いつの頃からか、ポップス・ロック・アイドル等のコンサートではオーディエンスは最初から最後まで立ち上がったままであることが普通になってしまった。こうなると用意されている座席という物のなんと無意味なことか、と思うところだが、これは腰痛持ちの人や純粋にそこで演奏される音楽を楽しみたいという人にとっては地獄のような場所であり時間である。
なぜこんなことになってしまったのか。
それはそこに集うオーディエンスにとってコンサートが音楽会ではなく「お祭り」だからである。アイドルのコンサートなどは特に象徴的だが、正に宗教行事のようなニュアンスも感じられるほどにお祭りの態様を示しているのだ。アイドルがファンにとって一種の宗教的な絶対的存在であることを考えると、この捉え方は間違っていないだろう。アイドルのコンサートに集うファンたちは教会のミサに参加する信者たちと非常に近いように見受けられる。ヲタ芸というオーディエンス側が演じるパフォーマンスは正に神に奉納する踊りのようでもある。
ロックやポップスの場合もほぼ同様で、音楽を鑑賞するというよりはオーディエンスたる自分がその場で楽しんで騒いで発散したい、という動機の方が強いのではないだろうか。これもまた一種のお祭り的な捉え方である。そもそも神事であるお祭りというのはそこに集う人間の無意識内に直接影響を与えて深層心理的に浄化作用が認められるイベントである。現代のロックやポップスのコンサートはそういう意味でお祭りと言えるだろう。なぜなら社会構造をギチギチに構築してしまって心や気持ちに余裕が無くなった現代人には大昔に存在した真に浄化作用を含むお祭りが必要だったからである。
まぁそれはそれでいい。
しかし、純粋にそのミュージシャンの音楽を「聴きたい」オーディエンスはいったいどうしたらいいのだろうか。現状ではそうした人々はただ我慢するしかないような状況である。音楽を純粋に楽しみたい人は座席に座って落ち着いて耳に神経を集中して聴きたいのだ。そのような本来的な目的でコンサートに参加するオーディエンスにとっては現状は地獄としか言いようがない。また、はじめに書いた腰痛持ちのような身体に支障を抱える人にとっても立ちっぱな状態で2時間を過ごすのは地獄であり、事実上「楽しめない」ことになる。
筆者にも直接生でその演奏を聞いてみたいミュージシャンはいるのだが、結局2時間立ちっぱなしでいる事には耐えられないないので一切参加できないでいるのである。
なぜこんなことになってしまったのか。
それはそこに集うオーディエンスにとってコンサートが音楽会ではなく「お祭り」だからである。アイドルのコンサートなどは特に象徴的だが、正に宗教行事のようなニュアンスも感じられるほどにお祭りの態様を示しているのだ。アイドルがファンにとって一種の宗教的な絶対的存在であることを考えると、この捉え方は間違っていないだろう。アイドルのコンサートに集うファンたちは教会のミサに参加する信者たちと非常に近いように見受けられる。ヲタ芸というオーディエンス側が演じるパフォーマンスは正に神に奉納する踊りのようでもある。
ロックやポップスの場合もほぼ同様で、音楽を鑑賞するというよりはオーディエンスたる自分がその場で楽しんで騒いで発散したい、という動機の方が強いのではないだろうか。これもまた一種のお祭り的な捉え方である。そもそも神事であるお祭りというのはそこに集う人間の無意識内に直接影響を与えて深層心理的に浄化作用が認められるイベントである。現代のロックやポップスのコンサートはそういう意味でお祭りと言えるだろう。なぜなら社会構造をギチギチに構築してしまって心や気持ちに余裕が無くなった現代人には大昔に存在した真に浄化作用を含むお祭りが必要だったからである。
まぁそれはそれでいい。
しかし、純粋にそのミュージシャンの音楽を「聴きたい」オーディエンスはいったいどうしたらいいのだろうか。現状ではそうした人々はただ我慢するしかないような状況である。音楽を純粋に楽しみたい人は座席に座って落ち着いて耳に神経を集中して聴きたいのだ。そのような本来的な目的でコンサートに参加するオーディエンスにとっては現状は地獄としか言いようがない。また、はじめに書いた腰痛持ちのような身体に支障を抱える人にとっても立ちっぱな状態で2時間を過ごすのは地獄であり、事実上「楽しめない」ことになる。
筆者にも直接生でその演奏を聞いてみたいミュージシャンはいるのだが、結局2時間立ちっぱなしでいる事には耐えられないないので一切参加できないでいるのである。