第3波急拡大は政府の読み違いから?
後手後手に回る政府の新型コロナ対策を見ていてつくづく感じることは、やっぱり政府は新型コロナの脅威を読み違っていたなという事です。
もともと日本人は生活習慣から見ても、国民としての生真面目な態度から言っても、感染症に対する対応は、恐らく欧米人よりも確りしていたのではないでしょうか。
例えば、家の中に土足で入らないという習慣も、言われてはいませんが、コロナ対策としては大事な事だったのかもしれません。
また、日本人は公共の場での道徳律については、マスク着用の例でもそうですが真面目に順守します。
今年4月、5月の緊急事態宣言の効果もこうした種々の積み上げで、大きな成果を上げたのではないでしょうか。
この成果を見て、政府は新型コロナに対して、比較的克服し易いという意識を持ったのではないでしょうか。
政府の安易な態度に気付いたのは7月ごろでした。その頃の政府発言は、首相以下関係閣僚ほぼ共通で、「まだ医療提供状況に余裕があるので、もう少し状況を注視して」といったものでした。
繰り返されるこの発言には 大変な違和感を感じました。
常識的には 「・・余裕があるので」の次にくる言葉は、「今のうちに対策を徹底し早期解決を・・」 というのが本当ではないでしょうかと思ったからです。
たとえてみれば、火事や公害と同じです。火事はボヤのうちに消し止めれば容易です。燃え広がるのを「注視して」いたら大変なことになります。公害も発生源に手を打つのが常道で、拡散してからの除去は大変です。
初期消火重視、発生源での除去は、我々は経験から学び、政府も産業界も個人も、日本では生真面目にやられてきたことです。先ほどの違和感というのは、そうした教育を受けたことから、自然に感じることになったのでしょう。
政府が読み違ったのは、新型コロナも、一般的な風邪などと同じ程度のものだろうと見たことでしょう。
例えて言えば、風邪をひいても、マスクをして出社して、無理せず暖かくしていれば自然治癒するだろうと考えて頑張る仕事熱心なサラリーマンと同じで、他人にうつしたら悪いといった配慮まではとても気が回らないといった状態だったのではないでしょうか。
専門家の中には、新型コロナウィルスは容易な相手ではないという意見を持つ方多かったようです。しかし、当初、政府は専門家会議の意見は聞くが、決定は政府がするといった姿勢が明瞭でした。
政治家には多くの利害集団がついています。そこからの声と、学術の見地からの判断を根拠にした専門家の意見との双方のバランスを適切に判断し、先行きに誤りのない政策を取ることが政府にとっては必要だったのですが、そこに読み違いが生じた様です。
その結果が「もう少し状況を注視して」という言葉になったのでしょう。そして到達したのが現状の感染爆発です。
例えれば、「ボヤ」の現場で「も少し状況を注視」しているうちに、火事になり、さてやっぱり「消火」となったという事で「しょうか」。
洒落にもなりませんが、今後については上手くいくことを願うばかりです。
一言付け加えますと、この政府の読み違いの原因がどこから来たかという事を国民は最も知りたいのではないでしょうか。
後手後手に回る政府の新型コロナ対策を見ていてつくづく感じることは、やっぱり政府は新型コロナの脅威を読み違っていたなという事です。
もともと日本人は生活習慣から見ても、国民としての生真面目な態度から言っても、感染症に対する対応は、恐らく欧米人よりも確りしていたのではないでしょうか。
例えば、家の中に土足で入らないという習慣も、言われてはいませんが、コロナ対策としては大事な事だったのかもしれません。
また、日本人は公共の場での道徳律については、マスク着用の例でもそうですが真面目に順守します。
今年4月、5月の緊急事態宣言の効果もこうした種々の積み上げで、大きな成果を上げたのではないでしょうか。
この成果を見て、政府は新型コロナに対して、比較的克服し易いという意識を持ったのではないでしょうか。
政府の安易な態度に気付いたのは7月ごろでした。その頃の政府発言は、首相以下関係閣僚ほぼ共通で、「まだ医療提供状況に余裕があるので、もう少し状況を注視して」といったものでした。
繰り返されるこの発言には 大変な違和感を感じました。
常識的には 「・・余裕があるので」の次にくる言葉は、「今のうちに対策を徹底し早期解決を・・」 というのが本当ではないでしょうかと思ったからです。
たとえてみれば、火事や公害と同じです。火事はボヤのうちに消し止めれば容易です。燃え広がるのを「注視して」いたら大変なことになります。公害も発生源に手を打つのが常道で、拡散してからの除去は大変です。
初期消火重視、発生源での除去は、我々は経験から学び、政府も産業界も個人も、日本では生真面目にやられてきたことです。先ほどの違和感というのは、そうした教育を受けたことから、自然に感じることになったのでしょう。
政府が読み違ったのは、新型コロナも、一般的な風邪などと同じ程度のものだろうと見たことでしょう。
例えて言えば、風邪をひいても、マスクをして出社して、無理せず暖かくしていれば自然治癒するだろうと考えて頑張る仕事熱心なサラリーマンと同じで、他人にうつしたら悪いといった配慮まではとても気が回らないといった状態だったのではないでしょうか。
専門家の中には、新型コロナウィルスは容易な相手ではないという意見を持つ方多かったようです。しかし、当初、政府は専門家会議の意見は聞くが、決定は政府がするといった姿勢が明瞭でした。
政治家には多くの利害集団がついています。そこからの声と、学術の見地からの判断を根拠にした専門家の意見との双方のバランスを適切に判断し、先行きに誤りのない政策を取ることが政府にとっては必要だったのですが、そこに読み違いが生じた様です。
その結果が「もう少し状況を注視して」という言葉になったのでしょう。そして到達したのが現状の感染爆発です。
例えれば、「ボヤ」の現場で「も少し状況を注視」しているうちに、火事になり、さてやっぱり「消火」となったという事で「しょうか」。
洒落にもなりませんが、今後については上手くいくことを願うばかりです。
一言付け加えますと、この政府の読み違いの原因がどこから来たかという事を国民は最も知りたいのではないでしょうか。