局の道楽日記

食道楽、着道楽、読書道楽  etc
生活色々を楽しんで暮らしている日々の記録です

同志社と相国寺

2024-02-26 22:33:51 | 
ああ、こんなに時間が経ってしまった。
言い訳ですが今度は多分軽いインフル(持ってたタミフルが効いた)を発症、熱はすぐに下がったが咳が残り気管支炎へ。
結局強めの抗生剤飲まないと喉の腫れは治らず、夜中に咳が出始めると止まらない症状で眠れず、気管支拡張のホクナリンテープを貼ってやっと軽減という一週間。
こんなに一季節で病気をもらったのは初めてですね。やはり母が入院してから亡くなるまでの心身ともに無理したのが原因ってことですね。もう無理の効かないお年頃ってことか・・・

で、旅日記再開します

それからまたバスに乗り今度は

すごい所にあるのねー 京都御所の真ん前だ
同志社大学



建物も美しい
こんな所でキャンパスライフを送りたかったな





そしてその奥の相国寺へ




この若冲と応挙の特別展示 本来一月に終了しているわけだったが好評につき会期延期
んま~ ワタシ達のためにありがとう って感じでワクワクしながら寺に入る


ここもひろ~~い
臨済宗相国寺派の大本山です 足利義満により14世紀末に創建

ここをゆっくり見て 時間が許せば金閣銀閣あたりまで足を伸ばそうかと思っていたのだが、それまでのタイムスケジュールの無理がたたってその時間がない~~!













とにかくここはこちらの承天閣美術館だけは見ようと





館内の廊下から庭を眺める 苔が良い感じのお庭





第一展示室は 《釈迦三尊像》とコロタイプ複製ながら《動植綵絵どうしょくさいえ》とが一同に並ぶ。息を飲む迫力でした。(動植綵絵は、明治22年(1889年)に相国寺から皇室に献上)

この虎ちゃんは忘れもしない 寅年の年賀状の図柄にお借りして使った際、家のプリンター兼ファックスにその写真を残したままゴルフ場にコンペの組み合わせをその上にのっけて送信してしまい、ゴルフ場のお姉さんから
「あの~ 組み合わせが見えなくて・・・・ 実は虎の絵が邪魔になってましてえ・・・」と電話をもらったあの懐かしきw虎である。



第二展示室では、若冲の水墨の大作、重要文化財《鹿苑寺大書院障壁画》全50面と応挙の重要文化財《牡丹孔雀図》、重要文化財《大瀑布図》という大画面の大作が並びこれまた迫力
そして「人気につき会期延長」というわりには人は少なく存分に絵の前で鑑賞できた。













結局ここまで見て時間切れ、ホテルに寄って荷物をピックアップして新幹線に乗らねばならぬとなり龍の天井絵も見られずに



こちらの駅から地下鉄で京都駅へ
オットがホテルに寄って荷物をピックアップして持ってきてもらっている間に
阿闍梨餅と黒七味と伏見の酒を買って 新幹線内でつまむ555のモノとビールを買っておいて

新幹線車中の人に
事前の調査も予約もせずにいきあたりばったり旅行だったけど振り返るとなかなか楽しかった。



東京駅でオットは職場へワタシは家へと別々になる。

「家に帰るまでが遠足なんじゃないの~? たまには一緒に帰りたいよ」と多少ブツブツ言ってみたがやむなし。
帰宅して荷物だけ置いてペットクリニックへ犬の引き取りへ。
「なんでこんな所に置いて行っちゃうんだよ~~」「もう離れないかんね」とずっとそばを離れない犬をなだめながら就寝

その日の夜から調子が悪くなりその後一週間あまり病に伏す日々を過ごしてやっと回復。

今週から様々平常運転に戻りました。次からブログも平常運転に戻る予定です。
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京都三日目は梅祭り

2024-02-21 19:19:20 | 
京都奈良三日目

この日は帰宅日で犬ホテルの引き取り最終時間が午後7時 それに間に合う新幹線に乗らねばならないという制約ありの日だた。

バスに乗って途中の(つもりだった)停留所で降りる
そこで「なんだ?あの五芒星は?」とオットが気づく



「ほらー今の大河でさ 陰陽師が出て来るじゃない」
「どんなんだっけ?」
「ほらユースケサンタマリアがやってるさあ」
「ほおほお」
「昔、萬斎さんが演じたんだよ、映画で」
「ほおおお」





