川口保 のブログ

1市民として市政を眺めつつ、社会のいろいろな出来事を取り上げています。

第1回松阪史跡めぐり開催される(2)

2013-11-25 21:42:50 | 日記
 リバーサイド茶倉で昼食をとった、第1回史跡めぐりのメンバー48人は2台のマイクロバスに分乗して、次の見学地に向かいました。

7.中央構造線(車窓見学)
 『中央構造線は静岡県付近から愛知県、紀伊半島そして四国を縦断して、九州まで伸びる、日本最大の構造線です。構造線の南側は「外帯」と呼ばれ、三波川変成岩類の黒色変岩や緑色変岩が分布します。北側は「内帯」と呼ばれ領家変成岩類の花崗岩などが分布します。』

8.飯南高校ハナノキ(車窓見学)
『飯南高校の正門横に樹齢約80年のハナノキの大木があります。樹高約25m、3主幹立ちで幹周り約4m、ハナノキは、春の花、秋の紅葉とそれぞれ真っ赤に色づく美しい樹木。日本固有種で、環境省のレッドリスト絶滅危惧Ⅱ類種に指定されている大変貴重な種とされています。』

9.滝野城跡
 『飯南町有間野の「たかんじょ」と呼ばれる高城山のちょうじょうにある、12世紀頃の源平の戦いの時代の城。平安時代末期に源義経が攻め落としたとも伝えられている。』

10.水屋神社
 

             (水屋神社の見学)         (滝野城跡は山の下から見学しました)

 『水屋神社(久保憲一宮司)は飯高町赤穂にあり、天照大神など18神を祀る。神社境内には巨樹が多くあり、大楠は推定樹齢千年、樹高35m、根回り29mで県の天然記念物に指定されている。』
 今日は祭りと重なり、久保宮司さんから説明を聞くことが出来なかったので、それぞれが大楠などを自由見学しました。

11)ふるさと川俣いも祭り(大谷嘉兵衛翁祭り)

 

     (小林先生に嘉兵衛翁の説明受ける)   (うちのメンバーもたくさんの餅をゲットしました)
 

 
 『茶王と呼ばれる大谷嘉兵衛翁を讃える大谷嘉兵衛翁祭りは、これまで飯高町宮本の、翁の菩提寺の長楽寺で行われていたが、3年前から場所を旧川俣小学校に移して、ふるさと川俣いも祭りと合同で開催されています。』
 僧侶による太鼓演奏を聞いたあと、餅まきがありました。我が史跡めぐりのメンバーもちゃっかり、たくさんの餅をゲットしていました。そのあと大変お疲れのところ、小林平八郎先生から大谷嘉兵衛翁の話しを聞きました。

 今回の史跡めぐりでお世話になった、松尾神社の岡村行通宮司さん・垣本長生禰宜さん、大河内城跡の説明をしていただいた山際義一さん、昼食のときいろいろ心づかいをしていただいたリバーサイト茶倉の管理人さん、ふるさと川俣いも祭り(大谷嘉兵衛翁祭り)の大変お忙しい時に、嘉兵衛翁の説明などお世話になった小林平八郎・典子先生、本当にありがとうございました。

 また資料集めや下見の時にお世話になった、水屋神社の久保憲一宮司さん、滝野城跡の案内をしていただいた有間野の森本直樹さん、飯南振興局、飯高振興局の皆さん、また駐車場をお借りした大河内町西蓮寺さん、マイクロバスを貸していただいたミノダ自工さん、本当にありがとうございました。多くの皆さんの支えていただきこの企画ができました。

 そしてこの催しに参加していただいた皆さんありがとうございました。参加者の皆さんからは喜んでいただき、毎月やってほしいという声もありましたが、何とか年2回ぐらいは開催したいと思っています。
 会の名前は「松阪史跡探訪会」と決めていただきました。会則も総会もない会にしたいと思います。

                            松阪史跡探訪会     川口 保
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第1回松阪史跡めぐり開催される(1)

2013-11-25 00:01:00 | 日記

(リバーサイド茶倉で集合写真)

 松阪市内に数多くある名所旧跡をめぐる「第1回松阪史跡めぐり」が11月23日、市民48人が参加して開催されました。この催しは松阪史跡探訪会が主催して行ったもので、市内の名勝、名山、城跡、遺跡、史跡、古墳、神社、お寺、名木、祭り・神事、食、名産など、歴史的・文化的遺産を見学するものです。 今回は和歌山街道めぐり(その1)です

1.和歌山街道起点(車窓見学)
 『和歌山街道は三重県松阪市日野町と奈良県五條市を結ぶ全長45里(180㎞)の道で、奈良側は「伊勢街道」と呼ばれ、現在の国道166号の基となった道路である。
  和歌山街道の歴史は古く、原始時代にも石器の材料の運搬に用いられ、粥見井尻遺跡から発見された讃岐石(サヌカイト)もこの道を通って運ばれたと考えられている。また紀州藩の参勤交代に使われた道でもある。』

 日野町の和歌山街道の起点は車窓より見学しました。

2.松尾神社

 

    (垣本禰宜による史跡めぐりの安全祈願)       (岡村宮司による神社の説明)

 
 『松尾神社は松阪市立野町の標高113mの山の頂上にあり、本殿まで約400段の階段が続きます。松尾神社はもともと立野神社または立野明神と呼ばれ、飯高郡に属する郷としてあげられていた立野郷の産土紙(うぶすながみ)(生まれた土地を守護する神)として大山咋命(おおやまくいのみこと)を祭ったのが立野神社です。祭ってあるのは大山咋命を主神に28柱の神。』
 まず松尾神社の垣本長生禰宜により、史跡めぐりの安全祈願のお払いをしていただき、400段の階段を上った山頂の本殿前で、岡村行通宮司から松尾神社の歴史など説明を受けた後あと、参加者代表4人が玉串を奉てんしました。
4.大河内城跡

 

(寺井町の歴史研究家 山際義一さんにより説明を受けた)

 『大河内城跡は松阪市大河内町の阪内川と矢津川に挟まれた丘陵地の先端部にある。城は南北朝時代の1420年頃(応永年間頃)伊勢国司北畠満雅により築城され、満雅の弟顕雅(あきまさ)が入城した。
織田信長は永禄12年(1569)5万の兵をもって北伊勢の城を傘下に収めながら南下し、8月に大河内城の北畠具教(とものり)軍に迫った。広坂口の戦い、まむし谷の攻防など激しい戦いが繰り広げられ、戦闘は50日に及ぶが、北畠軍は8千の兵で織田軍の猛攻に耐えた。この一大攻防の結果、大河内城は難攻不落の堅城と絶賛された。』

 大河内城跡では、北畠研究をしてみえる寺井町の山際義一さんから約1時間、大河内城や北畠について聞きました。次々と口をついて出てくる年代や武将の名前に皆さん驚いていました。

5.粥見井尻遺跡
 『平成8年(1997)9月当時の飯南町粥見字井尻地内の国道368号の道路予定地であった粥見井尻遺跡を発掘・調査したところ遺跡より、縄文時代草創期(約12000~11000年前)の土偶が2個発見され、そのうちの1個はほぼ完全な形で出土した。
  この土偶は女性の上半身を形どったもので、今から1万2千年~1万1千年前の日本最古のものとみられている。』
 井尻遺跡では私が説明しました。

6.リバーサイド茶倉

(リバーサイド茶倉で弁当を広げて食べました)

 リバーサイド茶倉では、みんなでシートの上で、ピクニック気分で弁当を広げて食べました。
                                         (つづく)
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