たち。



一人思索にふける若者

 

色んな種類の桜の競演



菜の花とのコラボレーション

 

土の地面を楽しむ二匹の犬たち

さんざん遊んで家に帰ってきてもまだお昼。
「早起きは三文の得ってホントだね~」「んじゃ 久しぶりに映画でも見に行くか」ってことで東劇へ

玉様と泉鏡花という魅力的なシネマ歌舞伎の再演である。

時間を見てみたら 高野聖がちょうど良かった。

「高野聖なら観たいな。高校の時読まされた」とオット。

で、見たのですがね・・・

玉様の演じる女は良かった。美しくて妖しくて・・・

しかし獅☆が坊さんってどうなの? あの旅の僧はとびきり美しくないと私の中では納得できないのである。

ってことでどうもモヤモヤしたまま映画鑑賞終了。

 
建設途中の歌舞伎座を見てまたびっくりする。 昔の面影はいずこへ・・・・

    * * *


約束の時間になったのでレストランへgo!



ポル☆ガル料理である。某駅から近いが路地裏みたいな目立たない店である。しかし開店の6時にはもう人がちらほら扉が開くのを待っている。

実はワタシも初めての店。しかし絶対おいしいから!とタイルの先生からの折り紙つきであった。

ムスコ夫婦とムスメも三々五々集合し まずこの国で一番ポピュラーだというビールで乾杯




料理はよくわからないのでお店の人におすすめをチョイスしてもらったが






ホントおいしかった。

自家製の干しタラの塩加減がちょうどよく、野菜の使い方が絶妙で、魚介類や肉との組み合わせも新鮮で珍しい。
どれも作り手の気合と丁寧さを感じられる料理だった。

ただ、この通り一皿の量は決して多くはなく しかも出てくるのが遅い。ホールスタッフも足りてない感じ(しかしみんな感じの良い人たちだった)
だからこの日はオープンと同時にほぼ満席だったが、お料理が出てくるのが遅いこともあって客の回転が悪いこと。
私たちもたっぷり3時間はいたが、他のテーブルもほとんどオープン時のメンバーのままだった。

あんまり経済効率はよさそうじゃないなあ。

でも また絶対に行こうって店の一つである。オットもここはうまかったと絶賛していた。

お酒も良かった。



歴史的人物ワイン。
ポ☆トガルワインってあんまりなじみがなかったけどおいしいもんですね。

そしてこの店はアルコールでぼったくらない。オーガニックワインが2000円前後からという良心的値段設定である。

ムスメは車だったので飲んだのは四人。3本空いた。



よく飲むムスコ夫婦

M子もすっかり馴染んで楽しい夜だった。



ワタシはみんなに



これをもらったよ。(ナノイースチーマー)


良い一日が楽しく締めくくられたけど・・・・

これからこういった時間が気軽に持てなくなるのである・・・

実はムスコは海外へ赴任することになった。結婚式が終わった翌々日、母の付添で病院の待合室にいたワタシがびっくりした知らせは実はこのことである。

いずれは、とは思ってたけど いざとなるとやっぱ寂しいもんだわさ。







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お譲り着物

2012-04-16 21:59:40 | 着る
ジム友のNちゃんからメールが来た。

「局さん、突然ですがTさんのお宅に行きませんか? Tさんのお宅が立て替えるらしいんですが、お姑さんの着物を処分するので、その前にぜひ局さんにお譲りしたいっておっしゃってました。」

Tさん 顔見知りだけど親しく話したことはない。けれどおっとりしていて優しそう。ジムばばにいがちな「体育会系強気オババ」(これはこれで嫌いじゃないけど)、というよりは、着物の会や伝統芸能好きによくいがちな「文化人系オババ」方面の方である。年齢は60代半ばか?