そんなに見どころありありの神社じゃないと思うんだけど、妙に興味をそそられたのか時間をかけてみるオット







清明の伝説数々の解説



「光る君へ」 のポスターも
ワタシは以前も一度映画がヒットした時に訪れてるが、その時は「陰陽師」とのコラボ感がバッチリだった記憶が
結構商売上手とみた。



そしてそこからタクシーで次の目的の神社に行こうと思っていたらオットがここにひっかかりましてね。

西陣織会館

「帯とかの織物の展示だよ あなた興味あるの?」とワタシの方が引き気味(早く次に行きたかった故)
「織り機とか見えるよ オレ ああいう器械もの好きなんだよ」



入場者も少ないようでアンケートに答えたら受付の女性がとても喜んでくれた。
まあ西陣はワタシの実家の取引先だったってご縁もあるしね
ちゃんと見ましょう





未だに現役で織られているんですね







こんな展示も





逸品揃いでしたよ
ここでも案外時間をかけて見学






次にやっとタクシーに乗って当初の予定だった北野天満宮に行く
今回の旅行、案外タクシーはすぐに拾えましたね。最近の東京の方が流しのタクシーが少ないかもしれない



言わずと知れた菅原道真公を御祭神としておまつりする全国約一万二千社の天満宮、天神社の総本社。









境内に入ります





老松社



飛梅はまだ二分咲きくらいだったかな?







時節柄、絵馬もたくさんかけられていた。なんたって「総本山」









梅苑 花の庭は期間限定 今年は開花が早いようでタイムリーだったな
梅苑の入り口の建物



梅園に入るチケット
お菓子とお茶のお接待つきで1200円



梅茶とコウセンのお接待
「これって美味いのか?」byオット



奥の方に御土居という史跡もある
昔ブラタモリかなんかで見たような・・・












ちょっとした竹林にも風情を醸し出されるのが京都ってのは思い込みか?
埼玉のゴルフ場の竹林とはちょっと違うよ=な・・・







圧巻は花の庭の中心くらいに階段が設えてあり、そこから見下ろした花の海だった。





こんなのをバックに撮ると風流っぽいオジに見える不思議







「the 京都 」って感じの風景だった

桜もいいけど梅もいいですね~

で、ここまで(すでに長い)見てくださってお気づきかもしれませんが、あんまり人も居なかった(恐れていた春節系の人も奈良の大仏近辺よりあきらか少なかった)



で あともう一回だけ続きます 
我ながら長いよ・・・・

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奈良は仏像祭り

2024-02-18 22:28:00 | 
前の日結構食べて飲んだにもかかわらず しっかり朝食をいただき



途中に平城京跡など車中から眺めながら(ひたすら広い所ですね)自衛隊の演習ができそうだなどと思う。



近鉄奈良駅に着



興福寺へ
藤原氏氏寺 和銅3年(710年)平城遷都と同時に建立



ワタシ2018年の2月に来ているんですね。その時は工事中で1717年の焼失以来やっと再建された中金堂



ここの寺に来たらこれを見ないと の国宝館



この金剛力士像は後世の規範となった像だそうだ。確かに何度見てもすごい表現力だなあと圧倒されて見ているワタシに
「下腿静脈瘤が激しくあるな~」とオット 
「知らんがな」



この邪鬼たちはユーモラスで好きだ



そしてやはり惹かれる 脱活乾漆造八部衆立像

阿修羅君と呼びかけたい あの像も



6年前も書いてますね

阿修羅の憂愁 - 局の道楽日記

食い倒れ旅行Ⅲを書く前に羽生くん、やりましたね!怪我のあと、ブランクのあとでの有言実行の金メダルはすごいね。持ってる男だねと素直に思うよ。もうあんな外見と実力と運...

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その後鹿ちゃんと戯れつつ





奈良国立博物館へ



まず新館で特別陳列お水取りの特別展示を見る

この時期になると東大寺二月堂において行われる正しくは「修二会」という行法
二月堂のご本尊に対して「十一面観音悔過」を行うものだそうな 過ちを懺悔して除災招福を祈る752年から始められた1270年を超える長い歴史があるそうだ




この長い松明を持って五体投地したりお坊さんは大変そうだ。
ワタシは暗い早朝から火と水が交錯する行事は美しいだろうなと思うがオットはどうもこういう儀式やら祭りやらに価値を見出さないヒトだ
「俺はこういうのでやけどしたり神輿から落ちて骨折したりしてもあんまり同情の気持ちがわかない」
らしい



気を取り直して 旧館へ
ここも昨日の京セラに劣らず素晴らしい建物だったなあ



地下通路の展示はワタシ達夫婦のように 歴史知らず仏教知らずの人にもわかりやすい展示があった
なかでもこの「かたちで見分ける仏像 4つのグループ」はわかりやすかった






「あたしは普段『菩薩』時々『明王』だね あなたは普段『如来』たまに『天』じゃないの?」
「いや 俺に言わせればお前は殆ど明王だな」 



奈良博物館で 度肝をぬかれたのはこちらの金剛力士像
金剛峯寺の山門におさめられていたものを山門修復中ゆえここで特別展示しているそうだ。
で、でかい・・・
このタイミングで身近で見られてよかった kebaさんありがとう





これって一本の木からできているのですかね? どうやって作ったんだろ?












