2019年4月19日午後0時25分ごろ、東京都豊島区東池袋4の都道で、板橋区の無職、飯塚幸三さん(87)の乗用車が約150メートルにわたって暴走し、歩行者らを次々とはね、自転車の母と娘2人が死亡、飯塚さんを含む40~90代の男女8人が重軽傷を負った。(毎日新聞報道4/19(金) 23:00配信より引用)
実にいたましい事故であり、普通なら加害者は即刻逮捕されて当然の筈だが、逮捕されない上に今回は報道各社ともほぼ足並み揃えて「容疑者」扱いはしていない。それどころか「さん」付けで一定の配慮すらしている。上述の毎日の報道では飯塚幸三という名前は出しているが、これも他社報道では名前を出さずに「男性」で済ませるものも少なくない。
このような大きな事故を起こせば普通は容赦なく容疑者扱いになり即逮捕である。なぜ今回は加害者に配慮し忖度しているのか?
その理由は加害者の立場や履歴にある。
板橋区の無職・飯塚幸三は旧通産省の元技術院長であり、農機大手クボタの副社長も務めた人物である。さらに平成27年秋の叙勲に於いて叙勲(瑞宝重光章を受章)を受けている。そういう人物だ。ちなみに過去には同じ87歳の一般男性が軽トラを運転して登校する小学生の列に突っ込んだという事故があったが、このケースでは運転手は即逮捕されているしマスコミは有無を言わさず実名+容疑者として報道している。
しかも、である。最近神戸で起きた路線バスの暴走事故においては横断歩道で20代男女が2人死亡し6人が重軽傷を負っているが、事故を起こした運転手の大野二巳雄(64)は事故時にブレーキを踏んでいたし、事故発生後に負傷者の救護活動もしている似の対して、池袋の事故においては、母子2人死亡で8人が重軽傷を負っており、事故を起こした運転手の飯塚幸三(87) は事故発生時にブレーキを踏んでいない上に負傷者の救護活動もしていない。さらに事故発生直後に息子に電話して各種隠蔽工作の指示をしている。凶悪である。
それにも関わらず神戸の事故では運転手は逮捕され容疑者と呼ばれ、池袋の事故では運転手は逮捕されず容疑者扱いにならない上にマスコミから忖度される扱いを受けている。
この「差」、である。この圧倒的な「差」はいったいどこからくるのだろうか?
これは明らかに高級官僚という権力の上層部に居た事への忖度であろう。それ以外に合理的な説明は思いつかない。ネット上では「上級国民への配慮」といった趣旨での意見が大勢を占めている。上級国民という言葉が示すように明らかに権力側に居た人間は一般国民とは格が異なる上層世界で生きている事を実感させる。厳然たる格差がそこには存在し、上級国民なら犯罪行為をしても許されて罪を問われない、という実例が今ここに展開されているのである。
さらに許せないのはこの飯塚幸三は犠牲者と遺族に対してお悔やみの言葉を全く発していないこと。元高級官僚であるこの男には人としての心がないと言われても仕方ないだろう。事故直後に被害者よりも自己保身を優先させた事と言い、改めてこの男を逮捕しない警察・司法と忖度し続けるマスコミに強烈な違和感を持つ。
そうした批判的な空気の横で、マスメディアでは評論家と称する連中がしたり顔でネット世論の一方的な決めつけと暴走であるかのような説明をしているが、尽く説得力のない(それこそ)一方的な決めつけと誹謗中傷のような論説を展開して世間が眉をひそめる事態になっている。
日本は普通に法治国家だと思っていたが、それは勘違いだったようである。まるで北朝鮮並の独裁政権下で見られるような権力者(官僚)への忖度。こんなデタラメがまかり通る社会なのか日本は、と。これだけ法律があからさまに無視されてしまう日本は我々が想像するよりも遥かに腐敗した醜悪な国家だった、ということだろう。
実にいたましい事故であり、普通なら加害者は即刻逮捕されて当然の筈だが、逮捕されない上に今回は報道各社ともほぼ足並み揃えて「容疑者」扱いはしていない。それどころか「さん」付けで一定の配慮すらしている。上述の毎日の報道では飯塚幸三という名前は出しているが、これも他社報道では名前を出さずに「男性」で済ませるものも少なくない。
このような大きな事故を起こせば普通は容赦なく容疑者扱いになり即逮捕である。なぜ今回は加害者に配慮し忖度しているのか?
その理由は加害者の立場や履歴にある。
板橋区の無職・飯塚幸三は旧通産省の元技術院長であり、農機大手クボタの副社長も務めた人物である。さらに平成27年秋の叙勲に於いて叙勲(瑞宝重光章を受章)を受けている。そういう人物だ。ちなみに過去には同じ87歳の一般男性が軽トラを運転して登校する小学生の列に突っ込んだという事故があったが、このケースでは運転手は即逮捕されているしマスコミは有無を言わさず実名+容疑者として報道している。
しかも、である。最近神戸で起きた路線バスの暴走事故においては横断歩道で20代男女が2人死亡し6人が重軽傷を負っているが、事故を起こした運転手の大野二巳雄(64)は事故時にブレーキを踏んでいたし、事故発生後に負傷者の救護活動もしている似の対して、池袋の事故においては、母子2人死亡で8人が重軽傷を負っており、事故を起こした運転手の飯塚幸三(87) は事故発生時にブレーキを踏んでいない上に負傷者の救護活動もしていない。さらに事故発生直後に息子に電話して各種隠蔽工作の指示をしている。凶悪である。
それにも関わらず神戸の事故では運転手は逮捕され容疑者と呼ばれ、池袋の事故では運転手は逮捕されず容疑者扱いにならない上にマスコミから忖度される扱いを受けている。
この「差」、である。この圧倒的な「差」はいったいどこからくるのだろうか?
これは明らかに高級官僚という権力の上層部に居た事への忖度であろう。それ以外に合理的な説明は思いつかない。ネット上では「上級国民への配慮」といった趣旨での意見が大勢を占めている。上級国民という言葉が示すように明らかに権力側に居た人間は一般国民とは格が異なる上層世界で生きている事を実感させる。厳然たる格差がそこには存在し、上級国民なら犯罪行為をしても許されて罪を問われない、という実例が今ここに展開されているのである。
さらに許せないのはこの飯塚幸三は犠牲者と遺族に対してお悔やみの言葉を全く発していないこと。元高級官僚であるこの男には人としての心がないと言われても仕方ないだろう。事故直後に被害者よりも自己保身を優先させた事と言い、改めてこの男を逮捕しない警察・司法と忖度し続けるマスコミに強烈な違和感を持つ。
そうした批判的な空気の横で、マスメディアでは評論家と称する連中がしたり顔でネット世論の一方的な決めつけと暴走であるかのような説明をしているが、尽く説得力のない(それこそ)一方的な決めつけと誹謗中傷のような論説を展開して世間が眉をひそめる事態になっている。
日本は普通に法治国家だと思っていたが、それは勘違いだったようである。まるで北朝鮮並の独裁政権下で見られるような権力者(官僚)への忖度。こんなデタラメがまかり通る社会なのか日本は、と。これだけ法律があからさまに無視されてしまう日本は我々が想像するよりも遥かに腐敗した醜悪な国家だった、ということだろう。