tnlabo’s blog   「付加価値」概念を基本に経済、経営、労働、環境等についての論評

人間が住む地球環境を、より豊かでより快適なものにするために付加価値をどう創りどう使うか。

政権は言葉の重さを理解して使用を

2021年01月12日 17時04分10秒 | 政治
政権は言葉の重さを理解して使用を
 今日も、マスコミの報道やネットの情報の中で、病床の利用状況の逼迫が容易でなくなっている状況が伝えられています。

 現場からの訴えの中で気になるのは、政権の主要な関心事はコロナでも、病院としては他の病気もいろいろあるので、現場の実態は、もっと複雑なんです、という声のように思います。

 ICUやエクモの利用状況は以前からテレビなどでも見ていますが、それが100%まではOKなどという事は当然ないわけです。
分野は違いますが、最近の電力でも、稼働率が100%にならないように節電を訴えています。

 病院などは人間が中心で、重症と軽症では、必要な人間の数が違います。それに、病院の外来、入院、ICUの利用は、病気にはいろいろあるのですから必要とする病気の種類、使い方も多様で、電力のように同じものを提供すれば済むという訳ではないので複雑さが大分違うでしょう。

 コロナの感染者数だけを見ていればいいわけではなく、ICUもいろいろな病気の人が使うのです。当然利用者の競合は起こるわけで、「状況を注視する」という事はあらゆる病気による需要を「総合的、俯瞰的」に見ないと施設の余裕度の判断などはできません。

 政府は、この夏から、コロナについては「状況を注視している」という言葉を連発していますし、最近の2府1県の緊急事態要請の件でも、「状況を注視している」といってぃました。

 大変気になるのは、状況を注視しているというのは、言葉としては「しっかり見ている」という事でしょうが、通常そういった言葉の意味するところは、どの程度感染が進めば、医療供給体制のどのあたりまでどの程度の影響があるという予測の適切な判断をするために「状況を注視している」という事であることは当然でしょう。

 おそらく、厚労省の中には、そういった分野の専門家が大勢おられるでしょう。 勿論官僚だけではありません。審議会や今回のコロナに関しては専門家会議や分科会もあり、そこには、関係分野の日本の頭脳が集まっているはずです。

 にもかかわらず、「状況を注視」の結果が、爆発的な第3波の発生を許してしまい、緊急事態発令も、毎回、何日までにといった形で後れを生じ、それがコロナウィルスには増殖のチャンスになって、診療の現場は相当の無理がかかっているという現実があるようです。

 組織というものに良くある問題としては、こうしたことが起きるのは、組織内のコミュニケーションが最適な形をとっていないという事に原因があるのが一般的です。

 国民が直感的に理解するのは、優れた官僚組織を持ち、適切なアドバイスをする専門家の支援を得ながら、それを十分に活用していない政権の姿です。
 もちろんそんな推測は当たっていないといわれるかもしれません、しかし、国民は結果で判断するしかないのです。そして結果は上に述べた状況の推移なのです。

 近年、政権の発する言葉が軽くなったという意見は多く聞かれます。「注視する」といった言葉が、政府から出た場合、「確り見ていること」という簡易辞典の説明に照らせば正しいなどという事にならないように、お願いしたいと思う所です。