局の道楽日記

食道楽、着道楽、読書道楽  etc
生活色々を楽しんで暮らしている日々の記録です

銀座界隈 vol.1

2015-03-29 20:10:22 | 見る(映画 劇場 美術館など)
26日木曜日、舞台友Nより招待チケットがあるから行こうってことで歌舞伎座へ。

演目は



通し狂言 菅原伝授手習鑑(すがわらでんじゅてならいかがみ)

楽日前日、夜の部である。

3月は通しで昼の部、夜の部菅原伝授 

夜の部はここから↓

 四幕目 車引(くるまびき)

   
梅王丸   愛之助
松王丸   染五郎
桜丸    菊之助
杉王丸   萬太郎
藤原時平公 彌十郎

 五幕目 賀の祝(がのいわい)

   
桜丸    菊之助
松王丸   染五郎
梅王丸   愛之助
春     新 悟
八重    梅 枝
千代    孝太郎
白太夫   左團次

 六幕目 寺子屋(てらこや)
  寺入りよりいろは送りまで

   
松王丸   染五郎
武部源蔵  松 緑
戸浪    壱太郎
涎くり与太郎 廣太郎
菅秀才   左 近
下男三助  錦 吾
春藤玄蕃  亀 鶴
園生の前  高麗蔵
千代    孝太郎









  (車曳〈くるまびき〉の段)菅丞相は流罪となり、斎世親王は法皇のもとに預けられたことで梅王丸と桜丸は主を失い、いまは浪人の身の上である。ある日ふたりは往来でばったりと出会い、親王や姫のこと、また流罪となった菅丞相の身の上などについて涙しつつ語り合うのだった。そこへ雑色が先払いに、左大臣時平公が吉田神社へ参詣するために道を通る、片寄れと厳つい声で言い捨て去って行く。これを聞いた梅王と桜丸はいまこそ時平に返報と、やってきた時平の牛車を襲う。だが時平付きの牛飼いである松王丸が二人を阻む。互いに牛車をやるやらぬと曳き合ううちに牛車は大破し、中から金冠白衣の時平が姿を見せた。梅王と桜丸は時平に襲いかかろうとするが、「ヤア時平に向い推参なり」とくわっと睨んだその眼力にふたりは動けなくなる。結局梅王、松王、桜丸の三人は、来月行われる親四郎九郎の賀の祝での再会を期して別れる。




(茶筅酒〈ちゃせんざけ〉の段)四郎九郎の隠居所には菅丞相の御愛樹とて梅、松、桜の木があった。四郎九郎は七十の賀を機に、名を白太夫と改めた。そこに近所の百姓十作がきて白太夫と話をしている。今日は白太夫の七十の賀の祝いに、三つ子とその妻達が集まることになっており、十作の家もその祝いの相伴に茶筅で酒塩を付けた餅を貰ったなどと話すうち、桜丸の女房八重が来たので十作は帰っていった。やがて梅王丸の女房お春と、松王丸の女房千代も訪れ、道で摘んだタンポポや嫁菜も使っての祝いの料理を、八重もいっしょになって作るのだった。

だが白太夫は、十作から梅王、松王、桜丸の三人が吉田社で喧嘩沙汰を起こしたこと(車曳)を聞いていた。そのことを嫁たちに問うが、春も千代も八重もどう答えたものかと困惑するばかりである。祝いの膳も出来たのに、その三人の息子たちはまだ見えない。ならば自分は氏神様にお参りに行こうと、白太夫は出かけていった。

(喧嘩の段)やがて松王丸が、そのあと少し遅れて梅王丸がやってきた。しかし菅丞相にとっては敵の時平に仕えている松王丸と、それが面白くない梅王丸は女房たちが止めるのも聞かず取っ組みあいとなり、そのはずみで庭の菅丞相遺愛の桜の木を折ってしまう。

そこへ白太夫が戻る。梅王と松王は桜の木を折ったことを叱られると思ったが、桜が折れているのを見たはずの白太夫はなぜか何もいわなかった。梅王丸は白太夫に、九州に下って菅丞相にお仕えしたいという。しかし白太夫は、まずは行方の知れぬ御台様や菅秀才様たちをお尋ねしろ、丞相様の所には自分が行くといって許さない。松王は、親白太夫から勘当を受けたいと願い出る。親兄弟とは縁を切って、時平に忠義を尽くすというので白太夫は怒り、その願い聞き届けてやるから出て行け、梅王も出て行けと、八重を残してみな追い出されてしまった。梅王と松王それぞれの夫婦は致し方なく帰る。



(桜丸切腹の段)白太夫も奥に引っ込んでしまい、ひとり残された八重が落ち着かぬ気持でいると、桜丸が刀を片手に納戸より現われた。八重はびっくりしてなぜ今まで出てこなかったのかと桜丸に問う。だがそこへさらに、白太夫が腹を切る刀を三宝に載せ、桜丸の前に据えた。桜丸は切腹するのである。この様子に八重はまたびっくりし、なぜ死なねばならぬのかとその訳を涙ながらに尋ねた。

