フリーアナウンサー 松原敬生の『今日のエッセイ』

思っている事、感じている事などを自由に綴ります。

漢字の成り立ち

2017-04-20 23:27:35 | Weblog
漢字には意味のある成り立ちがあります。例えば鴉はがあ、があとなくのでこの字が当てはまります。鳩なクックッと鳴くので鳩となります。
この話が本題ではなく、余り忙しい忙しいと言うなということです。忙しいという字は心が死ぬという漢字の組合わせで創られているからです。忙しい、忙しいと連呼することは、心が死んだ、心が死んだと叫んでいるわけです。世間では、忙しいが上で、暇が下と判断するようですが、決してそうではありません。つまり余裕があるなしにつながるからです。余裕がない生活はギスギスして情緒に欠けます。ですから、こんな風に考えたらどうでしょうか。「身の丈にあった生き方をする」ということです。
そのバロメーターは「お茶」です。どんなに忙しくても、朝、夕一杯のお茶を飲む余裕を持つことです。この余裕が四季の移ろいを感じ生きる喜びに繋がっていくわけです。禅問答のようですが、一つ忙しいという言葉を封印したらどうでしょうか。

富士山

2017-04-19 23:57:37 | Weblog
「田子の浦ゆうち出て見ればま白にぞ富士の高嶺に雪は降りけむ」という山部赤人の歌以来、日本人にとって富士山は霊力を備えた神秘の山でもあり、恋をうたう憧れの山です。5月2日に今年の八十八夜を迎えます。お茶の産地、静岡では、新茶の茶畑と富士山の光景が鮮やかになっていることでしょう。
かつて私も富士山の写真の収集を行ったことがあります。いつの間にか止めてしまいました。そうそう「富士山のようになりたい」という気持ち、つまり皆に仰がれる人になりたいと常々思っていたところ、誰かに「近づいたら石ころだらけ、だから中身はないよ」と揶揄されたことが止めた原因でしょうか(笑)。とは言っても、晴れた日に新幹線の窓から見る富士山の姿は素晴らしいですよね。
名古屋からは富士山は見えませんが、東京からは眺める場所が数多くあります。江戸時代は富士信仰が熱を帯び、江戸の街に小さな富士をかたどった富士塚を作り名所となったのです。これは東京が羨ましいことの一つですね。

季語

2017-04-18 23:40:30 | Weblog
我々アナウンサーが番組を担当し、最初の挨拶をする際、時候の挨拶をすることが多いのです。その時には季語を含んで話しますね。何故季語を大切にするかと言うと、季語を知ることが日々の暮らしの中で出会う人や花、鳥、犬などの獣、こうしたすべての自然や生き物に対する思いを深めることだからです。通勤途中の肌に感ずる風、見上げた空の色の変化に四季の移ろい敏感に感じとるのです。こうした生き方を続けると毎日を丁寧に生きることに繋がるのです。ウォーキングを趣味とする人達の楽しみの中にこうした季節の移ろいを歩きながら感じることもあるのでしょう。
さて寒くもなく暑くもなく、過ごしやすい春の日。花が咲き、小鳥は囀ずり、心弾む春というのに、何となく気持ちがふさいで物思いにふけることを春愁と言いますが、もしそんな気分に陥ったら、町歩きを試みて、季語に相応しいものを見付けることに専念することをお勧めしますね。

座右の銘

2017-04-17 23:15:48 | Weblog
小話を一つ。あるタレントに「貴方の座右の銘は?」と訊ねたところ「1.2と1.5」と答えました。左右の視力と間違えたのですね。「左右の目は?」と聞いたのです。私の座右の銘は前にも述べたと思いますが、父から言われた『実るほど頭を垂れる稲穂かな』です。歌謡曲の世界でも座右の銘を含んだ詩が世に多く出ています。
ところで、何故座右の銘と右側を言うのでしょう。座右とは文字とおり、座席の右のことで、それが転じて「かたわら」「身近なところ」という意味です。そこからいつも自分のそばに記しておいて日常の戒めの言葉や文を座右の銘というようになりました。中国で生まれた「左遷」という言葉でわかるように、左はよくない側に使われていました。つまり中国では右が必ず上位にあるのです。中国だけではありません。英語でも右の「right」に正しいという意味があるところから考えると右が上位は洋の東西を問うものではないようです。

緑の季節

2017-04-16 22:37:54 | Weblog
まだまだ花見が続いていますが、この花見の季節が過ぎると間もなく新緑の季節が訪れます。緑という色は信号の進めになるように、前向きな色ですね。
緑といえばわからない緑があります。それは「緑の黒髪」という言葉です。緑でありながら黒髪という矛盾した表現です。ちょっと調べてみると「緑」はもともと″枝先の新芽″のことで、若々しくて色もグリーンであるところから色の名前になったそうです。『松の緑』は松の新芽のことだし、元気のいい赤ん坊を「みどり子」ということに当てはまりますよね。ですから「緑の黒髪」は新芽のようにつやつやした元気のいい髪の毛のことをいうのです。
街中を散歩して見て下さい。今や若い女性の髪の色は黒髪どころか、あらゆる色の髪が行き交っています。むしろ黒髪の方が少ないのではないでしょうか。髪の色も国際的になったものです。ただ「みどり子」だけはいつまでも活きた言葉であって欲しいものです

