局の道楽日記

食道楽、着道楽、読書道楽  etc
生活色々を楽しんで暮らしている日々の記録です

おニューな携帯

2007-11-30 21:16:49 | 日々の生活
新しい携帯を買った。
N905i 二年ぶりの機種変です。

だいたい私は新しいものに飛びつく方じゃなく人の評価を聞いて市場が落ち着いた頃におもむろに購入するヒトなんですが、息子がおとといSH905を買って(壊れかけてたのでやむなく購入)あまりの機能の向上に触発されてつい欲しくなってしまった。
バリュープランってのにして24回払いにした。クレジットは嫌いなんだけど、金利なしだし毎月の支払い合計は今までと変わらないし。どうせ2年くらいは使い続けるだろうし。
それに来月外国に行くので、それまでに海外で使えるのに変えたかったのも大きな動機。成田のドコモで借りたり、あの小さいFOMAカードを帰りの飛行機の中で入れ替えたりするのって結構めんどくさかったから。

私にとって役にたちそうな機能は 
* ワンセグ・・・あんまりTVは見ないだろうけどないよりあったほうがいい よっぽど退屈したときとか、ニュースを見る必要にかられる時とか。
* カメラ・・・なんたって画素数大きいから今までより綺麗にとれる 顔認識と手振れ防止で失敗が少なそう あとスクリーンを回転させるとあの大きな画面を見ながら写せる。見える場面は普通のデジカメより大きいわけだから写す対象がわかりやすい。
* メール・・・文字変換が902の時より格段におりこう 何文字か打つと下のウインドウにバンバン候補が出てきてくれるのでサクサクいける。今までみたいに漢字 数字 絵文字変換のわずらわしさが減少。濁点の位置も前よりいいみたい。
* インターネット・・・今までより格段に速い
* GPS・・・超方向音痴の私に強い味方ができた

まだ購入したばかりだから まだホンの少しの機能しか使ってないわけだけど、携帯変えてのワクワク感は十分味わえました。これから しばらく取り説を読み込んで色々遊ぶ予定です。わりにこういうことして楽しいと理系の端くれってところが少しはあるんだろうと自覚したりもする。

携帯を持って早や10年? 良くも悪くももうすっかり必需品になってしまったなあ。便利になればなるほど依存度も高くなるわけだから ますます生活にかかせないグッズになってしまうのだろう。たまに忘れて外出すると落ち着かない気分になってしまうしねえ。
まあ 賢く使って行かなくてはとは思いますが。

あと 私はずっとドコモです。 電話番号はもちろんアドレスも一度も変えていない。
昔は迷惑メール設定が貧弱で変なメールが着たこともあったが 一通残らずドコモに通報してやった。これからも鉄壁の守りで、この愛着のある番号とアドレスをずっと死守しようと思っている。
あと家族で一人NEC派ですが (夫と息子はSH 娘はD)取り説の文章がわかりやすいのと 取り説を読まなくても何となく見当がついて使えるのはNが一番じゃないかと自分では思う。一度だけ Pを使ったことがあるのだけど、あんなに使いにくい機種はなかった。今はどうだか知らないけど、取り説を読んで特定の数字を入れないと単純な機能さえ使えない不便さその他に使っていた期間中不満だった(途中で初期不良で交換もしたし)
多分この先もNテイストを好んで使い続けると思う。
となるとNECがどこかに合併されずに残ってくれることを願うわ(笑)






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収賄夫婦

2007-11-29 20:25:36 | 様々な思い
子どもが成長して、ある程度手を離れたら 何か一つ夫婦で共通の趣味を見つけて一緒に楽しみたいと常々思ってきた。

例えば 映画鑑賞 美術館に一緒に行く、囲碁やブリッジなどのゲーム 旅行も行きたいしな、あとスポーツも一緒にできるものがあったらいいな。テニスはなかなかしんどそうだからゴルフなんかもいいかもしれない・・・・
とか思って夫にゴルフ一緒に始めようよ~ などと提案したこともあったが、どうも夫は乗り気じゃないようだ。サッカー フットサルをいまだにやりたがり、止まった球打ってもつまらないなどと暴言を吐くのです。