桜丸は語る。自分たち兄弟が厚く目をかけられ、可愛がってもらった菅丞相は、自分が斎世親王と苅屋姫との恋を取り持ったばかりに謀叛の汚名を着せられ、遠い筑紫へと流罪になってしまった。この事件の責任をとるべく自害を決意し、じつは今朝早々にこの隠居所を尋ね、親白太夫に自害の覚悟を伝えていたというのである。それで白太夫もいままで桜丸を納戸に隠し置き、また梅王松王が桜の木を折ったのを咎めなかったのも、桜丸はもはや自害するより道はないという先触れであると見たからであった。息子に先立たれる白太夫の悲哀。

やがて桜丸は腹に刀を突っ込み、自害して果てた。八重は夫のあとを追おうと、桜丸が使った刀を取って自害しようとするが、そこへ帰ったはずの梅王丸とお春が出てきて八重をとめる。ふたりは桜丸がいつまでたっても来ないことや、丞相愛樹の桜が折れたことを白太夫が咎めなかったのを不審に思い、今まで近くに潜んで様子を伺っていたのである。梅王夫婦も桜丸の死を嘆く。白太夫は梅王たちにあとのことを任せ、桜丸を失った悲しみをこらえつつも九州の配所にいる菅丞相のもとへと、すぐに旅立つのであった




(寺入りの段)京の外れ、芹生の里にある源蔵の寺子屋では今日も近在から百姓の子供たちが集まり手習いをしているが、源蔵は村の集まりがあって留守にしていた。そんな中で姿をやつした菅秀才が、これもほかの子供とともに机を並べて手習いをしており、よい歳をしてへのへのもへじなど書いている十五のよだれくりを嗜めたりしている。そこへ、同じ村に暮らしているという女が子供を連れ、下男に机や煮染めの入った重箱などの荷を担がせて訪れる。戸浪が出てきて応対する。聞けばこの寺子屋に寺入り(入門)させたいとわが子を連れてきたという。子供は名を小太郎といった。戸浪は小太郎を預かることにし、母親は後を頼み隣村まで行くといって下男とともに出ていった。

(寺子屋の段)源蔵が帰ってきた。だがその顔色は青ざめている。ところが戸浪が小太郎を紹介すると、その育ちのよさそうな顔を見て機嫌を直した。戸浪は子供たちを奥へやり遠ざけ、源蔵になにかあったのかと尋ねると、ついに菅秀才捜索の手が源蔵のもとへ迫ってきたのだという。村の集まりというのは嘘で、行った先で待ち構えていたのは時平の家来春藤玄蕃と事情を知り尽くした松王丸であった。この村はすでに大勢の手の者が囲んでいる、この上は菅秀才の首を討って渡せと言い渡され、帰って来たのだった。

もはや絶体絶命かと思われたが、しかし源蔵は小太郎の顔を見て、これを菅秀才の身替りにしようと考えたのである。もしこれが偽首と露見したらその場で松王はじめ手の者を斬って捨て切り抜けよう、それでもだめなら菅秀才とともに自害して果てようとの覚悟である。しかし今日寺入りしたばかりの子を、いかに菅秀才の身替りとはいえ命を奪わなければならぬとは…戸浪はもとより源蔵も「せまじきものは宮仕え」とともに涙に暮れるのであった。

やがて菅秀才の首を受け取りに、春藤玄蕃と松王丸が来た。松王丸は病がちながら、菅秀才の顔を知っているので首実検のためについてきている。村の子供たちをすべて帰したあと、いよいよ菅秀才の首を討つ段となり、源蔵は首桶を渡された。源蔵は奥で小太郎の首を討ち、それを首桶に入れて出てきて松王丸の前に差し出す。張り詰めた空気の中、松王丸は首を実検した。ためつすがめつ、首を見る松王丸。

「ムウコリャ菅秀才の首討ったわ。紛いなし相違なし。」

松王丸は玄蕃にそう告げた。玄蕃はそれに満足して首を収め、時平公のところへ届けようと手下ともども立ち去る。松王丸は病を理由に、玄蕃とは別れて帰ってゆく。あとに残った源蔵と戸浪はひとまず安堵した。だが今度は小太郎の母親が、小太郎を迎えにやってきたのである。

致し方ないと源蔵は、隙を見て母親に斬りかかった。しかし源蔵は思いもよらぬ言葉を聞く。源蔵の刀をかわした母親は涙ながらに言った、「菅秀才のお身代り、お役に立ってくださったか」と。



そこに松王丸も現われる。小太郎とはじつは松王の実子、その母親とは松王の女房千代だったのである。松王丸はじつは菅丞相に心を寄せ、牛飼いとして仕えながらもそれに仇なす時平とは縁を切りたいと思っていた。そして菅秀才の身替りとするため、あらかじめ小太郎をこの寺子屋に遣わしていたのだった。松王丸はなおも嘆く千代を叱るが、源蔵夫婦と菅秀才は小太郎のことに涙する。松王丸が駕籠を招き寄せると、中から菅丞相の御台所が現われ菅秀才と再会する。以前北嵯峨で御台を助け連れ去った山伏とは、松王丸であった。

松王夫婦が上着を脱ぐと葬礼の白装束となり、御台が乗ってきた駕籠に首のない小太郎のなきがらを乗せ、野辺の送りをする。悲しみの中、皆は小太郎の霊を弔う。御台所と菅秀才は河内の覚寿のもとへ、松王夫婦は埋葬地の鳥辺野へとそれぞれ別れてゆく。




