tnlabo’s blog   「付加価値」概念を基本に経済、経営、労働、環境等についての論評

人間が住む地球環境を、より豊かでより快適なものにするために付加価値をどう創りどう使うか。

新型コロナは何処まで恐ろしくなるのか

2020年04月13日 23時09分24秒 | 文化社会
新型コロナは何処まで恐ろしくなるのか
 今年に入って新型コロナウィルスといった言葉が聞かれ始めたころは、サーズやマースの新種だが、人から人への感染はないからなどと言われて、あまり心配もしませんでした。

 ところが少したって、実は人から人へ感染するという事になり、その後はあれよあれよという間に世界に広まり、認識の遅れたWHOも、パンデミックと認めざるを得なくなりました。

 中国から始まり、イタリア、スペイン・・、そして今アメリカで猛威をふるう新型コロナウィルスですが、いよいよ日本でも猛威を振るうことになってきた感じではないでしょうか。

 解って来た事に、今までの報道や専門家の説明では、認識を誤るような現実が次第に見えてきた事があるように思います。

 東京都で「今日の感染者数」が急増し、その後、昨日、今日と対前日比で減ってきたという動きを、多少とも客観的な数字と思ってみていましたが、「保健所がPCR検査を渋る」といった情報が明らかになり、数字の客観性は揺らいでしましました。

 国でも都でも同じですが、新形コロナ禍を克服するためには、
「母集団(人口)×検査率×感染率×致死率」(注)
を統計的に把握して、初めて、取っている政策の効果が把握できるのです。
最終目的はこの方程式の最初と最後、「死亡者数/人口」の最小化を図ることでしょう。

 勿論、3密、学校閉鎖、テレワーク、外出禁止要請など、政府や都をはじめとして地方自治体がとっている政策の目標は、感染率の低下、致死率の低下でしょうが、検査率が保健所の事情によって動く(から発表されていない)ようでは、客観的な感染率の数字の評価は不可能でしょう。はっきりしているのは死亡数だけでよいのでしょうか。

 結果(感染者数、死亡者数)を改善するのは感染プロセスの在り方をどうコントロールできるかです。上の努力はすべてこのプロセス改善の努力ですが、その効果を示すはずの数字が「検査率」の曖昧性で、統計的意味を持たなくなっているのです。

 保健所の態勢、業務処理能力などから見て、とても無理な話という意見もあるようですが、政府機関に連なる現場であることを考えれば、その責任は政府にあるのでしょう。
 次は医療現場の崩壊の問題が想定されています、酸素吸入器、ECMOの不足、今、量産体制に入っているとのことですが、そうした機器を取り扱う人間の不足もまた深刻とのことです。

 ここにきて、決定的に重要なのは、国民の意識改革でしょう、
 5月6日になって、感染プロセスの改善(感染抑制)効果が統計的にどこまで出るかは、正直言って、誰にも解っていないと思われます。
 ただ、はっきりしている事は、国民が油断せず、生真面目に感染抑制の努力をすることにかかっているという事でしょう。

 今、我々は未知の空間に向かって進んでいるのです。政治家は「専門家に相談して」と言いますが、未知の空間が解るというのは占い師か予言者だけでしょう。
 我々でも想像がつくのは、外出OK、飲み会OK、クラスターの心配なし、それで感染の広まらない日が何時来るかは、現状では「皆目不明」という事だけです。

 つまりは、不足する知識を知恵で補い、選択したプロセスを、試行錯誤は覚悟の上で、生真面目に実践するという姿勢を持つ社会(そこで生活する人々)が、結果的に一歩先に進むのではないかということぐらいでしょうか。

 それにしても、決定的に重要なのは、未知を既知に転換できる可能性を持つ、ワクチン、特効薬の開発、治験の成功だという事ではないでしょうか。
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(注)母集団(人口)×検査率×感染率×致死率=人口×(検査数/人口)×(感染者数/検査数)×(死亡者数/感染者数)=死亡者数