tnlabo’s blog   「付加価値」概念を基本に経済、経営、労働、環境等についての論評

人間が住む地球環境を、より豊かでより快適なものにするために付加価値をどう創りどう使うか。

参院選に向けての経済論争:規制撤廃、規制緩和、規制改革

2013年07月10日 10時56分31秒 | 経済
参院選に向けての経済論争:規制撤廃、規制緩和、規制改革
 今回の選挙でも、規制改革という旗印を掲げている候補者は多いようですが、どうもピンとこないものが多いような気がします。本来、規制改革という言葉自体が、余りにも多様なものを含んでいて、大変解りにくいものなのではないでしょうか。

 かつては、規制撤廃とか、規制緩和といったスローガンもありました。何か「規制」というと悪いイメージに受け取られるようで、それを撤廃したり緩和したりするのだから良いことのように感じる人がいたからかもしれません。

 しかし、小泉政権以来の規制の撤廃・緩和が、格差問題につながったということが指摘されたりして、撤廃や緩和が「改革」と言い換えられたのかもしれません。
 改革というと作り替えるということですから、規制強化から緩和・撤廃まで皆含まれてしまい、ますます解らないことになります。

 道州制にするのが規制改革だみたいな論議もあります。道州制にすれば、地方の自治が促進されるからといった言い方もあるようですが、それが一般市民の生活や生き方の改善にどうつながり、どう良くなるのかは判然とません。

 考えてみれば、規制には都合の良い規制も悪い規制もありますから、悪い規制を正して良い規制にするというのなら、理屈が通らない事もありませんが、良い規制か悪い規制かという論議は、受け取る人の立場によって大きく違います。
 これはTPPによる自由化の推進という理念が、アメリカには正しくても、他の国にも正しいかどうかという例を考えればすぐわかるでしょう。

 もともと規制というのは、放置すれば強い者が益々強く、弱いものが益々弱くなるのを防止するために考えられた場合が多いのでしょう。赤・青・黄の交通信号があるのは、弱い立場の歩行者が安全に交差点を渡れるためにあるのです。

 野球には三振・四球というルールがあります。これも規制です。これが二振・三球だったり、四振・五球だったりすると、多分野球はあまり楽しくないでしょう。サッカーのオフサイドも同じだと思います。スポーツのルールなどは、プレーする人も、観戦する人もより楽しいように考えられているのでしょう。

 同様な意味で言えば、経済的規制も社会的規制も、社会に生きる人間が最も楽しく、自分の能力を発揮して、有意義に生きられるようにするというのがその役割でしょう。
 ということであれば、「規制」という問題は、強化にしても緩和にしても、中身が具体的ではっきりしない限り、言葉だけで議論しても無駄なのではないでしょうか。


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