緑文字 wikipediaより

車曳は今まで一幕だけのものも含め、何度か観たが、筋に関係なく衣装や隈取、せりふ回しなど、歌舞伎らしい歌舞伎の様式美を感じられるものだと思う。
その度に どうして三兄弟が敵味方でどうなってるんだっけ?と、この複雑で長い話に悩むことにはなるのだけれど・・・


そして今回、次の幕のの「賀の祝い」が終わったところで、ワタシとNが異口同音に言った言葉・・・

「勝手な話だよ」
「ホントホント、なんであそこで桜丸が切腹しなきゃなんないのよね」
「自己満足もいいとこだよね、奥さんも気の毒だよ」
「切腹したって 誰も得しないし、誰も幸せにならないじゃんね」
「そうだよ、それにあのジジイ(白大夫)が大宰府行って管丞相にお仕えするなんて 行っても役にたつと思ってんのかね。」
「自分が介護されて終わりだよ」

と散々であった。

そして もっと私たちの舌鋒が鋭くなったのは、寺子屋の段のあと

「何度見ても嫌な話だよね」

ホントに子供が犠牲になる話 先代萩の御殿の場もそうだけど、自分の子を殺して(見殺しにして)主上のためとする、それを忠義とするってメンタリティはたとえ時代が違うと言ってもわからない。

この話でも主上の子の身代わりに、預かったばかりの上品な子供の首を切って殺しておいて、ねんごろに弔ってくれと首なし死体を渡す寺子屋夫婦、それを受け取り、よくやったという忠義の松王夫婦。

まったく胸糞悪い話である。

とは言っても、これだけ 嫌な話、胸糞悪い話というインパクトを受けて、それなりに集中できるってのは舞台を見る醍醐味ではある。あとに何も残らないものもあるから。



今回はこのチケット。ちょっと舞台からは遠かったが、舞台全体を見るのは二階もいいかも。いんただ、この回、空席がめだって二階も七分の入りであった。
確かにこの話年配年配の歌舞伎好きな人は見るの嫌って人もいるだろうし、ワカモノには受けなそうだし・・・
あとはここの所のスター役者さんの相次ぐ訃報。今回染五郎、菊之助や愛之助さんなど若手もがんばってはいたものの、やっぱり勘三郎さんや団十郎さんの居たころの重々しさや華やかさと比べると物足りないのは確かである。

その中で印象に残ったのは菊之助の綺麗さ、切腹する時の隈取も落として白塗りで静かにうつむいたところがお母さんにそっくり。
そういえば遠い日(ワタシの大学時代)二度目に観た歌舞伎が三人吉三でお父さんがお嬢吉三役で、その美しさにびっくりしたのも思い出した。

それと反対に松王丸夫妻、染五郎と孝太郎さんはとても夫婦には見えず、母子であった(失礼)


それにてもしチケット高すぎるよなあ・・S席18000円ってのは自腹じゃ辛い。
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免許更新

2015-03-27 01:35:14 | 日々の生活
沖縄旅行記 をちょいと中断

昨日 久しぶりに親友Aと新宿でランチ

 タイ料理 
開店一年くらいの西新宿で新しい店らしい。
Aはグリーンカレー ワタシはエビ春雨炒めのランチプレートでシェア



グリーンカレーは香料が口に合わなかったが春雨炒めやサラダ、スープはおいしかった。ドリンクはアイスジャスミン茶がただでおかわり自由である。ランチは1000円弱。リピート決定!

お互い話したいことがたまっていたので弾丸トークの1時間半。Aは仕事に戻り、私はせっかく西新宿まで来たからと、都庁に免許更新に行ってきた。

三時ちょっと前に受付したが、時間がよかったのかほとんど待ち時間なくサクサク手続きがすすむ。あっというまに視力検査と写真撮影が終わり 講習へ。
今回も(強調)ゴールドの私は30分講習である。

小さ目な部屋にはほぼ人が埋まっていたけどつめてもらって真ん中へんの端の方に席を確保。

講師はやせ気味の女性であった(60半ばくらいの)

誰かに似てるな~と思ったら あのうちわで辞任した大臣であった。



しかし、話しだすととてもソフトな語り口 
やはり誰かに似てるな~と思った印象は



この方。Shall we dance?の年配のダンスの先生

ところがそのソフトな語り口で、この方、シビアであった。にこやかにあいさつしながらも一番初めに携帯の電源を切りバッグにしまうこと(どうしても緊急の用事が入りそうな人は事前に言ってくださいとのこと)
30分きちんと講義を聴くこと。居眠りはしない。ほかのことはしない。
「さっきの回では講義と関係ない本を読んでいる方がいらしたので退出していただきました」と穏やかながらきっちり脅す。

まあ30分くらい講義を聴くのに集中できなくてどーするのと私も思うからいいんだけど、このくらい脅しとかなきゃまともに聞かない人もいるのであろう。

講義の中で印象に残ったことは、ここのところ年々全国的にも東京都に限っても事故件数と交通事故による死亡者数は減っているとのことと、事故件数はそりゃー交通量が多い昼間に多いが、死亡事故は夜間に多いとのことなど。
確かに夜って見にくいし無灯火の自転車とか多いしねえ、気をつけよ。なんて改めて思う。