だから いいね この夫婦は 仲良く毎週ゴルフを楽しめたのね 
自分の金で行ってたらもっとよかったのに~~ 

仮に夫の方が若い愛人でも作り、それに入れ込んでお金を使い、旅行やゴルフなどに同伴してたとしたら もっと軽蔑されるにせよ ありがち~ だと思っただろう。
彼は、奥様を愛してたのね。何十年も連れ添ってなお、奥様と一緒に楽しみたいと言う夫としての姿勢はいいことよね。
奥さんの写真を初めて見たけど、昔は華やか系美人だったのかもって面影が感じられる。愛されてたのね。
だけど夫婦でたかってたってことで賎しさ二倍ってところが悲しいね。

話は違うけどどうもご主人の顔を見るたびに ↓を連想してしまうのは 私だけ??



 
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息子の指摘

2007-11-28 23:25:12 | 家族あれこれ(犬も含めて)
今日は、この夏にご主人を亡くした友人を囲んで 中高時代の女友達と池袋でランチした。

本当に仲良く信頼しあっていたご夫婦だったようで、彼女もさぞ寂しいかと思うけど、後悔ないほど看病しつくしたこと、三人のお子さんたちの支えがあることで ずいぶん悲しみから抜け出して明るくなっていたので良かったなと思った。

で、そこへ出かける前のこと
今日は少々優雅にランチ(と言っても池袋だから知れてはいるが)と言うことで、私は着物を着た。
この秋は 倹約モードで洋服を買ってないのでいざって時は着物にすることにしている。

ちょうど家にいた長男(もう授業の単位はとり終わって後は卒論だけ のんびりといいご身分である)に駅まで車で送らせることにした。20代のオトコをパシリに使えるなんて今だから味わえる息子を持った醍醐味ですね。

母 「ちょいと駅まで送ってくれない?」
息子「おかん 今日着物の日(着物の会)なんか?」
母 「ちがうよ ただランチに行くだけ」
息子「ランチ行くのにわざわざ着物着たんか?」
母 「そだよ。着るためにあるんだからいいじゃない」
息子「へー 女ってオバサンになってもままごとみてぇな事が好きだなあ」
母 「何でもいいから ハヨ送れ」

だけど ままごとねえ 
ある意味当たっていないこともない
まあ、ままごととでもコスプレとでもなんとでも言っておくれ 
母は自己満足に生きるから・・・ 
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素敵なプレゼント

2007-11-27 21:09:04 | 読む
先月 早稲田に緒形拳一人芝居 白野 を見に行ったことをブログに書いた。

その時、友人がプログラムに緒形さんのサインをもらって後で送ってあげるよと言われて 預けていたのだけど 今日それが手元に届いた。



私の名前も入れてくださり直筆のお礼状も添えられていて いい記念になった。
しかし 味のある字ですね。

それと一緒に やはりサイン入りで送ってもらったのがこの本



この左ですが 「地球徒歩トボ」 緒形拳 ・写真 岡田満世 ・Gakken刊

NHKの「プラネット アース」のロケ地で見た光景を 写真と文章でつづられた本である。

これがよかったのよね。

私は残念ながら見ていなかったのだけどプラネットアースと言う番組 その中で緒形さんは サハラ砂漠を歩き ロッキー山脈に登り 深海にもぐる その一年あまりのロケ地を旅行する時 彼は本も読まず、映画も見ず、ただ 白野の台本を持っていたそうだ。



どの写真と文章もいいんだけど このメキシコの山中の森で蝶とたわむれる緒形さん  

「体験することがいのち 目にすることがいのち」 と現実を見据え 
「何億匹の蝶が乱れる、いま俺はこの世にいるのか、あの世にいるのか、そこの途中なのか 彼岸・・・」 と夢現を表現する。