その後東大寺ミュージアムもはしごして色々見て(ヨーロッパの教会なんかでもそうだけどあまり一日に見すぎると何がどこにあってどうだったかわからなくなるのね この日は欲張りすぎた)

二つのミュージアムを見たご褒美に散華をいただく








歩き疲れたので河島英五さんゆかりのカフェで軽い昼食「酒と涙と男と女」昭和っぽい題名だが名曲だ
素敵な空間 おいしかったですよ。







それからまだまだ歩く局夫婦 大仏殿から二月堂まで





大きくおわしますなあ





このあと二月堂までも歩き
高所から見下ろした奈良の景色は美しかったが











さすがに歩かせすぎだよ! と明王寸前のワタクシ背景に焔が見えるでしょうか?



この日の歩数



疲れました・・・・

この日の夜は伊勢丹地下でで京都っぽいお惣菜と日本酒を買ってさくっと部屋飲みして撃沈

次の日は北野天満宮の梅祭りと相国寺で若冲祭りです

続きます








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祇園の奥座敷 とやら

2024-02-17 17:50:00 | 食べる
前記事にも書いたがこの旅行はオットの夏休み(冬ではない)を当てて平日に動いたもの。
オットの母に続いてワタシの母が亡くなったのもあるが、とにかく忙しくて休みを取れなかったオットが{
「頼むから今年度中に休んでくださいね」言われてやっと取ったものだった。

裏話をすれば同じチームのメンバーがムスメの中学入試で休みまくったあげくに根回しせずに急に休んだってのもかぶったし、前の日まで行けるかどうかも不明、ワタシもほとほと振り回されて
「もうキャンセルしようよ いっつもあーたがこういうのかぶるじゃん 直前まで予定もたたないで動くのはイヤだ もうあーたとは旅行なんかいかないからね」と言い渡したほど(鬼嫁ですまん) ワタシの本気(だって若い時は先輩の昭和人種にこき使われ 今は若いもんのドライなハタラキカタの犠牲になり 一番損してるのがオットの年代なんですよ!
ま、ワタシの本気の怒りに腹をくくったのかちゃんとほぼ予定の新幹線に乗れた。

その前々日くらいに 中学の同級生だったキョージュに「明後日京都行くんだけどさ なんかオススメディナーない? 京都っぽい所で料理もお酒も気の利いたとこ ただしあんまり高いとこはNGね」と聞いたら
「火曜の夜だったら僕も空いてるよ~ 奥さんオケの仲間と食事会だからちょうどいいや 一緒に飲もう」と即返信

京セラ美術館が楽しすぎたので 1日目はほぼそれしか見られなかった。
しかしちょっと歩くと平安神宮の大鳥居が・・・



せっかくだから拝観して行こうかと思ったら5時閉館
これは門番?のおじさんに
「ちょっとだけ覗かせて~」と頼み込んで閉まる直前の木戸から中を撮らせてもらった写真です



京セラ美術館の真ん前に見える建物が気になって戻ってきたら
なんとおしゃれな動物園







まだ時間があったのでちょっとお茶飲んでこうと地元っぽいカフェ(というより喫茶店)へ

丁寧に一杯ずつ入れてくれたコーヒーとここで焼いたシフォンケーキを半分こ





キョージュとの待ち合わせメールは
「局ちゃん 13日ですがホニャララの¥〇〇のコースでよろしいですか? 雰囲気の良いところで外国人観光客もほとんどいません。 ワインも日本酒も揃っています。 午後6時半に四条通り東詰めの八坂神社石段でrendez-vousしましょう」とおフランス帰りのにわか京都人っぽい指定であった。