そして道路標識の話になって、「こちらを観てください!」と松島みどり じゃない 講師の女性。そしてしばらくすると つかつかと真ん中の通路を一人の若い男性の前まで歩み寄り「気分が悪いんですか?」と聞いた。
多分寝ていたっぽいその子はおどおどと「いっいえ 大丈夫です」と

松島みどり じゃない 講師、やっぱり容赦なかった。

でも居丈高じゃなくてソフトな語り口で脅しをかけるやり口はさすが。どういう人がこういう所で講師をしているのか知らないが(やはり警察関係の人なんだろうか?)適材適所ですなあと妙に感心したのである。

でもこういう人が上司や姑でいつもそばにいたら嫌だ(小声)



講習が終わった時点で、もう新しい免許証はできていた。
以前は、免許の更新って時間がかかって半日仕事ってイメージがあったが、サクサク終わって良かった。

また5年間無事故無違反になるよう気を付けなければ。



三枚並べてみたワタシのゴールド記録。この制度ができてから一度もゴールドは外れていない。ほぼ毎日都内をちょろちょろ運転して、一月に一度は高速も運転して実家に帰っている。

悪運が強い女とオットは言う。










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紅型

2015-03-23 23:13:56 | 日々の生活
さて ギリギリで沖縄そばを食べることができたので安心してホテルにチェックイン。

今回は最近オットが出張の時に使うビジネスホテルであった。

 ☆ 
ここが出来て半年くらいらしく新しいし、部屋もハリウッドツインとかにアップグレードしてくれてあったので、広々清潔。
携帯の充電器なども普通においてあり各所にコンセントも多くて、かびくさい老舗のシティホテルに泊まるよりいいじゃないのとビジホを見直してしまったのであった。

朝食も沖縄メニューが多くて楽しいしおいしかったし。
立地も新都心とか、今までに馴染のないエリアだったがモノレールの駅にも近いし、DFSや大きなショッピングセンターなども周りにあって便利なところだった。

荷物を置いてこちらに。 伝統工芸館 




大好きな染物紅型に挑戦。前日に電話で予約しておいた。昼過ぎに13人の団体さんが入っているので夕方なら可ということでワタシ一人だけでゆったり体験。オットは街をぶらぶらすると言って別行動。

コースターなどの小さいものからトートバッグくらいのものまで材料を選び柄を決める。

私は小さいトートバッグに朝顔の柄を染めることにした。




青い所が防染のための糊がおかれてあり、白いところに染料を塗りこんでいくのである。



個人教授を受けてるところ



最初に好きな色で下塗り



隣の部分と混ざらないように乾かしながら二度塗り

最初の色は好きに塗っていいけど、隈取様にぼかしを入れるときは決まった色があるんだそうだ。




それに従ってぼかしを入れる。(濃いめの絵具を普通の筆で縁に置いて、もう一本塗り込みようの筆ですぐさまぼかしていく。
筆の二本持ちって難しいらしいが、私はこういうのは結構得意。「初めてじゃないでしょう?」と言われたが初めてである。

そう言えば動物公園で乳搾り体験した時も「上手だねえ 初めてじゃないでしょ?」と言われたのであった。

変なところ、器用なのである。

と話がそれたが、それにしたがって隈取したのがこれ。




ホテルの部屋で乾燥中。ある程度日にちをおいてから糊を洗い落とすのである。出来上がりが楽しみ。

その後、国際通りや平和通りをブラブラ、お土産を買ったり公設市場を冷やかしたり・・・





沖縄のお店のオバサンたちはとてもエネルギッシュで元気で親切。お土産を買いながら、おいしい店の情報を聞いたりしていたら、すっかり意気投合して
「あたしの知ってる店に案内するから 明日はダメなの?」などと盛り上がる始末。その日は予定があったのでかなわなかったが、一緒に飲んでたらおもしろかったかもしれない。

この日はオットがブラブラしている間に見つけていたこの店でディナー

ビストロである 



夫婦お二人でやってるような20席もないくらいの小さな店だったけどいっぱい。ワタシたちの次にも予約が入っているようだった。





アミューズとスープ魚のコースを頼み、ハーフの白のあと、シェフと相談してローヌの赤を。の

ここで隣り合わせになったのがイケメンフランス人と日本人のご夫婦。

四年前まで東京のワタシのよく行く街に住んでいたというのと、二人の職業がオットの職種に関係があったり、二人が関係している東京の施設にオットが絡んでいたり・・・

話してみると不思議なほど偶然に接点があってびっくり。これがお互い地元なら不思議はないが、遠く離れたところで隣り合わせになった人たちだったのでびっくりである。



お互い頼んだワインをつぎあい(フランスイケメンはドライバーなので飲まなかったので日本人三人酔っ払い)ホテルまで送るというので送ってもらい、車に積んであった彼らの著書をいただいた。