後 一番私がいいなと思ったページは ↓ 



ロッキー山脈で忽然とあらわれた オオツノヒツジとの遭遇である。

緒形さんはそこに古代からの地球の歴史の凝縮を見 自分の前に現れたヒツジの茫洋とした姿に 師であった辰巳柳太郎さんを見る。

こうした地球の果てを旅しながら、白野は緒形さんの中で熟成されて行ったんだろうなと感じられた。

俳優さんの人生体験がインプットなら 舞台はアウトプットなのだろう。
この本と先日の舞台と、その両方を見られたことが 私にとってとても幸運だったと思う。

改めてもう一度 白野を見たいな・・・
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乾いて困る

2007-11-26 20:34:02 | 日々の生活
ここのところいいお天気で気持ちはいいけど 困るのが乾燥。

この冬の乾燥対策はこの三つです。



右より

アクセーヌモイストバランス→顔へ 無香料の軽い感触のジェルがするっと伸びる感触が好き。皮膚に自然に吸い込まれるような感じ。数ある保湿コスメの中で私にとっては当たりだったと思う。

ケラスターゼ RE シモンテルミック→髪へ 洗髪してタオルドライした後につけてドライヤーの熱で成分を浸透させるトリートメント剤。担当の美容師さんが強くすすめるので買ってみた。(髪に艶がないとオンナは不幸そうに見えるとのたまう)確かに潤ってつややかになる。今までロクシタンのヘアクリームを使ってたけど こちらのほうがベタつかずに使いやすい。やっぱり餅は餅屋ってことかしらね。オレンジのほのかな香りも使ってて気持ちがいいです。

ロクシタン ハンドクリーム ローズ→手に おなじみだけどやっぱりここのハンドクリームは必需品。去年一時品薄になったのでまとめ買いしてたのがまだある。今年はレモンの香りが出てましたね。なくなったら次はそれいってみようかと思ってます。

11月の声を聞くと とたんに手足が乾燥し始める。駅までチャリに乗って電車に乗って一息ついて自分の手をみると、カサカサして細かいシワがよってるのを見るとギョッとしてしまう。手と首に一番年が出るってホントだね。だから外出先でも気づいた時にはせっせと小分けしたクリームを塗ってますが。

後、気になるのは爪の乾燥。冬場はやっぱり爪も乾燥して二枚爪になったり、伸ばした先が欠けやすくなったりする。スクワランオイルなんかたまにすりこんでみるんだけど今一つ決め手に欠けるような気がするんですが・・・
お薦めあったら教えてくだされ。
 
       *  *  *


今日は久しぶりに な~~んにも予定がなく 電話もメールも少なく のんびりできた一日だった。ここのところいつも夕刻そそくさと散歩をすませていた愛犬と昼過ぎに長い散歩ができた。



近くの公園の桜の紅葉。桜の美しさって花の季節だけじゃないんですね。
今日の澄んだ秋の空。東京の空も捨てたもんじゃない。
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草履 バッグ 帽子

2007-11-25 22:46:00 | 着る
娘は来年成人式です。

着物と帯は用意した。昔の物の方がいいと言ったので(幸い)私の着物を縫い直して比翼をつけたものと、帯は母の丸帯の芯を抜いて少し結びやすくしたものにした。新品を買うよりはマシだろうが、それでも手間賃や比翼用の綸子など結構かかった。(行きつけの呉服屋さんはにこやかに縫い直しをしてくれたが、請求書見たら私の眉間にしわがよってしまった)
それからショールだけど 白いフワフワ合繊のものは私が嫌だったのでミンクの大きめのを買ったらやっぱりかかった。(泣)

まあ一生に一回のことだし、しょうがないやとは思う。しかし、草履を忘れていたのよね。

って事でここのところ、やはり成人式用だと佐賀錦のものかなあと履物店やデパートなど探しては見たのだけど、あんまり高いので躊躇していた。最低で10万はするじゃないかいな・・・(泣)
でも着物を着て裸足で歩かせるわけにはいかない。某デパートを下見にいったところ、店員さんが声をかけてきたので 娘の成人式用のを探していると言った。娘の靴のサイズは23.5~24である。そうしたら「じゃMサイズでよろしいですね」と店員さん。
ん? Mだったら私の草履もMじゃないか・・・ 「Mでいいんですか?私も22.5だけどMを履きますが」
大丈夫ですよ。むしろこういうお草履は小さめのサイズでかかとが少し出るくらいが綺麗でございますよ。と店員さん。
そうか 草履って便利よね。私と娘は服やバッグは共用するが、靴だと絶対無理なのでその発想はなかった。