(へ~ 何でワタシご指名?)と思ったが思い出した、おととしだっけか電車の中で彼女に偶然お会いした時に私が着物だったことがあったのだ。その時「あら~ 見違えちゃったわ。お着物お召しになるのね~」と驚かれた記憶あり。そりゃ~いつも水着みたいな恰好して汗だくになって飛び跳ねてる姿しか見てないわけだからびっくりして印象強かったのであろう。

「それじゃお邪魔します」とNちゃんから伝えてもらってTさん邸にお邪魔した。

沿線で一番の閑静な住宅地にある広いお宅だった。
石張りの玄関を入ったところに応接間がある私の好きな昭和の注文住宅である。緞通って感じの敷物の上に畳紙が広げてあり、たくさんの着物があった。
「家をリフォームするのでもう処分したいの。もらってくださると嬉しいのだけど・・・」
着物が大好きだったというお姑さんのものである。ちなみに明治生まれの女性である。和裁もできたらしくご自分で縫った着物。銀座の有名店であつらえた着物。地元の呉服屋さんで作った着物など多数。
羽織らせてもらったら、かなり小さい。やっとおはしょりができるくらいの丈。身幅も標準より大分狭いが、標準寸法だと折り返して着付けないと大きすぎる私にとってジャスト幅である。
ああ チビで良かった。しかしワタシは明治女寸法かよ~

TさんNちゃん 「ちょうどいい~!似合う~!」と喜んでいる。
ただ羽織もとても素敵なのがあったのだが、それは短すぎて断念した。

私は2,3枚いただければと思っていたのに



これもいいな~ これも渋い。なんて言っているうちに着たい着物が積み重なっていった。私の手持ちは母の趣味でどっちかというと柔らかい着物が多いのだが、紬系とか織のものがたくさん 憧れの「結城」もあった。



「こんなに欲張ったら申し訳ない」と言う私に「あなたが持って行かなきゃ捨てるだけなんだから遠慮しないで!」と言われて夏の着物の渋いのもたくさんいただいてしまった。

「あとね、あなたたちに見てもらいたいものがあるのよ」

そう言って持ってきたもの

  

それはTさんが作った佐賀錦のバッグと草履類だった。
芸術品である。

やはり文化人の匂いがするはずである。
細い細い糸で織る 一日織って1cmはかどらないという気の遠くなるような細かい細かい作業。

「オットの両親が亡くなるまで、私はこの家で籠の鳥みたいなものだったのよ。時間があると二階で織ってたの」
明治生まれのお姑さんに仕えた昭和の良きお嫁さんだったのであろう。

「これは私の宝物なの」
友達のビーズ織作家もすごいと思ったが、こちらもすごい。同じジムには漆の作家の奥様もいたし、色んな才能を秘めた奥様っているものなんだな~

こうして私の着物の数は増え、箪笥はぎゅうぎゅう詰めになったが(断捨離の真逆である)これからどんな風に生かそうかと思って、その日は2時までファッションショーをしてしまった(アホ)

そして次の日。ちょうどよくご近所友と「着物で出かける」機会があったのである。

ご近所友、最近着物にはまって、実家から持ってきた亡き母上の着物、新しいのも短期間に買いまくっている。
着付け教室にも通い始めたらしい。

「どうせなら着物で行こうか?」と言った私の提案にのって「行こう! 行こう! 私の着付けはあなたがしてね」

ってことで二人で着物で観劇に行くことにした。歌舞伎やオペラ系の改まったのではなくて、カジュアル系の舞台なので着物もカジュアル系と決めた。

 いただいたイキな縞の紬と手持ちの紅型の帯をコーディネート。

 こんな感じ。

友人はやはり紬と更紗系の帯を

 私が着付けた。

これで行ったのが ACTシアター 地球ゴーャ○スの舞台である。
これがおもしろくておもしろくて・・・
ちょっと着物着て気取った私たちは大口を開けて笑い転げてしまった。

この感想はまた後日。








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わたしだって泣くさ

2012-04-14 17:29:01 | 家族あれこれ(犬も含めて)
一年前から記してきた 「ドラ 結婚までの道」シリーズ(シリーズかw) 最終話。

M子一家との顔合わせから一連の流れを振り返ってみると、一抹の寂しさは確かに感じて落ち込んだ時期もあったが、「ドラにとって良い伴侶ができたことの安心感」「これでひとまず親の役目は終わったという達成感」はあったと思う。それより何より「何か思いがけないアクシデントでも発生して式がきちんとできなかったらどうしよう?という不安感」「でしゃばらないように手伝えることは手伝ってあげようかという使命感」が強かった。
これはA型(別に血液型で性格が決まるわけじゃないが世間一般て言われているところの)的完全主義と長女的要素が強い私の性格によるものだと思う。