なかなかおもしろい出会いもあって、昼、夜も満足のいく食事もできて、沖縄第一夜は更けたのであった。





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ギリギリセーフ

2015-03-22 00:22:12 | 


金曜から南の島に来ている。

2月最初だっけか、あまりに寒く家に引きこもった日曜日、夫婦で発作的に「暖かい所に行こう」と意見が一致してANAのツアーに申し込んだのであった。

出発日、私は家から、オットは職場を一回りして羽田で待ち合わせ。

私は余裕を持ちすぎて家を出たら結構ギリギリ。品川で京急に飛び乗った電車に乗れなかったら来れなかったかもしれないところであった。
羽田でも荷物を預け入れで待ってたらチェックインに遅れそうなので、係りのお姉さんに言ったら特別に違う所で預かってもらってギリギリ15分前に搭乗ゲートといった具合。
朝のラッシュ時に電車が遅れるのを侮っていた。
次回は気をつけなければ…

フライトは順調で一時半には那覇空港に

荷物も一番初めに私たちの分がでてきた。

しかし、ここでも焦ってモノレールに…

沖縄ソバランチのためである。


こちら。本店は人気店で行列ができるらしいが、ここは県庁の中の出店。
沖縄通の弟に「平日しかやってないけど穴場だよ」と聞いていたのである。
しかし調べたら2時くらいに売り切れることも多く、店は2時半まで。
県庁についたのが2時15分ほど

ガラガラbagを引いて必死で地下に向かったら、店はちょうど暖簾をしまうところであった。
ガッカリした私たちの心情が伝わったのか、そこのオバサンが
「ソバ1食だけ残っているんですが召し上がりますか?あとはカレーライスもできます」と声をかけてくれた。

いいですとも!とありがたく好意を受けてお店へ。食券売りの機械も閉めてしまってあったが現金払いでという。ホントにギリギリで入れてもらえたのであった。





沖縄ソバ600円 カレーライス500円
安くて美味しかった。



売り切れ看板を持って記念撮影

こうして夫婦で沖縄旅行、色々ギリギリながらスタートを切ったのである。

この日はチェックインしてから伝統工芸の体験。

その後公設市場をブラブラしながら目についたビストロに入ったら素敵な出会いで盛り上がり…

今のところ楽しい旅が続いている。

また旅の途中で投稿します。
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アテンド

2015-03-20 09:52:55 | 日々の生活
昨日のこと。

広島のお友達 親ばかのプロ(自称)⑦パパ&ママさんちの秘蔵のお嬢ちゃんのNちゃんが、東京にセミナーを受けにいらっしゃるというので、お迎えがてら半日おつきあいした。

新幹線乗り換え口で待ち合わせ



思えば⑦パパさんと知り合ったのはNちゃんがまだ小学生の頃。それがもう大学生の綺麗なお嬢さんになって、将来の夢にむかって東京に一人でお勉強にくるって・・・
月日の経つのは速い、他人様の子ってなんて速く大きくなるんだ、これだもんね、自分も年をとってるのね。などと感慨にもふけってしまう。

ちょっと遅めになったけどここでランチ 

リストランテ・ヒロ 丸ビル店


前菜(サラダ、トマトのカプレーゼからチョイス)パスタ(三種類からチョイス)デザート盛り合わせ 飲み物のコース




夜は来たことがあった。窓際に案内されると眺めはいいが値段も高い。ランチは意外とリーズナブルで、サービスは丁寧だし、店の雰囲気もいいかも。お料理の量も私たちにはちょうど良かった(ってことは男性にはものたりないかも)

この後、Nちゃんの宿泊する見附のホテルにチェックインして、荷物をおいて、表参道へ。

若い子の好きそうな雑貨屋さん、ショッピングモールなどブラブラ。

楽しめたかな? ワタシは初々しい若いお嬢さんとショッピングするのって楽しかったけど。

原宿まで歩いて新宿まで山手線、丸の内線まで送って彼女と別れた。

今日はこれから彼女はセミナー。

私は実は・・・ オットと南の島に行ってきます(パスポートはいらないw)







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ルパンⅢ

2015-03-19 22:29:24 | 日々の生活
備忘録です。




今年初?だっけか 久しぶり(パック以来)の宝塚観劇

S席8列目 ほぼ中央という良席

この作品の演出家の作品、今までの所面白かったので楽しみにしていた。アニメで親しんだあの独特の世界をどういう風に作品化してくれるのか・・・

ヴェルサイユ宮殿にルパンがマリーアントワネットの首飾りを盗みに入ったところで、なぜかフランス革命ちょっと前の時代にタイムスリップしてしまい、それからフランス革命時代に飛び、処刑されそうになった王妃を助けるという話(乱暴なまとめ)

ルパンに宝塚らしいエッセンスを盛り込んだ展開。


この人たちのビジュアル



顔の小ささ手足の細長さ ホントにアニメのイメージを裏切らない美しさに感動。



ルパン なりきり度尊敬。





んまあ 美しく色っぽいふじこちゃん(昔オトコ役だったよね、確か)