実家の母に言って、私が娘時代に履いた草履とお揃いのバッグを送ってもらった。



三越の箱に入っていて(母が東京まで買いにきたらしい)殆ど履いてなくて新品同様だった。
ただ、娘は私より甲高なので鼻緒を調整しなくてはならない。
それで今日は夕方から 某大学の学園祭帰りの娘と待ち合わせて新宿デパートへ。
そこの呉服コーナーで快く調整をしてくれた。(1000円ですんだ)

しかし、今度はバッグである。



草履とお揃いのがこれだけど、娘は嫌だと言う。確かに小さいし、あまり娘の雰囲気じゃないのよね。

じゃ、伊勢丹でパーティーバッグでも見に行くかと口を滑らせたのが運のつき。
それから延々と1階のバッグ売り場、各ブランドのショップでバッグを求めてさすらうハメになってしまった。

ホントに娘の買い物に付き合うのは手間がかかる。どこのブランドだ、色だ、形だと妥協しないんだよね。
それに私が絶対にO万以下と厳命していたので間口の狭いこと。だけどあまりに歩き回った後で頭が朦朧としてきて MIUMIUで可愛いサーモンピンクの皮のパーティーバッグがあったので 「これでいい、これで」と財布を出そうとしたら 娘は 「う~~ん ちょっとこのピンクは微妙だな、これだったらこのゴールドがかったベージュのほうが・・・」と言い出し、それは品切れと言うことで結局買わなかった。
あとで 「ママ あれってOO万だったよ ホントに買ってくれるつもりだったの?」と言われて我にかえったのちほっとしてしまった。あれだけあちこち回って結局買わないとせっかちな私としてはイライラして冷静さを欠いてしまうのである。あ~気に入った色がなくてよかった。伊勢丹マジックって怖いわっ!!

まあ そこで頭も冷えたので、一旦仕切りなおし、家にあるビーズのバッグとか他のブランドバッグの中で手提げのものから探すかなんかした後 また考えることになった。

だけどせっかく来たからちょっと自分のものもみたくなった。

実は来月ちょこっと外国に行くのであります。
日本より寒い国。そこで駐在していた人に聞いたら 絶対帽子はいるよ とのこと。
あんまり帽子ってかぶらないから、持ってないし選び方がわからない。
こういう時は娘頼み。彼女は帽子大好きな子だし、やたら色々な店に詳しい。
帽子だったら下北にオリジナル売ってる可愛い店があるよ。とのこと。
小田急に乗って下北に向かう。
ちょっとおしゃれなブティックの並ぶ裏通りにドアが閉まった店があった。
物慣れた様子でブザーを鳴らす娘。中からお店の人が鍵を開けてくれる。
ミシンがあってそこでサンプルを作っていて 帽子 アクセサリー バッグなどそこのオリジナルの雑貨が売っている。どれもなかなか可愛い。
(しかし よくこんなところ知ってるわね)

色々かぶると楽しいのね 帽子って。娘と店の人と一緒になって私に似合いそうなのを選んでくれる。

初心者向け(?)のこんなのを購入 耳まですっぽりかぶさるから防寒にもいいと思う。



帽子の箱って何か夢がありません?



割りに違和感がなくかぶれそう。ワンピースでもいいけど ジーンズなんかにも合うかもしれない。



娘ってお金もかかるけど、一緒にどこかに行くと色々楽しくもあるのよね。






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今年も早慶戦

2007-11-23 21:53:09 | 見る(映画 劇場 美術館など)
毎年恒例、学生ラグビーの早慶戦を秩父宮ラグビー場に夫と観にいった。


ここ四年間秘かに応援しつづけた五郎丸くんの最終シーズンであります。



試合は二時からだというのに夫の友人たちは早々12時半に外苑前に集合する。そして、昼ごはん つまみ 酒類を購入してお祭りさわぎに備えるオジ軍団。そこに混じって座席につく。

ビールに加え 焼酎、昨日まで台湾出張だったというオジ土産の 58度の中国焼酎のお湯割りなど飲みながらテンションをあげる。私も寒さのため(寒さ対策だけです)中国酒お湯割りがすすんでしまった。



