川口保 のブログ

1市民として市政を眺めつつ、社会のいろいろな出来事を取り上げています。

ある障がい者の死

2018-11-13 03:31:21 | 日記
 年末近くになると、家族や濃い親戚で不幸があった家から「賀状欠礼」のハガキが届くようになる。この時期になると私の知り合いであった、ある障がい者のことを思い出す。その彼の死を知ったのも彼の家族から私の所に届いた賀状欠礼のハガキでした。

 彼は非常に重い障害を持っていた。車椅子に乗って自分で外に出ることもできない。食事も自分でとることができなかったのではないか。また、言葉にも障害もあって、彼の話は何度も聞き直さないと分からない。

 その彼から以前私に電話があった。「骨が突き出してくる病気で、ジッとしていても痛い。横浜にいい病院があるのでそこに行くのだが、川口さん連れていってほしい」というものでした。私は了解をして「車で行くの?」、「いや 電車で連れていってほしい。病院の受け入れが少し先になるが」。私は当時会社務めをしていたが、私のところに電話してくるのは、余程のことだろうと思い「いつでもいい、平日でもいいので都合がついたら連絡して」と電話を切った。しばらくしてまた彼から電話が入り、「横浜の病院の受け入れ準備がまだできていないので、もう少し待ってほしい」というものでした。私は了承して「行けるようになったら連絡して」と電話を切った。

 しかし彼は横浜の病院に行くことなく亡くなりました。59歳でした。
 その彼が以前にこのようなことを言いました『僕はこういうからだで生まれてきた しかしせっかくこの世に生まれていたのや、しっかりと生きていきたいのや』。
 彼は59年の人生の中で社会の人々から注目されることは、おそらく一度もなかっただろう。また社会の檜舞台に立ったことも一度もなかっただろう。しかし彼が残していった『僕はこういうからだで生まれてきた。しかしせっかくこの世に生まれていたのや、しっかりと生きていきたいのや』という言葉が私の心の中にいつまでも残っています。
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