銭形のとっつぁん。この方はこれで退団だそうな。どうして?? このとてつもなく足の長いスタイルを生かしてのコミカルな演技とダンス 好きだったのにな



カリオストロ役 この人の歌は安心して聞ける。

全般に面白いっちゃ面白かったけど、ちょっとドタバタが過ぎる感があって時々冷めた。

しかし、この日はいつもの観劇メンバーMちゃんの代わりにNの同僚の初対面の女性が来て、彼女の感激っぷり、のめり込みっぷりに圧倒されたのであった。

お芝居の展開に合わせて笑い、拍手し、身を乗り出し、ショーのダンスの見せ場で息をのみ、階段下りの時は夢中で手を振る。

どうせ同じチケット代払うなら彼女のように感動があった方がいいなぁ と 擦れてしまったのか、元々の性格ゆえか、イマイチのめりこめないオノレを反省したのであった。

そうそう この日はSS席の一番前真ん中にN川センセー(ほれ、よくバラエティに出る女医の)を発見。
寒かったけど三月も半ばにかなり毛足の長い毛皮のコートをお召し。目だってました。













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ワイン会

2015-03-17 22:36:35 | 食べる
久しぶりにワインのお勉強(一日セミナー)を受けることにした。

一年ぶりくらいの虎の門
実は二年ほど前合計で一年間くらいこの街に毎週通っていたのだけど、建設中の虎の門ヒルズが完成していたのでちょっと感動した。

 

これだけ巨大な建物が完成すると街並みも変わるものなんですね。



セミナーはスペインワイン

10年毎くらいにスタイルが変わっているらしい。クラシックスタイルとモダンスタイルの飲み比べなど




しかし赤ワインのみ

つまみ無しで赤ワイン6杯はなかなか辛いもんがあるけど、おいしいとつい空けてしまう。





ワタシの気に入ったのはこの二種類。

授業が終わってワイン友たちと新橋へ





こんな感じのカジュアルな店だけどワインの品ぞろえも豊富だし、おつまみもおいしかった。

週始めから周りはワイン好きそうなサラリーマングループが楽しそうに飲んでいる。


















あれだけセミナーで赤を飲んだあとなので泡と白ワインで初めて、野菜中心のおつまみから最後は軽めの赤と鴨のローストで。

アラフォー女子たちの恋愛話を聞いて突っ込みながら楽しく夜は更けた。

ちゃんとウ○ンの力を事前に飲んで備えていたので酔っ払わずに帰宅。二日酔いもなしに次の朝を迎えた。

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あれから四年

2015-03-11 23:15:58 | 様々な思い
あれから四年・・・

思いたって震災直後のブログをコピーしてみた


一夜明けて

2011-03-13 23:43:57 | 様々な思い


昨夜は殆ど寝られなかった。

家族は全部バラバラな場所に居たのである。

娘は免許合宿中(揺れたけど大丈夫だったそうだ)

夫は前日山形出張だったので午前中は休んで職場に着いて会議が終わり廊下を歩いていたところに地震に遭遇したらしい。その後職場に泊まり現場指揮。

息子は有給休暇をとって我が家の車に乗って いつものスポーツの大会に行っていた。いつも「富士」の方と言うので山だと思っていたら実は浜辺で試合していたらしい。
沖の方に あきらかに普段と違う波が見えたので慌てて山の方に逃げたらしい。

ということで私は昨夜は一人、なかなか繋がらない電話やメールに苛立ちながらやっと家族や実家、姑などの無事を確認して、強い余震が何度も来るし、災害メールのおどかすような着信音にビビリながら、二階のベッドで寝る気にならずにふとんをリヴィングに持ってきて犬と一緒に一晩ソファーで過ごした。
NHKをつけっぱなしにしてずっと地震の被害状況を見ていたが、名取川河口周辺の津波被害の映像を見てから あまりの事に力が抜けて何もする気にならなくなってしまった。

家が、畑が、道路が・・・ 人間の積み上げてきた営みの結果がたった一瞬で押し寄せてきた波に飲み込まれ、かき回されて あっというまに海の藻屑になってしまった映像。
「ありえないよね」「こんなこと ホントに起こっちゃいけないよね」と心中でつぶやきながらその時自分ができたことは その場面を見つめることだけだった。

昨夜から また今朝になってから 今度は友人たちからお見舞いメールが届いたりして、それぞれの状況がわかった。
東京ビッグサイトから3時間かけて事務所に帰って来たNちゃん。
ちょうど最寄の駅についた時に地震にあい あわてて家に入ってみたら姑さんがトイレで震えていたという舞台友N
4時間半かけて家に歩いてきた昼行灯夫(舗道は歩く人であふれていて東京マラソン時のような混雑だったらしい)

昼頃 無事に息子が帰って来た。東名の上りは空いていたそうだ。
「やっぱりかなり揺れたけどグランドだったから何かが落ちてくるわけじゃないけど一応試合が中断になったんだよな。その時に携帯見たら東北がすごい被害みたいだったし、車のTVつけたら津波の映像と警報やっててさ、この辺もヤバイってんでみんなに知らせて車で山の方へ逃げたんだよ」
一方彼女のM子も昨日は汐留から三時間半かけて歩いて帰って来たそうだ。
「疲れて寝てるらしいから これから行ってやる」んだそうだ。

「でも良かったよね みんな無事で」と私が言ったら
「そう言えばM子ってさ N島(息子の親友)にコイツ(息子)のどこがいいのって聞かれて何て答えたと思う」と聞く
「地震なんかにあっても 死ななそうなところって答えたんだぜ~ ナンなんだよな、その答え」