ちなみに私の性格は実家の母から踏襲しているが、姑と言うのは世間一般で言うところのB型的性格と「人にやってもらってあたりまえ」の妹的性格のミックスである。
こんなこと言いたくないが、式当日の着付けと美容の費用、M子のウェディングカードで全部支払ったので私がこちらの分は立て替えてM子講座に振り込んだが、実家の母は「誰に払えばいいの? すぐに渡すからね」と前日から言ってくれたが、姑はその費用が生じたことすらもわかってないらしい。まるで知らんぷりなのは払いたくないんじゃなくて気が付かないんだとは思うが・・・
ただで式場の美容師は働いてくれないつーに。 
今更取り立てる気はないがここでバラしてみた。要するに一事が万事としての例である。

ってゴタゴタ前置きが長くなったが、そんなこんな気を遣って前日までと当日も過ごし、緊張もしていたため、感極まるとかドラが生まれて成長した経緯が思い浮かんで胸いっぱい なんて局面が全くなかったのである。
人は冷静とかクールと言うかもしれないがただ他に気が行っていただけである。

披露宴の最中のことである。私たちは親族のテーブルに居た。私の実家と姑も一緒であった。ただ、自分の事をしゃべりまくって周りの空気を読まない姑の止め役として両側に九州の親族を配置してあった。両方ともオットの従姉妹博多の女首領とおだやかな従兄弟である。
「おばちゃん もうおしゃべりはいいから早くたべんと」などと従姉妹は私たちの期待通りに姑を仕切り、世話を焼いてくれた。
しかしその間の姑のおしゃべりでとても印象に残ったことがあった。
私たちの挙式は東京だったが、オットはその時地方勤務であった。挙式の次の日から新婚旅行に行き、そのまま赴任地に戻る予定だったので、婚姻届を出すヒマがなく、それは姑に頼んでいたのであった。

「ワタクシが婚姻届をOO区の区役所に出したんですのよ。その時は本当にさびしかったの。これで○○(オット)が私の元を離れて○○子さん(私ね)の元に行ってしまうのねってつくづく思いましたの」

大声で滔々としゃべる姑に内心苦笑しながら聞いていた私たちであったが、確かにその姑の気持ちってのはわからなくもないと思う、いや、しみじみわかる気がする。ワタシはこういうことは死んでも嫁と嫁の一族の前では言わないとは思うが・・・

ドラが結婚するといった寂しさ。
とっても極端な例をあげるとすると、私のイメージは・・・

海でM子と私が同時におぼれたとする。ドラがどっちか一人しか助けられないという局面に立った時、ドラがM子を助けるってことを承認するってことである。

何をそんなおおげさなって言われるかもしれないが、そのくらいの覚悟はして子供の結婚をとらえないと後々口を出しすぎたり、姑としての立ち位置を間違えて揉めるもとになりかねないと自分をいさめたワタシである。

だって逆に考えれば、ワタシと姑がおぼれてたらオットはワタシを助けると思うし、ムスメの伴侶にはその覚悟がある人じゃなきゃ困るとも思う。
やはりそうしなきゃ命の継続ってのは望めないし、親は大切にはしてあげたいしもらいたいけど、優先順位としてはきちんとお互いきちんとわきまえておかなきゃならないと思うから。

でも 自分にそう言い聞かせるとやっぱり寂しいもんだ。覚悟して自分を追い込んで寂しさを増幅しているような気もしないではないけれど。



最後に、ドラが招待客一人ひとりに自筆(へったくそ)で書いて宴席に置いてあったインヴィテーションカードを披露して終わりにしたいと思う。



「○○子さま
 この度の結婚式では色々と準備から手伝ってくれてどうもありがとうございました。
 しばらくはまだテキトーなドラだと思うけど、家庭を大事にしていこうと思います。
 産んでくれて本当にありがとう!!」

チクショー 泣かせやがって・・・
やられたぜ!
これにはワタシだって泣くさ・・・
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これも親バカ?