試合前 チアリーダーによる応援合戦なんてのもあったが目もくれずに飲み続けるオジたち。



そしてキックオフ

今年は W 40-0 K で 早稲田の圧勝でした。W卒業生が8割のオジたちは大喜び。うるさくて少々恥ずかしかった。



勝利し 観客に挨拶する早稲田の選手たち。

1月の大学選手権は寒くて行かないから これで五郎丸くんの見納めだと思うとちょっと悲しい・・・ 来年から何を楽しみに行けばいいのだろうか?
しかし、殆どラグビー素人の私をして 四年間これだけ視線をくぎづけにした彼のオーラは忘れないと思う。
これからサントリーあたりに行くのかな?

明日仙台で会議があるという夫と外苑前で別れて家に帰った。
渋谷はもうすっかりクリスマス模様だった。


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お薦めタイツです

2007-11-21 19:58:37 | 着る
娘が 昨日下北の雑貨屋で買ってきたタイツがこれ↓

爆笑してしまった。

 

黛莉茶ってなんですか? Delightfutとは?
この二人のモデルの微妙なファッションはなんだ??

それにしても「自由自在に選べ」という上から目線もどうしたもんか

適度ごす天然素材とは?
ご健康生活って これはバカに丁寧ですね。
ソフト はわかる。

ぃウエスト部分がしスほょ に至ってはうなるしかない。

しぁぉかそたぬはひ も ただ文字を並べたとしか思えない・・・

ちなみに made in china です。
500円だから安いっちゃ安い。弾力があって履きやすいよ と 娘談 

笑いのネタに一足いかがですか
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研修旅行2

2007-11-20 20:26:22 | 
昨日より続きます。

富岡製糸工場を見て 昼食を食べた後には 碓氷製糸所に向かった。



こちらは農業協同組合が母体となった製糸工場である。


  


養蚕農家から搬入された繭は貯蔵されている繭 ベルトコンベアーで運ばれ

 

サンプリングされ 中の蛹を加熱乾燥して死滅させる。



貯蔵庫から必要に応じて 繰り糸(製糸)される

まず 繭を目視で選別する。奇形のまゆ 内側が汚れている繭などを 下から光をあててとりのぞく。



繭は煮沸され軟化させて 糸を繰り出せるようにする。



小さなほうきのようなもので繭の糸口を掻き出して糸口を見つける



糸の太さに応じて繭の量が調整されていくつかの繭からの糸が何本か一緒になって一本の糸となる。



繰り糸されている器械は糸の節があるとそこで止まり、人の手で繋ぎなおされる。



この過程は揚げ返しといって 小さい枠に巻き取った糸を取り扱いに便利なように大枠に巻きなおすこと




出来上がって出荷される糸
いいわねえ この上品な光沢・・・ 絹は美しい



この工場で繭から糸ができるまでの工程を初めて見せていただいてとても興味深かった。

そして 昨日ショックなことがあったと書いたこと・・・

それは日本で器械での製糸をしている工場が現在二箇所であると言うことを知ったからです。
この碓氷の工場と あと一軒は山形の松代だけだそうだ。

かつて富岡の製糸所から始まって、全国に広まり 日本を発展させた基幹産業だった絹糸や絹織物。その製糸工場がもはや絶滅の危機に瀕しているとは思わなかった。

もちろん、絹に代わるものとしての化学繊維の発明というのが一番の要因かもしれないけれど、着物はもちろん 洋服や身の回りの布製品、やっぱりシルクがいいねって思うことは多々あるではないですか?
じゃ、そのシルク製品の元となる糸っていうのは殆ど中国をはじめとする輸入品になってしまっているわけです。

こうなったのには 政府の偏った養蚕農家に対する保護政策などがあったようだ。農村票が欲しくての保護政策だけ打ち出して 糸や織物の生産者に対する配慮に欠けたことから 製糸業はすたれ 肝心の農家も国際競争から脱落してしまった。
ちなみに碓氷製糸所に納入する繭の農家は 毎年2割ずつ減っているそうだ。
「あと5年でなくなるってことですかね」と淡々と語っていた工場の人。もうあきらめるしかないのだろうか??

