伊豆高原シニア・ライフ日記

「老い」を受容しながら自然の恵みに感謝しつつ「残躯天所許不楽復如何」の心境で綴る80老の身辺雑記 

雨の日、つれずれなるままに……

2018年05月09日 | 雑文

5月9日(水)

4月以降連休まで当地は素晴らしい春の陽気に包まれ、梅、桜、ツツジ、そして新緑と移りきゅく自然の美しさに心ゆくまで堪能させてももらった。

しかし、連休が終わった途端、天気は急変し雨日に変わって3日も続いている。のみならず気温は春先の寒さに逆戻り、暖房まで必要とするような寒さである。

長く続いた晴日に代わって雨の日が続くと、それまでの生活の流れが急に変わって体調もおかしくなり気持ちにも戸惑いが生じる。

戸外に出てウオーキングを愉しんだり、TIKOI農園で春野菜をいつくしみ育てる楽しみがなくななったので、もっぱら室内でパソコンを前にしてマウスを動かしたり、キーボードを叩いたり、iPhoneを弄ってみたり、TVもいつもより長く見たりするのが生活の大半をしめることになる。

「晴耕雨コン」、晴日は園芸作業、雨日はコンピューター(パソコンにPhoneも加わった)を老後生活の信条としてきた私として、これは当然の帰結である。

こんな日、いってみれば吉田兼好の「徒然草」の冒頭の言葉

「つれずれなるままに、日暮らし、硯にむかひて、心にうつりゆく、よしなしごとを、そこはかとなく、書きつくれば……」

の心境、硯が現代風のパソコンに代わっただけである。

パソコンにむかって、齢88になって思い付く「よしなしごと」を書き綴ろうと構え、フッと思い出したのは、そんなことを今から8年前に「三金会雑記」に書いた記憶である。

参考にしようと思い、過去のブログの記事を調べたら、すぐ出てきので読み返してみた。

なんと、驚いたことに、これから書こうかとおもっていたことほとんど変りなくそこに書かれている。

その頃との違いを探せば、平均寿命が79.59歳から80.98歳と少し伸びていること、個人的には知能面では記憶力が次第に薄れ、なにごとにも忘れやすくなったこと、肉体面では視力・聴力が落ち文字を読むのにルーペをつかうようになり、補聴器を常用するようになったこと、さらに「ロコモティブシンドローム(運動器官症候群)の進行からは逃れるべくもなく最近では以前に比べて格段に手足の動きが鈍くなってきていること、尿意のコントロールに問題が生じつつあることなどなどである。

いずれも覚悟していたことばかり、今の思いは21010年80歳の時と全く変わっていない。これっていいことなのか、わるいことなのか。とまれ、この8年、私の歳月は流れに浮かぶうたかたのように変哲なく流れ去ったということ。

こんな生き方が超高齢者なのだと現状を肯定的にみている私である。

「齢80、戦後65年に思う」(「三金会雑記」秋号原稿)


 

生垣越しに見える隣家の「エゴノキ」、生垣の上にも白い花びらをいっぱいに乗せている。いつのまにこんなにたくさんの花を付けるようになったのか、気付かなかった。ここにも時間は確かに流れている。

  

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