tnlabo’s blog   「付加価値」概念を基本に経済、経営、労働、環境等についての論評

人間が住む地球環境を、より豊かでより快適なものにするために付加価値をどう創りどう使うか。

8月の前半は毎年憂鬱な日が続く

2024年08月02日 14時38分59秒 | 文化社会

8月の前半は毎年憂鬱な日が続く

日銀は十分な配慮をもって、実体経済にもマネーの世界にも、余計なトラブルを起こさずに、日本の金融政策の変更に方向転換しようと努力をしたのでしょう。

しかしその思いは果たせずに、マネーの世界は先の見えないような混乱に陥っているようです。

マネーゲーマーたちのそれぞれの思惑が成功するか失敗するかは、また、それぞれでしょう。

日本にとっての本当の問題は、日銀が新しい方向を打ち出した政策を生かし低迷を続けてきた日本の実体経済を健全な方向に進むように政府、金融業界はもちろん、産業界労使も真剣に、協力して取り組むことでしょう。

ところで、今日「8月前半は憂鬱な日々」とかきましたが、これは、株式市場の暴落とは関係ありません。

本来8月と言えば夏休み。 行楽、お盆の帰郷といった、暑いけれども楽しみも満載といった月なのです。

しかし、日本では、8月といえば、6日は広島、9日は長崎に原爆が投下された日なのです。 世界史に残る惨劇を経験した日本、日本人にとってはこの現実は心の傷としていつまでも残るのです。

憂鬱というのはその心の傷のことだけではありません。 人類はその悲惨な経験を持ちながら、相変わらず戦争を続け、核弾頭の蓄積をやめず、核の使用も辞せずと相手国を威圧するといた行動を続けていることです。

そして驚くべきは、あの戦争の惨禍を経験し、世界唯一の被爆国である日本の政府が、平和憲法を掲げながら、集団的自衛権の名のもとに戦争をする国に向けて動き出し、核禁止条約に不参加の態度をとり続けていることです。

過去の悲惨な経験から何も学んでいないような政府を持つことは、国民にとっては最大の問題なのです。

こうしたことの進展はこの10年ほどで大きく変化しました。 かつては田中角栄総理が「戦争を知らない世代が政治の中枢になったときは危うい」と指摘していますが、今はまさにその世代なのです。

このブログでも、かつて「人の噂も75日、戦争の記憶も75年」などと冗談めかして書きましたが、今やそれが現実になっているのです。

表題にも書きました「8月前半」というのは1945年8月15日、日本は、それまでの戦争の時代を卒業、平和国家への時代に入ったからです。

「終戦の詔勅」で敗戦を知った我々多くの国民は、それから一転して平和の時代に生きることになり、その大きな落差、人間の生と死を分ける落差を知り、平和憲法を是としたのです。

戦争を知らない世代とはこの落差の経験を持たない世代という事でしょう。 この落差を知れば、通常の人間は、本能的に平和を求めるでしょう。

今、ウクライナで、パレスチナで戦争が行われています。 悲惨な戦争の状況は映像経験であっても正常な心の持ち主には、実体験と同じほどに戦争の現実を伝えていると思います。

しかし一部には、それが伝わらない人がいるようです。 おそらく、人類社会に無関心な人、さらには特定の(多分歪んだ)意識、信条を持っている人などでしょう。

今、日本を戦争をする国に引っ張って行こうといている人たちに、出来得れば、たとえ戦争を経験しなくても、多様な情報経験から学び、優れた感受性や洞察力で、戦争より平和という人類の願いを体感してほしいと願っています。 夏休みを存分に楽しむためにも。