(リバーサイド茶倉で集合写真)
松阪市内に数多くある名所旧跡をめぐる「第1回松阪史跡めぐり」が11月23日、市民48人が参加して開催されました。この催しは松阪史跡探訪会が主催して行ったもので、市内の名勝、名山、城跡、遺跡、史跡、古墳、神社、お寺、名木、祭り・神事、食、名産など、歴史的・文化的遺産を見学するものです。 今回は和歌山街道めぐり(その1)です
1.和歌山街道起点(車窓見学)
『和歌山街道は三重県松阪市日野町と奈良県五條市を結ぶ全長45里(180㎞)の道で、奈良側は「伊勢街道」と呼ばれ、現在の国道166号の基となった道路である。
和歌山街道の歴史は古く、原始時代にも石器の材料の運搬に用いられ、粥見井尻遺跡から発見された讃岐石(サヌカイト)もこの道を通って運ばれたと考えられている。また紀州藩の参勤交代に使われた道でもある。』
日野町の和歌山街道の起点は車窓より見学しました。
2.松尾神社
(垣本禰宜による史跡めぐりの安全祈願) (岡村宮司による神社の説明)
『松尾神社は松阪市立野町の標高113mの山の頂上にあり、本殿まで約400段の階段が続きます。松尾神社はもともと立野神社または立野明神と呼ばれ、飯高郡に属する郷としてあげられていた立野郷の産土紙(うぶすながみ)(生まれた土地を守護する神)として大山咋命(おおやまくいのみこと)を祭ったのが立野神社です。祭ってあるのは大山咋命を主神に28柱の神。』
まず松尾神社の垣本長生禰宜により、史跡めぐりの安全祈願のお払いをしていただき、400段の階段を上った山頂の本殿前で、岡村行通宮司から松尾神社の歴史など説明を受けた後あと、参加者代表4人が玉串を奉てんしました。
4.大河内城跡
(寺井町の歴史研究家 山際義一さんにより説明を受けた)
『大河内城跡は松阪市大河内町の阪内川と矢津川に挟まれた丘陵地の先端部にある。城は南北朝時代の1420年頃(応永年間頃)伊勢国司北畠満雅により築城され、満雅の弟顕雅(あきまさ)が入城した。
織田信長は永禄12年(1569)5万の兵をもって北伊勢の城を傘下に収めながら南下し、8月に大河内城の北畠具教(とものり)軍に迫った。広坂口の戦い、まむし谷の攻防など激しい戦いが繰り広げられ、戦闘は50日に及ぶが、北畠軍は8千の兵で織田軍の猛攻に耐えた。この一大攻防の結果、大河内城は難攻不落の堅城と絶賛された。』
大河内城跡では、北畠研究をしてみえる寺井町の山際義一さんから約1時間、大河内城や北畠について聞きました。次々と口をついて出てくる年代や武将の名前に皆さん驚いていました。
5.粥見井尻遺跡
『平成8年(1997)9月当時の飯南町粥見字井尻地内の国道368号の道路予定地であった粥見井尻遺跡を発掘・調査したところ遺跡より、縄文時代草創期(約12000~11000年前)の土偶が2個発見され、そのうちの1個はほぼ完全な形で出土した。
この土偶は女性の上半身を形どったもので、今から1万2千年~1万1千年前の日本最古のものとみられている。』
井尻遺跡では私が説明しました。
6.リバーサイド茶倉
(リバーサイド茶倉で弁当を広げて食べました)
リバーサイド茶倉では、みんなでシートの上で、ピクニック気分で弁当を広げて食べました。
(つづく)
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