川口保 のブログ

1市民として市政を眺めつつ、社会のいろいろな出来事を取り上げています。

大石不動院の歴史・文化

2016-12-07 11:24:15 | 日記
 松阪史跡探訪会主催の第7回史跡めぐりで大石不動院を訪れ、岡本俊光住職からいろいろな話をお聞きしましたので、まとめました。

✦大石不動院の概要
・寺 名 石勝山金常寺不動院
・宗 派 真言宗
・開 山 弘仁3年(812)
・開 祖 弘法大師
・本 尊 不動明王
・住 職 岡本 俊光
・住 所 〒515-1205三重県松阪市大石町4番地
・電 話 0598-34-0180(不動院)
・東海三十六不動尊霊場第25番札所
・三重四国八十八ヵ所霊場74番札所
・公式ホームページ http://www.mctv.ne.jp/~hudouinn/

 「大石の不動さん」でおなじみの松阪市大石町の「石勝山金常寺不動院(せきしょうざんこんじょうじ ふどういん)」は、和歌山街道沿いにあり、櫛田川の清流を望みます。当寺は今から約1200年前の弘仁3年(812)に建立された真言宗のお寺で、弘法大師が開創したと伝えられています。寛文年間から紀伊徳川家の尊信厚く、御紋付提灯および共田三斗八合の地を受けました。
 8月31日~9月1日に行われる八朔祭りは、約300年前から続く伝統行事で、加持祈祷、手踊り、縁日、打ち上げ花火などがあり、多くの人々で賑わいます。

 
           (不動院の本堂)                  (不動院の鐘櫻堂)

✦不動院の建築物
 現在の本堂は今から400年以上前の慶長7年(1602)中興の住職政音和尚(しょういんおしょう)の時、松阪城主・古田重勝が再建しました。鐘櫻堂は享保7年(1722)住職甚隆和尚の時建立し、鐘は天命安弾の作です。大師堂は天保4年(1833)住職慧照和尚の時、深野村(現在の松阪市飯南町深野)の野呂市之新の寄進という記録があります。大師堂には寺の開祖である弘法大師坐像と薬師如来坐像が安置されています。
 平成21年~23年の「平成の大修理・開祖1200年事業」で本堂の屋根を葺き替えたとき、本尊の右側から平安末期にできた「上り龍」が、左側から「観音像」が出てきました。

✦本尊
 本尊は石造「不動明王」で弘法大師が当地を訪れたとき、当地の青石を刻んで安置したと伝えられています。薄暗い本堂に安置されていますが、外ののぞき窓から見える人にはご利益があるということです。

 
  (外から本尊が見えればご利益があります)              (大師堂)

✦不動滝
 本堂の左側にある不動滝は白猪山の麓から流れる滝谷川から落下するもので、高さ約10m、幅約1,8m、途中から二条に分かれていることから「夫婦の滝」と呼ばれています。諸病に効能があるといわれ、夏には納涼も兼ねて滝に打たれる人も多いということです。滝の岩面に「不動滝」の文字が彫られており、向かって右側に修験道役角行者が鎮座して、修験道や滝行の人達を見守っています。
 明治大正時代には水月、山月、車屋、滝の屋などの料亭があり、鮎料理でにぎわっていました。

 
            (不動滝)                    (焙烙岩のムカデランの群生)

✦ムカデランの群生
 国道166号沿いの池の通称「焙烙岩(ほうろくいわ)」に群生しているムカデランは、全国的にも珍しく、池の岩面に群生しているのはここだけで、昭和2年に国の天然記念物に指定されました。ムカデランは単子葉類蘭科で日本特産の養生蘭であり、ムカデが這っている形をしています。8月頃より小さなピンクの花をつけ、その後卵円形の小さな実をつけます。
 岩の下の池は人が近づいて採取するのを防ぎ、湿気を与える役目を果たしているということです

✦展望台
 不動院の展望台は焙烙岩のちょうど真上に位置します。本堂の横を通り、山を右の方に登って行くと、秋葉大権現・金比羅大権現の祠があり、その前が展望台になっています。
 登り口に「息切れしないで登ると現在の年齢より5歳若いといわれています」という看板が立っています。
 展望台からは櫛田川や大石町・小片野町・多気町波多瀬の集落、山々が一望できます。

  
         (展望台からの眺め)                     (八朔まつり)

✦八朔祭り
 不動院の八朔祭りは約300年前の江戸時代のから行われているもので、8月31日が宵宮、9月1日が本日となります。
本堂では宵宮・本日とも護摩木を焚いて五穀豊穣、地域の安全、家内安全、交通安全、開運招福などが住職により加持祈願されます。また宵宮には多くの夜店が並び、石野木会メンバーによる「和太鼓の演奏」や手踊り、花火の打ち上などが、本日には夕方から「カラオケ大会」などがあります。
 八朔の八は8月、朔は1日で、明治6年の改暦までは旧暦の8月1日に開催されていたことが「八朔まつり」の名称の由来です。
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