息子は不満そうだったが、私はM子はコトの本質を知ってるって思ったね。「死なないで帰ってきてくれる」って言うのは恋人として何より大切な要素ではないか? 「永遠の0」のテーマもそれじゃないかと思う。


そして夫も今日の夜、疲れた顔ながら無事に帰って来た。
「エレベーターは止まるは、パニっくる人は多いはエライ騒ぎだった。まあ停電がなくてよかった」だそうだ。

一番最初の地震の時の様子を聞いてみたら、ちょうど広い玄関のロビーに居たところだったらしい。

「これは大きいって思ったから みなさん椅子にもぐるか手すりにつかまってしゃがんでくださいって言って自分も手すりを掴んだんだよな」

「そしたらおばあさんが乗った車椅子がストップできなくて暴走して行くからさ 右手で手すりを掴んだままとっさにそれを左手で掴んでさ ひっぱりっこ状態だったんだよな」 
腰を落として車椅子と手すりを掴んだその姿を私の前でやってみせる。

「それがなかなか揺れが収まらなかったろう? 必死で車椅子を押さえながら なんか背中が重いなって思ったら 背中に婆さんがしがみついてるし 足元には座りこんだもう一人の婆さんが俺の脚をつかんでたんだぜ~」

「あなたに張り付いてたら助かるって思ったんじゃないの」 不謹慎だが、その様子を頭に浮かべるとつい笑ってしまった。

「だけどさ~ 俺としたら グッジョブだと思ったけど それ見てたやつら(仕事仲間の女性たち)が後で笑う笑う」
「もう OOが車椅子掴んで おばあちゃんにしがみつかれていた姿思い出すと・・・とかって言いやがって」

とにかくオットの奮闘?もあって 職員や訪れていた人全員無事だったらしい。

その後も色々あったもののどうにか納めて帰って来た夫。

やはり帰ってきてくれて良かった。

その後TVやインターネットで被災された方々の様子が映されて胸が痛む。
大切な家、大切な営み、大切な人をなくされた人も多いと思う。
さっきもインタビューされた人が 「心配だけど生きてられただけでよかった」とおっしゃっていた。

本当にそう思って明日を迎えてくださいますように。

あなたが生きていてくれて良かったと思う人はきっといるはずだから。


四年間、長いような短いような・・・

この時はまだ結婚していなかったムスコとM子はこの年の秋に入籍し、海外赴任を経て、去年子供が生まれた。

オットが職場に詰めて、ムスメも不在で一人で津波映像を見て不安な時を過ごしていたワタシを無言で慰めてくれた老犬のPちゃんは、今年の始めに旅立った。
この震災の直後、新しい家族になったGちゃんとほぼ四年間、若い子が来たことで刺激になって幸せな老後を過ごしてくれたと思っている。

オットはますます責任も重くなり、仕事も増えてとブツブツ言いながらもがんばっている。

ムスメはこの後一年技術を学び、仕事に結び付けてどうにか三年になろうとしている。

実家の両親、姑は四年分しっかり年をとり、世話しなきゃならない部分は増えた。一年に一度ずつくらい交代で入院したり、行動範囲がずいぶん減ったりもしている。

いい事もあれば、悪いこともあった。自分も確実に年はとってるがそれは自然の変化で受け入れなきゃいけない範囲。


でもあの震災で人生が終わってしまった多くの人たち。その周りで、自分の時も止まったように茫然と日々を過ごしてらっしゃる方たちもまだまだいらっしゃるはずである。

先日、エスニック料理の後に行ったコンサートは、原発事故の影響で飼い主が自宅で飼えなくなったペットたちのチャリティーのためのものであった。
この前ので7回め、無償で続けている主宰者の音楽家、支えるボランティアの方たちがいる。微力ながら私も協力している。

まだ深い傷から立ち直れない方々、飼い主のところに戻れないペットたち、こっちもそれなりに生活するのにエネルギーは使ってるし、記憶ってのは薄れていくのは仕方ないけど、節目には思い出して、できることを考えて実行しなけりゃな と思っている。
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初めてのエスニック

2015-03-10 18:30:47 | 食べる
先週土曜日

友人のコンサートがてら三○茶屋へ

初めてのモ○ッコ料理



ワインも初めて
ガルナッチャ主体の赤

ちょっとトルコ料理にも似ている。

その後ピアノ&チェロのコンサートへ。

女性シェフと女性演奏家

がんばってる同性のみなさんに敬意を表した日
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キッチンまわりの道具二つ

2015-03-06 22:59:31 | 日々の生活
ホント 大げさなもんじゃないんだけど・・・

生協のチラシにつられて大きなフライパン用の蓋を買った。

今までのものが内側に錆が出て汚らしくなったのと、無駄にドーム型になっているデザインだったので、いま一つ色んな直径のフライパンとのかみ合わせが良くなかったのである。

今度のものは平で取っての部分で自立するようになっていて、しかも中心部分が強化硝子製になっている。

これが なんとまあ便利なこと。



ホウレンソウとかミニトマトと一緒に、その水分がちょうどよく作用してて綺麗に膜が張った目玉焼きが失敗なくできる。
ガスレンジで三分加熱と決めているが、卵の大きさや水分によってフライパンからお皿に移行させるタイミングが目に見えるのである。
朝の小さな自己満足・・・