カリフラワー

2017-04-15 23:29:12 | Weblog
ユダヤの格言に出会いました。狭い経験、狭い知識の人を揶揄する格言です。それは「カリフラワーに住む虫は、カリフラワーを世界と思っている」というものです。それは色々な経験を積まなければ、自分の世界は広がらず小さな範囲でしか生きられないことを言っています。
私もフリーのアナウンサーになった頃、偶然でしたが、初めてテレビの番組を担当する機会に恵まれました。決して上出来ではありませんでしたが、かけがえのない経験になりました。ラジオしか知らない私がこの経験をラジオにも活かすことが出来たような気がします。番組そのものもありますが、それを通じて沢山の人達との人脈を持つことが出来たことが大きかったです。カリフラワーの中だけでは味わうことが出来ない経験でした。
豊かな混合経験が豊かな発想を生みだし人生を強く生きる起爆剤になります。いつでも「皆さんのお蔭で」という挨拶が出来るほどの広い範囲の経験をしたいですね。

実るほど

2017-04-14 23:30:55 | Weblog
「実るほど 頭を垂るる 稲穂かな」は父親から教えられた格言です。要約すれば金が出来たり肩書きがついたからといって威張るなという意味です。かつて大企業病という病気がありました。この病気が個人にとりついと威張り虫が頭を高くして、頭を垂れるどころでは無いことが多くありました。少なくなったといえ、まだまだこの病気がとりついている人はいますが。いや、とりつかれているのかもしれません。
とりつかれる人は、やはり周りからいつも頭を下げられる仕事が多いでしょう。先生と呼ばれる職業、例えば、医者、学校の先生、下請けを持つ会社の社員。稽古事の先生なども当てはまるでしょうね。人から頭を下げられるのに慣れてしまうのですね。慣れると少しずつ頭が高くなるのでしょう。
しかしそういう人でも、いつか肩書きが無くなる日がきます。肩書きが消えてから急に頭を下げることは難しいものです。ですから、普段から気を付けることですね。

過去形

2017-04-13 23:19:24 | Weblog
歳をとると若い頃には思いもよらなかった行動をとることがあります。その一つは話すことに過去形が多いことです。これが過去の失敗や悩み事を抱えこんでいなけりゃいいのですが。考えてもどうしようないことなんですがね。
ところで、「不老長寿の法」を書いた人がいます。その中の一条を紹介しましょう。『自分で自分が歳をとったと思わないこと。自分で自分を年寄りにしたらおしまい』とあります。この文章を読んで反省しきりです。それは、自分の番組の中で、歳をとったのであれも出来ない、これも出来ないを売り物にするような喋りをしているからです(笑)。さらに気を若く持つことが身体がおのずから若やいでくるわけです。そう言えば「病は気から」と言いますよね。さらにその中には何十年も生きる計画を立てろとあります。余り考えたことはありませんが、それでも同年輩の歌手の方と2027年開通のリニアに乗ろうと約束しました。これは正解だったかもしれませんね。

上手な聞き手

2017-04-12 22:51:43 | Weblog
新しい環境に飛び込んだ皆さん、コミュニケーションは上手く行ってますか。ちょっと苦しんでいるという人に参考にして貰いたいです。
コミュニケーションをとることが苦手という人は自分を振り返って見て下さい。そう言う人は自分だけの世界にとじ込もっていることが多くあります。自分だけの世界にとじ込もっていると心まで閉じて聞く耳まで塞がってしまいます。この状況を打開するには相づちが大切になります。「なるほど」とか「いい話ですね」「とても勉強になります」と相づちをうって聞き手になるところからスタートして見てはどうでしょうか。
上手な聞き手は人から好かれます。好かれれば自分のやりたいことに協力してくれる人がそれだけ増えていくわけです。我々の日常の生活の中でも、とにかく喋りまくる人よりも相づちをうちながら聞いてくれる人の方が好感度は高くなります。
コミュニケーション度を上げるには、良い聞き手になると知るべきですね。

情緒不安定

2017-04-11 23:49:55 | Weblog
春をかなしむ言葉は多くありますね。「春愁」「春温を病む」「春傷」「春恨」「春心」これらは皆、春を悲しむ言葉なんです。春先は「木の芽どき」などの言葉があるように情緒不安定になる「季節性うつ症」が出やすい季節です。現代のようにストレスの多い時代だけではなく、昔から言われることです。これは冬の「寒邪」と言われるものが身体に残ったまま春になり陽気が良くなるにつれて、「寒邪」が顔を出して病になるという説や春の南風が原因とも言われています。西の地方では南風を頭痛や眠気を誘う風と言われているそうです。そう言われると最近は午後に、どうも眠気に誘われることが多くあります。(歳のせいですか?)まあ、春という季節は気温の上昇とか低下など寒暖の差が激しいですね。激しいと同時に変化
が急でもあり、この変化に身体の調節能力が追い付いていかないからだそうです。もちろん睡眠不足になりやすい時期でもあるので季節性うつ症を克服するには、友人と会ってリフレッシュすることが必要ですね。