ここまで国産シルクってものが風前の灯であるって現状は知らなかった。

朱鷺とか西表山猫と同じですよ!どうにか保存して欲しいと思う。



帰り道くれなずむ秋の日にたたずむ妙義山が悲しかった。

家に帰って電話で実家の父と久しぶりに熱く語った。実家の家業は曽祖父からの糸繭商、親戚一同絹に携わる仕事をしていたから。ただし 私の兄弟、従兄弟の代は誰一人継ぐ人はいないで殆ど東京の大学に出て、こちらでそのまま生活している。
故郷の多くの絹商売の家もそのパターンである。
「政府がバカだから こうなったんだよ」と父は言った。父は幸い他の商売に転化して それが軌道にのったからよかったけれど、やはり自分の先代から受け継いできた家業をたたむのは口惜しかったと思う。

娘としてそういう父の苦悩も知らないで、甘えて育ったんだなと改めて思った。

ホントにショックだった・・・

せめて着物文化を絶滅させないようにせっせと着ようと心に誓った。
 






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研修旅行1

2007-11-19 22:28:44 | 
旅と言うのにはちと大げさだけど、今日 着物の会の研修旅行で群馬県の富岡製糸所と碓氷製糸所の見学に行ってきた。



このとおりユネスコ世界遺産の暫定リストの国内登録がなされてるわけです。

今まで世界遺産といえば 万里の長城とかピラミッドとかのイメージがあり、ただこの煉瓦造りの建物が世界遺産ってちょっと役不足と思っていたのだけど どっこいこちらは色々深い意味のある所だったと今日は認識した。

  

富岡製糸所は 明治5年に明治政府が殖産興業の一つとしてこの地に設置した官営の製糸所である。その建物がそのまま残って今にいたる。壁にかけられたキーストーンには明治5年の文字

そして明治政府はこの工場設立の基本として
1)西洋式の製糸器械を導入する
2)外国人を指導者とする
3)全国から工女を募集し、伝習を終えた工女は出身地へ戻り地元の指導者とする。
という考え方を示し、理念とした。

時の政府側は 伊藤博文 大隈重信ら そして尾高惇忠が創立責任者となり、フランス人のポーリュ・ブリューナを首長として建てられた。設計はやはりフランス人のバスチャン。器械、技術者、医師なども ブリューナがフランスから伴い、フランスの技術で日本の材料をもって建設された。

  繭の倉庫 石の基礎の上に木骨煉瓦造り フランス式の煉瓦の積み方。



 

男性と女性の技師たちの宿舎。後に食堂になったり貴賓室(皇族もたびたびこの地を訪れた)になったりしたらしい。コロニアル様式の建物。



ブリューナ館 彼と家族と住んだ320坪の広大な屋敷が工場と隣接して建てられている。その後こちらで働く工女たちの婦女子教育がなされた学校としても使われた。

繰り糸場内部はと言うと広い工場内部柱がない。トラス工法という小屋組みで重量を支えている。

  
 
官営工場でなくなってからは 三井製糸→原製糸→片倉工業と受け渡されて、最後に操業していたのは片倉工業 その当時のままになっている製糸の器械。





当時は

 こんな感じの器械(300台あったらしい)があり

 こんな感じで工女たちが働いていたのであろう。

製糸工場というと ああ野麦峠とか女工哀史とかが思い浮かぶが、こちらの製糸工場の官営時代は一切そんなことはなかった。
工女たちは士族の娘たちが集められ、当時としてはいい給料、食事、宿舎、一日8時間労働で週休があり、病気になれば敷地内の診療所で診療も受けられ、夜間の教育施設も完備されるという環境であった。
実際 設立に携わった 尾高の娘も働いていたほどであったらしい。

そして工女たちはここで習得した技術をもって故郷に帰って土地の人たちにここの技術を教えた。



代表的なのは 富岡日記を 記した 横田(和田)英
当時15歳で働きにきて、とても優秀な工女だったらしい。

こちらでは学芸員の人の説明が聞くことができて、今まで着物の会での先生の講義などと総合して この工場の果たした役割というのがとてもよくわかった。

単にレンガ造りが現存している明治時代の工場と言うだけでなく、時の政府が掲げた殖産興業の理念のいしづえになったこと。 そして時の政府が行った外国から積極的に技術を取り入れ、それを国内の生産にどう繋げていこうかという明確な計画性により運営されていたこと。
そして、それを実際に担ったのが 20歳前後の少女たちの技術だったこと。

