tnlabo’s blog   「付加価値」概念を基本に経済、経営、労働、環境等についての論評

人間が住む地球環境を、より豊かでより快適なものにするために付加価値をどう創りどう使うか。

円高と日本経済・社会、日本が茹で蛙にならないために

2011年01月08日 12時39分22秒 | 経済
円高と日本経済・社会、日本が茹で蛙 にならないために
 繰り返して書いてきた問題ですが、日本経済は、円高が進むたびにデフレ不況を強いられ、苦労に苦労を重ねながら、それなのに、円高を回避するための手段については、ほとんど本格的な論議がありません。
 多くの政策担当者も学者も、円高は「天からの与件」か「自然現象」のように考えて、それに抗うという認識がありません。$1=¥50の日本経済を考えるような本まで出ているようです。

 誰が円高を演出しているのかを見破り、その裏をかくような政策を考えないと、そのうち日本経済は、本当に茹で蛙になって死んでしまうかもしれません。

 円高になる理由は、国際投機資本が、何かといえば円を買うからです。「とりあえず円を買って置けば安心」だからでしょう。1ドルが、360→240円の頃はまだ余裕があったのですが、240→120円 、で「失われた10年 」を経験しました。 今120→80円で新たな苦難(日本経済の本格的空洞化)に直面しています。

 この円高は、小手先の為替介入のような事でどうなるものでもありません。日本経済の体質を変え、国際投機資本が、何かあった時(例えばリーマンショック)、「資本を円に逃避しても安全ではない」と思うようにしなければならないのでしょう。

 アメリカは自在にドルの価値を決定しています。中国は中国なりの方法で人民元の切り上げに 抗っています。日本にはあのような方法は取れないでしょう。ユーロの場合は、加盟国のソブリンリスクでユーロ安が実現 しましたが、これも日本では起こりえないことです。

 だからといって、黙って円高を受け入れていたら、日本は、この十何年のようにGDPは次第に縮小し(514兆円→475兆円)、国家財政も、地方自治体も、学校教育も産業教育も研究開発も、まさにジリ貧になって、高齢化社会のコスト負担もままならず、再起不能の茹で蛙でしょう。

 この所の、日本人の気力の喪失、指摘される若者の無気力など、部分的にも新興国に追い越される技術開発、商品開発などは、すでに、このプロセスが、かなり進んできてしまっていることを端的に示していると考えるべきでしょう。

 茹で蛙の特徴は本人(本蛙)が気づかないうちに、事態が進んでしまうことです。
 世界で最も通貨切り上げが進む国、世界で唯一デフレにさいなまれる国という現実の中で、この問題に早く気付くことが、いま、日本にとって、最も大事なことではないでしょうか。


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