京都ってのはブラブラするだけで楽しいですね。
暮れていく街を歩く

白川沿いの路
柳が良い雰囲気









そんな最中でも 明智光秀の塚だの





竜馬の結婚式場跡だのがある さすが歴史の街・・・



この橋 欄干が無いんですよ ウチのおちつきのない孫①③あたりだったら絶対に落ちるな・・・







と、京都らしいところを楽しみながら5分前についたら友人は八坂神社の前にすでに待っててくれた



階段を上って神社を通り抜けて
祇園の奥座敷へgo




ここはかなり美味しいと評判のイタリアンらしいです コースのみだけど値段表示がないところが怖い



素敵な通りだけどちょっと知らないと足を踏み入れられないし予約入れられないな~





先付 (季節の彩り) 冬瓜 春菊 スモークサーモン 芝海老 あん肝 栗 冬瓜



台物 (名物ふわふわ玉子) 平茸 蟹真薯 芹






最初の一杯は生ビールだったけどここで泡のボトルを



造里 (旬の魚をシンプルに)鰤 本鮪 鰆



油物 (旬の旨味)たらば蟹



凌ぎ (季節の香り)雲子 海鼠 烏賊酒盗蕪あえ



ワインが終えたので日本酒へ 蒼空



強肴 (大地の恵み) 和牛ヘレステーキ



次の酒



次の酒



食事 (釜炊き ひとめぼれ) 鮭 いくら 柚子





甘み (お口直し 別腹)
林檎 安納芋 最中



出来上がった三人 友人は次の日関東出張だったらしいが大丈夫だったのだろうか?
ま、みんな酒は強いのよ



同級生コンビ

















京都ってみるからに敷居高そな料亭やら旅館やらが多くて一人じゃなかなか足を踏み入れる勇気がいるが、気さくな友人といるとハードルが低くなっていいですね。
彼はオットと同業者だが偉ぶらない、金に汚くない働きモンってのが共通項だと思う。
この夜は色んな巨塔話もあって彼が任期を残してこの地に行ったわけを話してくれてなるほどな~とオットと盛り上がったが、新天地でも奥様と仲良く老後に備えてちょーだいね と心から思ったよ。

次の日は近鉄で奈良へ 仏像祭りです 続きます
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熟年夫婦思い立って京都へ

2024-02-15 23:16:03 | 
急に思い立って宿(ビジホ)を取ったのはオット。前々日に仕事が大変で行けないかも~?の危機 ってことは色んな施設は予約できず・・・ 春節の時期に行く京都、インバウンドに押されて観光も出来ずだったら行っても仕方ないな~ と思って、例によって東京駅で待ち合わせ やっと間に合ったオットと出かけたわけですが、盛沢山に楽しめた三日間であった


駅近のホテルにチェックインして荷物を置いてすぐにタクシーでこちらへ


京都市京セラ美術館

2020年3月21日「京都市京セラ美術館」としてリニューアルオープン。

京都市京セラ美術館

 


「急に京都行くことになったんだけどさ どこかオススメなあい?」と親友AとNちゃんの建築士コンビに聞いたら ここは絶対行ってこいとのこと。
そういえばここのリニュアルオープンの時、鳥爺1のムスコの作品も障がい者の描く絵の世界で展示されたのであった。
ふむふむ ここは行くしかない・・・



1933(昭和8年) 「大礼記念京都美術館」 第二次世界大戦後は「京都市美術館」として開館
現存する日本で最古の公立美術館建築
2020年にリニュアルオープン




今回見たのは

村上隆 もののけ京都 @ 新館 東山キューブにて と

コレクションルーム 冬期 特集 昭和前期の日本画と古典

まず村上隆展へ

入り口にいるのは巨大な鬼たち 災いをもたらす邪鬼を踏みつけている高さ4・3mの阿吽の像
東日本大震災をきっかけに制作されて 自然災害、疫病、戦争といった様々な役際から人々を守ってほしいという願いをこめて作られたもの
考えてみれば その時からさらなる災害、疫病、戦争にさらされている世界 『鬼たち頑張っておくれよ~』と叫びたい







裏側はこんな風



洛中洛外図@村上風この前アーティゾンで見たな

美術館に行った詳細 - 局の道楽日記

前日記より続きです。受付からエレベーターに乗って6階につく。これから三階まで展示を見ながら下がっていく方式素敵な空間でした中でスケッチしてもいいよという張り紙そ...

