Altered Notes

Something New.

大人引きこもり問題をどう捉えるか

2019-04-14 20:06:00 | 社会・政治
大人の引きこもりが問題となっている。
元々は若年層の引きこもりだったものが年月が経過したことで中高年化したのであり、現状で対象とされる人数は61万3000人とのことである。

このような問題を考える時に常に付き纏うのが上から目線での施策である。引きこもる人々を「社会に対応できない可哀想な奴」として見下しながら対処法を考えるのである。基本姿勢から間違っているので問題は解決されないばかりか、増々酷い状況に陥っていくのだし、場合によっては破滅的な結果に至ることもある。これは実にありがちな傾向であるが、引きこもる人々にはそうならざるを得ない理由があるのだ。この問題を語る上で非常に難しいのはそれが単純ではなく因果関係でも捉えられないからである。また、意識化出来ない無意識の中に解決へのカギが存在するから、とも言える。(*1)(*2)

以前の拙稿でも記したことだが、現代社会は多数派を占める心理的タイプの人にとって都合がよく居心地が良いデザインで設計されている。多数派が正しいからそうなっているのではない。単にそういうタイプの人が多数派だからそうなっているだけだ。多数派だから世界を勝手に解釈して自分たちを正義と位置づけているだけのことなのである。これが逆から見れば、そうではないタイプの人にとっては居心地が悪く不快な社会なのである。まずここは基本認識としておさえておくべきだ。

それだけではなく、この社会はあらゆる側面で枠からはみ出ることを悪として捉えるようになっており、現実に枠からはみ出ようものなら炎上し嫌がらせされ虐めを受けるような悲惨な事態を招いてしまう。実にマージンの少ない、或いは皆無な社会なのである。こんな社会ではその形(枠組み)にぴったりフィットするタイプの人々だけが快適に暮らしていけるのであって、そこから少しでも外れた人間は厳しく断罪され排斥されるのである。ただ、それは前述のように断罪する人々がたまたま多数派のタイプであるから、というだけのことであり、決してそれが「正しい」という訳ではないのである。

そうは言ってもなにがしかの対応は必要であろう。但し、引きこもっている人が経済的に恵まれた環境にあるのであれば敢えて触らず構わないでおく、というのも妥当な判断と言えるだろう。経済的裏付けがあるなら「何もしない自由」も認められるべきである。

その他の一般的な引きこもり対象者については深層心理学的なアプローチが必要である。解決が必要だと言うなら、その鍵は本人の無意識の中にあるからだ。言っても最も困惑しているのは本人である。なぜ困惑しているかと言えば自分の中にある真の「理由」が意識化できないからなのだ。人間の無意識の領域は極めて広大無辺である。その中にどのような形で回答や解決策が存在し、それをどのように発見してゆくのか、そこを科学的なアプローチで探っていく為には多大な時間とエネルギーが必要である。

科学的というのは深層心理学であって、例えば分析心理学を提唱したスイスのC.G.ユングは実際に社会に適応できない人、人生に問題を抱えているがそれが単純な因果関係で説明できない人々の無意識をその人の発言・行動・表現物・夢の内容等々から探り出して解決に導いた実績がある。これは本当に難しく時間と忍耐力が必要な作業であるが、しかしうまくいけば真に解決と断言できるところまで持っていくことができるのである。現代の引きこもり問題にきちんと対応するならば、この為に多くの優れた深層心理学者が必要になる。心理学者と言ってもよくTV番組に出てくるような薄っぺらい偽心理学者ではない。必要なのは本物の深層心理学者であり、臨床技術に長けた人である。

社会がこのような本質的な部分に気づいて引きこもり問題が少しでも改善される方向に動くことを期待している。



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[2019/6/4 追記]
先日の登戸(川崎市)での無差別殺傷事件の犯人が中高年引きこもりだったことからマスコミは犯人の自宅捜索でスマホやパソコンが見つかるかどうかに注目していた。犯罪を起こす引きこもりの男は自室内でパソコンやスマホばかりしている変態に違いないという決めつけが前提にあるからだ。しかしスマホもPCも出てこなかった。ゲーム機は出てきたのでそれを報道したら世間から「ゲーム機くらいどこの家にもあるぞ」と反論された。これはマスコミが事実を率直に探求するのではなく、マスコミが勝手に決めつけたステレオタイプに犯人を当て嵌めようとしているからである。マスコミの一面的で薄っぺらで単純過ぎる思考に世間は気づいており、うんざりしているのである。
マスコミにありがちなのが問題を単純化してパターン認識で捉えるように変質させること。それは既に「引きこもり=犯罪者予備軍」という決めつけを印象付ける報道をしていることでも判る。これは昔から普遍的に見られるマスコミの「愚者の思考」である。引きこもっている人すべてをそうした色眼鏡で捉えることで世間に間違ったサインを与えてしまう愚をマスコミは何度も繰り返し犯してきている。普通に誰にも迷惑かけずに幸せに引きこもっている人だって多いのだ。そうした人々はただ「何もしない自由」を謳歌しているだけなのに、愚かなマスコミは負のイメージを付けるべく印象操作に励む。マスコミの頭の悪さと心の無さを如実に感じる部分であろう。マスコミの「程度」というのはこんなものなのだ。
こうした浅はかなマスコミが中高年引きこもりをどんどん追い詰める役割を担っているのだが、マスコミ自身はそれに全く気づいていないし気づこうともしない。なぜか。自分達の記事や報道が売れればそれでいいからである。記事が事実でなくとも嘘であっても儲け・利益が得られれば誰がどうなろうと知ったことではない、というのが彼らマスコミの正体である。その本質・正体は年月を追うごとに増々酷くなっていく傾向にある。



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(*1)
この種の問題をTV番組等で識者と称する連中が語ることがあるが、殆どの場合、ピントのずれたコメント・意見になる。なぜか。コメンテーターをやるような人々はそもそも人生の勝ち組であり、少数派としての苦しみ・辛さなど想像の埒外だからである。彼らに語らせても問題の本質に迫ることは一切できない。



(*2)
引きこもりの中年男性をニッセイ基礎研究所の天野馨南子准主任研究員は「子供部屋おじさん」という蔑称を付けて流行らせようとしている。引きこもりにならざるを得ない男性には様々な事情や都合というものがある。それらを最初から無視してこのような命名をすること自体、対象者に対して極めて失礼であり無神経な事である。「子供部屋おじさん」という名称は侮蔑的なニュアンスが込められている事が自ずと読み取れる。つまり社会現象に客観的なカテゴライズをしたのではなく、はじめから侮蔑的な意図があってこのような命名をしているのだ。天野氏が書いた記事を読んでも文章や行間に引きこもり男性を侮辱したい感情が明白に読み取れる。天野氏は研究者としては完全に失格であり人として三流である。
女性に対してこれに類する蔑称など付けようものならたちまち大炎上になるだろうが、天野氏は「男性ならばいくら傷付けても良い」と考えているのだろう。精神的に歪んだ人間なのだと思われる。
また、これと同等の蔑称として「パラサイトシングル」がある。大学教授の山田昌弘氏が作った蔑称で「実家に寄生する独身」という意味である。人間を寄生虫扱いである。天野氏にしても山田氏にしてもよくもまぁこんな酷い命名ができるものだ、と逆の意味で感心する。二人に共通しているのは対象者に対する蔑視感情でありヘイトである。問題を解決しようという意思は感じられない。真実を見ようとせず、このような一方的なカテゴライズと身勝手な蔑称の押し付けをしている時点で人間失格である。