2012-04-11 01:29:06 | 家族あれこれ(犬も含めて)
話はドラの結婚式当日に戻る(もう10日あまりもたってしまった)

披露宴も無事終わり お客様を送り出し、、ほっとしたのもつかの間・・



実はこの日、ワタシとオットは二次会に出ることにしていたのだ。
普通は二次会というと友人たち中心で若いもんだけで盛り上がるらしい。
しかし、ムスメがそこでダンス仲間とダンスを披露するというし、会場も近いし、なんとなくこのまま家に帰ると宴の後の空しさが身の回りに漂いそうな予感もした。

そこで 司会の労をとってくれたN ドラが大学生になって初めて自分の事務所にバイトとして雇ってくれた建築士Nちゃん 親友Aに「ドラの二次会行かない?」と声をかけたらノリの良いオバたち「行く行く」と・・・ 

それでドラとM子はまたタキシードとドレスに着替え、その間に私たちも洋服に着替えた。(姑の着替えの手伝いもあって大変だったが)

留袖、草履の花婿の母さんコンサババージョンから


ヒョウ柄ワンピとピンヒールに着替え、ちょいとはじけてみた。

披露宴の間は雨風のピークだったが、移動の時はほとんどやんでいたものの、会場の西○布のクラブは螺旋階段で上がっていくところで、M子のドレスの裾を持ち上げながら会場に入っていくのはなかなか大変だった。

オットと九州から出てきたオットのいとこたち二人と、私たちオバたちは二階のvip席に隔離されながら、下の階で盛り上がる100人以上の若い子たちを眺めて、ドリンクがなくなると適当にドラの友達に声をかけて二階まで運ばせてw「こうやってると若い子のエネルギーもらえるね~」のんびり構えていたのである。

  ムスメチームによるダンスの後に

 なんとムスメがソロで歌ったのにはびっくりした。

 今回ムスメはこのウェルカムボード作成、式の途中でカメラマン役をやったり、活躍してくれたが

 人数の関係で親族席からあぶれたためにドラの中高時代の席に一人で置かれることになり、その事を知った時にはずいぶん難色を示していたが、いざ宴が始まると、みんなおもしろいし結構気を使って可愛がられていたようで、ご満悦だったようだ。

ダンスと歌が終わって私たちの席に来たムスメは司会者Nに
「お兄ちゃんが結婚するってどんな気持ち?」と聞かれ
「うん・・・ まあ うれしいけど・・・ やっぱさびしいですよ、うんさびしいっ!」と言ってふいに泣き出したのにはまたびっくりした。小さい時はいじめられて泣かされもしたのに、やっぱりムスメはドラの事が好きなんだな~と思った。普段クールに見えるムスメのこういう姿を初めて見たNたちも「○ちゃん可愛いね~ こういう所もあるんだね~」と言っていた。(こうなると泣かないのはワタシだけじゃないか)

そうこうしているうちに 階下ではゲームが始まった。
男女でペアになって 男の子が卓球ラケットにピンポン玉を乗せて場内を一周し、それを受け取った女の子が自分でぐるぐる10回回ったあと 今度はペアの子とバットでピンポン玉を挟んで場内一周するというゲームである。
この頃になるとみんなかなり酔っぱらってて足元もあやういところに加え 10回グルグル回るんだからドレスの女の子がよろけて周りに支えられたりあられもなくしりもちをついたり、それを上から「アハハ」と笑いながら気楽に眺めていたのに・・・

ドラがやることになってペアの呼び出しの時 ワタシの名前が呼ばれたのである。マ・マジ? 無視しようとしたけど○○子コール(人の親を○○子呼ばわりだよ)は止まずみんなで手拍子までしやがって・・・

仕方がないから階下に降りましたよ、回りましたよ、よろけましたよ、ピンポン玉をバットに挟みましたよ、そして優勝しましたよ。ピンヒールで! その後挨拶までさせられてしまった。


