ブログの合間合間に松阪市内の史跡を紹介しています。今回は初瀬街道沿いにある「忘れ井」です。
初瀬街道の忘れ井
初瀬(はせ)街道は松阪市六軒町の三渡川のたもとの六軒追分で伊勢街道と別れ、青山峠を越え、名張を経て長谷寺のある奈良県初瀬(現奈良県櫻井市)いたる街道です。天皇の名代として斎王が伊勢神宮に赴いた道でもあります。
この街道の松阪市嬉野宮古町に史跡「忘れ井」があります。忘れ井は平安時代末期のもので、天永元年(1111)9月斎王にト定された白川天皇の皇女○(女へんに旬)子内親王が伊勢へ群行の途中、この地で井水を求め、自分の心の迷いを鎮め二度と都の方を振り返らないと詠んだ和歌が「わかれゆく都のかたの恋しきにいざむすび見む忘れ井の水」(千戴和歌集)です。この歌からこの井戸を「忘れ井」と名付けられました。
初瀬街道の忘れ井
初瀬(はせ)街道は松阪市六軒町の三渡川のたもとの六軒追分で伊勢街道と別れ、青山峠を越え、名張を経て長谷寺のある奈良県初瀬(現奈良県櫻井市)いたる街道です。天皇の名代として斎王が伊勢神宮に赴いた道でもあります。
この街道の松阪市嬉野宮古町に史跡「忘れ井」があります。忘れ井は平安時代末期のもので、天永元年(1111)9月斎王にト定された白川天皇の皇女○(女へんに旬)子内親王が伊勢へ群行の途中、この地で井水を求め、自分の心の迷いを鎮め二度と都の方を振り返らないと詠んだ和歌が「わかれゆく都のかたの恋しきにいざむすび見む忘れ井の水」(千戴和歌集)です。この歌からこの井戸を「忘れ井」と名付けられました。