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この時の山口晃氏の作品も良かったが

村上氏のもこの洛中洛外図に彼のワールド感が溶け込んでてまた面白かった
私も日ごろ見るものは一貫してないし、色々掘り下げて見てるわけじゃないけど(まったくもって好奇心の赴くままテキトーざんす)見て聞いて感じたものってどこかで通じて記憶の底に残ってて蘇るもんですね。





こういう色使い好きだわ~



そしてすごく気に入ったのは暗い部屋で見た四神と六角螺鈿施堂

龍 亀 虎 鳳凰の図
圧巻




東は青龍



南は朱雀



西は白虎



北は玄武



暗闇に不気味に浮かぶ金色のどくろたち





次の部屋にはおなじみのキャラクターたちが迎えてくれる







風神雷神ワンダーランド




ユーモラスな雷神風神










もののけ遊戯譚



村上さんて団十郎好きなんだったな



村上ワールドを堪能した後にコレクションルームへ

冬期 昭和前期の日本画と古典 
ここは写真NGなのが多かったが

菊池契月 敦盛



同じく 紫りゅう(漢字が変換できないけど黒栗毛の馬のことですと)



河村蜻山 瑠璃磁群鷺図花瓶やら



逸品の茶碗など京都っぽい展示も(我ながら乱暴なまとめ方だ)





またね、この美術館の建物がとても素敵だったんですよ
1933年に建てられて大戦を経て京都の人々の記憶に残る建物をリスペクトしつつ新しい感覚と融合させて設計されてリニュアルオープンされたのは2020年
和洋折衷の特徴的な建築意匠はそのままに、新たにガラス張りの地下エントランスが誕生するなど、未来と歴史が融合する建築
手がけたのは青木淳氏(現在館長)と西沢徹夫氏















この日の夜は現在こちらの地に再就職したワタシの友達のキョージュに「祇園の奥座敷」で食事することになっているので珍しくワークマンを排除してマトモな服装のオット
「あーた やればできるんじゃん いつもそのくらいマトモな恰好しなよ」
「うるせーよ」 と夫婦の会話



上下ユニクロニットなれど母のエルメススカーフで格上げしたつもりのワタシ

39

オットがいたく感動していた「建物の中に建物だ~」のテラス







庭も素敵でした(まだ工事中だったけどね)



さてこの日の夜は祇園の奥座敷で日本料理コースへ

続きます

毎度長くてすみません
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母の部屋の撤収と旅立ち

2024-02-13 13:02:00 | 日々の生活
三連休は介護施設の母の部屋の撤収作業に終始した。

最初に入った時は広い夫婦部屋、そこから父の認知症がひどくなり、昼夜逆転やら暴言に母が耐えられなくなり、相談した上で部屋を分けたのであった。
部屋を分けて各々の荷物を運び、整理していた途中でコロナ禍で面会制限、一切部屋への出入りが禁じられた。

服や下着などざっと整理は終えていたが、まだやり残した部分はあって心残りだった。
普段使いだけど時計やアクセサリーも持ち込んでいたので、それもあるかなーと少し心配もしていた(無ければ無いで諦めるけど)

三連休の日月2日で撤収は全部終えた。
おしゃれだった母は服の持ち込みが大量で、まだ新しいようなのもたくさんあったが、一部、これはワタシも着れそうと思うの以外はやむなく捨てた。
サイズはほぼ同じだが、母はブルベ、ワタシはイエベでちょっと色の好みは合わないのであった。

ただスカーフやら小物やら

アクセサリー類はこの後重宝しそう
母はアタシよりイイもん好きだったな

49日過ぎたらムスメと嫁ちゃんと協議の上に分けてみよう



ワタシが描いたブローチも愛用しててくれたんだなー




そして旅も好きだった母のシワにならなそうな服を着て使いやすそうな軽いバッグで





旅に出ました
オットの遅い夏休み
本当は東アジアでゆっくりするつもりがらキャンセルしてしまったので





こうなりました。
2泊で西に

















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日本酒特集

2024-02-11 21:03:00 | 読む
久しぶりにこの雑誌を買った

なんと!私の友人の店が載っている


その上、大好きな渋谷の居酒屋の大将のおすすめ日本酒も特集されている


奥能登の宗玄も紹介されてますね
祈 復興!