さすがに優勝賞品は遠慮したが、一仕事終えて二階に戻った時に

「あそこで勝っちゃうところがあんただよ。私たちって性格似てるよね~」と司会者Nにしみじみ言われたw



ドラはハーレム状態



二人して飲む・飲む・飲む 
(M子がいるから大丈夫だろう)と思ってみていたが このお嫁ちゃんもなかなかの酒飲みである。



最後の集合写真。

こんなに大勢の友人たちに祝ってもらって ドラもM子も幸せ者である。みんなへの感謝の気持ちは忘れないで、いつまでも二人で仲良くしていて欲しいと思う。



















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ジミに祝ったbirthday

2012-04-08 22:59:54 | 日々の生活
昨日は誕生日だった。

ところが、オットは仕事。いつも土曜日はちょっと早めに終わるのだが、昨日は○○当番とかで留守番役が来るまでは職場に足止めとあって「遅くなる」と言う。
ムスメはムスメで夜はバイトと言う。

私も私で、月末月始でちょっと仕事もたまっていたので珍しい土曜出勤。どうせ家族も帰ってこないんだからジムでも行こうかなと思っていた。別に大騒ぎして祝ってもらう年でもないし、他の家族とお嫁ちゃんも4月生まれなので来週みんなそろってディナーの予定である。

ところが・・・・ 職場にかかってきたドラの電話。

「昨日の朝から寝違えたみたいでクビが痛くてさ、昨日近くの整形外科行ったんだけどヤブっぽいジジイの医者で(原文まま 口悪くてすんません)全然治る気がしねえ。どうすりゃいい?」

まったくこういう時はまだまだ頼ってくるんだから。しかし首痛はワタシは先輩である。色々アドバイス&オットからも連絡してもらった。

その対処ゆえちょっと安心したのか痛みが治まったのか 私が家に帰ってきたらまた電話があった

「大分おさまったよ。そういえばオカン、今日誕生日だったよな。どうせオヤジいないんだろ? 今日はM子も一日留守だから遊びに来いよ。○○○の桜も綺麗だよ」

そういえば結婚式のご祝儀も預かったままである。当日私の両親に渡してそのまま実家に持って行ってもらっていたのを持ってきてあったのだ。

実家では父が金庫に入れてくれてあったが、我が家にはそんなものはない。ただまとまった現金の置き場所をどうしようかと思ったあげく、キッチンの床下収納に突っ込んでおいたのである。

家にあった首のコルセット、痛み止めと胃薬、湿布、いただきもののワインとか海苔とか、あと大事なご祝儀を乗せて車でムスコ家へ。



近くの桜の名所はほぼ満開で、木の下で宴会をしている人たちもいたが、かなり寒かったのでそそくさとドラマンションへ。

あがったのは久しぶりである。M子の留守にあがりこむのもなんだかな~ とは思ったが、ドラが「あいつ、そういうの気にしねえよ」って言うので遠慮なく・・・
前日職場の友人が花見がてら上り込み遅くまでどんちゃかやってたらしく宴の後がそのまま流しにおいてあったが、目をつぶる。(M子も仕事が終わった後にオットの友人が押しかけてきて接待したら疲れたであろう)

封印してあったご祝儀をドラに渡す。ドッグフードと一緒に床下に突っ込んであったのは内緒である。

「これも中を確認して札も数えなきゃな~ めんどくせえな~」とドラ
「おかん オレが数えるからさ、誰がいくらくれたか記録してくれない?」

なぜかそれからドラのパソコンでエクセル開いて金額と連絡先など入力するハメになった。

それが終わると・・・ 「オレちょっと寝るわ。この痛みはなるべく横になってろってオヤジに言われた」と湿布をクビに巻いて寝室へ。
「ヒマだったら写真みてなよ。」仕方ないので会場カメラマンの撮った結婚式の写真をスライドショーで眺める。

2時間ほどで起きてきたドラ

「めしでも行こうよ。駅のそばにうまいイタ飯屋があるよ」と言うが、私はそのつもりじゃなかったし、車で来たのでド普段着である。(履きこんだ(と言うか単に履き古してくたくたの)ユニクロジーンズに毛玉付セーター そういえばこれで職場にも行ったんだったw)
「いいよ、この恰好じゃあね。なんか買ってきてここで食べようよ」

