川口保 のブログ

1市民として市政を眺めつつ、社会のいろいろな出来事を取り上げています。

松阪の地名を訪ねて(2)~「塚」の付く地名~

2011-01-11 16:44:29 | 日記

                (マームの一番南側の駐車場にある「塚」) 

 

松阪市内の地名の中で町名を中心として、付けられた由来を探っていきたい。

 

「塚」の付く地名

「塚」を辞書で引くと①土を小高く盛り上げられたところ②土を盛った墓とあります。 塚の付く地名でよく知られているのが貝塚です。かつて女子バレーで名を馳せたニチボー貝塚のあった大阪府の貝塚市はよく知られています。この貝塚は先史時代人が貝を食料にしたあとの残滓(貝殻)を捨てたところです。

 志摩市の船越には人塚と呼ばれる地名があります。昔の大津波で亡くなった人を一度に埋葬したところで、今でも人骨が出てくるそうです。松阪市内で町名以外に「塚」と呼ばれる場所がいくつかあります。矢津町の「黄金塚」や安楽町の「車塚」、中万町の「鬼塚」、美濃田町の「獅子塚」などが伝説とともに「松阪市史」に示されています。

 

 松阪市内で塚の付く町名は『大塚町』、『塚本町』、『宝塚町』があります。

 このうち大塚町はショッピングセンターマームの南側に位置し、塚本町はマームの西側に位置します。この2つの町は隣接し、同じ塚から付いた地名と思われますが、マームの屋上から周囲を見渡しても、現在この付近には大塚と呼ばれるような大きな盛り土は見あたりません。加世智神社(大平尾町)所有の「伊勢国飯高郡大塚村地誌」には「聖武天皇の勅を奉じて開基したお寺が、後年焼失し、その瓦石を田圃の傍らに埋め、焦土塚のように堆積したため大塚の字を用いた」というような意味のことが書かれており、この焦土塚から大塚と呼ばれるようになったと思われます。地元の人の話しでは大塚付近の水田の中にはいくつかの塚が今も残っているということです。その1つがマームの駐車場の中にあります。(写真)この塚を始め、水田の中に残っているのは、ほとんど平坦に近く、この塚群が焦土塚かどうかは分かりません。

 塚本町については、市内に「塚本古墳」と呼ばれる古墳はありますが、別な場所で、大塚の近くであることから塚本と付いたのではないかと思われます。

 

松阪市内のもう一つの塚の付く地名は、宝塚古墳で知られる宝塚町です。宝塚と呼ばれる古墳は日本各地にあり、主なものは①島根県出雲市、②奈良県河合町、③茨木県茨木町などです。また宝塚歌劇でおなじみの兵庫県宝塚市にも古墳があり、「この塚のそばで物を拾う者は必ず幸せあり」というところから宝塚の名が付いたといわれています。宝塚という地名から、この塚には宝があるということが知られており、どこの宝塚においても盗掘が行われているものと思われます。

 松阪市の宝塚古墳は昭和3年の鈴木敏雄氏の調査では、ほぼ1㎞四方の丘陵地に確かな古墳が26基、不確なものをふくめると88基が確認されており、当時は「花岡古墳群」と呼ばれていました。しかし団地造成によりほとんどの古墳が壊され、残っているのは公園として整備された1号墳、2号墳などわずかです。

 

 平成十二年松阪市の宝塚古墳から国内最大級の舟形埴輪が出土しました。松阪市にとってまさに宝の塚でありました。公園として整備された1号墳、2号墳は発掘調査が行われましたが、中央部は発掘せずに、残してあり、古代のロマンが昔のまま眠っています。

 

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 また地名の解説については自説を交えて行っています。歴史上おかしいところがあればご指摘下さい。歓迎します。

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