ウクライナとパレスチナという地球上の2か所で悲惨な戦争が続く中、ローマ・オリンピックは世界中の熱狂を盛り上げながら、開幕し、進展しています。
マスコミも、オリンピックについての報道が圧倒的に多くなり、この間は戦争のニュースめっきり少なくなっています。
オリンピックの間は停戦しようという提案はありました。これは、かつて古代オリンピックの間は停戦をしたという古代ギリシャ人の知恵にちなんだものです。
しかしその提案は殆んど顧みられることもなく戦争は継続されています。人間の叡智は退化しているのでしょうか。
報道の量が少なくなったとはいえ、現地では何も変わらず悲惨な状態が続いっているのでしょう。
そして戦争に直接拘わらない国の人々は、やはり、オリンピックの方に熱狂するのです。(私自身も含めてです)
勿論それを批判することはできないでしょう。人間は、悲惨な戦争は嫌いなのです。勝っても負けても、更にその上を目指すという健全なスポーツの祭典の方が、人間性に合致しているからです。
人間は向上志向を持っています。その発現の形態として、「競い」と「争い」があるのでしょう。そして人間は本来「競い」の方を善きものとし、「争い」については否定的なのです。
しかし、時に人間の得た知識、置かれた環境条件が人間の本来の意識を歪めるこがあり、その時、「競い」に対し「争い」を優先するといった人間性の本来を逸脱する意識や行動が生れるのでしょう。
前回は「8月上旬は憂鬱な日々」と書きましたが、今年の場合は例年の憂鬱に加えて、人間の殺戮と環境や文化の破壊を「人間の手」で行うという戦争が、地球上に現存し、オリンピックと同時に日夜継続していることが、(私も含め)多くの人の心を憂鬱つにしているのではないでしょうか。