ドラの家の近所にはなかなか品ぞろえが良い高級スーパーがあるのである。

「いいの? せっかくおごろうと思ったのに」
そうならそうと家を出る前に言って欲しかった。

お寿司もなかなか美味しそうであった。スーパーの寿司のくせに我が家の近所の庶民派スーパーの寿司の2倍の値段設定である。
他にフォアグラとかキャビアの瓶詰とか高級食材も売っている。
「すご~い! さすがに都心は違うね~」とお上りさん丸出しで眺めるはハハに苦笑しつつ

「オレがいつも買う時は売れ残りの半額タイムなんだよな。普通に買うと高いな、ここ」だそうだ。
レジで計算してもらっている時、
「ここのレジってさ、いちいち ○○半額でございます、××半額でございますって読み上げるんだぜ、今日は全部そのままの値段だからなんか金持ちになった気分だ」そうである。

その後近くのチョコレート専門店でおいしいケーキも買ってくれた。

「オレの得意料理作ってやるよ」と



ドラが作ったアボガドディップ。




スーパーの寿司とスープとアボガドディップが今年の誕生日ディナーである。(組み合わせがナンであるが)



そのうちM子も帰ってきて

「すみません 一日出かけてて」と言ってたけど笑顔だった。大分彼女も私にびびらなくなったようだw

考えてみたらドラとこんなに長い時間二人で居たのもすごく久しぶり。
ジミだったけどなかなか良い誕生日だったのかもしれない。

ドラ結婚式二次会日記も書きたいのでまた次回・・・





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さて披露宴

2012-04-06 23:53:15 | 日々の生活
明日でドラ結婚式から早一週間。

気づかれと祭りの後のような気だるさでぼーっと過ごしたのは次の日の日曜だけ。
後は実家の母の病気対策にと奔走して殆どかみしめるヒマはなかった。

まだ書けないけど その後またショーゲキの(良いんだか悪いんだかの)変化の予定も飛び込んできて←できちゃったじゃありませんヨ 今年は息つく間もない変化の年になりそうである。

ホント早く書いておかないと披露宴の細かいことも忘れそうだ。

この披露宴の立役者はやはり舞台友Nであった。
新人女子アナの替わりに急きょ、快く引き受けてくれた。
引き受けるからには完全主義で負けん気の強い彼女、上から目線のプランナーにも刺激を受けて、色々調べて原稿に盛り込み、読み込んだりの準備を固めてくれていたらしい。


そして階段セレモニーの際の第一声から彼女の美声は会場にまっすぐに響きわたったのである。

 

意外にジミだった当日の服装。抑えめに演出したもようであった。



披露宴の時の原稿はワードの原稿をわざわざ自筆でペン書きしてくれ、それがあまりにも達筆すぎて、前の日にそれを見せてもらったらしいワタシと共通のネイリストが
「局さん びびりましたよ! Nさんの司会の原稿、達筆すぎて引きました」とわざわざメールしてきたほどであった。

しかも場を読んでの発声の強弱、盛り上げ方も久しぶりの司会とは思えないほどだった。M子親族側では「お上手だしお綺麗だしプロのアナウンサー?」と評判を呼んでいたらしい。

しかも司会をしつつスピーチをいただいた方々の人間観察も忘れなかったらしく後にNらしい毒舌な感想を聞いて私たちは抱腹絶倒したのである。
例えば主賓のドラの上司の部長さん。如才ないスピーチで盛り上げてくださったが、決してドラを褒めるだけじゃなくてかなり本音を交えていた。ドラを評して褒め言葉ばかりとしたら長年育てた親としてみても(ウソだろ)とか(白々しい)と思うに違いないのでそれはそれで良いのだが、「赴任してきた時は学生気分が抜けずどうなることかと思った→今では若手のリーダー」「英語が堪能→しかしM子さんにはTOEICの点数は勝ったことがない」とかかなり上げたり下げたりがあった。
それに対して
「まったくさ、あの部長もさすがにスピーチも場馴れしてるけどさ 人力屋の梶棒じゃあるめえし、上げたり下げたりするんじゃねえやいって言ってやりたかったよ」←原文まま(巻き舌で) など あの凛とした司会の姿から想像できない毒舌に後で爆笑させてもらった。