日本酒の紹介も小さい蔵のこだわりのものから、コンビニでも扱ってる昭和からある大手の酒も
それぞれの個性を長所として取り上げているから気持ちよく読める


このレシピ帖も価値あり
見るからに美味しそう



紹介された日本酒103本の中で味わったことがあるのが結構あった。
これもワイン仲間(とりあえず醸造酒だから日本酒も飲む)と師匠のおかげです。

ホントに最近の日本酒はオヤジっぽさが抜けて好みのものが多くなりましたね。
高騰著しい輸入ワインに比べるとお値打ちだしね。

ここまで若い人たちが注目し始めるちょいと前から美味しいモンや売り出したら即売り切れる酒を特別仕入れルートで飲ませてもらえたり酒蔵も案内してもらえるのは幸せなことです。
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雪の次の日とドライヤーの終焉

2024-02-07 10:29:59 | 日々の生活
久しぶりに降りましたねえ 東京も
オットが帰宅しなかったので朝寝坊していた朝(考えてみると台風とか大雪とか地震なんかの時には必ず職場近くに泊まって次の日に備えるのでこういう日はいつもいなかった我が家である)
7時前にはご近所のどこかの雪かきの音が聞こえてきた。

今までは斜め向かいのご主人が大型のスクレーパーみたいな道具で我が家の前まで完璧に除いてくれたので、私もなんかやってますのフリしてそれを見てお礼を言うだけで良かったのだがw 残念ながら一昨年に病気で亡くなってしまった彼・・・
惜しい人を亡くしたな~ などと今更思って二階からそっと覗いたら当然のごとく家の前の雪は残っていて道路は真っ白であった。

これはやらねばなるまい・・・

ヒートテックの上にセーターにロングのダウンを着こみ、タイツに暖パン、ロシア風モフモフ帽子と手袋、長靴という重装備で雪かきを始めた。
重い雪でシャベルの幅をすくって道の端に積み上げるのも一苦労である。
家の真ん前は80代ご夫婦で奥さんは脚も悪いしご主人は認知症でデイケア通いなので雪かきは無理、結局そちらの側も私がせざるを得ないがやむなしである。
途中でその隣の奥様も出て来て二人でおしゃべりしつつしていたら作業ははかどった。

しかし家の前のブロックは良いが、坂道の下から上ってくる途中の道の両側の家は建て替えが進んで子連れの若夫婦が住み始めたのは良いが、ほぼ雪かきはされていない。夫婦でお勤めしていて子供を保育園に預けるのにいつも自転車に載せていくご主人がその日は子供の手を引いて歩いて行くのを見るとそんな時間的余裕はないのであろう

従ってこういう時に雪かきしているのは完全なる高齢者所帯は✖ お勤めしている若夫婦も✖
ワタシくらいの若婆か定年したばかりの若爺くらいがやらざるを得ないってことだ。
雪の日は近所事情が自然に知れますなあ



前日できなかったのでいつもの犬の散歩をする遊歩道から見える川の様子
弱い雨が降ってだいぶ道の雪も消えて良かったですよ




前日の夜に雪で遊んだムスメ一家
ムコさんやムスメは何年ぶりかの雪体験であろう
子供はいつも雪が好きだ



次の日は幼稚園のお迎えバスが出なかったので休ませたという。
こんな日に無理して送って行って事故にでもあったら大変なのでほっとした。
孫③作の可愛い雪だるま。いつまでも外で遊びたがってムスメが大変だったと言っていた。

私も雪は好きだった。

特に高校時代に読んだ 伊藤整氏の「ゆきあかりのみち」という詩集の一節が今も懐かしい

   雪夜
ああ 雪のあらしだ。
家々はその中に盲目になり 身を伏せて
埋もれている。
この恐ろしい夜でも
そっと窓の雪を叩いて外を覗いてごらん。
あの吹雪が
木々に唸って くるって
一しきり去った後を
気づかれない様に覗いてごらん。
雪明りだよ。
案外に明るくて
もう道なんか無くなっているが
しづかな青い雪明りだよ。


同氏の故郷の小樽では「小樽雪あかりの路」というイベントが毎年今くらいの時期から行われるようですね。
運河が近いどこかエキゾチックな雪の積もる街での灯るキャンドルをいつか見てみたいけど混むだろうな・・・

     

で、話は変わるけど一昨夜ドライヤーが壊れた


5


ムスメが嫁に行くまえに一緒に買ったはずなのでもう10年以上使っているので無理もないが、お風呂上りに髪を乾かしている時に、急に温風が出なくなるってホントに焦りますよ。
スイッチを切ったり入れたり、プラグを抜いて入れなおしてスイッチを入れてもナノイー?の吹き出し口からすぅすぅと頼りない風が出て来るばかりでそのうちなんか焦げ臭いにおいがしてきたので怖くなってやめた。

これも買った頃は結構高かった覚えがあるけど同じパナソニックの新しい機種のものは(へ~これがドライヤーの値段ですか)と思うほど値上がりしてますな~
ともあれ電気屋にも行けないので楽天でオーダー