先日お昼の一人飯に冷凍餃子を作ったが、ギョーザがフライパンの中で蒸しあがるとともに皮の縁が半透明になっていくのが目に見えて、なんとなく安心感がある。

写真は取らなかったが、アサリの酒蒸しも、フライパンの中で次々に口を開けるアサリが観察できて、加熱しすぎて堅くなる前のタイミングを見極められる。

中が見えるってのは、なんてステキなんだろうと 毎日レンジの前でつい脳内で小さなガッツポーズ。確か1000円前後だった買い物にしては大きな満足をもたらしてくれたのである。

それから、これはいただきもの。



オットの職場仲間が家族からのオーストラリア土産。

殻つきのマカデミアナッツって初めてみた。

クルミよりずっと堅い殻。この万力みたいな道具で殻をひしゃげて開けるのだが、ムスメが開かない、開かないといって締め付けすぎたら自分の顔に向かってマカデミアからの攻撃をくらった。
注意書きをよく見たら、白いポイントってのがあって、(なり口らしい)そこを万力の圧力をかける部分に当てて、二三回回転させればいいのだそうだ。



とは言うものの結構力とテクニックが必要。
でも殻つきマカデミアナッツは格別だった。オット秘蔵の余市のソーダ割りにマッチ。
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ひな祭り

2015-03-03 22:29:40 | 記憶の箱
今日は仕事の予定が急に変更になったとムスメが早く帰って夕飯を食べると言う。
オットは食べない予定だったので冷蔵庫の寄せ集め一人飯のつもりが、せめて御節句だし、チラシ寿司でも作ろうってことにした。

寿司は冷蔵庫の野菜とホタテ缶で。
ムスメにハマグリと菜の花だけ買ってくるように頼んだ。




実家の母のチラシ寿司は 根菜類をと干しシイタケをホタテ缶の汁も一緒に煮込み酢飯に合わせる。それに気分で魚介類 いくら 穴子を載せて、錦糸卵と海苔を散らす。
昔から この「五目ずし」が好きだった。



デザートはイチゴ大福。

まったりムスメと過ごしていた食後の時間に実家から電話

「ねえ、あなたのお雛様 ○○さんが紹介してくれたホニャララホームにあげたいんだけど、いい?」と母。

唐突すぎてまるでわからない話の流れ・・・

「あそこはちゃんとしたお雛様がないんだって。○○さんのご主人が今、理事をしてるから家もお雛様を飾らなくなったのよね なんて話をしたら譲って欲しいって」

ホニャララホームも○○さんも知らないけど、要するに児童養護施設にワタシのお雛様を寄付したいんだけどいいか?という話らしい。
母もせっかちは変わらないが、ここのところ人に説明するのに順序だてて話を持っていくのがとてもヘタになった。

「ホニャララホームってどこにあるの?」

「キリスト教の信者さんがやってる昔からの施設よ。小暮美千代が慰問に来たんだよ。あれ、あんた知らないの?」

知らないって 小暮美千代?女優さんだったがどんな人?とwikiで調べたが1990年に亡くなっていらっしゃる。代表作が愛染かつらと青い山脈・・・
いくらワタシも昭和の女としても知らないよ・・・ さすがに。

まあ とにかくその施設にワタシの七段飾りのお雛様を寄付したいとのこと。

ただ寄附すると言ってももう10年以上出していないので蔵の奥の方に押し込まれている状態、そこから出して運んでくれる男手も必要なんじゃないの?

「私もね、差し上げるのはかまわないけど、運ぶのは年より所帯だから無理ですって言ったのよ。そうしたらそこはお金はないけど人手はあるんだって」とのこと。

「それとね、やっぱりあんたのピアノがあるじゃない? どうせならあれも持ってってもらおうかなと思うのよ。弾かないピアノがあるっていったら、それもいただけるならいただきたいんだって」

「もう何年も調律してないピアノでしょ。あれでもいいの?」

「うん。とにかく様子みさせてもらって持っていきますって言うの。あれも寄附しちゃっていい?」

正直 心の底がチクっと痛んだ。

自分のアルバム、初めての子供だったのでたくさん撮ったのだろう写真の中に大きく引き伸ばしてある初めてのカラー写真はこのお雛様の前で、亡くなった祖父母に抱かれて撮ったものだったから・・・

初孫でとてもとても可愛がってもらった記憶しかない祖父母が嬉しそうに私を抱いている写真。
あの写真の風景の一部が無くなってしまう。

お雛様は惜しくないが、思い出の背景は惜しい・・・

しかし、置いておいてもこの先出して飾ることはまずないし、ムスメのは親王飾りがあるし、この先女の子の孫ができたとしたらその時はその時で考えればいいし、もう一つアンティークの親王飾りがあるのでそれを上げてもいいとおもう。

そうするとこの先茶箱の中の中で日の目をみないで過ごすよりも施設の子供たちに愛でられて毎年飾ってもらえるほうが、お雛様としても幸せな第二の人生となると思う。

「いいよ。もらってくれたらありがたいじゃない。ピアノも引き取ってもらっちゃいなよ。」

わざと何でもなさそうに母に言ってみた。
思い出は心の中に置いておけばいい。



コメント (6)
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