そのNの司会で披露宴もつつがなく進んだ。



ケーキ入刀 ファーストバイトの食べさせあい ドラの職場の若手の男の子たち(女装で金髪かつら)の余興はくだけすぎずに笑いをとり、M子の大学の友達のピアノ演奏と歌も温かくもりあがり、テーブルスピーチも笑いあり涙ありであった。

親族席っていうのは会場の端っこだしあまりそういった余興も見えなかったが、ドラとM子は終始笑顔、それぞれのテーブルも和やかで楽しんでくださったようで親としては安心できた。



お色直しでテーブルに戻ってきたカップル 本当に終始ドラもM子も嬉しそうであった。

懸念していた両親のテーブルへの挨拶回り、ワタシはオットにだけビールを持たせて彼の後について挨拶だけ一緒にするという作戦を遂行した。(お酌嫌いのため)つい景気よく注ぎすぎるオットの袖を後ろから引きつつ(何度もあふれさせるんだもの)ご挨拶してほとんどのお客様とも言葉を交わせたのは良かったと思う。
あまり余興やスピーチもギチギチに入れてなかったため歓談時間も取れていたらしく、あいさつ回りをしてもしっかり全部食べられたのも良かった。メニューは、そう目新しくはなかったが、きっちり仕事してあるオーソドックスなフレンチで、ワインもおいしかったしなかなか満足であった。

そして最後にドラカップルを真ん中にM子両親と私たち夫婦が並び、M子による両親への感謝の言葉とオットとドラから招待客への謝辞の時間になった。
M子の謝辞 ここは泣き所なのだろうが、私は次のオットとドラのスピーチが気になってそれどころではなく泣けなかった。

オットはその日まで結構スピーチの内容を考え一応原稿にして言ったのだが、その日の来賓のスピーチや余興などの内容も盛り込んでありなかなか評判が良かった。ドラは原稿無しでその場で考えると言っていたが、自然でまとまっていた(本当に緊張しないオトコである)

こうして振り返ってみると、色々周りや進行を気にしていて 「泣く」ヒマもなかったワタシであった。








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能天気な患者

2012-04-05 15:48:58 | 日々の生活
今日は血液検査、CT MRIと忙しい。

待合室にいた私に 「今の検査室にいた研修医みたいな子(子ですか)が、うんとハンサムだったわよ」
「あっそ」
「○○子(私ね)に見せたいと思って、ムスメも呼びましょうか?って言ったんだけどね、大丈夫ですって言われて呼べなかったのよ」
だそうだ。

別に見たかぁないよ。

何はともあれ元気だ…
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今度は病院

2012-04-03 20:46:57 | 日々の生活
一気呵成に(ってか忘れないうちに)ドラ結婚式シリーズを書き上げようと思っていたが、昨夜から実家にきている。
先月の母のガン治療がやはり不十分とのことで、これから先端的治療を受けることになり、また違う病院の外来に連れていったのである。
ドラ披露宴の司会者舞台友Nに「次の○○(ムスメ)の時もお願いね!今度も私は行きますからね」とまだ未定の孫の結婚式に行く約束までしたらしい母、まだ生きる気満々。私たちも勿論まだ元気でいて欲しいし。

だったら負担が少なく治療成績がすんばらしいと言うこの治療にかけようと本人も周りも決心した。
施設長の話を聞き、話はスムーズに進み、次の外来も近日中にとれたので、私はそれまでこちらで過ごすことにした。

ウチは?仕事は?そういえば生協も頼んじゃったし、次の外来日は宝塚観劇日に当たっちゃったけど、仕方ない。こういう時はムスメにまかせよう。

コメントお返し 披露宴以降は追々書きます。実は二次会まで行ったからだいぶ続く予定ですw
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花も嵐も

