tnlabo’s blog   「付加価値」概念を基本に経済、経営、労働、環境等についての論評

人間が住む地球環境を、より豊かでより快適なものにするために付加価値をどう創りどう使うか。

独裁国、独裁政権などについての雑感

2021年02月13日 21時14分20秒 | 文化社会
独裁国、独裁政権などについての雑感
 前回辺りで、これからの地球社会が安定するかどうかは、独裁国、独裁政権がなくなっていくことではないかという当面の結論に達したところですが、さて、独裁政権がどうしたらなくなるかは現状では全く解らないという事のようです。

 平和のために戦争をしようという考え方はまだあるようですし(日本も以前「東洋平和のためならば」と歌って戦争をしました)。本当に戦争をする気はなくても、ゼスチャーで国際関係を混乱させるといった戦略も十分ありうるところでしょう。

 国際関係でトラブルを起こしてみても、地球人類にとっては、何も良いことは無いのですが、近代国家といっても、現実は小さな子供と同じで、何かあると意地の張り合いをして、時には喧嘩(戦争/紛争)になるようです。

 人間は性格がいろいろで、温和しい人、威張る人などがいますが、国も同じようなものです。そうした性格の違いが生まれつきなのか、環境によるものか解りませんが、心理学者が良く言うのは、被害者意識が 嵩じると、極端な行動に走るということです。

 最近の話では、トランプさんは、アメリカは世界中から利用されて損ばかりしているというあまり合理的でない主張で、アメリカ国民の半分ほどの熱狂的な同意を得ています。
 ヒットラーのドイツも、ベルサイユ条約で被害者意識が強かったから、それを纏めて独裁者になれたという見方もあります。日本も、米英中蘭が日本を潰そうとしているという被害者意識の末に太平洋戦争に突入したという解説もあります。

 このブログでも書きましたが、加害者がいて被害者が出るのですから加害の総量と被害の総量は同じはずですが、現実には、被害者意識の方が加害者意識よりずっと大きいのが一般的でしょう。
 しかも、被害者意識というのは、リーダーがそれを悪用して煽れば煽るほど大いくなるもののようです。

 いま人間の社会では、「いじめは止めよう」とか、「〇〇ハラスメントは犯罪です」とか「差別をなくしましょう」など、社会におけるトラブルを出来るだけ少なくして、誰にも優しい、人の心が安定する社会を作ろうと努力しているのですが、国レベルになるとこうした平和の基になるような概念は消し飛んでしまっているように思われます。

 かつて、企業に CSRがあるのなら国にはNGR があってしかるべきと書きましたが。同じ人間が作っているものでも、「国」というレベルになると、エゴ丸出しで、文化のレベルが異常に低いままでとどまっているが不思議でなりません。