なんとも考えさせられた感慨深い見学だった。

ホントに明治政府って偉かったのね。鎖国の後で何もかも諸外国に遅れていたのに追いつこうという進取の気性って意味では・・・


それに比べて今の政治家って情けないねえなんてことも頭をよぎったけど、この後お昼を食べて 碓氷製糸所(現在日本で動いている器械での製糸所の最後の二つのうちの一つ!)を訪ねて ものすごくショックを受けたので 続きはまた明日に。





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リサイタル

2007-11-18 23:49:05 | 見る(映画 劇場 美術館など)
今日は友人のピアニストのリサイタルに某ホールに行ってきた。
ここ数年毎年聴かせていただき楽しみにしているイベントである。

昼間はいい天気になって日も差してホールの周りの少し色づいた銀杏並木が美しかった。

私とほぼ同年代の彼女だけど、美人でほっそりとした体型が舞台栄えする人である。今日の紫と黒のロングドレスもゴージャスなのに貫禄がですぎずにさらっと着こなしているのもステキ。
やっぱり女は綺麗なのがいいね、女からみても・・・

プログラムはショパンとフランクの前奏曲 それと彼女の友達の女性作曲家のオリジナル作品だった。

夢のO路(Oは回です)と言う作品

はっきり言って現代音楽はようわかりません。ピアノ曲は、耳になじむし、メロディの予測がつくクラシックの方が私にとって聞いていて癒されるといえば癒されるのですが。
ただ 目をつぶってその曲を聴いていたら なぜかデ・キリコの絵に描かれた街の風景が浮かんできた。
不安な夢のような、既視感があるのになじめないような そんな心の奥底が引っ張り出されるような・・・
まあ 私の耳では鑑賞しきれない作品だったような気もした。

弾きこなすのはさぞ難解なんだろうなあと思う。

色々な感性を研ぎ澄ませなくてはならない芸術家も大変ねえ・・
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ボージョレヌーボーを飲んだ場所

2007-11-17 11:06:39 | 友人
昨夜は東京在住の中学同窓仲間で飲んだ。(♂5人 ♀3人)
先月に故郷で開かれた同窓会(私は欠席)に卒業後初めて出てきたオトコがいた。
彼はウチの学年のある種カリスマ的存在だった。大学卒業後は財閥系の商社に勤めて海外の紛争にまきこまれてニュースに出たりで、結構話題にはのぼっていたのだけど、そんなこんなで超多忙だったようでずっと同窓生関係とは疎遠だった人である。
だけど、この前久しぶりに出てきたってことでかなりみんなが盛り上がり、その場に居たおなじみ男から私に電話がかかってきた。
その電話で久々に出てきた彼と話して、案外こっちで住んでいる所も近いのがわかり、今度は東京の近場で会おうねって事になり、どんどん話がすすんで昨日の会となった。
勝手に周りが話をすすめたのに会場係りは私だった(最近このパターンが多くて嫌なのよね)

「局が仕切ると肩の凝りそうなところになるんじゃね?」 との期待を裏切ってあげて居酒屋にした。とはいえ地酒と焼酎の種類が百種以上 ワインの品揃えも多く、おつまみもまずまず美味、学生は来ないくらいの値段はチョイ高め設定の所。
ちょうどボジョレー解禁日の次の日だったので 今年は昨日がお初で飲んだ。

口開けはビールでその後ワインと焼酎 場所を変えてショットバーでカクテル。あっというまに時間が過ぎて私鉄の終電を逃してJRの一番近い駅+タクシーの帰還になってしまった。
都心まで帰った親友Aはずいぶん高いタクシー代になったであろう。