2012-04-01 23:06:40 | 家族あれこれ(犬も含めて)
去年の今頃から折々記してきた 「ドラ 結婚までの道」シリーズ

昨日の土曜日 ついにその日を迎えたのであった。

しかしこの一週間・・・・ 今年の冬は例年より寒さが厳しくまだ冷える日がありながらもだいぶ春めいた日差しを感じる日々が続いていた。天気予報も 「今週はお天気が続きます。土曜日を除いて・・・」 そう 土曜日を除いて
そのピンポイントで雨マークがついている日、それがドラの結婚式の予定であった。

普段は能天気 かつプラス思考のドラ。なぜか天気に関する限りは弱気というか諦めているオトコである。なぜか昔から入学式、運動会、卒業式など雨にあたることが多かった。しかもドラが自転車で外に出ると不思議に雨が降り出し、家に入ると天気が回復するというパターンが本人はもとより 母親のワタシが認めるほど多かったのである。

「もういいよ どうせ雨だよ」と言うドラ。しかしこの式場を選んだ時、ドラは「教会必(M子がクリスチャンのため)」「庭必(広い所好きだから)」と言っていたのに。写真撮影の一枚でも庭でやりたい、できる事なら乾杯もやりたい・・・・

で、私はこの一週間ひたすら天気予報をにらみちょっとでも庭に出られるように祈っていた。前の日には広島の晴れ男⑦パパに「晴れオーラを送れ」とも頼んでいたのであった。

しかし近づいてくるにつけても「土曜の雨は鉄板」前日には「明日は風雨強まり春の嵐になります」・・・ Oh my god!

本当に金曜日の午後から洗濯物が飛ぶほどの風が吹き出してきた。

そして迎えた日曜日の朝である。朝5時半起きだったが、引き続き風がひゅるひゅると電線や梢をゆらしている。しかし時折青空がのぞいてもいる。⑦パパの神通力だったのだろうかw
「どうか このままお昼頃まで降りませんように

そう願いながらオットとムスメと共に ドラが差し向けたハイヤーに乗って式場に向かったのであった。



これは最終打ち合わせの時の写真だが、晴れていればこのシックな庭で乾杯から始まる披露宴となるはずであった。



ここの美容室は半地下で、ヘアメイクと着付けをしている間には窓の上の方から日差しが差していた。もうちょっとがんばっておくれ晴れの神様 と祈る。

M子家族、オット母、私の実家のメンバーも無事到着。

M子ママはほわ~んとした天然系美人だが、そのお姉さまもなかなか天然であった。「せっかく新幹線の指定を取ったのに、違う電車乗っちゃったんです~ しかも一本前のこだまだったから遅れてしまったんです~」と姉妹。

後から現れたM子パパは髭剃りの時に気合を入れすぎたのか皮膚まで剃ってしまい 新幹線の中でずっと押さえて止血していたという。

しっかりしていると誤解されるが実はおっちょこちょいである局家の相手に不足はないw

ヘアメイクと着付けが出来上がり カメラマンに呼ばれて庭へ!

ああ 晴れの神様 広島の晴れ男 ありがとう。
ドラとM子が望んでいた庭の撮影だけはできたのである。





その間も風はすさまじく、M子のベールは舞い踊り、M子ママや私の留袖の裾は翻る。
カメラマンも風が止む一瞬をとらえて撮影するのに苦労していたであろう。

そしてそのうちポツリポツリと雨粒が落ちてきた。

こりゃ~庭乾杯は諦めだね。と言いながら

 

建物の中に入ったのである。嬉しそうにバルコニーで手を振るドラ。

そして結婚式。



パパと一緒にバージンロードを歩いてきたM子の手はドラの手に渡され、牧師さんにより式が厳粛に式をとりおこなわれたのであった、と言いたいところだが、参列者ったらドラが入って来たとたんになぜかみんな笑うし。(なんか真面目な顔してタキシード着ているドラの図ってのは笑いを誘うものだったのと思われる 生んだ母でもそう思うw)

両親は一番前の席だったが、ロード側には横幅の広いオットが立ちはだかって色々見えず、指輪交換の時にはドラの手袋を受け取ったりする役目があったのでそれも気になり、なんだか感動する余裕がなく終わってしまった。

ともあれ無事に式はすんでこちらの会場の目玉である階段セレモニーも無事に行われて





舞台は披露宴に・・・ 続きます。





















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