で、一昨夜も昨夜も布団乾燥機で髪を乾かしたワタシであった。 人間追い詰められるの色々考えるもんだな・・・
昨日も電気屋に行けなかったのでやむなく楽天でオーダーしたけど早く届きますように。


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23区 豪雪地帯

2024-02-05 23:30:20 | 日々の生活
雪の予報だったので午前中に用事をすませようと図書館に予約図書を受け取りに行ったのち、買い物もすませなきゃと少しみぞれが降ってきた中急いでパン屋さんに自転車に乗って行った。
ものすごく美味しいがいわゆる高級食パン屋ほど高くはないパン屋さん、ここが出来たのは嬉しいのだが、ここのしか食べられなくなってしまって常に在庫を意識して買いに行かなきゃならないのは不自由なことですね。こだわる自分がめんどくさいね・・・
朝より気温が下がっていて、油断して手袋を忘れてしまい5,6人の列を待っている間、ものすごく寒くて手が凍えてしまった。

午後は本格的に降ってきた雪の中、整体に・・・(あ~あ何でこの日に予約しちゃったんだろう・・・)
途中の歩道橋の階段の雪がシャーベット状になっていて怖かった。
母の逝った日に予約していたのをドタキャンしてしまったので事情を話したら
「だから体が疲れてるんだね~ この頭皮なんかかっちかちだよ」と担当のイケメン整体師君は言った。
まどろみつつも身体中ほぐしてもらって少し楽になった。

施術中も雪はずんずん積もったらしく、家までの道は白く変わり
ちょうど児童館から自宅に帰る途中の小学生たちはスケートのように滑ってみたり雪の球を投げてみたりではしゃいでいる。
いつの世も子供は雪が好きですね。
初めて雪に遭遇する孫③は明日幼稚園で遊ぶのかな?










夕方はこんな風

オットは今日は帰宅しない日だったので一人分の夕食だけ作ってさっさと食べた。

時々外をのぞくと雪はまだまだやまず、時々雷鳴も聞こえる。
隣の家の木や屋根から落ちる雪の音に驚かされる




やはりこの辺は23区豪雪地帯ですね。
細かい路地が多く、車は住人か宅配の車くらいしか通らないので道の雪がいつまでも溶けないで残るのである。
周りの家も高齢化が進んで、いつも家の前まで雪かきしてくれた斜め前のご主人は亡くなっちゃったし、前のウチのご主人は認知症でデイケア通いである(今まで他力本願でやってもらってたんですなあ)
明日は雪かき必須になりそうだ。



お散歩を忘れちゃいませんか? と 玄関前で催促する犬を雪の上に置いてみた。
「ほら 今日のお散歩はあきらめなさいよ」と


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母を送って一週間

2024-02-02 17:10:41 | 家族あれこれ(犬も含めて)
その連絡は25日の早朝4時ちょっと前だった。
弟から母の容態が悪化した。血圧が低下していて危ない状態、俺は今から病院に行く・・・と
覚悟はしていたが そうか・・・ ついに来たか・・・
オットは職場近くに泊まりで一人だったので、実家に行って何日か泊まれる支度と少し迷いながらも喪服1セットもトランクに入れた。犬の食事やシート類やリードも入れてぐっすり寝ている犬を助手席に載せて実家へと急いだ。
今思うと、ちょうど私のコロナ罹患と隔離されるべき期間開けまで待っててくれたんだな~



冬の朝の夜明けは遅い。
西北に向かう前方にはまだ中空に満月に近い月があった。



その時間の都内は空いていて、高速もしばらくすると車は商業の大型のトラックばかりで、その中を追い越し車線で130kmくらいでぶっ飛ばした。
「間に合いたい」との一心だった。



高速を降りることには前方に地平に沈みゆく月が見えて、バックミラーには桜色にうっすらと染まる明けて行く空があった。

後でムスメが言ってたのだけど、ちょうどその夜孫④の授乳に起きた時に空が明るいのに驚いて月が煌々と照っているのを見て、なぜかバーバを思い出したんだよ と・・・
母娘孫娘 女三代。 母の逝く日の月に思いを馳せたのはやはり血脈のなせることだったのかと思った。

高速から降りて弟に電話したら、まだ息はあるというのでちょっとほっとして、コンビニで犬のために水と紙容器を買った。
結局その日は半日以上助手席に居続けた愛犬。冬の暖かい日だったので車に乗せておいて安全でちょうど良い温度だった。
途中駐車場を一回りの散歩を何度かしたけどその時に排泄を済ませて後は吠えもしないで寝ていてくれた空気を読む良い子だった。