お久オトコも、さすがに世間でもまれてソフトでそつなくなっていたが、お酒がすすむと悪でヤンチャだった昔のおもかげが現れてきておもしろかった。
親友Aが実は彼の事が好きで、なぜか大学時代に一度だけデートしたこともあるという20数年ぶりの告白とか、私の知らなかった過去の恋話なども出てかなり盛り上がった。中学当時は幼いなりに色々あり、その後の人生の中でのかかわりも様々だったけど、こうやって40も後半になって再会すると すべてが恩讐の彼方なのよね。

子どもの関係や最近の趣味などを通じてできた友達も新鮮だけど、こうやってルーツが同じって安心感が根本にあって、その後様々な経験を経てこの年になって再会する友のおもしろさ。
年取ってわかった収穫の一つである。
それで、何か困ったときとか損得抜きで、役にたってもらえる、何か役にたつことがあればやってあげようと思える そんな関係が持てているのもうれしい。
みんな良いヤツだなあ・・・

しかし今朝の頭痛はきつかったわ。赤ワインってどうも体質に合わない気がするのよね。
単に飲みすぎかしらん・・・・

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せっせと描いてます

2007-11-15 20:40:55 | 描く
前も書いたけど 忙しいと何か作りたくなるのはいったいどういった習性なんだろう?

絵付けとファブリックペイント 今月もせっせと描きました。作りました。

まず マグカップ二種

1)デルフト風に藍一色で菊を描いた この描き方はおおらかに描けて楽しかった。

 

2)薔薇のマグカップ 友人への誕生日プレゼント

 

3)ここ2ヶ月修行のように描いてた習った花の集大成でつくったプレート これは我ながらがんばりました。綺麗に焼けてよかった。地震があったら抱えて逃げる所存です。



次にファブリックペイント

4)クリスマス柄が作りたくなってスカーフに描いた

 

しかしながら、最後のスカーフははっきり言って失敗作です・・・ なぜか?

肝心のポインセチアの絵が身にまとうと表面に出ないから
ファブリックの注意点は 身にまとった時に柄や色が自分の体や顔周りに映えるように作るのが鉄則です。
正方形のスカーフの中心に絵を描いたら 平面に伸ばすと絵的にはいいけど使い勝手が悪いって事を 描き終わった後に発見してしまった

まあ いいや 素材はセールだし、次につなげようと自分を慰めた。



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何故好かれるの??

2007-11-14 22:23:44 | 日々の生活
去年の同じ時期にも同じ事があったのを発見・・・・

今年は肩に落ちてこないだけマシだったが 取り込んだバスタオルの上で私を威嚇してくるんですよ 生意気に 



部屋の中で飛ぶなよ こっちに向かってくるなよと 祈りながら ベランダからバスタオルを振り回してやった。



しぶしぶガレージに落ちていったかまきり もう来なくていいからね。

でもまた季節がめぐったなってちょっと感慨・・・
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ロングセラー

2007-11-13 22:54:23 | 日々の生活
嫁に来る時 母に持たせてもらった鍋類が Vita Craftのものだった。
当時無水鍋として話題になっていたらしくて私に持たせたくなったらしい。

確かにウォーターシール効果とやらで ほうれん草なんかゆでる時も少量の水ですむし、煮物なんかも他の薄い鍋より多少圧がかかるみたいで早く煮上がるような気もしないではなく ずっと重宝してきた。(ただ私の細腕には重いのよね、シチューなんか入れて持ち上げようとすると重いのなんの・・・ アメリカのたくましい腕のおっかさん向きの重さである)

そうやって使い続けて20余年、さすがに取っ手がグラグラしてきた。長いネジが取っ手の中を通って本体と接着させるようになっているのだけど、その内側の樹脂部分が熱で変形してネジがバカになってしまったようだ。
昨日 某デパートの食器売り場で聞いてみたら その店員さんがあっさり出してきたのがこれ。片手鍋と両手鍋の部品である。

20年以上前の製品ですけど大丈夫ですか? と聞いたら 大丈夫ですよ こういう部品は変わってませんから と言う事
家に帰ってドライバーで着けたらしっかりと元通りに使えるようになった。

こういったロングセラーな製品のホスピタリティの良さって嬉しいです。残念ながら日本製品よりその点ではすぐれてると思う。てか しないでもいいようなマイナーチェンジが多すぎるのよね 日本製品は・・・

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