そしてもう意識が戻らない母の枕元のモニターの血圧と呼吸と心電図を見続ける時間が過ぎた。
途中でオットが駆けつけてくれて、半日後に三人で母を見送ることが出来た。親の死に目に会えたって事はありがたいことだなあと今も思う。悔やむ材料を一つ軽減してくれるから・・・
心臓マッサージもカウンターショックも辞退していたので、静かで穏やかな最期だった。



その日の夕刻の満月・・・
母は明るい人だったが「太陽」じゃなかった。人前に出て目立とうというタイプではなくて、古き昭和の専業主婦でオットを支える立場を貫いていた。
しかしどこに居てもそれなりに目立って華やかだった様は夜空に輝く月タイプではなかったか・・・




小学校の授業参観の時に周りの友達から「綺麗なお母さん」と言われるのが子供心に嬉しかった。
この頃は今思えば口やかましい明治生まれの祖父母も同居していて 彼らにしっかり仕えて自由な時間もなかったはずなのに、家事は完璧、いまだに母の味が再現できた時は成功したなと感じるほどの料理上手。ワタシと弟への教育環境にも気を配ってくれたのは感謝しかない。

義両親の介護をして見送った後は、海外や国内旅行や趣味の時間も増えて





茶道や仕舞を楽しんでいた。仕舞は「職分」という資格まで取っていた。
東京の能楽堂でも舞ったはずなのに私には知らせず、ついぞ母の舞を見たことがないのがワタシの後悔の一つではある。




おしゃれだった母と買い物にはよく行った。Ashidaのスーツなどがよく似合った。




金婚式の記念写真。後期高齢者のわりに元気で凛としていた。この下の写真を遺影に選んだ。

この後認知症になった父と自分も肝臓がんになって健康不安から夫婦で介護施設に入居した。癌はその頃の先端医療の重粒子治療で克服できた。
この施設は建築士Nちゃんのお母さんも(その後お父さんも)入居しており、はからずも施設内で家族くるみの交流ができた。
Nちゃんのお母さんは脳梗塞後の後遺症で片麻痺があって車いすで言葉も不自由だったが、母はよく彼女の車いすを押したり、なんとなくの話し相手になったりでNちゃんに感謝されていた。



認知症の父の我儘に嫌気がさした時は部屋の外の窓辺でよく本を読んでたらしい。
これはNちゃんが「局ちゃんママの読書姿があまりにも絵になってたからさ~」といって送ってきてくれた写真。
母がここで読書していると夫婦部屋の階でそこにいた爺さんたちがわらわらと寄ってきて本が読めないのよとよく「モテ自慢」をしていた。
コロナ前まではそんなこんなで結構施設生活も楽しんでいたんだけどね。
このブログでも何度か書いたけど、コロナ禍での施設内行事はすべて中止で一時は部屋からも出られず、面会不能 初期の頃にクラスターとコロナ死が出てしまったゆえの神経質すぎる施設の対応で母が変わってしまったのは痛恨である。

葬儀は30日だった。
母を安置してあった葬儀会社の施設に私も泊まっていたが、その間に親友AとAの弟(ワタシの弟と同窓生)とNちゃんも駆けつけてきた。二人とも家族ぐるみの付き合い。特にAのお母さんと2母娘で旅行や観劇にもちょくちょく行っていたので、A母の落ち込みも大変だったそうだ。



納棺後に安置した所に父も施設の職員に連れられてお別れに来た。
母の死をわかっているのかいないのか分からないが 「何で死んだの」と三回くらい聞いた。



地方新聞に訃報も載せず、親戚にも殆ど知らせずにホントに内内だけで送った葬儀。



義母の葬儀(まだ三か月前ですよ!)を参考にして、とにかく祭壇は花いっぱいに、花も仏っぽくない華やかなものでと



顔周りを胡蝶蘭とカトレアで飾り、母の好きだった食べ物は?と葬儀屋さんに聞かれたので「お寿司かなあ コロナ後はとにかく生ものが施設で差し入れさえできなかったのが残念でした」と告げたら、お棺に握りずしも入れてくれた。

お骨を拾う時に、孫①がなぜか私の前に立って、私がぎゅっと抱きしめるのをそのまま受け入れて、彼も後ろ手をワタシに回して寄り添ってくれた。

まだ施設の部屋などの後始末は多々あるが、一旦東京に戻った。
なんだかとっても疲れているのだけど、疲れと悲しみと虚しさって感情は似ていて、自分の心がどこにあるのか自分でもわからない状態です。


コメント (24)
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